住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

タイの僧侶と語る会4  5月19日開催

2006年05月21日 14時20分13秒 | 仏教に関する様々なお話
国分寺仏教懇話会特別企画

タイ比丘藤川チンナワンソ清弘師による「生と死について」と題する講演が行われた。今年は中国新聞、山陽新聞に告知記事が掲載され、雨模様にもかかわらずお越しになった大勢の方たちに熱のこもったお話をして下さった。

「昨年11月、タイカンボジア国境の町を旅したとき、暫く前から不審に思っていた臓器移植に関わる実態の一端を知り愕然とした。日本では臓器移植はいつまで待ってもできないのに、日本人がタイに行って臓器移植しようとすると3000万円もあればすぐにでもできると聞いていた。が、それはカンボジアの貧しい人々が臓器売買目的のヤミ組織に子供を人身売買する現実があるからだった。そして、その上売られた沢山の子たちはバンコクで臓器移植を待つ間、物乞いをしたり売春させられたりしている。

そのような子供たちの中で、カンボジアからバンコクへ連れて行かれる途中病気になり足手まといになる子や身体の弱い子はその場に放置され、野垂れ死にしてしまう。そうして置いていかれた子が獣に喰われ死に、血を流している様を、実はその時国境の町で見て、裏の実態を知ることになった。

タイで臓器移植を受ける患者の8割は日本人であると言う。贅沢三昧をしている日本人が金の力で臓器移植するために、貧しいカンボジアの子供たちが売られ、バンコクで臓器をむしり取られ、死なないまでもかたわの様な人生を余儀なくされる現実に驚愕した。

なんとかこの現実から子供たちを解放する手だてはないか、と考えた。カンボジアの貧しい親たちはその日の食べるものにも困り、小さな子供に食べさせるものも無く、どうせ飢え死にするくらいなら連れて行ってもらい臓器を売ってでも生きて欲しい、そんなギリギリの選択から子を売ってしまうのだと聞いた。

であるならば、売られた子を買い戻し、いったん他の家に養子に出し、それからまた家に帰してあげたらどうかと思う。また、そうした貧しい地域ではお寺も満足に運営できない。学校にも十分な先生も来ない。タイにはどの学校にも仏像が置いてあるがカンボジアにも学校ごとに仏像を置いて、信仰生活から人々の生活の改善を促したいとも思う。その為の資金を得るため、日本のある宗派本山に掛け合い、毎年いくらかの寄付が得られる方向で話が進んでいる。

我が日本も、戦後の経済発展によって豊かな生活は送れるようにはなったが、その反面、心を置き忘れてきた。タイに旅行に来る人に聞くと、みんな何か生きる目的、生きがいとは何かを探しに来たと言う。だが、どこにもそんなものの答えなど無いのではないか。

生まれ、生きている限り、死ぬということだけ。それだけが確かなこと。死はいつ訪れるかわからない。今日これからかもしれないし、明日かもしれない。本当はみんな死と紙一重の所で生きている。そう考えると、何のために生きているのかという、生きる目的などというものは消えてしまう。ただ死ぬために生きているとしか言えない。ならばいかに死ぬか、ということを真剣に考えるべきではないか。

皆さん、是非、どんな気持ちで死にたいかを自分自身で決めて欲しい。そのためにはどうあるべきか。家族に邪険にものを言い、扱っていたとしたら、自分が死ぬときどうだろうかと考えてみれば、いかにあるべきかがわかる。死を見つめることで生が決まる。お釈迦さまもそうおっしゃっておられる。

若い人が聞いてくると、何でも好きなことをしなさい。思いっきりやれと言う。ただし、この4つのことだけ気をつけなさいと言う。それは、①自分が人にされて嫌なことはしない。②人に言われて嫌なことは言わない。③やる前に自分の人生に利益になることかをよく考える。④やることで周りの人たちが利益になることかをよく考える。

この4つが満たされることなら先生や親に叱られても良いじゃないか。それが自分の人生にとってプラスになり、人間らしく溌剌と生きられるのなら。少なくともそんな生き方ができたならば、幼い子を殺したり、子供を殺したり、親を殺したりはしないだろう。今の日本はただの知識ばかりの教育になり、親からも何が本当に大切なことなのかが伝わっていない。

お釈迦さまも単なる宗教者として教えられるだけであるが、本当はお釈迦さまは世の中で最も大切な哲学を語っている。何世代かのちに、お釈迦様やソクラテス、弘法大師やデカルトを比較して語られる時代が来れば元々日本人が持っていた心に戻ると私は思っている。今日のこのような話を聞いて家に帰ってこんな話を聞いてきたと家族の中で話ができる家庭の子供たちが大人になる時代には日本人の心が取り戻されるだろうと信じている。」

(後半、同行してこられたミャンマー・メッティーラの日本語学校校長ススマーさんから初対面の挨拶など簡単なミャンマー語講座を開いていただいた。)

「なぜミャンマーか。ミャンマーに戦時中進軍して引き上げてきた人たちが消防車や学校などを寄付したという話をよく聞く。他の南方の国々に戦争に行った人たちの中でそんな話を聞いたためしがない。

それは沢山の戦友が眠る地だからということもあるが、ミャンマーで命からがら生き延びてさまよっているとき、日本軍のために戦争でひどい目に遭っているというのに、着る物もボロボロのミャンマーの人々が、日本の敗残兵たちに、自分たちの食べ物も困っているのに米をめぐんでくれたり、傷の手当てをしてくれたことが忘れられないからだと聞いた。ミャンマーの人たちはそういう人々で、だからこそメッティーラという日本軍が大勢死んだ激戦地の町に日本語学校を建てた」

最後に仏教の実践瞑想についてお話頂いた。「瞑想は人間としてすべきこと。お釈迦さまは、人間は猿のように頭の中で心があっちに行ったり、こっちに行ったり、動き回っていると言われる。そうして見たり聞いたりしたことから刺激され、過去の記憶によって判断し妄想していく。その妄想によって欲や怒りの心を生じ、辛い思いをしたり苦しんだりしている。妄想だらけの自分に気づくだけでも瞑想をする価値がある。是非実践して欲しい。」

今回は、ここに掲載できなかった東南アジアでの戦中戦後の歴史秘話なども織り交ぜて、人の生と死について改めて一人一人が重く受けとめざるを得ない貴重な話をうかがった。来年も比丘としての視点から様々な分野に話し及ぶことであろう。乞うご期待。
コメント (1)
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