あの時 私はここにいました。
ゴミを掃き集めて 燃やしていたのです。
地面が揺れました。
目の前は寺務所。
寺務所も揺れていました。
すぐ脇には物置。
物置も揺れていました。
本堂は建物が古いので ちょっと心配しましたが 大丈夫でした。
基礎工事を完了していて、本当によかった!
でも 天水桶が ゆらゆら揺れて
中の水を バッチャン、バッチャンと左右に撒き散らしていました。
私は 土の部分と コンクリート舗装の部分のどちらに立っていればいいだろう?
と悩みながら
手を広げてバランスをとりながら 足を大きく広げて踏ん張って 立っていました。
そのうち 変な音が大きくなりました。
鐘楼堂が ギッシギッシと音をたてて 揺れていたのです。
ぶら下がった梵鐘が ゆうらり、ゆうらり と揺れていました。
すごく怖かった。
これで 撞木に鐘がぶつかって ゴンゴンと音がしだしたら終わりだ、
そんな思いもありました。
最後まで 音はしませんでしたが。
揺れが収まってきたので 焚き火に水をかけて消しました。
本当はもう少し燃やしてからにしたかったのですが、怖かったので。
住職が 家の中にいない私を探して 外に出てきました。
「そこに居たのか!」って。
息子が家に帰っている時でよかったと思いました。
その後 娘は ひとり都内で さまざまな経験をする事になったのでした。
ほぼ日刊イトイ新聞の新聞紙上に
「それぞれの3月11日」という場所があります。
「3月11日、あなたはなにをしてますか?」という問いかけがされています。
きっと一日中かんがえてる。この一年を振り返る日になる。
港町に育った人間としては、海は穏やかで、恵みをもたらす存在です。
それと同時に、時に時化、悪意に満ちた存在になります。
普段は見ない海を見に行って、実家に電話します。
家族と家で過ごしながら、当たり前じゃない当たり前な日常に感謝しつつ過ごしたい。
元住居跡で海に向け静かに黙祷。
あえて普段通りの生活を送ります。
だけど、震災の起きた午後2時46分には、1分間の黙祷を行うつもりです。
などなど、いろんな「答え」が書き込まれているようです。
「来年の国家試験に向けて勉強してると思う」というものや
「その日は誕生日です。」なんてのもありました。
私には この「答え」が 心に残りました。
「いつも通り普通に。
当然、思い出すでしょうが、
普通の日を送れることに感謝して
その日を普通に生きようと思います。」
ちょうど日曜日に当たります、今年の3月11日。
あなたは 誰と どこで どんなふうに過ごしますか?