さくらのワルツでお散歩

まだまだ知らないことがいっぱい!
いろいろ経験したことを残していきたいです。
美味しいお店楽しいお店も見つけます  

白内障の手術しました、   快慶展にいきました

2017年05月21日 13時06分37秒 | その他
若葉から青葉へ追われるように周りの草木が濃くなってきました。
沖縄では 梅雨入りし季節の移り変わりの早さを感じます。。


今月の俳句

ダイエットを目指して五年春ショール

春北斗のきらに口論休戦す

       


5月9B 白内障の手術を受けました。
去年中頃は 格子模様が二重に見えたり、車で信号待ちの時、前の車のバックライトがずれて見えたりしていました。
診断は乱視で 白内障の心配は全くない!と言われていました。
が 今年になって右目が霞みだし、お月さまを見ると 乱視の時は3つ位だった月が6つにずれて見え、
白内障と言うことになり、手術をした方が良い❗と言われました。
手術の申込み をすると、まず 私の内科の先生にアレルギーや 飲んでいる薬等の問い合わせがあり、
次に 手術のひと月前に 術前検査(空腹で血液検査、散瞳検査)、本人、家族への手術の説明が ありました。
その後 手術3日前に 結膜炎を起こしていないかの確認、手術3日前から使用する飲み薬、点眼薬の説明、処方がありました。
手術3日前から一日4回の点眼、前日から抗生物質を飲み始めました。
術後7日目までは 洗顔、洗髪ができないので 前日は身体を清潔にしておくようにと注意がありました。
手術当日は 手術予定 1時間前に病院へ。
3回程 目薬を点眼して手術室へ。
穴の空いた金属の眼帯を手術しない方の目に当て シートみたいなものを顔に被せ 手術が始りました。
手術時間は20分位。全く痛さはありませんでした。術後も痛さはありません。
手術前に頭を動かさないようにという注意があるので 動かさないようにすることに緊張しました。

術後は一週間毎日通院です。
日に3回4種類の点眼をします。
無意識に目をさわらないように 夜は金属の眼帯をつけて寝ます。
一ヶ月は 室内でもサングラスを装用です。術後一ヶ月は眩しく感じるのと 目を守る為です。
今日 術後10日過ぎましたが、世の中が明るく成り、画像がくっきり ハッキリしました。そして 白色がきれいです。
遠くに焦点を合わしてもらったので 本や新聞は やはり眼鏡が必要です。
でも 霞んで見えたり 何重にも見えることはなくなりました。
今 思うことは 術後 毎日通院しないといけないので 通いやすい病院がよいです。
そして 術後一週間は 洗顔、洗髪、お化粧ができないので、汗をかく時期は困るし、
素っぴんでいないといけないので、紫外線が気になりました。
一週間後お化粧ができてホッとしました(色々な意味で)
手術は 少し涼しい時が良いと思います。


            

5月16日に 奈良国立博物館で開催中の「快慶展」に行きました。
読売新聞わいず倶楽部の鑑賞会に参加で、博物館の学芸員の方の説明を聞き その後自由鑑賞でした。

快慶は 昔歴史の授業で 鎌倉時代の仏師で運慶、快慶のペアで覚えたような気がしますが その二人の違いはよくわかりませんでした。
解説を聞いて 少し違いがわかりました。
二人は平安から鎌倉前期の仏師康慶(こうけい)の弟子で、兄弟ではありません。
運慶は 師匠康慶の実の息子で 湛慶等6人の子供がいて 家族一緒に仕事をしていました。
快慶には 子供がいなくて、行快など3人の弟子と仕事をしていました。
運慶の作品は 常に変化を求め ふたつと同じものを造らず、若い時の作品と晩年とではおおいに違っていました。
快慶は 衣のつけ方に少しの変化はありますが 始めに決めた形から晩年まで 同じような物を造りました。
快慶は 深く阿弥陀仏を信仰し、信仰を共有した弟子達と仏像制作を行いました。
彼の手掛けた仏像を「如法仏」と言われました。
それは 心身を清浄に保ち 仏の教法に従い 理に合った造仏作法にのっとって造られたからだそうです。
傍系にありながら 天皇をはじめ皇族や僧俗ら多くの人々が快慶の仏像を求めたのは、
信心深く、戒律を守った快慶の生き方にひかれたのかも知れません。
彼の造った阿弥陀如来様、釈迦如来様は 端正で親しみやすく、美しい優しいお姿、お顔でした。
どれもよく似ていて だからこそ 博物館にいる間に 見ればすぐに快慶の作 だとわかるようになりました。
仏像に興味がなかった私ですが 今回は見逃さなくて良かった❗と強く思いました。