さくらのワルツでお散歩

まだまだ知らないことがいっぱい!
いろいろ経験したことを残していきたいです。
美味しいお店楽しいお店も見つけます  

50年前のヨーロッパ旅行

2020年03月02日 00時12分12秒 | その他
               
今日から3月です。
テレビでは 新型コロナウイルス流行のニュースで 毎日大変なことになっていますが
何とか早く収束に向かって欲しいものです。
私は 気管支喘息なので呼吸困難になるととても苦しく辛いので 外出好きな私ですが 今はいろいろな講座もお休みして極力不要な外出は避けています。


今月の俳句

春立つやシャンパンの泡しゆわしゆわと

オペラ終へさくさくと踏む夕落葉



今月は コロナウイルスのせいで ほとんど出かけなかったので書くことがありません。
色々考えて しぼりだしました。

約50年前に大学生の私は 国際語学センター主催のヨーロッパ語学セミナー旅行に参加しました。
一緒に行ってくれる友人がいなかったので 知らない人達の中に一人参加しました。
若かったので 怖さ知らずでした。
約50年前ですので あまり記憶に残っていませんし 書くことが正確でないかも知れませんが お許しを!
1ドル360円の時代で 持ち出すお金も制限されていました。
一ヶ月の旅でしたので 何かあっては~と下着にポケットを作って そこに予備費として両親がもたせてくれました。
お土産にする洋酒や煙草の量も規制されていて ジョニー黒やナポレオンをツアーで友達になった人達と分け合って持って帰ってきました。
出発の時 絹のワンピースに帽子をかぶっていて、今の気楽な服装で旅行するのとは違い 笑ってしまうような考えられない服装でした


       
          その当時のJALの飛行機

二週間 ロンドンの国際語学センターに通うのでロンドン市内の小さなホテルに宿泊しました。
     
  二人一部屋で泊まったワースリイホテル, シャワーの出が悪く困った   ミニスカートが流行りだしていました,影響を受けて帰る頃にはもっとミニに

このホテルからセンターに通うのですが 入学試験があり 全く英語が話せない私は たぶん下から2番目のクラスだったような・・・。
一緒に行った人の中には成績が良くて ケンブリッジ大学の受験資格を得た人もいました。


   ロンドン市内  
  こんな車走っていました
         

   ロンドンブリッジ
   テームズ川と国会議事堂


   オックスフォード大学      
    ケンブリッジ大学

   文豪シェークスピアの生家

最近では シェークスピアやドイツのゲーテの生家を回るツアーないですね
    
二週間 ロンドンで学校に通いましたが 全く英会話は上達しませんでした。
レストランのショウウインドウは 田舎の食堂風でしゃれていませんでしたし、買い物すると茶色の紙でクルクルと包まれるだけ、日本の方が美的で繊細だとおもいました。
でも 広々としたセントジェームス公園やハイドパークでは 老人たちががのんびり過ごしていて良い感じでした。
でも今から考えると 今の日本のように高齢者が増えて高度成長期が終わっていたのかも~。
まだ人種差別があって地下鉄に乗るとなんだか 冷たい目で睨まれました。


次は パリです

    
パリの街角です。
上半身ヌードショウをみせてくれる「ムーランルージュ」ですが 私たちは「リド」の方が上品だと云う事で リド に連れて行ってもらいました。
初めての経験でしたが いやらしさがなく、きらびやかなショウに興奮しました。

      50年前のリドのパンフレットから

   モンマルトの丘の画家達です。

   
ピエールカルダンのお店にわざわざ見学にいきました。

    
ヘレナルビンスタインのお店  ブランドのお店がまだ珍しい時代でした

   凱旋門       
エッフェル塔


パリの後 ドイツのケルン、スイスのジュネーブ、フランス イタリアにまたがるモンブラン、イタリアのローマと観光しました。
フランスでは ブティックの試着室に一人で入らないように! 台がくるっと回って誘拐されるかも~とか、
イタリアの男性は声をかけてくるが ついて行かないように!とか スリのこと等 出発前に旅行社の人に注意されました。
ドイツでは20歳になっていたので パブで初ビールを経験、パブが何かも知りませんでした。
スイスではモンブランに登りました。8月でしたが エレベーターのようなもので上に着き、扉を開けると目の前は雪山と猛吹雪でした。

近年イタリアには行きましたが 50年間イギリス、フランスには行っていないので どんな風に変わっているのかもう一度観てみたいと思っています。
でももう無理かも知れません
アルバムからの写真をここに移しましたので、当時は写真を撮ることに意識がなかったので思うような写真もなく ぼやけていて申し訳ないです。
最近ヨーロッパに行かれた方 随分変わっていますでしょうか?
 
 


今回は <美味しいもの> お休みします。

今回のツアーで イギリスヒルトンホテルで食事会があり その時 飲茶がでました。
その頃 飲茶と言う言葉も知りませんでしたが そのとき小さな海老シュウマイがありました。
こんな美味しいものがあったのだ!! と思ったことを今も覚えています。
その頃は 大きな蓬莱の肉シュウマイしかしりませんでしたから・・・。
ちょうど 今の蓬莱の海老シュウマイ程の大きさだったと思います。
    


                        

   
 



    

  

       




京都へ一泊 女性シェフの料理

2020年02月04日 02時58分59秒 | その他
           

新年になって 早一月が過ぎてしまいました。
遅くなりましたが、今年も怠け者ブログをよろしくお願いします。
コロナウイルスの感染拡大が深刻になってきました。早く終息すると良いのですが~。


今月の俳句

宿題の子につられて並ぶ筆始
女子話の弾む子と吾の初湯かな

1月21,22日と母がショートステイに行ってくれたので 京都にでかけました。
いつもは 日帰りなので目的地に行って急いで帰っていたのですが 奈良から京都で一泊できるのは とてもゆっくり時間に余裕があります。
それで 今回は 宝ヶ池のグランドプリンスホテルに泊まり、お墓参りを兼ねて 金閣寺、銀閣寺、平安神宮、三十三間堂と修学旅行のようなコースを行ってみました。
京都では 一番メインな観光地ですが、年に何度も京都に行っているのに考えてみれば 金閣寺、銀閣寺、三十三間堂は 40年ぶり位なのです。
随分 変わっていました。
もう 外国人観光客用に設備はしっかり整えられていたし お庭なども何処も綺麗に手入れされていました。
銀閣寺は 少し茅葺きの屋根が傷んでいて 昔の気分を味わえましたが 広いお庭は美しいでした。
        
                 銀閣寺の展望所からの眺め
        
金閣寺は 正しくは「鹿苑寺」といい室町時代に西園寺公経の別荘だったものを足利義満が譲り受けて 「北山殿」を造りました。
お釈迦様の骨を祭られた舎利殿「金閣」が 知られて金閣寺と呼ばれるようになったそうです。
金閣は漆の上から純金の箔が貼ってあり 屋根には鳳凰が輝いて とてもきらびやかです。

         

銀閣寺は 禅寺で室町時代足利義政によって建立されました。
祖父にあたる義満公の北山殿金閣にならい 東山殿を造営。銀閣寺は俗称で 正しくは東山慈照寺。
東山殿は 東山文化の発祥地だそうで 禅宗文化とうまく結合して、きらびやかな金閣寺とは違う趣です。

      


何処もとても観光客が多くて騒がしいでしたが 中心から少し離れたホテルは静かでほっとしました。


今月の美味しいは

京都で泊まったプリンスホテルのメインダイニング「いと桜」のディナーです。
地元の食材を使った女性シェフならではの 繊細で優しいお料理でした。
とっても美味しいでした。
スタッフの人たちが 愛想良くて気分良く過ごせました。

アミューズメント かにのサラダ  (写真を撮るのをわすれました)  とても色使いが美しいでした

オードブル  鴨肉の生ハム      

スープ    カブラの甘みのする  

魚料理    オマール海老と菜の花の白ワインソース  黒いレースのようなものは竹を薄く剥いだものを焼いたもの 
                   

肉料理                

デザート   宇治のお茶を使って 


一年の終わりに 奈良町のコトコト

2019年12月22日 16時03分45秒 | その他
              

今年も残り少なくなりました。
なんとなく気忙しい日々ですが 気忙しくなる前にブログを書こうと思っていましたが もう無理のようです。
10月 11月とお休みしてしまいました。
11月中頃 映画 「マチネの終わりに」 を観ました。
その前に小説も読んでいて、 ほぼ小説と変わりなく構成されていたので とても好感を持ちましたし、うれしいでした。
国際問題も含んだ ちょっとややこしい恋愛小説ですが どろどろしたところがなく さっぱりと描かれていました。
ギターの音色も 心地良く心に響きましたし、パリの映像もお洒落でした。
それを 紹介したくてブログを書き出していたのですが 中断していたら下書きがなくなってしまいまいた。
がっくりして続きを書く気持ちになれず 今日までグズグズ ダラダラきてしまいました。
もう 今年は何もかけませんが いつものぞいて下さる方に奈良のお気に入りのお店を紹介しておきます。

奈良市ならまちに「コトコト」というカジュアルなイタリアンのお店があります。
奈良市ならまちセンターの一階です。
大和伝統野菜や大和牛、大和ポーク等奈良の食材にこだわったお料理が出てきます。
このお店は 奈良市郊外にある「清澄の里 粟」と言う奈良食材を使った和食のなかなか予約の取れないお店の洋食部門です。
珍しい野菜も色々出てきます。
野菜がメインで満腹になるのかと心配になりますが 結構満足します。

「粟」 の  あ~ すべてのはじまり
       わ~ すべての調和

「コトコト」 の うけつぐコト    つくるコト
         見つけるコト    つたえたいコト   
 
何かが「コトコト」動き出していく~~ お店の思いです。 

私たちは 大和牛と野菜のランチコース(2800円)をいただきました。 

       

       

       

       
         

(赤米のご飯が付いています)

       

        
(これは飾ってあった小さなかぼちゃ)

  
  ブログを覗いて下さった皆様 佳き新年をお迎え下さい。
  時々お休みしますが 来年もお時間があれば覗いて下さいね!
       
 

世界遺産富岡製糸工場と 奈良の健康中華

2019年09月30日 14時29分32秒 | その他
今日で 9月もおわりです。
8月も9月も 暑さと忙しさでブログを書くのを怠けてしまいました。
このまま ブログをやめてしまうと 楽だなぁ~! と何度も頭をよぎりました。
でも ブログを始めて6年になります。
もう何を書いたか覚えてないことも沢山あり それを読み返すと懐かしく、やっぱり続けようという気持ちになりました。
と 云うわけでお休みしながらになると思いますが これからもよろしくお願いします。


今月の俳句

月下美人の一夜の命写メとせし

唐辛子の青きを焼きて立つ煙




     
     飛鳥本薬師寺の布袋葵                                我が家の芙蓉
    


9月中頃 世界遺産 富岡製糸工場に行ってきました。
レンガ造りの美しい建物が目に入ります。
ボランティアガイドさんに案内をしてもらいました。

明治三年 明治政府は近代国家設立のため 西欧の先進技術を導入して製糸工場を建設する計画をたてました。
当時 生糸は外貨を獲得する重要な輸出品だったのです。
高品質の生糸を大量生産できるように、また国内に器械製糸の技術を広めるために 官営模範製糸場「富岡製糸場」を造り、
明治5年に操業を開始しました。
その後日本各地に器械製糸工場が建てられ 富岡製糸場で新しい技術を学んだ工女達が 郷里に帰って器械製糸工場で技術を広めました。
明治26年に民営化され 三井家や片倉工業により経営されましたが、昭和14年から昭和62年まで操業を停止、
現在は 操業停止まで使われていた自動繰糸機がそのまま保存されています。
平成17年富岡市が保存管理するようになり 平成26年に世界遺産として認められたそうです。

   
    繰糸所内部
  
建物は 木骨煉瓦造という工法で 木材の骨組みに 壁には煉瓦を積み上げられる方法です。
木材は 近隣の山から、その頃まだ日本には珍しかった煉瓦は瓦職人が焼き、煉瓦を固めるセメントもなかったので 漆喰で固めたそうです。
建設には フランス人技術者の設計指導のもと西欧の近代的技術が導入され、また日本の大工や職人も活躍したようです。
それらの建物が 当時の位置のまま残っています。

    



<今月の美味しい>

今月は友人と会う機会が多かったので 美味しいものを食べる機会も多かったです。
その中の昔からのお気に入りを紹介します。
長い間行っていいなかったのですが 変わりなく美味しいでした。

何処にでもある中華の「桃谷楼」ですが 今回は生駒近鉄百貨店6階のです。
延寿薬膳コース(3000円)をいただきました。


   
   アブルーガとアボガドのムース(左上の小グラス)  メロンのガスパチョ天使の海老添え
      
   
          森のきのこのスープ

   
          鱧のセモリナ揚げ 野菜煮込み添え

   
          かんぴょう入り鶏肉団子
   
   
          さつまいものお粥

   
          中華風冷たいお汁粉と桃饅頭 

これに食前酒もついていました。(林檎、杏仁、蜂蜜、クコの実など肺にはたらきかけ体の中から潤す食材を使用したドリンク)

写真のうつしかたが悪いですが どれも美味しく、友人も美味しい美味しいと食べてくれました。  



  
 
 






聖徳太子ゆかりの達磨寺 と チョコレート菓子

2019年07月31日 14時26分17秒 | その他
7月も昨日で終わってしまいました。昨日も今日も猛暑で数分でもじりじりと肌がやけるような日射しです。
水分を持たないで外に出ると熱中症になりそうです。
7月も 暑い暑いと言いながら 何もしないまま一月が終わってしまいました。
何も書くことがなかったので 昨日 一大決心をして近くの達磨寺に行ってきました。


今月の俳句

ぽりぽりと福豆噛みて母卒寿  (時期がずれましたが)

令和へと庭の鈴蘭咲き継ぎぬ



       
     どちらも 友人から戴いた珍しいお花 「月下美人」 と 「パイナップルリリー」


達磨寺は 奈良県北葛城群王寺町にあります。
JR王寺駅から歩いて15分くらいです。

    
          平成16年に落慶した達磨寺 本堂

    
こちらに越してきて 直ぐに聖徳太子ゆかりのお寺だとは聞いていましたが いつでも行けると思っている内に 40年近く過ぎました。
達磨寺は 達磨大師、聖徳太子、千手観音菩薩を本尊とする寺院です。

    
          写真を撮れなかったので パンフレットからお借りしました


推古天皇の時代に 聖徳太子が片岡(現在近くに片岡という住所があります)に遊行されたとき 一人の異人が道端に餓えて倒れていました。
太子は 憐れんで衣食を与えられましたが 翌日異人は亡くなってしまいました。
太子は 側近の者に厚く葬らせ、後日 その屍を検視されると その屍が消え 棺の上に衣服だけが残されていたそうです。
人々は これを達磨の化身だと云い その奇跡に驚きました。
この棺の上に達磨塚を造り 精舎を建立し、聖徳太子自身が彫られた達磨の木造を安置されたのが達磨寺の始まりと伝えられているそうです。
王寺町のマスコットキャラクターに犬の「雪丸」がいるのですが
「雪丸」は聖徳太子が飼っていた犬で、人の言葉が理解でき お経を読んだそうで、臨終の時に「自分を達磨塚に葬るように!」と遺言したと伝えられているそうです。

     
            石造雪丸像


境内には 問答石と言われる 聖徳太子と達磨大師が出会った時、歌を詠み交わしたと言われる大きな石がありました。
   聖徳太子の歌  しな照るや片岡山の飯に飢えて臥せる旅人哀れ親なし   
   達磨大師の歌  斑鳩や富の小川の絶えばこそわが大君の御名を忘れめ
         
               上が 達磨石  下が 太子石

             
     

私は 突然行ったのでお願いできませんでしたが 事前に連絡してボランティアガイドもお願いできるそうです。



<今月のおいしい>

     

アベノハルカスで 発売初日に見つけました。
ブルックリン フォートの「マカデミアチョコバレット」
ココアラングドシャを舟のようにして 濃厚なチョコレートクリームをのせて それと一緒にマカデミアナッツがのっています。
ザクッ!とした噛み応えと香ばしいナッツとチョコが口の中に広がるおいしいお菓子です。