てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#458(富山 イカと桜とチューリップ編)

2024年04月07日 21時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
カミさんが富山県の「四重奏」を見たいと言うので本日行って来ました。


「あさひ舟川春の四重奏」・・・
富山県の東玄関口である朝日町において、
雪の残る美しい北アルプスの山々を背景に舟川べりの桜並木、チューリップ、菜の花の美しい四重奏を楽しむことができる朝日町の春の風物詩。


時期的に少し早いが思ったが吉日、あの辺りの興味ある場所も含め出発したのです。


まずは滑川市。


今回は、


カミさんと娘、実家の母親とオイラの妹の女四人衆&オイラのみ男の5人で出掛けました。


滑川といえば、ホタルイカですよね。
時期も今がドンピシャで、富山ではこのあたりの砂浜にもあがることがあるとのことですが・・・、見当たりませんね。


一応チャプチャプをしておきます


ここには一度来たかったんです。


ほたるいかミュージアム。


これがホタルイカ、小さくてかわいいイカであります。


ホタルイカについて、


また富山湾について詳しく学べます。


やっぱり子供連れが多いですね。


おっとこれは、いっとき話題になった、


ダイオウグソクムシですな。(何年もエサを食べなかったとかで・・・)


そして一番の見所であるホタルイカの発光ショーが始まります。


撮影はNGでしたが、
真っ暗の中でホタルイカが発光する様子が見学できました。

ミュージアムの後ろは海岸で、


沖合にホタルイカを捕らえる定置網が見えました。



ミュージアムをあとにし、早月川を渡って、


昼になったのでスーパーに寄り買い物、


川沿いの広場で、


お昼にしましょう。


しっかりホタルイカも買いました。


ポカポカ陽気で気持ちいいな~、きれいなスイセンが咲いています。



食事後に道の駅COCOくろべに寄り、


展望台に登ってみると、


雄大な立山連峰を望むことができました。




富山の大企業YKK、その見学施設へ、


ここも館内は撮影NGでしたが、ファスナーについていろいろ知ることができて面白かったです。



お袋が昨年行ってよかったという入善町にあるチューリップ畑へ、


もうしばらくすると色とりどりのチューリップが畑一面に咲いて、
それはそれは美しいといいます。

でも時期的に少し早かったようです。

でもショップがオープンしていて、


なんとお袋、チューリップを大量に購入しました。

少しお裾分けしてもらいます。


いよいよ今回のメイン目的地、朝日町の桜並木に向かいます。
ですが人気の場所ゆえ、離れた臨時駐車場に車を停めてシャトルバスで目的地へ向かいます。


到着~♪


多くの人がいましたが、やはり時期的には早かったようです。

桜は5分咲き、チューリップは白とピンクのみ咲いており、菜の花はほとんど咲いていませんでした。

それでも、


川に橋が架かっていて、


そこからの川と両岸の桜との景色が素晴らしい。


多くの外国の方が来ているようで、外国語が飛び交ってました。


開花、満開へと今年は少し遅れていますね。


桜を見ながらの散策は、心が洗われるようでした。


やっぱ桜はいいね。


しばし見入ってから、バスで駐車場へ戻ります。


さて帰ろう、


今日は天気が良くて、気温も20°もあって気持ちいい一日でした。
富山の東部地域でイカとチューリップと桜を見て周ったブラオイラ。
はじめての「あさひ舟川 春の四重奏」は少し時期が早かったけれど雄大な立山連峰を背景にいい風景を見ることができました。
いつか満開の桜とチューリップの最盛期のタイミングで訪れたいと思います。
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ブラオイラ#457(祝・新幹線福井開業と幕末偉人編)

2024年03月16日 22時46分30秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
本日2024年3月16日、北陸新幹線金沢-敦賀開業の日であります。

おっチミも興味があるのかい

ということで、こちらも本日から金沢駅以西が延伸開業した並行在来線IRいしかわ鉄道の始発電車に乗って福井駅に参ります。



大聖寺を過ぎると、福井のハピラインふくいに管理が移ります。
このあたりで朝陽がきれいに見えました。


6時35分、定刻どおり福井駅到着~♪


ちょうど北陸新幹線東京行きの一番列車が出た頃です。



カウントダウンボードは0日、


おっやっぱり恐竜が出迎えてくれたね。


ガオ~!


本日営業開始の駅ナカ商業施設、オープニングセレモニーはもうしばらくのようです。


外に出て、市内をブラつきます。


こっちも恐竜、


あちらも恐竜と、

それにしても福井駅前も高いビルが建ってカッコよくなりましたねぇ~。

福井城址方面に向かいましょう。


今日はあちこちで新幹線開業イベントがあるようです。


各所にこういうマップがありまして、見ると幕末偉人の居宅跡などゆかりの地が目に入りました。


よし、このように反時計回りで幕末の偉人にゆかりのある場所を訪れていこう


幕末、福井では多くの偉人が排出され活躍しました。
あの有名な坂本龍馬も福井の偉人に会いに来ています。
残念ながらこの時代の加賀(石川県)はほとんど存在感がありません。
長く続いた太平と文化重視の国だったからのんびりしてたのでしょうかね。


福井城址、まず最初の偉人は幕末の福井藩主、松平春嶽公です。

「尊王敬幕」の姿勢を貫き、挙国一致による新国家樹立に尽力しました。四賢侯の一人として知られており政事総裁職にも就任しています。



裁判所前を通って、


用水にいたカモがバシャバシャと飛んだ。


そしてついたのは、橋本左内生家跡。


当時の井戸も残っていおり、左内の産湯もここから取られました。


橋本左内は藩医の長男として生まれ、藩の医学校で漢方医学を学んだのち、16歳で大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)が開いた適塾へ入門し蘭学を学びます。
その後さらなる勉学のため江戸へ、多くの志士たちと親交を結び自らの思想を完成させていく、そんな左内の才覚を藩主の松平春嶽は見逃さず24歳で藩校明道館の改革や横井小楠を招くなど福井藩の藩政改革の中心となった。




可愛らしい花がありました。


福井大仏。





黒猫が見下ろしています。


足羽川に架かる九十九橋、江戸時代以前はめずらしい半石半木の構造でした。


おっちょうどいい!髪の毛が伸びてるから散髪したろ。


リーズナブルだけど丁寧な仕事でした。

ふう~さっぱりしたぁ!


愛宕坂とな、雰囲気のある坂を登ります。


いい感じ ♪


遠くに福井駅が見えます、ずい分と歩いてきたな。


あっ新幹線が敦賀方面へと進んでいきます。


急な坂を下りると、


福井市水道記念館という施設があり、入館無料なので入ります。


大正13年、足羽山配水池へ水道水を揚げるポンプ場として完成し、平成3年まで利用されていました。


外には手押しポンプがあります。


一応ちゃぷちゃぷ




さきほど生家を訪れた橋本左内のお墓があります。

安政4(1857)年江戸に赴いて藩主松平春嶽公に仕え14代将軍に一橋慶喜を擁すべく奔走したが井伊直弼の大老就任により挫折。安政の大獄により江戸で斬首された。



バリバリバリバリ・・・
上空にヘリコプターが4機飛んでいます、きっと新聞やテレビのヘリですね。

足羽川に戻って土手に上がると、


多くの人が河原にいます。

昼過ぎに行われるブルーインパルス祝賀飛行を見るために、こんなに前から場所取りをしてるようです。

幸橋付近に説明板があって、


このあたりに由利公正の家があったと書いてあります。
ただ明治に行われた河川改修工事にて残念ながら消滅しています。


由利公正(福井藩士時代は三岡八郎と名乗る)
横井から財政学を学び、橋本左内らと国事に奔走し、藩主・松平春嶽公から財政手腕を評されて抜擢され、藩札発行と専売制を結合した殖産興業政策で窮乏した藩財政を再建する。
あの坂本龍馬とも親交があった人物。

あっ「たばこや」と書いてある!



実はオイラ昔読んだ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み返しています。
ようやく三巻まできました。


そこに、由利公正(三岡八郎)と「たばこや」のことが書かれていまして、少し抜粋します。

旅籠「たばこや」の土間に入ると、三岡は案内も乞わずに二階へあがった。廊下をどかどかと歩きながら、
「坂本君、どこにいる」とどなった。
「ここだ」竜馬は、起きあがった。
「なんだ、ねむっていたのか」
「京都から急行で歩いてきた。ろくにねむっちょらん。あす、藩公に会えるか」
「手紙で読んだ。借りるのは、五千両?」
「いかにも。指一本欠けてもならん」
竜馬は右手の指を五本ひろげた。
・・・・・・・・・・
その「たばこや」の跡地を示す石碑が照手1丁目という場所にあるのか、ぜひ行ってみよう。

と、こんな感じでまた戻る。





途中に、アメリカ人グリフィスの居宅跡をチラ見して

福井藩のお雇い外国人教師でした。

さらに近くの横井小楠 寄留宅跡を見ます。

横井小楠は、熊本藩士であったが、優れた政治思想家として松平春嶽公の政治顧問となり、招かれて四度来福しこの地に寄留し藩政を指導する。
のち明治政府の参与となったが暗殺された。

カニの自動販売機。残念今はシーズンオフゆえ販売されていません。


そして、


たばこや跡はここです。


ここで坂本龍馬と由利公正が日本の将来について語り合った場所なのですね。
ちと感動です。

さて福井駅に戻ろう

ヨーロッパ軒総本店

いつかここで名物ソースかつ丼を食べなくては




ようやく駅前に戻ってきた

駅前の大型商業施設もグランドオープン。

左よりキーボが通りま~す。

ハピリン人が溢れてるぞ。


イベントが進行中です。


ティラノサウルス。

迫力満点、小さい子供はこりゃ怖いかな

福井駅に入ります。
人がいっぱいだ!


さすが新幹線効果です。


さて帰ろう、もちろん鈍行列車で


帰りの車窓から、小松駅周辺も多くの人がいました。


北陸新幹線は今日、北陸三県がつながりました。
多くの観光客が北陸にやって来ることを願っています。
コメント (4)
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ブラオイラ#456(北陸新幹線まもなく延伸開業編)

2024年03月10日 16時19分03秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
記念すべきブラオイラ#01は2015.3.15投稿の「金沢駅編」でした。⇒金沢駅編
オイラが石川県出身と公表してブラオイラも始まったのです。⇒大フィーバー

いずれも2015.03.14北陸新幹線金沢開業がきっかけです。

あれから9年、2024年3月16日に北陸新幹線は金沢から敦賀まで延伸開業いたします。
あと6日となりました。

今日は朝早くから2台のタイヤ交換をさくっと終わらせ、
石川県内で新しい新幹線駅ができる小松駅と加賀温泉駅の状況を見て来ようと出発したのです。



まずは白山総合車両所へ行きます。


隣接する新しい施設、トレインパーク白山は4日後の3月13日がグランドオープンです。

公式HPによりますとこの施設は新幹線に関する学習や体感、点検作業の見学などができる楽しい場所のようです。
運転シミュレーターは一度体験したいもので落ち着いたら行ってみようと思います。


手取川橋梁を見て、


新幹線高架が見渡せる能美市の田んぼの真ん中に来ました。


ちょうど走行試験をしている新幹線が通ります。


ビュウウウウウウウーン、一瞬で通り過ぎるやっぱり早い。



小松駅に到着~♪


はい了解!


おっ!


この新幹線の写真は、


一枚一枚の小さな写真からできています。


新幹線の改札口です。


準備万端ってところかな。


東口(山側)から出ると、


左手には、


ドーン!と超巨大な黄色のダンプカーとショベルカーが登場します


それにしても、


驚くほど大きい!


ここはコマツ(小松製作所)の創業の地であるコマツの杜です。
小さな子供を連れた家族が多くいました。

小松駅すぐ前にあります。


では駅に戻ります。


お土産店や飲食店などにお客さんが入っています。


西口(海側)から出ると、


こんな町並みが見えます。こちらの駅前には飲食店や飲み屋さん、大学や劇場もあります。





もう一つの駅は加賀市にある、


加賀温泉駅にやってまいりました。


まだ工事が行われており、


「これ新幹線開業まで間に合うんかいな?」と少し心配になります。


駅も(南口:山側)、


仮駅舎で、


改札口もこんな感じです。

新しい駅舎を見たかったのですが、残念入れませんでした。

駅の横には大きなショッピングセンターがあって広いお土産エリアがありました。



反対側(北口:海側)に来て、


こちらも工事中で、


駅舎には入れません。


しばらくすると、金沢行の特急しらさぎがやってきました。


金沢-大坂間のサンダーバード、金沢-名古屋間のしらさぎは新幹線開通と同時に敦賀止まりとなってここまで来なくなります。
関西方面と中京方面に行くには乗り換えが発生するので少し不便になりますね。
今日はあちらこちらでカメラを持って特急列車を撮ってる人が多くいましたよ。

さぁ、
2024年3月16日北陸新幹線金沢-敦賀間、
まもなく開業いたします。
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ブラオイラ#455(美濃関ケ原 壬申の乱 史跡めぐり編)

2024年02月11日 23時50分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
昨晩、日帰りで行ける範囲のブラオイラ候補先で岐阜県関ケ原と滋賀県の近江八幡の二か所で悩みました。
西から崩れる天気予報と、近江八幡の水郷は暑い夏が似合うと思ったので今回は関ケ原付近としたのです。

その関ケ原といえば1600年の徳川家康石田三成の天下分け目の戦いの地でありますが、
その900年以上も前の672年に起きた古代史上最大の内乱である「壬申の乱」の戦場の地でもあります。

「壬申の乱」
672年、天智天皇の弟大海人皇子(おおあまのおうじ)と天皇の長子大友皇子が皇位継承をめぐって起こした一か月に及ぶ内乱。大友皇子は敗北して自殺し、大海人皇子は即位して天武天皇となった。
関ケ原にある美濃の不破関周辺において激戦がありました。

関ケ原にある不破関は古代の三関のひとつで伊勢の鈴鹿 (すずか) 、美濃の不破 (ふわ) 、越前の愛発 (あらち)がありました。


発掘調査により不破関は大きな関所だったことがわかってきました。

ちなみに関東とか関西とか呼んでいるのは、この不破関より東か西で区別していました。


今回はカミさんと息子も加えて三人で出発しました。
北陸自動車道を南下して、米原ICで下ります。


国道21号線を東へ進み、滋賀県から岐阜県に入ったところにあるのが、なんの変哲もない緩やかな坂道。

旧中山道でもあるここは面白い言い伝えのある場所なのです。

車帰しの坂、この案内板が面白い。「粋狂な人もいたものです・・・」とはじまる。

なんとなくわかるその良さ加減、そう新しい建屋だと面白くないんだな、オイラも粋狂人かな・・・

ちなみに、後に寄る野上行宮跡の付近にあった崩れかけた小屋が、まさにこの荒れ果てた建屋のイメージでした。


これのボロひさし下から見上げる月が、面白いと思ったのでしょうね、




不破関資料館です。以前にも来たことがありまして今回で2回目。


まずは見学して壬申の乱について復習して、


おっ、


この周辺を散策しようと思っています。




さてその散策ですが、
晴れてるけど気温が低く寒かったので、カミさんは最初から車で待機、息子も途中で退散しました。
(ふん、いくじなし、そんなんじゃ立派なブラオイラーになれないぞ!なんのこっちゃ
       

まずは西へ歩きます。(まさに関西方面へ)


このあたりに西城門跡がありました。


CGでの位置的にはこのあたり、


そして、この小さい川が歴史的に重要な川、関の藤川(藤古川)です。


この川を挟んで東側に大海人軍、西側に大友軍が陣取り、激戦を繰り広げました。


フムフム、古来より歌枕の地で多くの歌人に詠まれたとか。

ちなみに、どんな歌があるかというと、
・美濃の国 関の藤川絶えずして 君に仕えんよろず代まで(古今集)
・我ことも君に仕えんためならで渡らましやせきの藤川(阿仏尼)
・神代より道ある国につかへける契りもたえぬ関の藤川(九条道家)
・吹出でて風はいぶきの山の端にさそひて出づる関の藤川(西行)

不破関資料館でもらった周辺マップを手にして進みます。


矢尻の池です。

大友皇子の兵士が水を求めて矢尻で掘ったと伝えられています。

さらに進むと看板があり、


こんなところを歩きます。


道路脇を少し進んで、


左手の階段を上ると、


三本の杉が生えているここが、


自害峯の三本杉であります。乱に敗れた大友皇子の頭が眠ると言い伝えられ弘文天皇御陵候補地とされてます。

※大友皇子は1200年も後の明治になって漢風諡号の弘文天皇(第39代)が贈られるが実際に即位されたかは定かではありません。

これより一旦戻り、次は関東方面を歩きます。


はい、不破関跡です。


古代の三関のうち、場所が特定されているのは不破関だけで、愛発関も鈴鹿関も正確な場所が特定されていません。


さらに東へ、


ここも重要な場所への入口なのだが、


なんと、一般のお宅の敷地へ、


ここ行くんかい!


だいじょうび?


しかも、ここでカミさんからのLINE電話がはいる
「まだ~おそ~い」
「あと15分、いや10分」
よそ様のお宅敷地内で電話なんぞしてると完全に不審者やんけ

看板に従うだけ、


あれだあれ、


兜掛石です。

大海人皇子が兜を外してかけた石とされています。
近くにくつを脱いだ時に足をかけた沓脱石もあるそうですがオイラはわかりませんでした。

通りに戻り、さらに東へ行くと、


東城門跡の場所です。


CGだとここになりますね。


これより南に向かって、


南限の土塁跡です。


ここですな。


それにしても大きな関所だったということがわかります。
古代のものって何かと大きかったりする、官道とか。

梅ですかね、春は近いかな。


これで車に向かいます。
ここは関ケ原の戦いの地でもあるので、途中で福島正則陣跡とかありましたが、
今回は壬申の乱がテーマですので、そちらには寄りませんでした。

車に乗って東へ、桃配山を過ぎて、右手の細い道を右折(あまりに細いので、一回通り過ぎました


ここです。


進みます。


で、この粋狂好みの小屋を横目に・・・


あそこへ行きます。


野上行宮跡。石垣もありますね。

大海人皇子が本営とした場所です。

ちなみに行宮(あんぐう)という意味はウィキによると、
行宮(あんぐう(かりみや))とは、皇帝もしくは天皇の、行幸時あるいは、政変などの理由で御所を失陥しているなどといった場合、一時的な宮殿として建設あるいは使用された施設の事を言われる。他に行在所(あんざいしょ)、御座所(ござしょ)、頓宮(とんぐう)とも。
とあるので、この地は重要な意味を持つ場所でもあると思います。

壬申の乱・・・、
大友皇子(第39代弘文天皇)に対しての大海人皇子(第40代天武天皇)による反乱という日本天皇史における極めて異常な出来事であり、その関連する地を歩いて巡れたのはよかったと思います。

このあとは、美濃国一之宮である南雲大社へ、


赤が映えます。


ゲッツ!


へぇ~瓦塚とは珍しい。


いいね。


お昼は、大社の前にあったこのお店で、


美味しゅうございました。


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このあと大垣市まで行って、松尾芭蕉奥の細道結びの地まで行きましたが、それについては別記事にて・・・、
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帰路は、また米原ICまで戻るのだが、気になるあの場所を一応寄ってみた。

美濃国と近江国の境である、


有名な溝。


こんなんしちゃうよね~


どうしてここを国境としたんだろう。


・・・と、解決できようのない疑問を抱き、高速にのって帰路につく。

途中、夕暮れ時に杉津PAより敦賀湾を望む。


いい一日でした。
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ブラオイラ#454(富山宇奈月 絶景紅葉と民法の聖地編)

2023年11月03日 23時00分01秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
民法 第一章 通則(基本原則)第一条 第三項 権利の濫用は、これを許さない。

おそろしく多くの条文がある民法の最初の第一条にこの文言があります。
民法は私法の基本となる法律、人と人との間の権利義務関係を規律する法であり、なんと1044条まであるのです。

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本日は秋晴れのお出かけ日和、そろそろ紅葉が見たくなったので、富山県の宇奈月まで行ってきました。


宇奈月といえばトロッコ電車ですが、オンライン予約状況を見るとすでに満席、残念、
当日券があるかもしれないと一応の期待をしての出発であります。
 

朝マックを食べながら、北陸自動車道を東へ、富山県黒部市に向かいます。


それにしてもリニューアル工事の多いこと、渋滞渋滞また渋滞で苦労しました。
ようやく黒部ICを降りて、


宇奈月方面に向かっていると、何気ない公園にあるものが目に入ったので思わず折り返しました。


なんとトロッコ電車が置いてあります。

さすがトロッコ推しの町です。

それにしてものどかな風景です。



昨日会社から帰宅後、翌日宇奈月に行くことは決めていたので、例のごとくグーグルマップでそのあたりをガン見していたら、
「宇奈月温泉木管事件碑」という場所があったのでクリックして説明を読む、
「法学部生なら必ず聞いたことがある場所」
「法律を学ぶものならここは聖地」と書いてあります。
なんだこれはとYouTubeでさらに調べてみると、なるほど山奥のこの場所あたりに日本の法律にとっても重要な場所があって、まさにここが民法の聖地だということがわかったのです。

それが「宇奈月温泉事件」で宇奈月温泉木管事件ともいいます。

では、ウィキより長めの解説を・・・
宇奈月温泉では7.5km先にある黒薙温泉から地下に埋設させた木製の引湯管を使いお湯を引いていた。この引湯管は当時の価格で30万円を費やし埋没させる土地の利用権を有償ないし無償で獲得して完成させたものである。しかし、この引湯管は途中で利用権を得ていない2坪分の土地を経由してしまっていた。この土地は非常に難しい急傾斜地にあり土地としての利用価値はほとんどなかった。だがこの土地をXが購入して、不法占拠を理由に、引湯管を所有していた黒部鉄道に対して引湯管を撤去するか、さもなければ2坪の土地を含めた計3,000坪を超高額な金額で買い取るよう求めた。(悪い奴)黒部鉄道がこれに応じなかったため、Xは、黒部鉄道に対して妨害排除請求として引湯管の撤去等を求めて提訴したのである。

第1・2審はXの請求を退けたため、Xは大審院に上告した。
大審院は、「権利ノ濫用」という文言を判決文中で初めて用い、Xの請求(所有権の行使)は権利の濫用にあたるため認められない、として請求を棄却した。
すなわち、利用価値のない本件土地は原告(X)にとってなんら利益をもたらさないのに対し、請求を認めて引湯管を撤去すれば、宇奈月温泉と住民に致命的な損害を与えることになる。このような結果をもたらす所有権の行使に基づく請求は所有権の目的に反するものであり、権利の濫用であって権利行使が認められない、とした。
これぞ正義の勝利である。

絵を描いてみるとこんなイメージ。

まったく、ずる賢い人って昔からいたんですね。

当時は民法の条文に権利濫用についての定めはなかったので、権利濫用について初めて裁判所(当時は大審院)は判決を下したということになり、重要な判例となっています。
民法の勉強を始めれば、一番最初に出てくる判例になるので多くの人が知っている。

昔オイラも資格の勉強で法律関連のところで権利の濫用とか宇奈月温泉事件とか書いてあったのを思い出しました。
なるほどこういうことかと今回ぜひ訪れてみたかったのです。

相当山奥まで来ましたよ、ダムが見えます。


さらに進むと、ありました。

少し変わった文字ですが「宇奈月温泉木簡事件碑」と刻んであります。

フムフム エヘン学習済みです。


この斜面あたりに木簡が埋設されていたのかな・・・、


実はここで、ハプニングが起こります。
オイラは碑の周辺にかっての引湯管の痕跡でもないかとキョロキョロと探していました。(怪しい動き・・・
すると車で待機していたカミさんのところに何やら男女の外国人が話しかけてるではないか、
   

慌てて戻ると、
外国人(おそらく台湾の人)が「ヘルプ」、「ステーション」などと言っているので、
どうやら宇奈月温泉の駅まで連れていってほしいということらしい、
温泉街から散策してここまで来たが、帰りの電車時間に間に合わないと困ってるようでした。
可哀そうだったので車に乗せて温泉街まで送ってあげたのです。
大変感謝して降りる際に三千円出してきたので、「ノーノー」と断ったが、どうしてもというので受け取りました。


温泉街まで来たが再度ダム方面に向かいます。


うなづき湖(ダム湖)


少し進むと対岸に新柳河原発電所の建物が見えました。ヨーロッパの中世の城のようです。


ちょうどトロッコ電車もやってきました、ナイス


さらに進んで最奥の駐車場まで来ました。


青い空、山の紅葉、エメラルドグリーンの湖と絶景の風景であります。

ブラボー(思わず叫びそうになる)

しばらくしてから引き返します。

宇奈月ダムへ、


行ってみましょう。


ダムの上(天端)を歩きます。


いいね、


なんじゃこりゃ


すげー


11月とは思えない高温の日ですが、ここは気持ちいい風が吹いています。


宇奈月ダム 情報資料館 大夢来館


電力関連施設というのは大抵無料です。


あっ木管! こんなのでお湯を運んでいたんだね。


しかし、館内外のカメムシ大量発生に、カミさんはほとほとまいっていましたね。
女子は虫が苦手です・・・

宇奈月ダム展望台駐車場に車を停めて歩きます。


トンネル?


トロッコが通る鉄橋の新山彦橋(しんやまびこばし)といいます。


こちらは人が渡る旧山彦橋(かっての鉄道峡)、ここを渡って宇奈月温泉街に向かいます。


トロッコ電車が戻ってきましたね。


黒部峡谷鉄道 宇奈月駅。


ちょうど電車が出発します。「いってらっしゃ~い」


ちなみにトロッコ電車の当日券の状況を確認したところ、帰りの到着が最終の18時になるというのであきらめました。
18時ではもう真っ暗だからね。

黒部川電気記念館に入ります。当然無料っす。

入口でチューリップの球根を配っていたので有難く頂戴しました。

トロッコには乗れなかったけど、こちらのこれ、画像が実際と同じなのでこれで十分だわ!


温泉街の方へ


おっ足湯ならぬ手湯です。


チャプチャプ


こちらは富山地方鉄道 宇奈月温泉駅です。


マップを見ながら散策します。


開湯100周年とは、おめでとうございます。


栄枯盛衰ですね。


かわいいバスが通りま~す。

無料の低速電気バスEMU(エミュー)。

しばらくして駅の方へ、


再び旧山彦橋に戻ってきました。


ここは宇奈月温泉でもベストフォトスポット感じなので、


記念にパシャ


トロッコ電車もやってきて、これぞベストショットです。


本日の宇奈月、大変よかったです。
最高の天気、紅葉もグッド、何より風景が絶景ですばらしかったですね。
そしてまさかの民法の聖地、来てよかったです。
今日はトロッコ電車に乗れなかったけど、今度来るときは是非乗ります。


それではそろそろ帰りますかね。


あー、楽しかった。
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ブラオイラ#453(京都舞鶴軍港の町編)

2023年10月14日 11時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
先月、広島旅行を予定しましたが、急遽、ネコを迎えることになり中止にあいなりました。(ちと残念
その時の旅行日程では軍港の町である呉にも行くつもりでした。

今回は有休を取得して、呉に雰囲気が似てると思われる京都の舞鶴へ行ってみたいと思います。
京都にも海があるというと意外に思うかもしれませんけど、
日本海に接している京都の舞鶴は、神奈川の横須賀、広島の呉、長崎の佐世保と並んで明治の時代から旧軍港四港であります。


北陸自動車道を南下し、敦賀JCTで小浜・舞鶴方面へ、


三方五湖PAで休憩、


舞鶴に到着して、最初に訪れたのは「舞鶴引揚記念館」です。


第二次世界大戦の終結に伴い、海外に残された660万人以上の日本人をすみやかに帰国させるため舞鶴港は引揚港の一つとして昭和20年から昭和33年までその使命を果たしました。
その引き揚げとシベリア抑留の史実を後世に伝えるために出来た施設です。


なかなか興味深いです。


カミさんも何か聞いてるぞ!?


岸壁の母か、聞いたことがある。

♪ 母は来ました~、今日も来た~ ♪

とくにシベリア抑留については、


氷点下40℃にもなるという極寒の地で、


大変厳しい苦難の生活であったことは伝え聞いておりますが、


そのシベリア収容所での生活を、


体験できるようです。


少し寒い、


いやぁ~、これはたまらんわ・・・、


シベリア抑留、引き揚げについて勉強になりました。

引き揚げといえば、カミさんの亡くなった祖父も戦後に満州から引き揚げてきたんだって、
カミさん曰く実家の笑い話で、戦後、祖父が家に帰ってきたとき、畑仕事から帰ってきた曾祖父母や祖母が、不審者が家に居てびっくりしたとか?
そんな話を小さい頃に聞いたと言ってました。義祖父も舞鶴から入ったのかもしれませんね。

ニノもシベリア抑留についての映画に出演したようですね。

ラーゲリとはソ連の強制収容所のこと。

舞鶴クレインブリッジを渡り、


今回行きたかった場所である明治の軍事遺構である葦谷砲台跡を探しましたが、
案内板もなかったし、山を少し歩かなくてはならないので熊も怖いし諦めました。




続いて、舞鶴港(東港)の方へ、


まさに軍港、海上自衛隊の船がたくさん係留されています。


隣接する赤レンガパークへ、


明治時代に栄えた町には大抵、赤レンガ建物がありますね。


まずは遊覧船の乗船券を買いまして、


昼ごはんにします。


当然、海軍カレーです。 Ohシンプル! 120年前のレシピで作ってる。

しかも今日は金曜日(たしか海軍では金曜がカレーの日だったはずです。)

そんでもって、ソラカメラ(ペットカメラ)をチェック。 おるおる(安心♪)

ネコの名前はソラなのでソラカメラ。

昼食後、乗船時間まで時間があるので、赤れんが博物館を見学します。


ステンドグラスが綺麗でした。


軍港四港の守備範囲がわかります。

日本海側の大半を舞鶴が管轄していました。

12:45になったので、13時出港の遊覧船乗船場へ、


この船に乗ります。


海軍ゆかりの港めぐり遊覧船と称し35分間のクルーズです。


離岸!


時速15キロの速度でゆっくり波を掻き分けて進みます。


今日は、これらの艦船が係留しているようです。

イージス艦あたご、護衛艦ひゅうが、掃海艇あいしま、掃海艇はつしま、護衛艦せんだい、ミサイル艇うみたか、補給艦ましゅう、ミサイル艇うみたか、護衛艦せとぎり、護衛艦ふゆづき であります。

一番前に座れましたので、正面の窓からも見ることができました。


早速、イージス艦あたごです。


次に大きな護衛艦ひゅうが、ヘリコプター搭載護衛艦。

昔の軽空母レベルです。

右手に掃海艇あいしま&はつしま、

海の機雷除去などが主な任務。

むこうの巨艦は、補給艦ましゅうですね。


皆さん写真を撮りまくりで忙しい。


横のカミさんもカメラを・・・  ソラカメかい!


造船所ドックも見えてきました。


案内の人の説明も軽快で海軍ゆかりの港めぐり遊覧船は大変満足でした。

続いてはこちらへ、


軍港引込線として設けられたレンガ造りの「北吸トンネル」です。


ノスタルジックな雰囲気の中、カミさんが佇んでいます。




最後は、標高301mの五老岳頂上にそびえる五老スカイタワーへ、


近畿百景第1位とは、なかなかのもんです。


絶景かな!

舞鶴湾と舞鶴市内が一望できました。

そろそろ帰りましょう。


助手席から撮影、敦賀市内が一望、右側にある北陸新幹線敦賀車両基地もありますね。


途中の杉津PAから見た敦賀湾。きれいでした。

今回は日帰り圏内ギリの舞鶴でした。オイラ初めての地でしたので何かと新鮮でした。
敦賀や横浜にも似ており、明治に海外に開かれた場所というのは雰囲気も似るもんなんですね。
できれば砲台跡など明治軍事遺構にも訪れたかったのですが、カミさんもいたし逆に無理しなくてよかったかもしれません。
ネコがいるとどうしても外出を控えがちになりますが、ソラカメラもあるし、これからも機会を増やしていこうかな。
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ブラオイラ#452(福井大野 水がめの町編)

2023年09月17日 21時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
もう9月中旬だというのに今日も30℃を超える天気予報、
毎年暑い暑いと言ってるけど、今年の夏は最強でしょうよ
オイラはいつもの夏の倍くらい水を飲んでいると思います。


ウォーターサーバーの水もすぐになくなり、定期配達日まで持ちませぬ。


せっかくの天気、せっかくの三連休なのでどこかに行きたい・・・、
そうだ、こんな暑い日は水の豊富な町へ行ってそばでも食べよう。


ということで福井県の大野市へ、

まずは昼食、城下町東広場の食事処に入ります。

今回はオイラとカミさん、そして息子の運転で、越前おろしそばを食べに来ました。

越前おろしそばって定期的に食べたくなるんですよねぇ、うん旨し

では町を歩こう


山の上に大野城が見える、あとで頑張って登ってみようか、


大野の城下町は京都のように碁盤目で造られており、
南北に二番通り、三番通りと、東西に六間通り、七間通りと道があります。


山に囲まれた盆地特有の地形で、地下に水が溜まっているのです。
あちらこちらから清水(しょうず)と呼ばれる湧水の出る箇所があるまさに水がめのような町なのです。

古民家を利用した「水のがっこう」へ、


まさにこの町にふさわしい施設ですね。


いい雰囲気、


昔懐かしい婆ちゃん家の夏の風景のようです。





城と並んで大野のシンボルといえばこれ


御清水です。

当然、名水百選ですね。

いやはや、


これはいい、


もちろんちゃぷちゃぷします。


それではいよいよ登城しましょうか


約30分の登山、汗もかきますが、


眺めは抜群ですね、稲穂が実る大野盆地。


ようやく到着、


小振りな城です。


さてさて、


城下町を眼下に山頂からの眺めはいいですね。


越前大野城、亀山(249m)にそびえる平山城で織田信長家臣の金森長近が築いた城、ときおり雲海に包まれて天空の城と呼ばれます。


麓に下りて、こちらの施設に入ります。


ここにも湧水き出ている(芹川清水)ので、ごくんと飲みます。


なかにはジオラマがあって、


ボタンで電車が動きます。


こちらは寺町通りを模しています。


次は、


朝倉義景墓所、織田信長との戦いに敗れ大野で自害されました。


ここにも清水がありました、各所の清水では毎日水位を測っているようです。


最後に来たのは、本願清水で天然記念物イトヨの生息地でもあります。


驚いたことにこの地を糸魚町(いとよまち)といいます。


ここに興味深い施設がありまして、


「イトヨの里」に入ります。入館料は300円


オイラはこういう施設が大好きです。


やっぱり減ってるんですね。


そしてこの施設の素晴らしいのが、


本願清水の水中を見ることができるというところ、


おっイトヨがいました! 


イトヨ、トミヨ、ハリヨと呼ばれる日本のトゲウオ科の生息数は激減しており、
水温の低い綺麗な水でしか生息できないこれらの魚を何とか残していってほしいものです。

さてそろそろ帰りましょう。


久しぶりのブラオイラ、
この記録的な暑い夏にあらためて水の大切さを知る一日となりました。

旨い
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ブラオイラ#451(公害から宇宙へ飛騨・神岡編)

2023年08月13日 21時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
今日は富山市から南下し、岐阜県飛騨の神岡へ行ってきました。

(高原川に架かる藤波橋と丘の上の神岡城を見る)


中学校の社会で習った日本の四大公害、
たしか熊本の水俣病、富山のイタイイタイ病、三重の四日市ぜんそく、
あれ、あと一つなんだっけ・・・・、

行きの車中で、カミさんと一生懸命に思い出していたのです。

小矢部川SAから緑美しい夏の田園風景を見ます。


飛騨市の神岡といえば、イタイイタイ病の原因となった鉱山があった場所。
神通川に排出した毒が下流の農民に害を与え、患者さんは「痛い痛い」と苦しんだという。

昨晩考えた行程表、

例のごとくグーグルマップをガン見して決めてます。それにしても汚い字だ、後半読めん・・・

ちなみにさきほどの問題の答えは、新潟水俣病でした。

ということで、まずはイタイイタイ病について学ぶために富山市にあるイタイイタイ病資料館を見学します。


無料で、


展示パネルや、


模型で当時の状況を詳しく学べます。


オイラは勘違いしていた、川の魚を食べたのが原因ではなく、
汚染された水を使って、野菜を洗ったり、お米を作ったりしたのが原因で、


骨がもろくなってポキンポキンと折れるというから、何とも恐ろしい病気だったのです。


さあ、神通川沿いを上流へ走ります。


途中に大きなダムがありました。


上がれそうです。(カミさんは日焼けを嫌がり車から出て来ず)


眺めがいいねぇ、




岐阜県との県境にある猪谷にある猪谷関所館に到着。


おっこれは、


今流行りのVRですね。当時の籠渡し(川渡り)を体験できます。


オイラが体験したあと、次にカミさんが乗りました。(プププ)

前、左右、上下とリアルな風景画像、さらに職員の方が後ろから綱を揺らして迫力を出してくれます。

館を出て、少し歩くと猪谷駅がありました。


高山本線が、富山駅と岐阜駅を結ぶ単線の鉄道です。

この猪谷駅でJR西日本とJR東海の管轄が変わるようでちょうどホームに運転士と思われる方が立っています。まもなく到着する電車で運転を交替するのでしょう。

そして岐阜県に入ります。

川の中に廃線となった神岡鉄道の橋梁橋台跡がありました。


そして、今もある神岡鉱山の関係会社。

もちろん今は有害なものを排出しない安全な会社であります。

そしてこの神岡の町は、宇宙と関わり合いの深い町でもあります。


スカイドーム神岡に併設された「ひだ宇宙科学館カミオカラボ」です。


出ました!スーパーカミオカンデ!(・・・の紹介施設、本物は山の深い地中)


宇宙から無数に降りそそぐニュートリノを捉えるのが目的だとか・・・、

昔から興味があったので、なんとか理解しようと思いましたがなかなか難しい分野です。

では、神岡の町を散策しましょう。(暑いから車でね


ここには神岡城と二つの施設がありました。


200円で三施設とも入場でき、なんとも良心的な町でしょう。
まずは、鉱山資料館に入ります。

フムフム

ついで神岡城、小振りで可愛らしいお城です。


天守から、町を見下ろすことができました。


そして旧松葉家、


ロボットの顔のような昔の電話があります。


屋根裏はこんな感じです。




それにしても今日も暑いっす


江馬氏館跡庭園。


町の中心を流れる高原川に架かる藤波橋に来ました。


あの家並みすげー!


藤波八丁と遊歩道、神岡随一の景勝地と紹介されています。


さきほどのマップ、このマチュピチュ階段がとても気になったので、


探してみた。


公民館の横とあったのだが、


これなのか・・・、


ガーン! これか~い!


登ってみてたが、「・・・・」となった。

もちろんカミさんは近くに停めた車で待機している(今回はそれが正解)
あのマップのイラストは大げさすぎる・・・。

まあ、なかなかユニークな町です。

帰りは、
41号線で西へ古川に行き、472号線で少し北から、さらに360号線で西へ走り天生峠を経由して白川村へ、
最後は白山白川郷ホワイトロードから、


一気に石川県へ、


ふくべの大滝、水が少ないね。


さて今回のブラオイラ、神岡。
神岡は、長野の松本に向かうのに通過するだけの町でした。
エライ先生が宇宙のニュートリノ関係でノーベル賞を取る以前から、あのカミオカンデという何ともド派手な施設には興味があったので、
いつかは行きたい場所でした。もちろん本当の施設には入れませんがカミオカラボはなかなか面白かったですね。
なにより鉱山の深い深部を利用し開発した地中の巨大な宇宙観測施設、負のイメージが正のイメージに変わったとても珍しい町なんだと今回感じましたね。

ブラオイラは451回から目標である500回に向けて最後の50回をスタートしました。
どのくらいかかるでしょうか、オイラが60歳になるまでには到達したいところです。
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ブラオイラ#450(ありがとう第450回記念特別総集編)

2023年07月08日 20時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
バンザ~イ、バンザ~イ
ブラオイラも45を迎えることができました。

うおぉぉおおおおお!!
我ながらすご~い !

継続は力なり!
(もはや軽々にやめられない・・・)

ではでは、恒例の#400~#450をふり返る
特別総集編をいきま~す!

どれもこれも懐かし~。

今回もワンショットと
一言コメント
各回へのリンクも貼ったのでご興味ある回を覗いていっちゃってください。

それではダイジェストGO!!

ブラオイラ#401(おじい犬に会いに浜松編)2021/07/24
あれ!? おじい犬!

おじい犬に会いに浜松まで

ブラオイラ#402(さわやか家康モネと清流編)2021/07/24
名もなき池、通称「モネの池」

ほんとに不思議な池でした。

ブラオイラ#403(北陸最大級イオンモール白山編)2021/07/31
いざ入店、

イオンのスケール感にあらためて感心します。

ブラオイラ#404(夏の白山白川郷ホワイトロード編)2021/08/01
目の前に滝があります。

白山登山挑戦しようかな。

ブラオイラ#405(白・青・緑ぶらり能登編)2021/08/08
すばらしき風景を見ました。

こういうシンプルなの結構好きです。

ブラオイラ#406(運搬途中の美術鑑賞編)2021/08/16
力強い作品が多いです。

なんて書いてあるんだろう、無事?

ブラオイラ#407(越前 神の島「雄島」一周編)2021/09/12
さて雄島の特徴はこれですよ。

柱状節理が凄くてね。

ブラオイラ#408(敬老の日 岐阜にある親父思い出の地編)2021/09/20
さすが恐竜王国、福井です。

岐阜県郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)という地区へ

ブラオイラ#409(最涯の奥能登国際芸術祭編)2021/10/10
作品№07「クジラ伝説遺跡」

奥能登ガンバレ、地震の風評被害に負けるな、応援してます。

ブラオイラ#410(懐かし学生時代の名古屋編)2021/10/23
右に天守閣と左に本丸御殿です。

復元された本丸御殿は金沢城二の丸御殿復元プロジェクトの参考になりますね。

ブラオイラ#411(富山で空港から風の町から掃除だ編)2021/10/30
やってきました八尾です。

また風の盆を見てみたいなぁ。

ブラオイラ#412(文化の日 やや強引に堪能編)2021/11/03
これが見たかったんです。

もう少しオイラの芸術的見る目を高めていきたい。

ブラオイラ#413(やっぱ凄い那谷寺の紅葉編)2021/11/13
日本一の紅葉風景。

オイラは半分本気でそう思っています。

ブラオイラ#414(富山高岡の革新会社見学編)2021/11/14
鋳造する為の欠かせない物だといいます。

鋳造の型もこれだけ並べられると圧倒されますな。

ブラオイラ#415(富山の本気、絶景の立山遠望編)2021/11/29
やっぱり凄いですよね。

立山連峰がはっきり見える日は富山市民は誇り喜ぶんだろうね。

ブラオイラ#416(福井の美術と山と焼き鳥編)2021/12/05
こいつはすごい迫力!

絵画と違ってブロンズ像は立体的で迫力も三倍化する気がする。

ブラオイラ#417(再び福井でARASHI鑑賞編)2021/12/12
これを見に行ってきたんです。

嵐のライブ画像を映画館でわざわざ見るという・・・

ブラオイラ#418(憧れの汐越の松を目指して編)2022/01/08
イメージ画を描いてみた。

西行も芭蕉も見た汐越しの松は枯れ倒木が残るだけ、消滅寸前。

ブラオイラ#419(能登へ牡蠣そして映え映え編)2022/01/10
本州最後のトキ捕獲地なのです。

こういう歴史的ポイントは後世に残すべきです。

ブラオイラ#420(武家屋敷散歩からの喫茶珈琲編)2022/01/22
もう少し雪が残っていれば、冬の金沢らしいのだが、

雪は嫌いだけど、美しいのもたしか・・・、

ブラオイラ#421(司馬遼太郎 街道をゆく近江散歩編)2022/02/02
安土城址です。

はじめて訪れました。けっこうキツイ上り下りで歩きましたよ。

ブラオイラ#422(司馬遼太郎 街道をゆく湖西のみち編)2022/02/03
北小松の漁港。

オイラの好きな司馬遼太郎が50年前に訪れた小さな漁港

ブラオイラ#423(人混みの金沢夜桜満開編</a>)2022/04/09
国立工芸館。

ライトアップするだけでいい感じになるものです。

ブラオイラ#424(
倶利伽羅不動寺と八重桜編)2022/04/20
倶利伽羅不動寺です。

八重桜と芝桜、上下で桜の共演です。

ブラオイラ#425(富山岩瀬の廻船問屋群と運河編)2022/05/29
凄いお宅ですわ、

昔、北前船で相当お儲けなられたようです。

ブラオイラ#426(映画&21美で作品鑑賞編)2022/06/18
すばらしい作品を見て目の保養ができました。

たまに美術館でも行って美術感覚を磨きます。

ブラオイラ#427(加賀橋立の豪商と芭蕉曽良の宿泊寺編)2022/06/26
あれが全昌寺のうら山です。

夜宵秋風聞くやうらの山(よもすがら あきかぜきくや うらのやま)と曽良の句です。

ブラオイラ#428(瀬越・塩屋・吉崎で県境編)2022/07/16
そのレベルに圧倒されます。

豪商のお宅はどこも凄いけど、ここは別格の感じがしたなぁ。


ブラオイラ#429(長野北信濃、歴史探訪編)2022/08/01
このあたりでナウマンゾウの化石が発掘されたのです。

小さい頃から来たかった野尻湖に来ましたよ。

ブラオイラ#430(長野北信濃、二大パワースポット編)2022/08/02
中間くらいにある隋神門。

戸隠神社は最強のパワースポットでもあるようです。

ブラオイラ#431(世界遺産の五箇山散策編)2022/08/15
それにしても落ち着くなぁ~。

世界遺産の白川郷と五箇山、北陸人としては五箇山を推します。

ブラオイラ#432(ビブリオバウム&3つの清水編)2022/09/03
光景に圧倒されます。

立派すぎるので逆になかなか利用する気にはなれないという。

ブラオイラ#433(能登でイカと牡蠣とBBQ編)2022/10/09
それにより県内外から観光客がやって来て経済効果は製作費を軽くペイしたという・・・。おもろいね

久しぶりのBBQは美味しかったぜ。

ブラオイラ#434(REDに乗って関ケ原の戦い編)2022/10/23
決戦地。

関ケ原古戦場を自転車でいろいろ周ることができいい体験ができました。

ブラオイラ#435(高岡の国宝寺院見学編)2022/11/03
これはたしかに大きいなぁ

富山で2番目、瑞龍寺に続いての建造物の国宝ですね。

ブラオイラ#436(少し早めの紅葉手取峡谷編)2022/11/06
いつ来ても水量が多いですね。

白山手取川はジオパークに認定されましたからね。

ブラオイラ#437(司馬遼太郎を追体験、越前勝山・大野編)2022/11/12
なんと、まるで進撃の巨人の世界です。

このあたりは雪深いので雪崩も発生するそうで

ブラオイラ#438(どうする連休、越前一乗谷編)2023/01/08
この博物館のメイン展示である遺構展示室に入ります。

遺構そのものを館内で見れるってのがいいですね。

ブラオイラ#439(小立野寺院群いし曳の道編)2023/01/22
面白い坂道があります。

金沢は坂の町でもありますからね。

ブラオイラ#440(東京・横浜・鎌倉旅行の東京編)2023/02/07
ひょえ~ 高~い!

渋谷スカイから大都会東京を360度見渡しました。

ブラオイラ#441(東京・横浜・鎌倉旅行の鎌倉編)2023/02/08
ここはまるで天国のような場所。

憧れの鎌倉を歩くことができてよかった。

ブラオイラ#442(東京・横浜・鎌倉旅行の横浜編)2023/02/09
今日も天気はGOODです

この日も行きたいところ多すぎてたくさん歩きました。

ブラオイラ#443(季節外れの越前海岸水仙編)2023/02/12
愛想のいい猫ちゃんがいました。あらカワイイ

織田信長の御先祖様が神官を務めた剣神社です。

ブラオイラ#444(中能登からの氷見・高岡・福光編)2023/03/19
便所の天井やら、壁やら、

棟方志功はハチャメチャな人だったのかな

ブラオイラ#445(しば・しば・しばの福井三国編)2023/04/09
河原に菜の花が咲いています。

中国の大河のほとりに見えなくもない・・・かな?

ブラオイラ#446(敦賀どうする金ケ崎&鉄道遺産編)2023/04/16
右が本線、左は折り返し線

オイラ実は鉄道遺構も大好きなんです。

ブラオイラ#447(どうする家康・三河編)2023/07/03
あれが有名な織田・徳川連合軍の馬防柵です。

有名な激戦地は意外と狭かったりしますよね。

ブラオイラ#448(どうする家康・遠江編)2023/07/04
セットの一部や、

浜松の大河ドラマ館はなかなか良かったですよ。

ブラオイラ#449(どうする家康・駿河編)2023/07/05
さすが、日本一の山です!

富士山を拝めるだけで幸せになるのは日本人だからかな


いやぁ~、
とうとう450回まできました。


ブラオイラ#01(金沢駅編)が2015-03-15から8年3か月。
前回特別編の400回からは2年かかりました。
今回も県外の割合が高くて、特に富山の息子アパートにはブラオイラついでに何回か寄りましたね。
遠出になる長野、横浜・鎌倉、静岡などでは歴史や文化を十分堪能することができました。


さぁ、次はいよいよ500回を目指します。
一応オイラは500回を最終目的としているのでブラオイラもいよいよラストスパートになりますが、残り50回はゆっくり3年くらいかけて参りますかな。

ブラオイラ。
次はどこへ行こうかな----
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ブラオイラ#449(どうする家康・駿河編)

2023年07月05日 21時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
掛川城をさらっと見て、
国道1号線を走り続けてようやく静岡市内に入ります。

到着したのは登呂遺跡。

(手前の水田は弥生時代の農法で植えてあるんだって)

オイラは昔から勉強は社会が一番好きでした。特に小学生の歴史の教科書が興味深くて面白かった。
印象に残っているのは初めのページにあった原始時代で野尻湖から出土したナウマンゾウとオオジカの骨の写真、
続いては縄文時代を紹介するモースの貝塚写真、そして弥生時代は登呂遺跡の写真になりますね。
あの時受けた印象深い地にいることに少し感動したりする・・。


続いては、今回最大の目的地でもある久能山です。


ここは気合を入れて、階段を登ります。


歴史を感じる表参道。

しかしここは参拝するのも大変ですね

汗びっしょりになって、ようやく境内に到着しました。


久能山東照宮です。


全国の東照宮の創祀になります。


もちろん国宝です。


すばらしいですねぇ!


楼門、唐門、御社殿、拝殿、本殿、廟門、神廟など国宝と重要文化財のオンパレード。

徳川家康は1616年4月17日、駿府城にて75年の生涯を閉じた。
生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、八州の鎮守になろう」との遺言を残した。この遺命により遺骸を久能山に埋葬し、その地に2代将軍秀忠公の命により久能山東照宮が創建されたのです。

では、廟門をくぐって、


家康が眠っていた神廟にお参りします。

ちなみに正面は西を向いているのですが、これは死してなお西国勢力に睨みをきかす為だそうで。

当然、御朱印をゲッツ!


そして絶対に訪れたかった場所、東照宮博物館です。

撮影NGでしたが、国宝の刀剣やら重要文化財の甲冑や染織や絵画など貴重な品々を拝見できました。
特にカミさんが見たかった「金陀美具足(きんだみぐそく)」もじっくり見ましたよ。

ちなみにオイラ久能山には25年以上前に会社の社員旅行で来たことがあります。
その時は日本平からのロープウェイのルートで楽チンでしたが、若かったこともあり東照宮のことほとんど憶えていません。
その旅行はJリーグ観戦がメインでしてジュビロ磐田VSジェフユナイテッド市原戦でジェフの勝ちでした(これは憶えてるもんだな)

久能山をあとにします。

このあとは三保の松原からの富士山を見る予定でしたが、アプリ情報で今日は富士山見えずと確定していたので、


明朝晴れることを期待して明日に延期します。

さて今回オイラが静岡で是非行きたかった場所があります。

それは旧東海道の薩埵峠。


ここを登るのだが、あまりに急すぎて危険なのでこちらからはやめておこう。


反対側から上がって駐車場に到着。


歌川広重の「東海道五十三次」のなかで一番好きなのがこれです。

「由井 薩埵嶺」

まさにここからの景色、

残念ながら富士山は見えませんでした。

このあと、ホテルにチェックインし荷物を一旦置いて、


歩いて出掛けます。


駿府城。

申し訳けないけど特に印象に残りませんでした。天守閣の発掘調査に今後期待しましょう。

ここから相当歩いて、到着したのが静岡浅間神社。


ここでもゲッツ


ここにも大河ドラマ館がありますがすでに終了時間を過ぎていました。


そろそろ夕食時なので街へ戻ります。
ありがたいことに最終の無料シャトルバスを利用します。


おっそうか静岡はプラモデルの町でもありましたね。


さて静岡での食事と言えば、


「さわやか」のハンバーグですよ!


お客さんの行列が意外と少なかったので、「ラッキ~♪」と思いきや、
実際は109分待ちの58組待ちでした。


ちなみにこの商業施設の1Fのテナントには、福井鯖江のメガネのお店がありました。


ホテルに戻って、


ロビーに貼ってあったパンフに目がとまる 裏のお庭を散策できます・・・と、(ナニ!)


おぉ、いいお庭ですね。


ムムこれは、
ここは静岡、もしや・・・、


表に出て確認!
やっぱり!15代将軍徳川慶喜の屋敷跡でした。

徳川最後の将軍である慶喜が隠居で20年間過ごし、狩猟や釣り、写真など趣味に没頭していた時のお宅ですね。

とお庭散策を楽しんだ後、さわやかへ

ヤッター!旨し


この夜は、お酒もほどほどに明日の明朝の天気を期待して眠るのでした・・・。


・・・・・・・・・・・・翌日・・・・・・・・・・・・・・・・・・

晴れています。


早めの朝食を取り、三保へ向かいます。


着いた~。


さてさて、富士山は・・・・・、

キタ――(゚∀゚)――!!!


さすが、日本一の山です!

この時期ですから雪渓ではないですけど、やはり別格の迫力があります。

思わず駿河湾にちゃぷちゃぷ


からの~記念の貝殻ゲッツ!


三保の松原から御穂神社に延びる神の道


富士山も見れたし、満足感に浸りながらそろそろ帰ります。

帰路の途中で寄ったのは・・・、


草彅神社、取り急ぎ御朱印もゲッツ!


天皇家に伝わる三種の神器の一つである草薙剣、
東征の日本武尊、敵からの火計に対し、その剣で草を薙ぎ倒して逃れたという伝説。

このあたりでの出来事なんでしょうね。

さぁ帰ろう!(6時間の帰路


二泊三日のどうする家康旅、すごく良かったです。
三河(岡崎、新城)、遠江(浜松)、駿河(駿府)と、若き家康が過ごした地。
天気は最悪と覚悟はしてたものの、晴れ間もあって旅程にほとんど影響を受けませんでした。
八柱神社、大樹寺、設楽原、長篠城跡、三方ヶ原、信栄寺、浜松城、浜松八幡宮、登呂遺跡、久能山東照宮、薩埵峠、静岡浅間神社、三保松原、草薙神社、
多くの場所を効率的にまわることができました。
これまで歴史に興味が無かったカミさんが各所で真剣に説明板を読んでいるのが印象的でした。

さて、NHK大河ドラマ「どうする家康」はちょうど前半戦が終わったところです。
後半戦の活躍は全国に拡がりどんどんと全国統一に突き進むわけですね。
ドラマもますます面白くなりますよ~、これからも注目して見たいと思います。
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ブラオイラ#448(どうする家康・遠江編)

2023年07月04日 20時16分34秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
三河の新城市長篠城跡から遠江は浜松市へ向けて、高速代を節約するために下道を走ります。

途中渋滞もあって、結構な時間がかかりました。
ようやく浜松市内に入ると見覚えのある町の名に、


あの戦場の地か・・・、ナビで検索してやってきたのが三方ヶ原古戦場、

このあたりで三方ヶ原の戦いがありました。
敵は武田信玄率いる戦国最強といわれた武田軍、徳川家康の人生において最大の敗北を喫した戦いであります。
家康は糞を漏らして戦場から逃げ帰ったといわれてますが。

すでに13時30分を過ぎており、カミさんがお弁当の注文予約を入れた場所へ、


実はこの会社、2023年の浜松まつりで松潤が監修したお弁当を作った会社なのです。


ということで、お昼はここのお弁当です。


天竜川の川岸で食べたかったところだが、西からの雨雲に追いつかれたので近くのコンビニ駐車場で、


おいしいお弁当を食べました。


そのあと向かったのは、おじい犬が眠る信栄寺です。


ここは2年ぶりになります。


おじい犬・・・、

2021年3月10日に亡くなってからもう2年以上過ぎたんだね。

そうだ、あの時に書いた石はあるかな、


あっこれだ! 文字は消えてるけどこんな石だったはず!


後日検証したところ、似たような石でしたが違っていたようです⇒ブラオイラ#401

おじい犬の墓参りを終えて今夜泊まるホテルへ、すっかり雨もあがっています。


一旦荷物を置いて、歩いて外出します。


浜松城。


まずは、どうする家康大河ドラマ館へ、


セットの一部や、


各種パネル、


出演者の紹介、


おぉ~すねえもん♪(ドラえもん じゃないよ


なかなか充実した展示物です。


オイラのお気に入りの服部半蔵。


武田信玄役の阿部寛さんの演技はさすがでしたね。


ここは一見の価値ありです。


続いて隣の浜松城へ、


天守閣から、


ちなみにこの場所、旅行帰宅後の放送「どうする家康(25)はるかに遠い夢」の番組終わりのツアーズで松本潤さんと有村架純さんが立っていたんですね。


浜松城の見学が終わると、
一旦ホテルに戻って、少し休憩してから夕食に出掛けました。




今夜はここにしよう。家康の天敵、真田の六文銭?


プヒャ~、ビールが旨い


浜松ギョーザも食べましたよ。


ホテルに戻りぐっすりと眠り一日目は終了


・・・・・・・・・・・・・・・・・

翌朝、
すごい土砂降りでした・・・


敢えて朝食を遅めの時間にして、ゆっくり休んでいると雨もあがりました。

浜松での最後の場所は、浜松八幡宮。


三方ヶ原の戦いで敗走した家康が楠の祠に身を隠して逃げ延びた場所です。徳川家代々の祈願所として崇敬されました。


ここが家康が隠れた場所です。


御朱印もゲッツ! 

夏越の大祓、くるくる回ってお参りしました。

さて、浜松から西に向かおう、
目指すは駿河の駿府(静岡市)だ!


途中にあった掛川城も外観だけ見る。


よし雨雲も東へ抜けているぞ!


国道1号線を東へ東へと走っていくのです。

・・・つづく
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ブラオイラ#447(どうする家康・三河編)

2023年07月03日 21時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
毎週日曜NHK大河ドラマ「どうする家康」は、オイラもカミさんも真剣視聴しているところです。
なんせカミさんは松本潤さんの大ファンですからねぇ・・・、

ただ、これまで大河ドラマを見続けてきたオイラからすると、「どうする家康」に最初の頃は違和感を感じてました。
「これはNHK大河ドラマじゃない、民放のトレンディドラマやんけ」と、
しかし最近順応してきたのか見るほどに面白くなってきたのです。

そんな夫婦で楽しみにしている「どうする家康」
今回は、これまでの舞台である三河、遠江、駿河の旧三か国へ、家康ゆかりの地へ二泊三日のブラオイラしてきました。

まだ暗いうちに出発します。


福井県の鯖江市を通過する頃に陽が上がります。左手に見えるシンボル的なメガネ看板。

鯖江はメガネの町、静岡のデパートの中でまさかの鯖江のメガネ店を見ることになります。

問題は天気、賤ケ岳SAでは雨でした。


ところが岡崎市内に入ると晴れてきました。


最初の目的地、八柱神社です。


今回の旅行では、これらの大河ドラマ関連ポスターをよく見ましたね。


ここには家康の正室、瀬名(築山殿)の首塚があるのです。


昨晩の「どうする家康」悲しく泣ける回でしたよね。
この説明板にも築山殿事件は「あまりにもむごく悲しい出来事」と書かれています。

「安らかに眠ってください」と手を合わせます。

続いて向かったのは、大樹寺。


ここは徳川家の菩提所になります。


大河ドラマが始まる前の特別番組で松本潤さんも訪れたとかで、当然今回の日程にカミさん推しで組み込まれるわけです。


こちらが目的、


家康以前の先祖八代の方が眠っているわけです。


お参りします。


お寺にも参拝して、御朱印をゲッツ!


岡崎をあとに、東へ向かいます。


新城市に入り設楽原歴史資料館に到着。


施設内を軽く見学して、


行きたかった現地へ向かいました。


設楽原の戦いの地。
戦場の真ん中を流れる小さい川の連吾川、きれいな水でした。

川を挟んで右手が武田軍、左手が織田徳川連合軍が配置されました。

あれが有名な織田・徳川連合軍の馬防柵です。


長篠・設楽原の戦い:織田・徳川連合軍武田の戦いは、
長篠城の攻防戦にはじまり、鳶ヶ巣山奇襲、設楽原決戦という流れ。
長篠攻城戦では鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の悲劇エピソードもあるわけです。

両側が山に挟まれた思ったより広くない戦場で、どこか福井の一乗谷に地形が似ています。
ここで織田軍三千丁の鉄砲が武田の騎馬隊を撃破したのです。


ここをあとに長篠の方へ、


まず鳥居強右衛門が磔された場所へ、


とにかくこの画がインパクトがありまして・・・、

ドラマでも描かれましたが鳥居強右衛門の物語、
強右衛門は、長篠城は武田勝頼の大軍に囲まれ籠城することになったが、徳川家康のもとに援軍を要請する使者を送ることを提案し、自ら武田軍の包囲網を突破して家康のもとに赴くことになった。強右衛門は長篠城を脱出することに成功し、岡崎城の家康に長篠城の窮状を訴え、それを聞いた家康は信長ともども出陣する決意を固めた。強右衛門は、その返事をすぐ城中の兵たちに伝えたいと長篠城に戻ろうとしたが、包囲の目をかいくぐって潜入することはむずかしく結局武田軍に捕らえられた。このとき武田方では捕らえた鳥居強右衛門を城近くに連行し、「援軍はこない。降参した方がよい」といえば命を助けるという約束で強右衛門にその口上をいわせようとしたが、強右衛門は「援軍がすぐ到着する」と叫んだ。そのため強右衛門は磔にかけられ殺されたが、結果的にはこの行為が長篠城籠城を継続させ、それが長篠設楽ケ原の織田・徳川連合軍大勝の大きな要因となったのである。

途中に鳥居強右衛門の墓もありました。


お参りします。


近くの橋の上、


豊川と宇連川が合流するこの対岸の崖上に長篠城はありました。


対岸よりぐるっと周って、長篠城跡に来ました。


この城は今川方、武田方、徳川方といろいろ変遷があったんですね。


保存館の中の資料は、やはり鳥居強右衛門関連が中心です。


出た インパクト!


初日の三河(岡崎・長篠設楽原)はここで終わりだったのですが、
最終日に新東名高速道路で帰路途中に寄ったパーキングエリア、


なんと、ここも戦場域で、


すぐ横の高台は、


織田信長本陣がありました。


信長の目線で戦場の方面を見ましたよ。


初日に戻って・・・、
この城跡はすぐ横に電車が走っています。


三河編はここで終わり(お参りが多かったね)、このあとは遠江の浜松へ向かいます。
・・・つづく
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ブラオイラ#446(敦賀どうする金ケ崎&鉄道遺産編)

2023年04月16日 17時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
今夜の大河ドラマ「どうする家康」は「金ケ崎でどうする!」というタイトルです。
松潤ファンのカミさんが視聴する前に舞台となる福井県敦賀市の金ケ崎へ行きたいと言うのだが、
オイラはもう何度か行っているし、今日はのんびり庭で花でも植えたいと思っていたのだが・・・
・・・・当然のごとくカミさんの希望通りとなります。


到着~


やはり「どうする家康」にのっかりますよね。

前に来た際には、明智光秀の「麒麟が来る」の旗が立ってました。⇒ブラオイラ#360

その時にもカミさんと来てるけど、ほとんど記憶ないんだって、


興味があるのと無いのとでは、こうも違うものなのでしょうか・・・


月見御殿跡から敦賀湾を望む。


でも歴史に興味を持ってくれるのはありがたい。


しばらくは「どうする家康」を利用しようと思います。


さて、金ヶ崎関係ははこれにて終了して、
オイラの今回の真のテーマを巡ります。
敦賀といえばやっぱり「鉄道」。

高速道路の南条SAで持ってきた無料配布のパンフレット。


この鉄道遺産を巡ってみようと思ってます。


まずはすぐ近くの場所で、
この金ケ崎城跡登り口の横にかっての敦賀港駅の線路が残っています。


北陸本線敦賀駅から廃線となっている敦賀港線が延びており、海で行き止まりとなる敦賀港駅はヨーロッパへつなぐ欧亜国際連絡列車の発着駅でもあったのです。


そしてこの小屋も大変貴重な建物。


なんと明治時代から残るランプ小屋です。


建物内に赤と緑のランプが置いてありました。


なるほどこういう使い方をしてたんですね。


敦賀港駅舎を再現した敦賀鉄道資料館。


鉄道マニアにとって興味深いものがいっぱい。


なかなか見所がありました。



この敦賀という地は現代においても鉄道の重要な場所で、今年度末(2024年3月)北陸新幹線敦賀延伸にともなって発着駅となるのです。


この北陸新幹線発着駅という立場は、大阪までの延伸工事がなかなか進まない今となっては相当期間続くことになるでしょう。

その現代の敦賀駅にやって来ました。


新幹線開業に向けて周辺に立派な施設ができています。


駅前の立体駐車場屋上から新幹線敦賀駅を見る。
整備新幹線最大級の大きさといわれています。


向こう側へ回って、たしかに大きな駅舎です。



駅周辺の町中にこういう場所もありました。


眼鏡橋、これも貴重な鉄道遺産。



長い鉄道の歴史には悲惨な事故もありまして、


入ります。


北陸トンネル入口横にあるトンネル火災事故の慰霊碑に手を合わせます。

<ウィキより>1972年(昭和47年)11月6日未明に福井県敦賀市の北陸本線敦賀駅 - 南今庄駅間にある北陸トンネル(総延長13,870m)で発生した列車火災事故、30名の方が亡くなられている。



旧北陸線トンネル群に行きます。


今と違って大規模なトンネル工事はできなかった明治の鉄道は、可能な限り平地を選んで鉄路は伸びていきました。


これらのトンネル工事は大変だったはずです。

葉原トンネル。

昼間でもなかなか怖いです。


昨年発生した大雨被害の爪痕が今でも各所に残っていました。


山中信号場跡に来ました。


スイッチバックの説明。


右が本線、左は折り返し線


大桐駅跡。


八重桜が綺麗でした。


今庄に出て昼食を取ります。


大きくて立派な絵が飾ってありました。


今庄そば、旨かったです。


施設前にかって旧北陸線を走っていた蒸気機関車D51が設置されていました。


今日はいろいろな鉄道遺産を巡ることができてオイラ的にも満足でした。
そろそろ帰りましょう。


さて今夜の「どうする家康」、金ケ崎の回をカミさんと一緒に視聴するのが楽しみです。
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ブラオイラ#445(しば・しば・しばの福井三国編)

2023年04月09日 18時55分11秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
変なタイトルですが、しばしばお付き合いを・・・?

いい歳になると蕎麦が好きになるというのはよく聞く話ですが、
オイラも蕎麦は大好きで、越前そばが無性に食いたくなる時があります。

越前おろし蕎麦・・・昭和天皇も行幸の際におかわりを所望するほど気に入られ、東京に帰ってからも「あの越前の蕎麦が・・・」と懐かしんだと言われます。

今日はその越前そばを食べに福井へ向かいます。


どうせ福井に行くのなら・・・、
一度行きたかった司馬遼太郎が見たあの場所に行ってみよう・・・。

一つめの「しば」は司馬遼太郎の「しば」です。

街道をゆく18 越前の諸道

もうボロボロ

下流の畔(ほとり)という章があって、


司馬遼太郎は九頭竜川の下流域にある木部新保という地区で堤防に立ち、川を見てしばし物思いにふけったとのこと。

これは是非とも行きたい場所であります。

福井県の北部の坂井市にやって来ました。


まずは主目的である蕎麦を食べようと、いい感じのお店を見つけたので入ります。


入口に石のカレンダーがありました。


木のぬくもりが感じられるいい雰囲気のお店です。


まってました!天ぷらおろし蕎麦 これは絶対に旨いやつ!

予想通り大変旨し

さらに良いのは、すぐ隣にファミマがあって食後のスイーツとコーヒーを買うことができるのです。

今度また来よう。


木部新保の畔に到着しました。


司馬遼太郎が見た風景・・・。


本にはこう書いてあります。


まことに木部新保で見るこの川は、
「論語」のなかで孔子が川のほとりに立ち、「逝く者は斯の如きか、昼夜を舎かず」とつぶやくくだりが湧くような感情とともに思い出されてくる。ただ単に水が流れている。しかし時もまたこのように過ぎてゆく。

(イメージ画像:中国の長江)

河原に菜の花が咲いています。


ちなみに、「逝く者は斯の如きかな昼夜を舎かず」の意味は、
川の水が夜となく昼となく間断なく流れていくように時間は刻々と流れ去ってゆくことをいう。人生の過ぎやすくはかないことを意味し、だから一瞬といえども怠ることは許されぬことにたとえる。
だそうです。


木部新保の集落の入口に、それはそれは可愛らしい神社がありました。


なんせ小さいのです。


思わず、狛犬の頭を撫でてしまいました。


三国の方へ行ってみます。


三国神社に来ました。


ここは初めてです。


隋神門。立派ですね。


ほぉ、


根が面白いです。


これも凄い。





本殿・拝殿です。


御朱印ゲッツ!


境内には立派な苔も生えていました。




川岸の公園に大きなピンクがあるのが見えたので行ってみると、
綺麗なシバザクラがありました。


2つめの「しば」はシバザクラの「しば」

気持ちいいですねぇ、


おっ絵葉書みたい。


ここへ来る途中にもシバザクラをたくさん見ました。
赤やピンクや白のシバザクラがお宅の庭や田んぼのあぜ道にも、
ちなみに先ほどの蕎麦屋さんの前にもこれがありました。


三国の町の丘陵の上にある特徴的な建物にやって来ました。

坂井市龍翔博物館とあります。残念、リニューアル工事中でした。

一応、海を見ておこうか、


いいね、左に伸びているのは三国港突堤です。


さてそろそろ帰ろうか、

あっ、3つめの「しば」は・・・、


これです。

帰路途中に寄った芝寿しのお店、笹寿司を一個だけ買います。
これ旨いんだよなぁ・・・。
そのあたりの芝生(しば・ふ)で食おうかな・・・
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ブラオイラ#444(中能登からの氷見・高岡・福光編)

2023年03月19日 20時06分30秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
今日のような春の陽気な日は、


オイラ的には無理してでも出掛けなければなりません。


海も見たいし、山も見たいし

ということで今回は、
中能登から峠越えして氷見に入り、高岡でも行って立山連峰でも拝んでこようと、
テストの採点の赤丸のように時計回りのルートでブラオイラをすることにしました。


白尾インターから、のと里山海道へ、


宝達山系の麓の地区へ来ました。


中能登で行きたい場所があります。
以前、雨宮古墳群に行ったとき⇒ブラオイラ#338
施設の係の方からの説明で記憶に残っている話がありました。
「古代このあたりの能登地域は、まだ奈良の大和政権の影響が十分ではなかったので中央から皇子がやってきたんです。
向こう側の碁石ヶ峰の麓の集落にその皇子の墓がありますよ」と・・・。

目的の場所に来ると何とも不思議な光景が現れました。

もや? 煙!? 手前の神秘的な大木といい、なんか神がかっとるやんけ!

ここが小田中親王塚古墳です。

古墳の造営年代は4世紀後半から末期にかけてと推測されています。

「崇神天皇皇子 大入杵命墓」とあり、宮内庁と書いてあるので本物です。

石川県内で宮内庁が管理している場所を初めて見ました。

大入杵命(おおいりきのみこと)は能登国造祖でもあります。

崇神天皇は実質の初代の天皇といわれています。

塚の周りを歩いてみよう。


小さい古墳なので、2分程で周ることができました。


ちなみに神秘的な煙は近くの住民の方が焚き火をしていたのでした。

興味深い場所ですが、説明板(解説)が無かったのが残念です。
(詳しく知りたいがネットでも詳細がありません)

では、碁石ヶ峰を越えて富山の氷見に行きます。


富山県に入り、


今回カミさんが行きたかった場所に寄ります。吉がけ牧場。


カミさんはYouTubeで猫とか犬の動画をよく視聴するのですが、
最近ではヤギなんかもお気に入りで、ここの牧場の配信動画も見てるんだって。


残念ながら外には出ていませんでしたが、


ちゃんと小屋の中にいましたよ。

めぇ~♪


山を下り、氷見市街に入ります。


マリーナからの立山連峰です。


雨晴海岸の道の駅がある名所スポットは予想通りの混雑渋滞です。


海岸沿いを走る氷見線の観光列車がフォトスポットで撮影停車しています。



高岡市街地に入り、古い町並みのある金屋町へ、

初めて訪れます。

ここは重要伝統的建造物群保存地区であり、


高岡鋳物発祥の地となり、高岡銅器産業の中心として大いに栄えた地域です。


資料館。


こんな小道が面白い。


驚いたのは家の外壁に銅板を使っていました。さすが銅器の町です。


火の鳥!?


これは!?


鋳造所とあり、説明板には地金を溶解するための建造物とあります。

反射炉みたいなものでしょう。

さて昼飯は富山名物、ブラックラーメンです。

オイラはくどいの好きですが、カミさんはさっぱり系のラーメンにしてました。

走行中にちらちら見える立山連峰が輝いてあまりに美しいのでよく見ることができそうな場所へ来ました。

高岡おとぎの森公園。家族連ればかりで50代夫婦はちと恥ずい

展望室へ、


ここならきっと、


美しい立山連峰見えました。




南砺市の福光で、棟方志功の施設への案内看板が見えたので寄ってみます。


棟方 志功(むなかた しこう)1903年 - 1975年 版画家。
青森県に生まれ画家を志し上京し国内外の美術展で高い評価を受ける。昭和20年から約7年間に富山県福光町に疎開し、浄土真宗の僧侶たちや県内外の文化人と親交された。昭和45年には文化勲章を受章された。

疎開の際に住まれていた住居地や、


家屋が移築され当時のまま残っています。


係りの方に案内され、詳しく説明してくれました。


型破りな芸術家だったようで、
便所の天井やら、壁やら、


居間の板戸やらと自宅だからといって遠慮なくあちこちに描きまくっています。

左の赤いのは鯉、右は亀とナマズとウナギだそうで。

柱の傷は子どもの成長記録。


昭和26年の北陸銀行のカレンダーも手掛けたんだって。


棟方志功っぽく面白いカレンダーですな、なんか日の並びが面白い月もありますね。


資料館に入ります。


いいね。


棟方作品はなんとも、


迫力があって見入ってしまいます。


こういうのをちゃんと残しているのがいいですね。

福光をあとにして山越えで帰宅しました。


それにしても今日は大変気持ちいい一日でした。
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