人生第二章 挑戦者

<左半身麻痺の機能回復と生活奮闘記>
脳卒中に倒れ、その後の障害、失われた機能、生活を取り戻す記録

上がって来い!!

2017年01月07日 22時44分49秒 | 日記

 昨年を振り返りますと、私は、腰抜け、臆病者になっていました。5月、7月に転倒する事故があり、11月には子供がよく感染するマイコプラズマ肺炎に大人になった私が感染してしまい、会社を1週間休むという出来事がありました。
 5月、7月に転倒する事故で一人歩きが不安になって歩くことができなくなりました。マイコプラズマ肺炎以降は、更に、歩く時、転びやすくなってしまい、一層、歩くことができなくなってしまいました。

 でも、毎日、会社に行かなくてはなりませんので、最寄り駅まで、行き、帰りにはタクシーを使っての通勤する事態になってしまいました。歩くと、また、転んでしまう、怪我をするとういう思いが先行して不安な気持ちになり臆病になっていました。
一人で歩けるという気持ちを強くすれば、歩けるのに、歩行力があるのに昨年後半は自信喪失の状態になってしまいました。
その結果、退院して以来、順調に行っていた生活が、心身においてどん底に落ちました。

 頑張れば歩ける歩行力があるのに、転ぶのを怖がって、私は、”腰抜け”、”臆病者”になってしまいました。
いつの間にやら挑戦者でなくなってしまったのです。

 さて、年明け、1日の朝寝ていると夢うつつの状態の中で、”上がって来い!!”、”上がって来い!!”という声が聞こえてきました。何度も”上がって来い!!”という声が聞こえて、そして、怖そうな顔をした毘沙門天が出てきました。

この、”上がって来い!!”という声を聞いて、勝手な想像ですが、昨年、私をどん底に落としたのは、毘沙門天が退院して以来、生活が順調に行っている私に、今年から始まる定年生活は甘くない事を諭すために、ここで、一発地獄に落として、這い上がれるか試した。と思いました。

この夢の声を聞いて、私は、何が何でも、神楽坂の毘沙門天に初詣に行かなくてはと思いました。

 ところで、”神楽坂の毘沙門天”は、開運、厄除けで知られています。毘沙門天は勝負の神様です。振り返ると、カメラマン(妻)に悪い出来事が起きた時、子供の受験の時にも、合格祈願に行きました。そして、祈願をして志望した学校に合格しましたね。また、就職活動の時にも就職戦線を勝ち抜くための祈願に初詣に行きました。そして、祈願をして志望した企業に就職出来ましたね。

 武将は守護神をもっていました。加藤清正公、上杉謙信は毘沙門天さまを守護神とされていました。源頼朝公は観音像を、足利尊氏公は地蔵菩薩像を、武田信玄公は諏訪明神を徳川家康公は阿弥陀如来を。私達家族にとっては、”神楽坂の毘沙門天”は、守護神のような存在になっています。

 今日は、毘沙門天の”上がって来い!!”の声に導かれて今日は、神楽坂の毘沙門天に初詣に行ってきました。でも、出かける前に今の私の歩行力で、神楽坂のあの急な坂を上り切れるかとても、とても不安でした。電車に乗っている途中でやめようかな?とも思ってしまいまでぃた。
でも、毘沙門天の”上がって来い!!”の声が聞こえるのです。神楽坂に行かねばならぬ!!神楽坂を上らねばならぬ!!

神楽坂の上り坂

この上り坂を左足が壊れそうになるくらい必死になって歩きました

べこちゃんが”頑張って”と応援してくれています


”神楽坂の毘沙門天”の門に到着しましたが、本殿はまだ上です


駒虎
 


”神楽坂の毘沙門天”に参拝: 階段がきついですね

毘沙門天”にこれからも家族が健康で安全で平和な日でありますように。と祈願してきました。

さて、参拝終わった後は、また、来た道を戻って帰らなければなりません。この帰りの神楽坂の下り坂も怖いものがありましたね。

神楽坂の下り坂

スキージャンプ台の下りのように感じました。

傾いた下り坂の歩道:転びそう

バランス感覚の無い私にとって、去年の私だったらこの道は歩けませんでした。でも今日の私は違いました。歩きました。

ようやく神楽坂から下りてきました。

神楽坂を下りてくると盆栽が目に止まりました。

無事に下りてきて安堵しました。

上がって来い!! 
上がったぞ!!

今日は毘沙門天に臆病に打ち勝つ闘志を与えてもらって、また、挑戦する気持ちになれた日となりました。これで、また、私も障碍と戦えます。
 そして、今年は定年・セカンドライフが始まります。定年後は、厳しい現実が待っています。そして、厳しい現実とも戦えます。

今朝の日の出前の空
 
もうじき、太陽が出て、空が明るくなって行きます。私の夜明けも近いです。

挑戦者とカメラマン(妻)

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