テンテン大好き

パク・ヨンハさんのテンテンクラブを中心にブログを綴ってみようと思います^^

シュガーマン

2016-01-30 13:21:55 | その他

MnetJapanでシュガーマンの放送が2月14日から放送開始になるそうです。
昨年12月8日夜に韓国で放送されたヨンハさんが取り上げられた回も将来放送になるでしょうか?
とりあえず2月の放送はないようですが、3月以降に期待して待ちたいと思います。

MnetJapanシュガーマンのページ
http://jp.mnet.com/program/main.m?program_id=1620

プログラムガイド2月号にも大きく載っております。(9ページ)
https://drive.google.com/file/d/0B2CgjCb8WJcKNXpraGZFSmZuZ3c/view?pref=2&pli=1



ラジオでヨンハさんの歌声が

2016-01-24 13:53:18 | その他
私はこの数か月、夜ベッドの中でヘッドフォンをしてラジオを聴くのが習慣になりました。
子供のころから少々不眠症気味のところがあり、
寝床に入ってから寝付くまで2時間3時間はザラでした。
数か月前のある日、眠れなくて、“どうせ寝れないのならラジオでも聞こうか”、と思いました。
そうしたところがラジオが眠り薬になってくれまして、
しばらく聞いていると寝落ちするようになりました。
途中で覚めて、ああ、いかんいかんとスイッチを切ると、またコテンと寝れるのです。

昨日はテンテン日記をUPして少し検索などしてPCの電源を落とし、
ベッドに入ったのは11時30分過ぎていたと思います。
NHK第一のラジオ深夜便という番組にしました。
土曜日の11時台12時台は“オトナのリクエストアワー”というコーナーで、
昨日のテーマは“心に残る冬の物語”とのことでした。

女性パーソナリティーさんが“松井さん”とゲストさんを呼んでおり、
お話を聞いているうちにあら、もしかして松井五郎さんでは?と思っていたところ、
やはりそうでした。

各都市の日の出の時間、12時のニュースを挟んで番組は続きます。
ニュースの最中、わたくし寝落ちしてしまいました。^^;
しかし、人間寝てても条件反射をするのだということをこのたびわかりました。
覚めた私の耳に流れてきた曲は
Ryuさんの“最初から今まで”。

“心に残る冬の物語”、そりゃかかるわね~、コレってもしかしてイイ流れ?
なんて思いながら聞いていました。
そして曲が終わって紹介されたメッセージに、一気に興奮です。

※以下記憶で書きますので、順序・細かい部分違っているところがあるかもしれません。
悪しからずご了承ください※



「私はラジオ深夜便歴3年です。松井五郎さんはパク・ヨンハさん
シン・スンフンさんなど、韓国の歌手の方にたくさん詩を書いておられますね。
そういうときに、気を使われる部分などあるのでしょうか、気になります。
私はヨンハさんの“Tryth”が好きです」
パク・ヨンハさんは安全地帯がお好きだということで、


ええ、神戸で、玉置浩二のコンサートが神戸であったんですが、
そこへヨンハくんが来てじきじきに、


「パク・ヨンハさんの“初めて出逢った日のように”の日本語版をお願いします。
ヨンハさんはたくさんの曲を残してくれました。
何度聞いてもヨンハさんの声には哀愁があります。」

(※確か、もうお一方からリクエストが紹介されたと思います)
では、エピソードは曲の後でお聞きするとして、
パク・ヨンハさんです、“初めて出逢った日のように”


<曲>

聴きながら思っていたこと。
唐突にヨンハさんは安全地帯が好きという話が出たけれど、
それを言うには玉木さんがTruthの作曲をしたということを言わないと伝わらないんだけどな~^^;
それに松井さんも、ヨンハくんが来てじきじきに、どしたの?^^;
楽曲提供の依頼をじきじきにしに来た、ということを言わんとしたと思いますが^^;
この辺りは打ち合わせで話してて、お二人のあいだではわかっているのでしょう。
ちょっと、一般リスナーの方には、ん?^^;というカンジになってしまったと思いますが。
しかしありがたいことです。
神戸の話の際は、松井さん楽しそうに話しておられました。
語尾に軽く笑いを含んでおられて。

この曲はさきほどの冬のソナタと同じように
NHKで放送した韓国ドラマオールインの曲なのですが
韓国語の歌詞をそのまま日本語にというわけにはいかないと思いますが。


ヨンハくんはこのドラマには出ていないんですが。
韓国の歌の歌詞というのは、実は内容があんまりないんですね。
内容がないというのは、意味がないというのではなくって、
ことば数が少ないんです。それにリフレイン(※繰り返し)が入るので、
内容的にはほぼ1番で終わってしまうんですね。それをどうやってふくらませるかという。
書くときには直訳したものを見るんですが。
それと発音なんですが、日本語には発音が難しい音があるんですね。
僕たち外国の方が日本語で歌っているのを聞くと、
ちょっと違和感感じたりすることがあるじゃないですか。
“ざじずぜぞ”、僕は“風”という言葉をたくさん使うんですが、
それが使えないということが最初に書いた時にわかりまして。


と、大体このようなカンジでした。
ラジオから流れるヨンハさんの声はやはり素敵です。

リクエストしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。
ラジオ深夜便スタッフのみなさん、ありがとうございました。
女性パーソナリティー(この番組ではアンカーといいます)森田美由紀さん、そして松井五郎さん、ありがとうございました。


昨日(本日未明)の番組の流れです↓
http://www.nhk.or.jp/shinyabin/pro/b6.html
コーナー後半のセットリストです↓
http://www.nhk.or.jp/radiodir-live/musiclist/4/28376.html

ギャラリーより

2015-07-09 20:34:38 | その他
先日韓国dcinside.com パク・ヨンハギャラリーに
中学校の時ヨンハさんと同級生だった男性が書き込みをしていました。


http://gall.dcinside.com/board/view/?id=parkyongha&no=205241&page=1

中学1年の時隣の席だったヨンハ~


アンニョンハセヨ?

今日ふとヨンハが思い出されてちょっとネイバーで検索してみましたがこちらに接続になりましたね・・

人々から忘れられたと思いましたがこのようにまだ多くの方々が恋しがっているとは知りませんでした・・

麻浦区合井駅近くにあるXX中学1年の時隣の席で

2,3年の時は他のクラスだった、今は妻帯者の一人の男です。

その当時男女別クラスでしたし、ひとつの教室に約50人余りの学生がいましたが

ヨンハは45番、私は46番だったと思います。 背の順に番号を決めたと思います。

その当時弘大(ホンデ)の近所に住んでいたと記憶しています。

すっきりした容貌と身なり、闊達な性格などによっていつもお金持ちな感じがしていましたし、
特に女子学生にとても人気があったそうです。

ヨンハと常に一緒に(※学校に)通った友達も思い出しますね。

中学校3年の時ある友達からヨンハのお父様が
マネジャーという職業を持っておられるという話をちょっと聞きましたが

芸能界でものすごく有名な方だということは後になってマスコミを通じて知りました。

軍隊に行く前MBCで夜の時間帯に放映していたテーマ劇場を楽しんで見ていましたが
最後の場面にほんの少し出てきたその人がヨンハではなかったかと思います。

病院でベッドに横になっていて起きて"私はお父さんが誇らしいです"と言ったかな?

だいたいそのようなセリフをひと言言ってワンシーン出ていたようでしたが、
その瞬間ヨンハではないかという気がしましたが定かではないです・・

その後軍にいた時期にTVで'ポゴ ト ポゴ'というドラマを通してヨンハを見ることになって本当に不思議でした。

短い髪で眼鏡をかけていなかったヨンハの姿だけ覚えているのにとてもイメージ変身しましたよ。
髪も長くて、メガネもかけて・・

知っている人がTVに出てくるととても不思議でしたね。 私の隣に座っていた人なのかなと思ったり・・

今は残念ながら中学校の卒業アルバムを紛失したので卒業写真を見ることはできなくなりました。

今日に限ってふと思い出して大切な思い出を思い浮かべてみます。

いつの間にか、約25年前の思い出になってしまいましたね・・



STVラジオ 韓国の音楽が熱い!最終回

2015-06-28 13:53:14 | その他
<抜粋>

冬のソナタ主題歌を歌うRyuさんをお迎えしてのスペシャルインタビュー、特別番組を作ったのが
思い返せばね、やっぱりきっかけでした。
この番組にも幕開けに欠かせない1曲を挙げるといったら、やっぱりこれかな、“初めから今まで”


♪一曲目・“初めから今まで”♪

冬のソナタ・サンヒョク役としてもおなじみ、
そして韓流スター、アーティストが日本の音楽シーンで
しっかりとした歌唱力を持って魅力的に活躍するさきがけとなった
この方との出会いを抜きにもできませんよね。パク・ヨンハさんの存在。
2010年6月30日、訃報が飛び込んできたのは私が朝担当している生放送の番組でした。
早すぎる死がなかなか受け入れられなくて、そう、このスタジオなんですよ、同じ場所でね、
亡くなる1ケ月ほど前にインタビューをさせていただいたばかりで、
優しくってとっても頭のいい方で、誰にでも同じく暖かくさりげない気配りができて、
なんか感動したんですよ。
ユーモアのセンスもあって、なんともチャーミングな笑顔、今でも忘れられません。
“その時の番組を録音したテープが出てきた、宝物だよ~”と言うのは東区にお住いの○○○さん、
○○○さん、○○○さんと、たくさんのヨンハさんのファンからもメッセージを、
今もこうしていただけることも私にとっては誇りです。
“全国で一番ヨンハ氏のことを大事に応援してくれている人なんですよ”とファンの皆さんがね、
ヨンハさんのお母さんお姉さんにも伝えてくれて、
お会いすることが実現したことも忘れられないかけがえのない出会いとなりました。
どこにいても私たちはつながっている、私たちが忘れなければ。永遠です。


♪二曲目・“最愛のひと”♪

厚別区にお住いの○○さん、北区にお住いの○○○さん、
○○さんは北見の方ですね、函館の○○さんもメッセージありがとうございます。
子供たちのためにと学校を建てたり、ボランティアにもとっても積極的だったヨンハさん、
その優しいあったか~い想いは今、そしてこれからにもしっかりつないでいきたいですね、
“最愛のひと”、お聞きいただきましたが、
 (※以下 割愛)



と、最終回もヨンハさんの曲をかけてくださり、語ってくださいました。
室田さん、本当にありがとうございます。
お話の中でも出てきた室田さんが担当しているもうひとつの番組があります。
平日朝9時から1時間の“9時です、リクエストプラザ”がそれです。
記事にするタイミングを逸してしまったのですが、(ごめんなさい)こちらの番組では昨年6月30日、
ONE LOVE~笑顔であふれるように~をかけてくださいました。
韓国の音楽~が最終回となった今、その番組も7月3日で終了とのお話、
え~!?と聞いていたら、“報道記者に配属となった”とのこと。
先週の最終回告知から昨日も率直に驚きの連続なのですが、
これまでの暖かい放送に心から感謝し、室田さんの新たな旅立ちにエールを送りたいと思います。
番組は、再開を望むリスナーのメッセージであふれていましたし、
ご本人もまたいつか、の想いを持っておられるようです。
室田さん、お帰りなさいとメッセージを送れる日が来ることを信じたいと思います。


“9時です、リクエストプラザ”のHPはこちらです。
http://www.stv.ne.jp/radio/rikupura/index.html

メッセージを送った方のお名前でおひとかた聞き取れない方がいたため、
全員伏字で統一させていただきました。ご了承ください。