いつからかはわかりませんが、ラジオを本当に熱心に聞きました。
イ・ムンセおじさんがDJだった夜の番組を聞きながら
ひとり笑いをこらえたりもしました。
最近も明け方の放送を続けていらっしゃるチョン・ヨンヒョクさんの番組を聞きながら
よく知りもしない外国のポップソングを心酔しながら聞いたりもしました。
この頃のようにCDや音源から出るなめらかな音ではありませんでした。
ジージーいうレコード盤の音がそのまま聞こえましたので、
音楽を聴く味があったように思います。
好きな女子学生のことを考えながら投稿を・・・書いてみたこともあります。
また、ラジオの前で流れてくる良い音楽をテープに録音して
誰かにプレゼントしたことも思い出されます。
この頃でもそんなことをなさるのかわからないですね。
私が幼かった頃だけでも、うん、そういうものを
好きな友達同士あげたりもらったりする象徴的なプレゼントのようなものだったんです。
これからどんなふうに生きていこうか。
また、どんな大学に行って職業は何をするのがいいのか。
どういうのが(=※職業が)いいのか。数多くの思春期の悩みを
ラジオの前で引っ張り出してみたりひっくり返してもみたり。
夜毎本当にたくさんの時間をそんなふうに送っていたように思います。
私の幼い記憶の、本当にたくさんの空間に、情の溢れるDJの声がありました。
今好きな音楽の中にもその時初めて聞いた曲が本当にたくさんあります。
成長して放送をする人になりました。
演技者としてスタートしましたが、いつかはぜひDJになって
マイクの前に座りたいという想いをいつもしていました。
テスト勉強しながら徹夜している誰か。
うん~・・・また、悩みに眠れぬ人たち。
別れて泣いている人たち。
その人たちの胸に暖かい慰めとなって差し上げるような言葉を言ってあげたかったです。
友達のように、また隣の家のオッパのように
たくさんの夜を一緒に送りたかったです。
2004年5月3日が初放送でしたので、
あ~もう1年半・・・が経ちましたね。
いろいろと至らなくて本当にへたくそで、
思うようにうまくできない時がたくさんありました。
でも、本当に幸せな時間でした。
あ・・・パク・ヨンハと共にした1年半の間、うん~、
幼いころ私がそうだったように、暖かな共感を分かち合うことができたとしたら・・・
これ以上望むことはないと思います。
いつかもっと成長した姿で、マイクの前に必ずまた戻ってきます。
※込みあげてくる想いを必死にこらえるヨンハさん
※ちょっと照れ笑い
これまでテンテンクラブをたくさん愛していただきありがとうございます。
チョン・ムンスプロデューサーさん!それから・・・作家さんたち。
ヘニョ、笑 外で見て見てらっしゃいますが、チョンソンヌナ。
それから今外国に留学に行っているキョンヒ、それから・・・
新たに加わったヘジョンも、我らがスタッフ、本当に~感謝いたします。
(※いつも)一緒だったチェバク、私のマネージャーです。
テンテンクラブを今までをたくさん愛してくださったテンテン家族のみなさん、
心から感謝いたします。
ご一緒してくださったみなさん、本当に本当に心から感謝いたします。
私は良い姿でまた戻ってきます。
私ちょっと軽率でしたね。笑
(※↑コメントの途中泣いたことを恥ずかしがってこのように言っています)
さあ、この歌を聞きながら私は・・・締めくくります。
みなさん、今日も美しい夜です。
<曲・期別>
※見るカメラの前にやってきたヨンハさん
※手を振って
※うんうんとうなづき、ヨンハさんはブースを後にしました。
<終了>
一応これにて、テンテン見るラジオの訳は終了となります。
通常ですと、“ノ!チッキョッソ~”の訳をして終了となるのですが、
この日の分の“ノ!チッキョッソ~”は残念ながらUPされませんでした。
ちなみに、OA後にUPされる“選曲表”もこの日の分はありません。
きっと、ヨンハさんとスタッフとで夜を明かすようにして別れを惜しんで、
UPのタイミングを逃してしまったのだろうと思うことにしようと思います^^
ところで、2015希望TVの字幕の訳がまだ途中となっております。
きちんと最後までしないといけないのですが、
しばらくとりかかれそうにありません。
このブログを始めた時と今とでは、
家の事情がまったく異なってしまいました。
今父は人生の最晩年にいます。
途中で申し訳ないのですが、
今はいったんここで区切りとさせていただきます。
再開できる時が来た時にそうさせていただけたらと思います。
本当に本当につたない訳でしたが、今までおつきあいいただきありがとうございました。
みなさんがご健康で、良いことがたくさんありますようお祈りしご挨拶とさせていただきます。
イ・ムンセおじさんがDJだった夜の番組を聞きながら
ひとり笑いをこらえたりもしました。
最近も明け方の放送を続けていらっしゃるチョン・ヨンヒョクさんの番組を聞きながら
よく知りもしない外国のポップソングを心酔しながら聞いたりもしました。
この頃のようにCDや音源から出るなめらかな音ではありませんでした。
ジージーいうレコード盤の音がそのまま聞こえましたので、
音楽を聴く味があったように思います。
好きな女子学生のことを考えながら投稿を・・・書いてみたこともあります。
また、ラジオの前で流れてくる良い音楽をテープに録音して
誰かにプレゼントしたことも思い出されます。
この頃でもそんなことをなさるのかわからないですね。
私が幼かった頃だけでも、うん、そういうものを
好きな友達同士あげたりもらったりする象徴的なプレゼントのようなものだったんです。
これからどんなふうに生きていこうか。
また、どんな大学に行って職業は何をするのがいいのか。
どういうのが(=※職業が)いいのか。数多くの思春期の悩みを
ラジオの前で引っ張り出してみたりひっくり返してもみたり。
夜毎本当にたくさんの時間をそんなふうに送っていたように思います。
私の幼い記憶の、本当にたくさんの空間に、情の溢れるDJの声がありました。
今好きな音楽の中にもその時初めて聞いた曲が本当にたくさんあります。
成長して放送をする人になりました。
演技者としてスタートしましたが、いつかはぜひDJになって
マイクの前に座りたいという想いをいつもしていました。
テスト勉強しながら徹夜している誰か。
うん~・・・また、悩みに眠れぬ人たち。
別れて泣いている人たち。
その人たちの胸に暖かい慰めとなって差し上げるような言葉を言ってあげたかったです。
友達のように、また隣の家のオッパのように
たくさんの夜を一緒に送りたかったです。
2004年5月3日が初放送でしたので、
あ~もう1年半・・・が経ちましたね。
いろいろと至らなくて本当にへたくそで、
思うようにうまくできない時がたくさんありました。
でも、本当に幸せな時間でした。
あ・・・パク・ヨンハと共にした1年半の間、うん~、
幼いころ私がそうだったように、暖かな共感を分かち合うことができたとしたら・・・
これ以上望むことはないと思います。
いつかもっと成長した姿で、マイクの前に必ずまた戻ってきます。
※込みあげてくる想いを必死にこらえるヨンハさん
※ちょっと照れ笑い
これまでテンテンクラブをたくさん愛していただきありがとうございます。
チョン・ムンスプロデューサーさん!それから・・・作家さんたち。
ヘニョ、笑 外で見て見てらっしゃいますが、チョンソンヌナ。
それから今外国に留学に行っているキョンヒ、それから・・・
新たに加わったヘジョンも、我らがスタッフ、本当に~感謝いたします。
(※いつも)一緒だったチェバク、私のマネージャーです。
テンテンクラブを今までをたくさん愛してくださったテンテン家族のみなさん、
心から感謝いたします。
ご一緒してくださったみなさん、本当に本当に心から感謝いたします。
私は良い姿でまた戻ってきます。
私ちょっと軽率でしたね。笑
(※↑コメントの途中泣いたことを恥ずかしがってこのように言っています)
さあ、この歌を聞きながら私は・・・締めくくります。
みなさん、今日も美しい夜です。
<曲・期別>
※見るカメラの前にやってきたヨンハさん
※手を振って
※うんうんとうなづき、ヨンハさんはブースを後にしました。
<終了>
一応これにて、テンテン見るラジオの訳は終了となります。
通常ですと、“ノ!チッキョッソ~”の訳をして終了となるのですが、
この日の分の“ノ!チッキョッソ~”は残念ながらUPされませんでした。
ちなみに、OA後にUPされる“選曲表”もこの日の分はありません。
きっと、ヨンハさんとスタッフとで夜を明かすようにして別れを惜しんで、
UPのタイミングを逃してしまったのだろうと思うことにしようと思います^^
ところで、2015希望TVの字幕の訳がまだ途中となっております。
きちんと最後までしないといけないのですが、
しばらくとりかかれそうにありません。
このブログを始めた時と今とでは、
家の事情がまったく異なってしまいました。
今父は人生の最晩年にいます。
途中で申し訳ないのですが、
今はいったんここで区切りとさせていただきます。
再開できる時が来た時にそうさせていただけたらと思います。
本当に本当につたない訳でしたが、今までおつきあいいただきありがとうございました。
みなさんがご健康で、良いことがたくさんありますようお祈りしご挨拶とさせていただきます。