テンテン大好き

パク・ヨンハさんのテンテンクラブを中心にブログを綴ってみようと思います^^

2005年10月31日 パク・ヨンハのテンテンクラブ見るラジオ 4部 Part3とご挨拶

2017-04-02 15:46:13 | 2005年10月31日
いつからかはわかりませんが、ラジオを本当に熱心に聞きました。
イ・ムンセおじさんがDJだった夜の番組を聞きながら
ひとり笑いをこらえたりもしました。
最近も明け方の放送を続けていらっしゃるチョン・ヨンヒョクさんの番組を聞きながら
よく知りもしない外国のポップソングを心酔しながら聞いたりもしました。

この頃のようにCDや音源から出るなめらかな音ではありませんでした。
ジージーいうレコード盤の音がそのまま聞こえましたので、
音楽を聴く味があったように思います。 

好きな女子学生のことを考えながら投稿を・・・書いてみたこともあります。
また、ラジオの前で流れてくる良い音楽をテープに録音して
誰かにプレゼントしたことも思い出されます。
この頃でもそんなことをなさるのかわからないですね。
私が幼かった頃だけでも、うん、そういうものを
好きな友達同士あげたりもらったりする象徴的なプレゼントのようなものだったんです。

これからどんなふうに生きていこうか。
また、どんな大学に行って職業は何をするのがいいのか。
どういうのが(=※職業が)いいのか。数多くの思春期の悩みを 
ラジオの前で引っ張り出してみたりひっくり返してもみたり。
夜毎本当にたくさんの時間をそんなふうに送っていたように思います。
私の幼い記憶の、本当にたくさんの空間に、情の溢れるDJの声がありました。
今好きな音楽の中にもその時初めて聞いた曲が本当にたくさんあります。

成長して放送をする人になりました。
演技者としてスタートしましたが、いつかはぜひDJになって
マイクの前に座りたいという想いをいつもしていました。
テスト勉強しながら徹夜している誰か。
うん~・・・また、悩みに眠れぬ人たち。
別れて泣いている人たち。
その人たちの胸に暖かい慰めとなって差し上げるような言葉を言ってあげたかったです。
友達のように、また隣の家のオッパのように
たくさんの夜を一緒に送りたかったです。

2004年5月3日が初放送でしたので、
あ~もう1年半・・・が経ちましたね。
いろいろと至らなくて本当にへたくそで、
思うようにうまくできない時がたくさんありました。
でも、本当に幸せな時間でした。
あ・・・パク・ヨンハと共にした1年半の間、うん~、
幼いころ私がそうだったように、暖かな共感を分かち合うことができたとしたら・・・
これ以上望むことはないと思います。
いつかもっと成長した姿で、マイクの前に必ずまた戻ってきます。

※込みあげてくる想いを必死にこらえるヨンハさん

※ちょっと照れ笑い


これまでテンテンクラブをたくさん愛していただきありがとうございます。


チョン・ムンスプロデューサーさん!それから・・・作家さんたち。


ヘニョ、笑 外で見て見てらっしゃいますが、チョンソンヌナ。
それから今外国に留学に行っているキョンヒ、それから・・・
新たに加わったヘジョンも、我らがスタッフ、本当に~感謝いたします。
(※いつも)一緒だったチェバク、私のマネージャーです。
テンテンクラブを今までをたくさん愛してくださったテンテン家族のみなさん、
心から感謝いたします。
ご一緒してくださったみなさん、本当に本当に心から感謝いたします。
私は良い姿でまた戻ってきます。


私ちょっと軽率でしたね。笑
(※↑コメントの途中泣いたことを恥ずかしがってこのように言っています)


さあ、この歌を聞きながら私は・・・締めくくります。
みなさん、今日も美しい夜です。

<曲・期別>

※見るカメラの前にやってきたヨンハさん


※手を振って


※うんうんとうなづき、ヨンハさんはブースを後にしました。


<終了>

一応これにて、テンテン見るラジオの訳は終了となります。
通常ですと、“ノ!チッキョッソ~”の訳をして終了となるのですが、
この日の分の“ノ!チッキョッソ~”は残念ながらUPされませんでした。
ちなみに、OA後にUPされる“選曲表”もこの日の分はありません。
きっと、ヨンハさんとスタッフとで夜を明かすようにして別れを惜しんで、
UPのタイミングを逃してしまったのだろうと思うことにしようと思います^^

ところで、2015希望TVの字幕の訳がまだ途中となっております。
きちんと最後までしないといけないのですが、
しばらくとりかかれそうにありません。
このブログを始めた時と今とでは、
家の事情がまったく異なってしまいました。
今父は人生の最晩年にいます。
途中で申し訳ないのですが、
今はいったんここで区切りとさせていただきます。
再開できる時が来た時にそうさせていただけたらと思います。
本当に本当につたない訳でしたが、今までおつきあいいただきありがとうございました。
みなさんがご健康で、良いことがたくさんありますようお祈りしご挨拶とさせていただきます。

2005年10月31日 パク・ヨンハのテンテンクラブ見るラジオ 4部 Part3とご挨拶

2017-04-02 15:46:13 | 2005年10月31日
いつからかはわかりませんが、ラジオを本当に熱心に聞きました。
イ・ムンセおじさんがDJだった夜の番組を聞きながら
ひとり笑いをこらえたりもしました。
最近も明け方の放送を続けていらっしゃるチョン・ヨンヒョクさんの番組を聞きながら
よく知りもしない外国のポップソングを心酔しながら聞いたりもしました。

この頃のようにCDや音源から出るなめらかな音ではありませんでした。
ジージーいうレコード盤の音がそのまま聞こえましたので、
音楽を聴く味があったように思います。 

好きな女子学生のことを考えながら投稿を・・・書いてみたこともあります。
また、ラジオの前で流れてくる良い音楽をテープに録音して
誰かにプレゼントしたことも思い出されます。
この頃でもそんなことをなさるのかわからないですね。
私が幼かった頃だけでも、うん、そういうものを
好きな友達同士あげたりもらったりする象徴的なプレゼントのようなものだったんです。

これからどんなふうに生きていこうか。
また、どんな大学に行って職業は何をするのがいいのか。
どういうのが(=※職業が)いいのか。数多くの思春期の悩みを 
ラジオの前で引っ張り出してみたりひっくり返してもみたり。
夜毎本当にたくさんの時間をそんなふうに送っていたように思います。
私の幼い記憶の、本当にたくさんの空間に、情の溢れるDJの声がありました。
今好きな音楽の中にもその時初めて聞いた曲が本当にたくさんあります。

成長して放送をする人になりました。
演技者としてスタートしましたが、いつかはぜひDJになって
マイクの前に座りたいという想いをいつもしていました。
テスト勉強しながら徹夜している誰か。
うん~・・・また、悩みに眠れぬ人たち。
別れて泣いている人たち。
その人たちの胸に暖かい慰めとなって差し上げるような言葉を言ってあげたかったです。
友達のように、また隣の家のオッパのように
たくさんの夜を一緒に送りたかったです。

2004年5月3日が初放送でしたので、
あ~もう1年半・・・が経ちましたね。
いろいろと至らなくて本当にへたくそで、
思うようにうまくできない時がたくさんありました。
でも、本当に幸せな時間でした。
あ・・・パク・ヨンハと共にした1年半の間、うん~、
幼いころ私がそうだったように、暖かな共感を分かち合うことができたとしたら・・・
これ以上望むことはないと思います。
いつかもっと成長した姿で、マイクの前に必ずまた戻ってきます。

※込みあげてくる想いを必死にこらえるヨンハさん

※ちょっと照れ笑い


これまでテンテンクラブをたくさん愛していただきありがとうございます。


チョン・ムンスプロデューサーさん!それから・・・作家さんたち。


ヘニョ、笑 外で見て見てらっしゃいますが、チョンソンヌナ。
それから今外国に留学に行っているキョンヒ、それから・・・
新たに加わったヘジョンも、我らがスタッフ、本当に~感謝いたします。
(※いつも)一緒だったチェバク、私のマネージャーです。
テンテンクラブを今までをたくさん愛してくださったテンテン家族のみなさん、
心から感謝いたします。
ご一緒してくださったみなさん、本当に本当に心から感謝いたします。
私は良い姿でまた戻ってきます。


私ちょっと軽率でしたね。笑
(※↑コメントの途中泣いたことを恥ずかしがってこのように言っています)


さあ、この歌を聞きながら私は・・・締めくくります。
みなさん、今日も美しい夜です。

<曲・期別>

※見るカメラの前にやってきたヨンハさん


※手を振って


※うんうんとうなづき、ヨンハさんはブースを後にしました。


<終了>

一応これにて、テンテン見るラジオの訳は終了となります。
通常ですと、“ノ!チッキョッソ~”の訳をして終了となるのですが、
この日の分の“ノ!チッキョッソ~”は残念ながらUPされませんでした。
ちなみに、OA後にUPされる“選曲表”もこの日の分はありません。
きっと、ヨンハさんとスタッフとで夜を明かすようにして別れを惜しんで、
UPのタイミングを逃してしまったのだろうと思うことにしようと思います^^

ところで、2015希望TVの字幕の訳がまだ途中となっております。
きちんと最後までしないといけないのですが、
しばらくとりかかれそうにありません。
このブログを始めた時と今とでは、
家の事情がまったく異なってしまいました。
今父は人生の最晩年にいます。
途中で申し訳ないのですが、
今はいったんここで区切りとさせていただきます。
再開できる時が来た時にそうさせていただきたいと思います。
本当に本当につたない訳でしたが、今までおつきあいいただきありがとうございました。
みなさんがご健康で、良いことがたくさんありますようお祈りしご挨拶とさせていただきます。

2005年10月31日 パク・ヨンハのテンテンクラブ見るラジオ 4部 Part2  

2017-03-27 20:58:15 | 2005年10月31日
はい、イ・ジョンさんの“ナルー ウルジマ”一緒にお聞きいただきました。
あ~、さあ、私たちがご一緒する時間がだんだん・・・
うん、減って行くばかりですが、お、電話がきているということでですね、
電話を1本受けてみようと、うん、思います。
とりあえず電話つながってるんですか?はい、どなたですか?  

※ここからパク・ヒョシンさんとの電話での会話になります。

もしもし?

もしもし~?(※二人 笑)

あ~、パク・ヒョシンさん~!

はい、アンニョンハセヨ。

あ~はい~。

はい~。パク・ヒョシンです。

そうですか~あ~、パク・ヒョシンさん、どういったことで、笑

あ~、あ、どういったことでじゃなくてですね、
パク・ヨンハさんがテンテンクラブ最後のご挨拶をなさるということで、
はい、私が・・・(※ヨンハさんが)とても残念だろうと思って、
私のような者でもちょっとお慰めして差し上げようと、
お電話いたしました。

あ~本当にありがたいですね~。今日はちょっと前にコミ~、チヨンさんも、

あ、電話なさったんですか?

はい、電話が繋がって、1部で電話したんですが、

あ~、はい~。

パク・ヒョシンさん・・・お~、昨日でしたか?昨日昌原での公演が終わりましたでしょう。

はい、楽しい、毎週公演しています。

はい、全国公演なさってますが、今どんな公演が残っているんですか?

あ~今・・・今週大田公演が残っています。

今週大田公演が残ってて?

はい、大田とソウルでアンコール公演が残っています。

来週末に?

再来週に。

再来週末に。

はい~。

アイウ~、でもひと月以上とても大変なツアーをしてらっしゃいますが、

アウ、私よりもパク・ヨンハさんは数年間そんなふうに・・・



テンテンをやってらして。そのほうが大変だろうと思いますが。

はい、私今正直に言うとちょっと憂鬱です~。

でしょう?

うん~。あ~、いきなり・・・だんだんだんだん・・・この、
なんと言いましょうか、波のように(※感情が)ザ~っと押し寄せて来るんですが、
それを落ち着けているんですが、

頭の中でこうたくさん通り過ぎるでしょう?

はい、一年半の間たくさん後悔もありますし、

はい~、あ、でも、

うん。

私が思うにその・・・ヨンハさんがとても忙しいのにも関わらず、テンテン家族のみなさんが
とてもヨンハさんが(※皆さんのことを)愛してらっしゃることをわかっててですね、
私が以前ちょっとその・・・ピンチヒッターで(※テンテンのDJの席に)いたじゃないですか?

そうですよ~!

はい!

私の番組を共にしてくださったんです。

その席がプレッシャーでした。(※二人 笑)

パク・ヒョシンさんも忙しい公演が終わったら、こういうふうに・・・DJ・・・の席で、
なさったらすごくふさわしいと思うんですが、考えてみてください。

あ~、ソレは、そもそもですね、そもそもヨンハさんの席を奪おうと
ちょっと欲を出したんですが、笑

うん、それに噂ではパク・ヒョシンさんも次の・・・テンテンの(※DJの)席に取り沙汰されたんですが、

はい?!笑

パク・ヒョシンさんが、お・・・今は時ではない、今は音楽がいい、
こんなふうに言ったという裏話を聞きました。



え?

あ、私はいつも未熟な人間なのでですね、とても未熟で。笑

パク・ヒョシンさんがなさっても、本当に・・・良かったでしょうに。残念ですね。

アイウ、私はとても幸いだったと思ってるんですよ。

なんでですか。

ヨンハさんの後を継ぐ自信なかったんですよ。

笑 はい、とにかく、私たち一年半の間、本当にたくさんのことがありましたが、
テンテンを通してパク・ヒョシンさんに出会いました、最初は、とりあえず。

ですよね!

はい。

あ、私もその、パク・ヨンハさんが初めて司会し始めてからいくらも経ってないときに
私が始めて、またこうして、一緒に、横にはいませんけれども、でもこんなふうに
電話ででもご挨拶することができて、最後まで、ご挨拶できて、
嬉しいです、一方では。

とりあえずはこのテンテンを通して二人といない兄・弟の仲になれたことも
本当に嬉しいですが、また最後はこうして電話までしてくださって、うん!
とてもありがたいですね。

あぅ、そんなことないです。残りの時間良い時間を過ごしてください。
私とあんまり長く電話なさったら、テンテン家族のみなさんが
物足りなくお感じになるかもしれないですよ。

うん~。



今それから、イ・ジョンさんも、歌手イ・ジョンさんも
電話をするとのことだったそうなんですが、
今録画のスケジュールが忙しくて、
タイミングがちょっと合わないですね。

あ~私は今ヒマです。

パク・ヒョシンさんはすごくおヒマなようです。

はい~!私公演が終わってとてものんびりと休んでいまして。

うん。実は我々昼電話したじゃないですか。

はい。笑

はい。釜山から今出発したとのことでしたが、

そうです、ハイ。

うん、(※公演を終えてヒョシンさんの気持ちが)すっきりだったでしょうね。

あ、私実はですね、私はその、10時40分から待機していました。

あ~そうなんですか?

はい。

あ~そうなんだ。

その時間だと思ってて。

さあ、とりあえずパク・ヒョシンさん、うん・・・とてもありがたくて~、

アイ、そんなことないですよ。

はい~次のパク・ヒョシンさんのアルバムがリリースの時にも私がこの席に座ってて、
“あ、パク・ヒョシンさんの新しいアルバムが出ましたね”という言葉を言いたいのに、

はい、あ、私もそれがとても残念です。

そういうふうにしてあげられなくてとても・・・うん・・・残念で申し訳なくて、

はい、ヨンハさんがいらっしゃる時一度くらいまた出るでしょうけど。

うん~。



これまで・・・いろいろサポートしてくださってありがたくて、
これからもパク・ヒョシンさんは残りの公演を頑張ってください!

はい~!

これからも韓国の、最高の歌手・・・
もちろん今まさにいらっしゃいますが、その座に、

あ~ありがとうございます・・・

さらに天高く、さらなるご発展を願っています。

あ、パク・ヨンハさんもですね、あ・・・ちょっとだけ気楽に話してもいいですか?

あ、いいですよ!

はい、ヨンハヒョン!笑

笑 尊称使うからすごくしんどい。


あ、すごい、すごいしんどかった僕~。



いやヒョン、あ~・・・僕が思うには・・・
ヒョンはこれからたくさんのファンに良い姿を見せることができるだろうと、
(※そういう)機会になるだろうから、
またこれからたくさんの良い仕事でご挨拶するという考えでヒョンは旅立つわけだから、
はい、とても安らかで良い心で、他の方に(※この席を)譲られたらと思います。

そうですね!最後まで良いことをいってくれてとてもありがたくて、
ヒョシンさんは、うん~締めの公演頑張ってください。

はい。

あとでまたプライベートで会うことにしましょう、
今日はありがとうございました。

はい、お元気で。

はい~。パク・ヒョシンさんでした、はい。
さあ今流れている曲はですね、うん・・・
プルンハヌルの曲です、すごく良い・・・ナレーションでしょう?
“サラン クデロエ サラン”。

<曲>

2005年10月31日 パク・ヨンハのテンテンクラブ見るラジオ 4部 Part1  

2017-03-18 21:06:03 | 2005年10月31日
はい、パク・ヨンハのテンテンクラブ、はい、もう、あ~投稿をご紹介する時間ですが、
もともとは、<パク・ヨンハのI like Popsong>の時間じゃないですか。
今日はみなさんが最後を記念するために、メールや投稿をたくさん送ってくださいまして、
とりあえず投稿をご紹介いたします。
(※以下フルネームで紹介される場合も多く、日本の方のお名前は伏せ字とさせていただきます)

日本から○○さんが、
“ヨンハさん アンニョンハセヨ。DJお疲れ様でした。
いつもヨンハさんの声を聞くことだけでも幸せでした。
これからの活躍を期待しています。サランヘヨ~”
とのことです。ありがとうございます。

○○さん、はい、名前が本当に難しいですね。
“ヨンハさん今日も美しい夜ですね。
これまでカッコイイ姿を見せてくださってありがとうございます。”
と送ってくださいまして、

○○さん、
“DJの声を聞けるのは今日が最後の日。本当にお疲れ様でした。
今日も美しい夜に終わることを祈っています。”
美しく終われ、ということなのでしょうね。

それから○○さんがですね、
“声も語り口も笑い方もとても魅力的なDJでした。
ゲストや電話の相手への配慮も素晴らしかったです。
約1年半、毎日美しい夜をありがとうございました。
またいつかDJパクに会いたいですね。”
と送ってくださいました。
あ、この・・・最後と思いながらこんなふうに・・・投稿を読むので、
すごく気分が変なんですが?笑

次に○○さんがですね、
“DJパク卒業おめでとうございます。”とのことですね。
卒業ではなくて~笑 最後の放送なんですが。
“ヨンハさんと送った・・・2時間は本当に楽しい時間でした。
新たな出発ですね。これからもずっと応援していますね。
テンテンのスタッフのみなさん、ありがとうございました。
いろいろヨンハさんを見せてくださり、ありがとうございました。
DJパク!最高でした。”と送ってくださいまして、

あ、○○さんはですね、
“本当にありがとうございました。別れは新たな出会い。
今後の活躍も期待しています。
今夜は一番・・・思い出の夜になると思います。
本当に良かったです。今日も美しい夜ですね。”と送ってくださいました。

それから、お、みんな「卒業」という単語をお使いになるんですね?
はい、○○さん?はい、○○さん。
“DJヨンハ!卒業おめでとうございます。テンテンで1年6ケ月、
長いと言えば長くもあるし、短いと言えば短くもありますが、
テンテンのおかげで、韓国の歌謡をたくさん学びました。ありがとうございました。”
とのことです。お、テンテンがこれまでそれでも・・・
海外のみなさんにたくさんの韓国の歌手の方々の姿を
見ることのできる場でしたので、そういった点も私にとっては
誠に意味があったのではないかと思います、はい。

○○さんはですね、
“ヨンハさんのおかげで韓国語の勉強をする楽しみを学びました。
ラジオの全ての内容はほとんど分かりませんが、
でも時々知っている言葉が出て、嬉しくもあり、
ずっとこれからも韓国語の勉強をしたいという思いになりました。
明日から毎日聞けなくなることは、寂しいですが、これまでお疲れ様でした。”
と送ってくださいました。さあ、それでは○○さん、○○さん?

“DJパク・ヨンハさん、そしてテンテン家族のみなさん、
言葉では到底言い尽くせませんが、幸せな時間をありがとうございました。
大好きなパク・ヨンハさんのテンテンクラブの時間が本当に楽しかったです。
忘れません、ありがとうございました。”と○○さんが送ってくださいました。

ではそれから次の投稿はですね、うん・・・○○さん、
“DJパク・ヨンハさんは最高!万歳!”笑 とのことです。
“ヨンハさんのおかげで、K-POPの素晴らしさ、韓国語の魅力も知りました。
もちろん何よりヨンハさんの魅力が伝わってきました。
暖かくて、ユーモアがある話で、演技や歌以外のMCとしての実力が
どんどん強くなるのを見ました。明日の夜10時から12時はどのように過ごされるんですか?”
と送ってくださいました。そうですねぇ、明日・・・から・・・明日の10時から12時、あ、
その寂しさをどのように言葉で・・・全て言えましょうか、私が・・・もしかして明日・・・
SBSに来てうろついたとしても、私のことを追い出さないでいただければと思います。笑

さあそして○○さんはですね、
“ヨンハさんDJお疲れ様でした。残念ですが、言葉を理解することはできませんが、
毎晩PCから聞こえるヨンハさんの声に癒されていました。
今まで本当にありがたかったです。これからもずっと応援します。
ヨンハさんの今後のご長寿と、”笑“活躍を祈ります。
SBSのスタッフの皆さん、楽しいラジオ番組を作ってくださってありがとうございました”
このように送ってくださいまして、ここまでは日本の方々が送ってくださった投稿でした。
(※↑ヨンハさんが笑ったのは、「ご長寿」と訳したところの原語が
「万寿無窮」という、寿命が限りないという意味の言葉で、
お年寄りに対して言うことはあっても、若い人には言わない言葉のためです。)


韓国の方々が送ってくださった投稿はですね、ソン・ジュヨンさん、はい、

“DJパク・ヨンハさま、今日も美しい夜です。辛い一日のストレスを
テンテンを聞いて思い切り笑って泣いて吹き飛ばせていたのですが、
それは誰でもないヨンハさまだから可能だったことご存知ですよね?
もうヨンハさまの最後のテンテンクラブの放送だという残念な言葉に、しきりと涙がでますね。
ヨンハさんと共に素敵な放送を最初からご一緒してくださったスタッフのみなさんと
愛聴者のみなさんにも首を垂れ感謝いたします。
私にいつも喜びを与えてくれて癒してくれた
テンテンクラブのDJパク・ヨンハさんに感謝いたします。
リクエスト曲、”と“チョウム グナル チョロム”をリクエストしてくださったのですが、
さっき初めに~、お・・・私がお聞かせいたしました。
それから最後にですね、イ・ソンヒさん、

“今ヨンハオッパの気持ちがどうなのか、最後という言葉が寂しい限りですね。
心が乱れて、このように勤務時間中にちょっと文を残します。
今までカッコよくDJの座を守ってくださったヨンハさま、最後までファイテインです。”
とイ・ソンヒさんが送ってくださいました。
さあ、このように~投稿をご紹介いたしました。
歌を一曲お聞かせいたします。イ・ジョンさんの歌です。“ナルー ウルジマ”。

<曲>

2005年10月31日 パク・ヨンハのテンテンクラブ見るラジオ 3部 Part3  

2017-03-11 22:10:41 | 2005年10月31日
※リンさんの歌中帽子を引っ張るヨンハさん^^


はい、リンの“サランエ アッパボンジョギ インナヨ”を聞きました。
さあ、今日は最後のこの場をご一緒しましたが、ハイ、いかがでしたか、これまで。
まあ、“いかがでしたか”と言うよりも、楽しかったです!

ひ・!

す・お~・・・

ご一緒して。

ひ・あ、今、今最後の・・・

はい、もう締めくくらないとなりません。

ひ・締めないとならないんですか?わぁ~~・・・

す・この時間がずっと続くと思ってたのに・・・

ひ・いえ実は私どももとても残念な気持ちが大きくて~。

す・はい。

うん・・・

ひ・できる限りそういう残念さを隠そうともう、

うん、うん。

ひ・楽しく、

す・そうですよ。

ひ・しようと努力しようと思ったんですが、あ、長い時間ではありませんでしたけど、
テンテンクラブをやって、自分なりに情がとても移ったんですが、残念です、本当に、はい。

そうですか、キム・ヒョジンさんとキム・スクさんと、

す・はい!

いつも・・・至らぬDJのために楽しくしてくださいまして、

す・アイゴ!

ひ・エ~イ、アイゴ・・・

す・何を、至らぬ我々ゲストのために~、我らがMCさんが、(一同 笑)

キム・ヒョンジュンさんも~、

き・はい~。

久しぶりに・・・最初と最後をご一緒してくださったんですよ。

ひ・!

す・や~!

き・そうですね。

す・お~、○×△。

ひ・わ~とても意味がありますね。

うん~・・・

き・私も、そういう意味もありますし、それにパク・ヨンハさんと番組を一緒にやって、
すごく嬉しかったです。

す・あ~・・・

うん、情がとても移って・・・

す・でも私はこれをやりながら、パク・ヨンハさんはすごく冷たい人だと思ってたんです~、

ひ・私も!

き・うん、そうでしょう!

ひ・はい!

す・そうでしょう!冷たいと思ってたんですけど、

き・そうです!

ひ・パク・ヨンハさんの新たな面を見れて、

す・すごく暖かいでしょう。

ひ・それが私にはとても大きな収穫で、

す・そうです。

ひ・またこんなふうに知り合いに・・・良き弟を得られたということが、

そうですか。

ひ・はい、お~うれしいですね。

お~いまだに、

す・だけどパク・ヨンハさんはそう思ってないみたいだけど。

ひ・そうね~。

す・○×△。

ひ・笑

あ、いまだに、いまだに、くだけて話せずにいますが、
それでも、こういうふうに縁があれば、良い縁があれば、

ひ&す・そうですよ。

近いうちにまた良い姿で会えることでしょう。

す・今度ぜひちょっとプライベートで会いましょう、だから、

今最後の曲が流れていますが、はい、これまで楽しかったです。
本当にありがとうございました。

ひ・パク・ヨンハさん、本当にお疲れ様でした~。

す・疲れ様でした~。

ヒョンジュンヒョン、最初と最後をご一緒してくださってありがとうございます。

き・そうですね、お招きいただいてありがとうございます。

アルバムうまくいきますように。

き・はい、ドラマ頑張って。

その時(※=アルバムリリース時に)ご一緒しなきゃならないのに残念だ、ハイ。

す・あ、みなさんもまた今度ぜひお会いしましょう。

楽しかったです。それでは最後にReplayの“クレド サラヤジョ”をお聞きいただいて
最後の時間を締めくくります。さようなら!(※各自挨拶)



<曲>

<CM>

3部終了