11月13日は、『GINZA』の岡村靖幸さんの連載対談「結婚への道」にお呼ばれしました。
20年来の大ファンなので、大変、緊張しました。
(並んで写真を撮ったわたしの顔が緊張で固くなっている。そして10kg増を1年間もキープしてしまっているわたしの顔の丸ささと言ったら……)
あの岡村ちゃんと、穏やかに、じっくりと、恋愛や結婚や仕事についての話をすることが出来たなんて、夢のようです。
2012年に再発売された「岡村ちゃん」の記念すべきファーストアルバム『yellow』のライナーノーツに書いたわたしの文章をここに転載します。
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岡村靖幸は1965年に生まれ、わたしは1968年に生まれた。
彼が渡辺美里や吉川晃司に楽曲を提供していたころ、私は「東京キッドブラザース」でミュージカルを踊ったり歌ったりしていた。
彼がソロデビューしたのは1986年、わたしはその1年後に「青春五月党」という演劇ユニットを旗揚げした。
わたしは岡村靖幸と同じ時代を生き、生き辛さのほうもイヤというほど味わった。
むかし流行った歌を聴くと、そのころの自分や出来事などを思い出し、歌とともに懐かしさが流れ、感傷に包まれるものだが、岡村靖幸の曲を聴いても、そうはならない。
流行歌はあっという間に消費される。
メッセージソングはやがて古くなる。
なかには普遍性を獲得して時代を超える歌もあるが、普遍性という安全圏のなかに一歩足を踏み入れると、危うさや毒気はきれいに拭い去られてしまう。
岡村靖幸の歌は、何年経っても懐メロにならない。歌詞、メロディ、ステージ上のパフォーマンス――、すべてが驚くほど新しく、ぞくぞくするほどセクシーでスリリングで、痛烈だ。
高度経済成長期に子ども時代を過ごし、バブル期と青春期が重なり、おとなになったときにバブルが弾けた――、
赤ん坊から老人まで、命ある者もない者も消費者として見做されて欲望のターゲットとなり、欲望の海に突き落とされ、欲望を泳ぎ切らなければ、欲望に溺れるしかなかった時代――。
しかし、岡村靖幸の歌は、重さや暗さや苦しさを感じさせない。
あの時代に吹き荒んで、いまも吹き止む気配を見せない欲望の風に乗って、青空の彼方で炸裂する風船爆弾のように、危険で、軽やかだ。
どぉなっちゃってんだよ 人生がんばってんだよ
一生懸命って素敵そうじゃん
どぉなっちゃってんだよ 人生がんばってんだよ
ベランダ立って胸をはれ
岡村靖幸の歌には、ひとは希望によって支えられ励まされるのだという迷信がない。
どんなに軽やかなリズムに乗ってステップを踏んでいても、その足もとには絶望の勾配が見える。
日々更新される絶望にそそのかされ、生きることから腰を浮かし、絶望への坂道をたった独りで下りて行かなければならない者にとって、岡村靖幸の歌は外界から流れてくる歌ではない。自分の内面で響く歌なのだ。
わたしは彼が、なにをやろうが、だれとの約束を破ろうが、そんなことはどうでもいい、と思っている。
挫折と絶望の陰影のなかで新しい歌をうたいはじめた岡村靖幸を、わたしは全面的に支持する。
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わたしが「岡村ちゃん」の曲で特に好きなのは、「どぉなっちゃってんだよ」「(E)na」「ステップUP↑」「ハレンチ」「セックス」などの、目を開けていられないほどの強い風圧を感じる曲で、今も自分に向かっていかなければならない時に、大音量で流します。たとえば、マラソンのレースにエントリーする時や三千メートル級の山を登る時や、新しい小説を書く時にーー。
(提供曲では、川本真琴の「愛の才能」とCHARAの「レモンキャンディ」と一青窈の「Lesson」が好きで、今日も猫の毛を梳きながら聴きました)
最近は、散歩や買物に出る時に歩きながら、2011年に発表された「BU-SHAKA LOOP」を口ずさんでいることが多いです。ぶーーー ぶーしゃからか ぶーーー……
「岡村ちゃん」の歌は、いつもわたしの無意識の領域まで食い込んできます。
そんな歌を作り歌うひとは、ほんとうに数えるほどしかいません。
来年4月6日から始まる「岡村靖幸LIVE TOUR 2014」を楽しみにしながら、自分の仕事を進めます。
岡村ちゃんとお話しできて、ほんとうに、よかった。
お互い、死ぬまで、歌って、書きましょう!
あともう15分で この街とお別れしなくちゃ
窓の外からパパとママが手を振っている
寂しくて悲しくてつらいことばかりならば あきらめてかまわない
大事なことはそんなんじゃない
青春って1, 2, 3, ジャンプ 暴れまくってる情熱
青春って1, 2, 3, ジャンプ あの娘だけの汗まみれのスター
「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」
作詞・作曲・歌 岡村靖幸