少女の異常な行動は、少女の近くにいるクラスメートや、担任の先生、もっと広げれば、隣り合った教室の生徒、小学校の先生達。もっと範囲を広げれば、口伝えのうわさ話は、かなり広範囲にまで伝わっているかもしれなかった。
ただ、まだニュースになったり、電子媒体になって人々の間に知れ渡っている、という状況ではなかった。
もっと勘ぐれば、これからなのかもしれなかったが、一番そばにいるだろう母親は、そのような動きがあるとは、ひと言も話さなかった。人目につくことは避けたい、といった母親なら、嘘をついているはずもなかった。
思わぬ存在がいることがわかり、アマガエルは、困ったように頭を掻いた。
肌寒い木枯らしが、街路樹の散り落ちた落ち葉を揺らして、アマガエルの足元を吹き過ぎていった。
寒っ……。
季節に合わないシャツ一枚のアマガエルは、思わず肩をすぼめた。
と、風に吹かれた落ち葉が飛ばされたあと、大きく顔を出した硬い歩道が、ちらりと目に入った。
なにが気になったのか、はじめは自分でもよくわからなかった。しかし、立っている場所をわずかに変えると、光の加減によって、なにか細い、線のような物が引かれているのがわかった。
近所の子供達の落書きでは、とすぐに思い浮かんだが、遊びで書かれた感じではなかった。もっと幾何学的で、複雑な模様のようにも見えた。
そこで、アマガエルは、はっと息を飲んだ。
どんな筆記具で書かれたものかもわからない、その絵のような物は、自分が職業としている僧侶に近い、加持祈祷や、もしかすると、呪術の方がしっくりくるのかもしれなかった。もし、いたずら書きではないとすれば、これを書いたのは、それらの知識を持った人間に、間違いなかった。
だとすれば、これを書いた人間は、この場所を、どこかで観察しているはずだった。
今さらだが、アマガエルは、誰かと待ち合わせているのを装い、手持ちぶさたに腕時計を見ながら、時折遠くを見やった。
足元に書かれた線は、奇妙なことに、靴底でこすっても、にじむどころか、ましてや消すこともできなかった。
それならば、と、試しに経典の中に書かれた呪文の部分を、いくつか思い出して唱えてみた。破邪の言葉やら、魔物よけとか伝えられる言葉を、覚えている限り試してみたが、まるで効果がなかった。
もっとも、知っているというだけで、摩訶不思議な呪術の修行など、したことがなかった。実際に効果があるとしても、それじゃ成果を出すのは無理に違いない、と、アマガエルは恥ずかしそうに、笑顔を浮かべた。
「――しかたないな」
と、わざと声に出して言ったアマガエルは、歩いて、小学校に戻ることにした。
今朝と同じように小学校の門を通り過ぎようとすると、一人の女の子が、小走りに玄関を出てくるのが見えた。
あと1時間もすれば、今日の授業はすべて終わるはずなのに、と思って見ると、キクノさんの孫の、恵果ちゃんに違いなかった。
アマガエルは、すぐにピンときた。早退の理由は、おおかた、大量の羽根アリが発生した原因が、自分の仕業と疑われたので、居心地が悪くなったため、なのだろう。かわいそうに。
アマガエルは、あとをつけていると気取られないため、校門をいくらか通り過ぎ、少女が少し離れたところで、向きを変えた。
どうして急いでいるのか、少女は同じ小学生がいない通りを、息を切らせながら、ぐんぐんと先に進んで行った。
グラウンドに現れた羽根アリの大群は、夕暮れてきた空の向こうに飛び去っていったが、物珍しい光景に目を奪われた大人達が、何人か空の向こうを見て、目を細めていた。
と、再び、奇妙な模様が描かれていた場所に来て、アマガエルは足を止めた。
書いた人間が、その様子を見ているかもしれなかったが、そんな視線など、気にしている場合ではなかった。
さきほど、靴でこすっても消えなかった線が、跡形もなく消え去っていた。
自分が立ち去ったあとは、ほかの誰も、ここを通ってはいないはずだった。
恵果ちゃんが一人、走り去っていっただけだった。
目を凝らして見ても、道路に書かれていた線は、多少の痕跡すらも、まったく残っていなかった。
――やはりあれは、なにかの呪術に違いない。
少女が狙われていた、と考えるのは、早急に過ぎるかもしれない。しかし、グラウンドに群れ出た羽根アリと、走り過ぎていった訳ありの少女とを考えると、やはり関係がないとは、言い切れなかった。
アマガエルは、ゆっくりと少女のあとについていった。
少女の背中は、小さいが、つかず離れず、視線の中に入っていた。
と、ぞくりとした、痛いほどの視線に気がついた。
小学校の屋上で感じた、気味の悪い視線と、同じものだった。
その視線は、少女のあとについていくアマガエルのあとを、やはり追いかけてきていた。
「――」
と、アマガエルは歩きながら、わざと後ろを振り返らず、あとをつけてくる視線の主に、注意を払っていた。
少女が、無事に家の中に入ったのを確認すると、アマガエルは立ち止まり、携帯電話を手に取って、後ろを振り返った。
「前」
「次」
ただ、まだニュースになったり、電子媒体になって人々の間に知れ渡っている、という状況ではなかった。
もっと勘ぐれば、これからなのかもしれなかったが、一番そばにいるだろう母親は、そのような動きがあるとは、ひと言も話さなかった。人目につくことは避けたい、といった母親なら、嘘をついているはずもなかった。
思わぬ存在がいることがわかり、アマガエルは、困ったように頭を掻いた。
肌寒い木枯らしが、街路樹の散り落ちた落ち葉を揺らして、アマガエルの足元を吹き過ぎていった。
寒っ……。
季節に合わないシャツ一枚のアマガエルは、思わず肩をすぼめた。
と、風に吹かれた落ち葉が飛ばされたあと、大きく顔を出した硬い歩道が、ちらりと目に入った。
なにが気になったのか、はじめは自分でもよくわからなかった。しかし、立っている場所をわずかに変えると、光の加減によって、なにか細い、線のような物が引かれているのがわかった。
近所の子供達の落書きでは、とすぐに思い浮かんだが、遊びで書かれた感じではなかった。もっと幾何学的で、複雑な模様のようにも見えた。
そこで、アマガエルは、はっと息を飲んだ。
どんな筆記具で書かれたものかもわからない、その絵のような物は、自分が職業としている僧侶に近い、加持祈祷や、もしかすると、呪術の方がしっくりくるのかもしれなかった。もし、いたずら書きではないとすれば、これを書いたのは、それらの知識を持った人間に、間違いなかった。
だとすれば、これを書いた人間は、この場所を、どこかで観察しているはずだった。
今さらだが、アマガエルは、誰かと待ち合わせているのを装い、手持ちぶさたに腕時計を見ながら、時折遠くを見やった。
足元に書かれた線は、奇妙なことに、靴底でこすっても、にじむどころか、ましてや消すこともできなかった。
それならば、と、試しに経典の中に書かれた呪文の部分を、いくつか思い出して唱えてみた。破邪の言葉やら、魔物よけとか伝えられる言葉を、覚えている限り試してみたが、まるで効果がなかった。
もっとも、知っているというだけで、摩訶不思議な呪術の修行など、したことがなかった。実際に効果があるとしても、それじゃ成果を出すのは無理に違いない、と、アマガエルは恥ずかしそうに、笑顔を浮かべた。
「――しかたないな」
と、わざと声に出して言ったアマガエルは、歩いて、小学校に戻ることにした。
今朝と同じように小学校の門を通り過ぎようとすると、一人の女の子が、小走りに玄関を出てくるのが見えた。
あと1時間もすれば、今日の授業はすべて終わるはずなのに、と思って見ると、キクノさんの孫の、恵果ちゃんに違いなかった。
アマガエルは、すぐにピンときた。早退の理由は、おおかた、大量の羽根アリが発生した原因が、自分の仕業と疑われたので、居心地が悪くなったため、なのだろう。かわいそうに。
アマガエルは、あとをつけていると気取られないため、校門をいくらか通り過ぎ、少女が少し離れたところで、向きを変えた。
どうして急いでいるのか、少女は同じ小学生がいない通りを、息を切らせながら、ぐんぐんと先に進んで行った。
グラウンドに現れた羽根アリの大群は、夕暮れてきた空の向こうに飛び去っていったが、物珍しい光景に目を奪われた大人達が、何人か空の向こうを見て、目を細めていた。
と、再び、奇妙な模様が描かれていた場所に来て、アマガエルは足を止めた。
書いた人間が、その様子を見ているかもしれなかったが、そんな視線など、気にしている場合ではなかった。
さきほど、靴でこすっても消えなかった線が、跡形もなく消え去っていた。
自分が立ち去ったあとは、ほかの誰も、ここを通ってはいないはずだった。
恵果ちゃんが一人、走り去っていっただけだった。
目を凝らして見ても、道路に書かれていた線は、多少の痕跡すらも、まったく残っていなかった。
――やはりあれは、なにかの呪術に違いない。
少女が狙われていた、と考えるのは、早急に過ぎるかもしれない。しかし、グラウンドに群れ出た羽根アリと、走り過ぎていった訳ありの少女とを考えると、やはり関係がないとは、言い切れなかった。
アマガエルは、ゆっくりと少女のあとについていった。
少女の背中は、小さいが、つかず離れず、視線の中に入っていた。
と、ぞくりとした、痛いほどの視線に気がついた。
小学校の屋上で感じた、気味の悪い視線と、同じものだった。
その視線は、少女のあとについていくアマガエルのあとを、やはり追いかけてきていた。
「――」
と、アマガエルは歩きながら、わざと後ろを振り返らず、あとをつけてくる視線の主に、注意を払っていた。
少女が、無事に家の中に入ったのを確認すると、アマガエルは立ち止まり、携帯電話を手に取って、後ろを振り返った。
「前」
「次」