今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

鰹節の日

2006-11-24 | 記念日
今日(11月24日)は、「鰹節の日」
食品メーカー・ヤマキが制定。「い(1)い(1)ふ(2)し(4)」の語呂合せだとか。
鰹節(かつおぶし)は、カツオを原料とする日本の保存食品。
基本的には魚体を三枚以上におろし、「節」(ふし)と呼ばれる舟方に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。
加工工程の差異によって、鰹を茹で干したもの(なまり節)、それを薫製にしたもの、さらに黴(カビ)を生やしたものがある。通常よく知られている鰹節は黴まで生やしたものであるが、広くは何れも鰹節と呼ぶ。「鰹節」の称は薫製法ができる江戸時代以前から既に用いられていた。うま味成分のイノシン酸を多量に含有し、調味料として好んで用いられる。ビタミンB群など栄養分を豊富に含む。
カツオ自体は古くから日本人の食用となっており、約8000年前の縄文時代に青森県八戸遺跡でのカツオ遺骨が発見されているそうだ。5世紀頃には干しカツオ(堅魚)が造られていたようだが、これらは現在の鰹節とはかなり異なった干物に近いものだったようである。
飛鳥時代の701年には大宝律令・賦役令により、この干しカツオなど(製法が異なる「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」に分類されている)が献納品として指定されているという。
「堅魚」とはカツオを干し固めた物。「煮堅魚(にかたうお)」とは、カツオを煮てから干し堅めた物。「堅魚煎汁(かたうおいろり)」とは、煮汁をさらに煮詰め調味料とした物だそうだ。
兎に角、カツオは、足の早い魚なのでこのような処理をしたものを献上していたのだろう。又、「カツオ」の語源はこの堅魚から来ているようである。しかし、この時代は、中でも堅魚煮汁が料理に使う調味料としてもっとも重要視されていたようだという。
平安時代には、堅魚や煮堅魚、堅魚煮汁を貢納する国が指定されており、堅魚は、伊豆、駿河、志摩、相模、安房、紀伊、阿波、土佐、豊後、日向から。また、煮堅魚は、駿河から。堅魚煮汁は、駿河、伊勢から貢納されたという。
干しカツオ(堅魚)は神饌(しんせん)の一つとして使われたり、また、建築物の上棟式にも使われたりしていたようで、社殿の屋根にある鰹木(かつおぎ)の名称も、鰹節に似ていることによるようだ。カツオが古くから縁起の良い格式高い魚であった事は間違いない。
鎌倉時代になると、吉田兼好が「徒然草:第百十九段」には、”鎌倉の海に、鰹(カツヲ)と言ふ魚は、かの境(サカ)ひには、さうなきものにて、この比(ゴロ)もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄(トシヨリ)の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭(カシラ)は、下部(シモベ)も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。 かやうの物も、世の末(スヱ)になれば、上(カミ)ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。”( 以下参考の「徒然草」より)・・と書いている。
要約すると”鎌倉の海でとれる鰹という魚は、その地方では上等なものとして、最近珍重しているが、鎌倉の古老は、「この魚は、我々の若かった頃までは、れっきとした人の食前に出ることはありませんでした。頭はいやしい者も食わず、切り取って捨てたものです。」と申していた。こんな下等なものも、世が末になると、上流社会まで入り込むのである。”・・・となるので、あろうが、ここに書かれているのは、干しカツオではなく、生のカツオのことだろう。生のカツオだとしたら、腐敗からの中毒を心配して、鎌倉武士が余り食べなかったことは理解できる。
その後、戦国時代の1537(天文6)年になると、北条早雲の長男である氏綱(うじつな)が小田原沖で鰹釣りの見物をしていた折、一匹のカツオが氏綱の舟に飛び込んだ。これを見て「戦に勝つ魚(カツオ)が舞い込んだ」と喜び、そのカツオを肴(さかな)にした。その後、出兵した武州の戦で大勝利を収めたことから、この話が段々と伝わり武士の間で縁起の良い魚として出陣の祝膳に必ず供されるようになったと言う。生のカツオを食べることの復活と言うことになるのか。
現在の鰹節に比較的近いものが出現するのは室町時代であり、戦国時代には武士の縁起かつぎとして、鰹節を「勝男武士」と漢字をあてることがあったとも。
1489(延徳元)年のものとされる「四条流包丁書」の中に「花鰹」の文字があり、これはカツオ産品を削ったものと考えられることから、単なる干物ではない、かなりの硬さのものとなっていたことが想像できるという。
薫製法が確立したのは江戸時代である。紀州(熊野)の甚太郎という人物が薫製で魚肉中の水分を除去したことに始まった。、また、焙乾(薫製)した鰹節(荒節)の表面を削り(裸節)何度も黴(カビ)を生やして熟成させ、水分を抜き乾燥させると共に雑味成分の分解を促して旨味を増す技法が発達していった。これを荒節に対して枯節というが、この枯節は紀州(熊野)の土佐与一(とさのよいち)という人物が製法を広めたことに始まるとされている。うま味成分やビタミン類が他の鰹節より多く含まれ、高級品として扱われ、中でも、数ヶ月にわたって4回以上のカビ付けを行った高級品は本枯節と呼ばれるそうだ。
以後、薩摩や土佐、阿波、紀伊、志摩、伊勢、伊豆など太平洋沿岸のカツオ主産地で多く生産された。江戸期には国内での海運が盛んになり、九州や四国などの鰹節も江戸に運ばれるようになった。
江戸時代には、人々は初鰹を非常に珍重し、山口素堂の俳句「目には青葉 山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお)」は有名な句である。このように、初鰹を題材とした俳句や川柳が数多く作られている。但し、水揚げが多くなる夏と秋が旬(つまり安価かつ美味)であり、産地ではその時期のものが好まれていた。江戸で初鰹が珍重されたのは「」に依るところが大きい。
鰹を三枚におろした物を亀節、三枚から背と腹におろした物を本節、本節の中でも背側を使ったものを雄節(または背節)、腹側を使ったものを雌節という。
思い起こせば、私が子どもの頃には、各家庭に「鰹節削り器」があり、鰹は節のものを買ってきて、使用する直前に鰹節を削っていた。しかし、今では、節の状態で売られることは少なく、チップ状に削られたものが窒素を入れた気密パックの状態で売られているのが普通になった。一般的な料理では「花かつお」とも呼ばれる「荒節」を削ったものを出汁によく使うが、高級料亭などは「枯節」を使うところが多い。
カツオは、日本近海では、黒潮にのって(特に太平洋側に)桜前線のように北上してやって来る。それぞれの港では、夏の到来を告げるその年初めてのカツオの水揚げを「初鰹」(はつがつお)と呼び、珍重される。当然、初鰹は港によって時期がずれているが、食品業界では漁獲高の大きい高知県の初鰹の時期を「初鰹」としており、消費者にも浸透している。カツオは、黒潮と親潮とがぶつかる三陸海岸沖辺りまで北上した後、秋にかけて親潮の勢力が強くなると南下し始める。南下したカツオは「もどり鰹」と呼ばれ、低い海水温の影響で脂がのっており、北上時とは異なる食味となる。もどり鰹の時期も港によってずれがあるが、一般的には秋の味として受け入れられている。南洋での遠洋漁業は1年中行われ、日本では高知県および鹿児島県が漁獲高の大半を占める。この多くは一本釣りと呼ばれる漁法でつり上げたもので、冷凍されて水揚げされ、鰹節の原料になる。
近畿では、紀州の熊野浦、勝浦の港がかつおの荷揚げで有名である。私も何度か、勝浦や新宮に止まったが、季節には、必ず鰹料理が出る。
明治~昭和初期にかけての歌人・若山牧水は、旅を愛し旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に彼の歌碑がある。大の酒好きで一日一升程度の酒を呑んでいたという。牧水も勝浦を訪れた時にカツオを食べカツオの歌を残している。
「したたかに われに喰(くは)せよ 名にし負ふ 熊野が浦は いま鰹時」
「むさぼりて腹な破りそ大ぎりのこれの鰹の限りは無けむ」
本当に、季節のカツオは美味しいよね。でも、今日は、鰹節の日であり、カツオの日ではないので、カツオのことには余り深く触れないようにしよう。以下に、牧水の勝浦でのカツオについて触れたものがあるので紹介しておこう。
熊野奈智山/若山牧水(青空文庫)↓
http://www.aozora.gr.jp/cards/000162/files/43507_16640.html
樹木とその葉・若葉の頃と旅/若山牧水(青空文庫)↓
http://www.aozora.gr.jp/cards/000162/files/3408_20339.html
(画像は、鰹節削り器。フリー百科事典Wikipediaより)
参考:
鰹節 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%B9%E7%AF%80
フィッシュLabo さかな物語[堅魚(かつを)物語]
http://www.sanspo.com/fish/labo/monogatari/sakana_katuo2.html
「だしオフ」
http://forum.nifty.com/fcook/special1999/dasioff0599/dasioff001.htm
官制大観・賦役令
http://www.sol.dti.ne.jp/~hiromi/kansei/yoro10a.html
鰹節と伊豆田子節の歴史
http://homepage2.nifty.com/kanesa16/catalog3.htm
水産雑学コラム
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurisan/index.htm
徒然草
http://melisande.cs.kyoto-wu.ac.jp/~eguchi/pdd/turedure.html


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2 コメント

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鰹節 (Linda)
2006-11-24 09:31:08
よーさん、お早うさんです。
鰹節をかくのは手前に引っ張るようにしてかく人と向こうに押すようにして書く人が居ますね。僕は引っ張りますが兄嫁は押していました。
子供の頃腹がすいて仕方の無い時、お袋に内緒で鰹節をかいて食べました。かくのが邪魔臭くなって鰹節をそのまま齧ってみたり・・・。
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鰹節削り器 (よーさん)
2006-11-25 07:34:25
Lindasaさん、鰹節をかくのは使ったのが子どもの頃なので押すか引くかは考えた事もありませんでしたが、鰹節削り器の場合は押すのでしょうね~。
もっとも、繰り返せば同じになってしまうが・・・(^0^)
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