今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

鬼子母神の縁日

2007-07-08 | 行事
今日(7月8日)は、「鬼子母神の縁日」
鬼子母神(きしもじん、または、きしぼじん)は仏教諸神の一。
この鬼子母神は、鳩摩羅什(くまらじゅう)によって漢訳された全二十八品からなる法華経の中の「陀羅尼品(だらにほん)第二十六」に「鬼子母(きしも)」として出てくる。
陀羅尼とは総持と訳され、総ての物事を深く心に記憶して、忘れず、多くの悪法を遮って生じさせない能力のことである。薬王菩薩は法師の擁護を誓い、勇施(ゆぜ)菩薩(釈迦に供する菩薩の一。他人に施し与える勇者の意味)も法華経の授持者の擁護を誓う。毘沙門天(びしゃもんてん)・持国天(じこくてん)のニ天王も授持者の擁護を説き、それぞれ、呪(じゅ=陀羅尼=祈りの言葉)を唱え、続いて、十羅刹女(じゅうらさつにょ)や鬼子母とそのこども達も陀羅尼を唱え、法華信奉者の擁護と法華信仰弘通(ぐずう=仏教や経典を広めること)を妨げる者の処罰を誓っている。
それではなぜ、法華経信奉者や法華教を弘通する者の守護が必要なのかというと、法華経は真の善の教えなので、悪の教えや、見かけ上は善の教えの勢力などから迫害を受けやすい。 神呪(陀羅尼)に守られた法華経の説法者に、迫害を加えることは、神々に迫害を加えることと同じになる。 因みに、毘沙門天、持国天は、他教(バラモン教)の神々で、羅刹女とは、鬼女のことである。つまり、他教の神々や鬼女までもが、法華経説法者の守護を願って、神呪を唱えてくれたのである。 これは、法華経の教えが、万教をも包容し、また、鬼女たちをも平等に成仏させる力をもっていることの証しなのである。日蓮はこれに基づき文字で表現した法華曼荼羅に鬼子母神の号をも連ねているのである。
「仰ぐなり十のかざしにもさすらんものぞ法のはなぶさ」・・・これは、室町期東福寺禅僧 正徹和尚 の『草根和歌衆集』の中の1つである。(正徹和尚 については以下参考の「正徹 千人万首」参照)この歌は、十羅刹女を詠んだものだそうであるが、羅刹であるにもかかわらず愛らしい少女として歌われているいるのは、法華経の授持者の擁護を誓ったことを愛でてのものであろう。しかし、後に、陀羅尼品の中でも、十羅刹女などの呪した五番神呪と呼ばれるものが別出され、加持祈祷などで誦(じゆ)されたりするようになる。鬼子母神も同様に古くから法華経の信仰者の守護神として尊敬されてきた。しかし、それが、後に、十羅刹女信仰との融和から鬼子母神が十羅刹女の母としての位置づけをもったり、特に、密教の盛行に伴い修法が盛んに修せられるようになると祈祷本尊として祀られるようにもなる。日本天台密教の修法儀軌を集大成した『阿婆縛抄』(あさばしょう)には、懐妊・安産・子育・治病・息災延命などの利益を得る修法として鬼子母神法(訶梨帝母法)が記されており、中世ごろには盛んに上層貴族の間で尊信されるようになる。
鬼子母神はサンスクリット語のハーリティーの漢訳。ハーリティーを音写した訶梨帝母(かりていも)とも言う。元は歓喜母(かんぎも)・愛子母(あいしも)などと称され、出生した時、容姿端麗であったことから、薬叉(夜叉)衆が歓喜したという。、長じて鬼神・般闍迦(はんしか。半支迦とも書く)に嫁し、500人(一説には千人または1万人)の子をもうけたが、凶妖暴悪で人々の子供を殺して食べたため、鬼子母(訶梨帝夜叉)と称され、恐れられるようになった。人々は鬼子母の暴挙を釈迦に訴え釈迦は鬼子母をこらしめるため彼女の最も愛していた愛子を隠して、子を失う母親の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させた。これらの経説から子授け・子育て・安産の守護神となっていることが多い。
そのようなことから、鬼子母神は、法華経守護神として日蓮宗法華宗の寺院で祀られることが多く、東京都台東区入谷の鬼子母神(真源寺)、東京都豊島区雑司が谷の法明寺鬼子母神堂、千葉県市川市の法華経寺の鬼子母神が有名である(何故か、千葉県市川市の法華経寺も入れて、昔から「江戸三大鬼子母神」と言われているようだ)。以下参考に記載の「江戸三大鬼子母神を歩く」参照。
中でも入谷の真源寺は、「おそれ入谷の鬼子母神」という狂歌の中の洒落(しゃれ)でも有名である。
これは、地口(じぐち)とも言われる、駄洒落の一種と見なすことができる言葉遊びでもある。
恐れ入谷の鬼子母神 (「恐れ入りました」+「鬼子母神」) と並んで知られているとして以下のようなものが有る。
びっくり下谷の広徳寺 (「びっくりした」+「広徳寺」 )の広徳寺は、現在の台東区役所付近にあったが、関東大震災により崩壊し、練馬区へ転出した。
嘘を築地の御門跡 (「うそをつく」+「築地門跡 (「築地の御門跡」は築地本願寺のこと))
志やれの内のお祖師様 (「洒落る」+「妙法寺」東京都杉並区堀ノ内にある寺院[ 妙法寺] で「お祖師様」で知られる。江戸時代より厄除けで知られていた)
情け有馬の水天宮 (「情け深い」+「有馬様」+「水天宮」。江戸の水天宮は久留米藩主有馬家の藩邸内にあった。又はそうで有馬の水天宮(「そうであります」+「水天宮」)yとも、いやじゃ有馬の水天宮(「いやじゃありませんか」+「水天宮」)というそうだ。
なんだ神田の大明神(「なんだかんだといっても」+「神田明神」)神田明神は、御茶ノ水にある神田明神である。明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称。
鬼子母神の縁日は毎月8の付く日(8日,18日,28日)である。又、お会式に併せて大祭を行う寺もある。
「入谷から出る朝顔の車かな」(正岡子規)と俳句にも歌われており、入谷の鬼子母神(真源寺)の縁日(毎年7月6日から8日)に「朝顔市」が開催される。これはこの後9日から浅草で行われる「ほおづき市」と並んで、江戸下町の初夏の風物詩になっていることもよく知られている。
入谷の鬼子母神や下谷の広徳寺のある新寺町通り(現在の浅草通り)には、明暦の大火後、この辺りに多くの寺が移転してきていたようだ。だが、入谷も浅草ではなく下谷に属する。以下参照。(Yahoo地図は下谷1丁目の周辺/真源寺参照 )
江戸時代の浅草
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/taitou-edo/asakusa-edo.html
下谷とは湯島、本郷、上野の高台の下に位置するので古くからそう呼ばれてきた一帯のことであり、1878(明治11)年の東京府15区6郡制発足から1947(昭和22)年の23区制実施までのあいだ、独立した行政区域「下谷区」として存続した。付近にはいまでも「下谷」を冠した住所表示が残っている。水田と低湿地の多かったここはかつて「入谷田圃」と呼ばれ、朝顔や蓮の栽培にも適していたようだ。明治の初期、近隣の植木職人たちが朝顔の鉢植えを作ってみせたところ評判となり、それが「朝顔市」のはじまりとか。幕末から明治にかけて残酷絵や錦絵新聞で異彩を放った浮世絵師の大蘇芳年(月岡芳年)は、1880(明治13)年の錦絵シリーズ『東京自慢十二ヶ月』のなかで、すでにこの入谷の朝顔を描いている。市そのものは大正期に一旦廃止されたが、戦後「朝顔祭」と改称されて再開、現在に至るそうだ。以下参考の「細密画工房《絵草紙》浅草たそがれ幻視行」より)子規の俳句も、ここから出る植木屋の朝顔を詠んだもののようだ。
尚、「鬼子母神」の「鬼」という字の表記は、寺によっては、釈尊に説教され改心し、角を外した、という理由で、「鬼」の字の上に点が無い字を使う所がある。以下参考に記載の鬼子母神さまって?参照)
また、その像は天女のような姿をし、子供を1人抱き、右手には吉祥果(ザクロ)を持つものが多い。ザクロは人肉の味がするから、とも言われるが、これは後になって付け加えられた話である。ザクロの実をみると1つの実の中にたくさんの小さな実があり、その一つひとつがそれぞれに小さな種を持っている。このことからザクロは古くから子孫繁栄をあらわす縁起のよい果物として「吉祥果」ともいわれている。だから、本当は、鬼子母神様がこのザクロの枝を手に持つのは子供を守る神として子孫繁栄の願いが込められているというのである。ただ同じ鬼子母神像でも、江戸三大鬼子母神の1つである千葉県市川市の法華経寺の日蓮聖人が自ら彫られたとつたえられている鬼子母神像はちょっと恐い顔をしているよ。・・・と言っても少し愛嬌もあるが・・・。以下参照。
鬼子母神像(画像付き仏像事典)
http://www.butsuzou.com/jiten/kisimo.html
(画像は、法華経の修行者を薬王・勇施と毘沙門、他持国のニ天王と十羅刹女などが擁護することを誓う。「絵でとく法華経28品」〔大法輪〕より)
参考:
鬼子母神 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%AD%90%E6%AF%8D%E7%A5%9E
鬼子母神像(画像付き仏像事典)
http://www.butsuzou.com/jiten/kisimo.html
江戸三大鬼子母神を歩く。
http://www.tokyo-kurenaidan.com/kishibojin1.htm
鬼子母神さまって?
http://www.kishimojin.or.jp/nani.htm
全国海運神社仏閣・法華経寺(ほけきょうじ) 千葉県市川市中山
http://www.kaiun-goriyaku.com/12t-001.htm
仏教:法華経ノート(妙法蓮華経)
http://chaichan.web.infoseek.co.jp/chai/hokke_note.htm
法華経三部経 教え一覧
http://park22.wakwak.com/~kuuki/hp/1hokekyo/kensyu/itiran.html
法華経の話
http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/hokekyou-st.htm
大田南畝 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%8D%97%E7%95%9D
江戸時代の浅草
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/taitou-edo/asakusa-edo.html
細密画工房《絵草紙》浅草たそがれ幻視行
http://www.ezoushi.com/genshikou/g-5/g.html
明暦の大火 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%9A%A6%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%81%AB
下谷1丁目の周辺地図(真源寺 )
http://map.yahoo.co.jp/pl?p=%BF%BF%B8%BB%BB%FB&lat=35.71665389&lon=139.78591111&type=&lnm=%C6%FE%C3%AB%B5%B4%BB%D2%CA%EC%BF%C0%A1%CA%BF%BF%B8%BB%BB%FB%A1%CB&idx=19
正徹 千人万首
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/syoutetu.html



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