今日(6月29日)は、「ビートルズ記念日」
1966(昭和41)年6月29日、午前3時過ぎ人気絶頂のイギリスのロックグループ・ビートルズが初めて東京・羽田空港に降り立った。
翌・6月30日から7月2日にかけて、東京・日本武道館で3日間5回の公演が行われた。初日は夜のみ、2・3日目は昼および夜の各2回公演であった。この公演では述べ5500人もの機動隊と警官が動員される一大騒動となった。1日昼の公演はテレビ放送され、視聴者は関東59,8%、関西46,1%だった。学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されたという。
来日の予定は、6月28日であったが、台風4号が来て1日送れとなった。空港のファンは警官に排除され、ビートルズを迎えたのは、250人の取材陣と、多数の警官だった。パトカーの先導で東京・赤坂のヒルトンホテルに入ると、帰国までの103時間、ビートルズは、ホテルに半ば軟禁状態となった。コンサート自体は、音響もマイクのセッティングも悪く、不評だったが、当時は、ビートルズ自体がライブへの意欲を失っていた時期でもあったという。
ビートルズは、世界中で最も広く知られ、成功したロックバンドのひとつ。1960(昭和35)年、イギリスの港町リヴァプールで、ジョン・レノン(リズムギター)、ポール・マッカートニー(ベース) 、ジョージ・ハリスン(リードギター) 、ピート・ベスト(ドラムス) の4人で結成。5人目のビートルズといわれたのが、1961(昭和36)年12月からマネージャーとなった、ブライアン・エプスタインで、「ビートルズはライブを見てこそその良さがわかる」と、彼は、テレビ出演とコンサートを中心に、仲間を世界に売り込んだ。
そして、1962(昭和37)年7月、EMIレコードと契約後、ピートに代わって、リンゴ・スター(ドラムス)が加わり、その年の10月最初のシングル「ラヴ・ミー・ドゥ(Love Me Do)」でレコードデビューした。そして、1963(昭和38)年2月、2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー(Please Please Me)」がイギリスのヒットチャートで初めて1位になる。そして、レコードデビューからわずか2年後には、ビートルズはアメリカに進出した。
この1964(昭和39)年は、ビートルズが世界制覇に成功した記念すべき年である。1月から「抱きしめたい」で、全米ヒットチャート第1位となっていたビートルズは1月に、フランスで公演後、2月7日、初めてアメリカに乗り込んだ。アメリカでは、2週間の滞在中に、テレビ出演2回、コンサート3回。ビートルズは行く先々で、前例を見ないほどの騒ぎと混乱を巻き起こし、ポップスのメッカ、アメリカをたちまちビートルズ1色にした。そして、この2月のアメリカ公演後、6月デンマーク、香港、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、そして、7月スエーデン、8月再度アメリカ、カナダとワールドツアーを成功させた。そして第1作の映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』 (A Hard Day's Night)が上映され、ビートルズ・フィーバーは、全世界で上昇の一途をたどった。この映画は、8月に日本でも公開され、ファンクラブが誕生した。この、ビートルズの記念すべきアメリカ進出成功の影には、ビートルズが音楽ビジネスのプロモーションを確立した立役者であるブライアンのメディア戦略があったといわれており、1967(昭和42)年に、彼が32歳という若さで急逝したことが、ビートルズ解散の遠因になったとも言われている。日本に、初めてビートルズがやってきたのが先に書いた通り、ビートルズが世界制覇に成功した2年後の1966(昭和41)年の今日(6月29日)のことであった。日本公演は、読売新聞社と中部日本放送の主催によって1966年(昭和41)6月30日から7月2日にかけて5公演、東京・日本武道館において行われた。初日は夜のみ、2・3日目は昼および夜の各2回公演であった。
その時の入場料金は、 A席:2100円、B席:1800円、C席:1500円 ※警備の都合上アリーナ席はなし。主催者側はもっと料金を上げたかったそうだが、ビートルズ側から多くの人に観てもらえるようにとの要望があり、契約で「料金は10ドル以下にすること」と決められたという。
また、当初、初日のステージの様子が録画されテレビ放送されることになっていたが、ビートルズ側の言い分(マイク・スタンドの不備等)によりその映像は放送されず、急遽、翌7月1日昼の部のステージが収録されて、その日の夜9時から日本テレビ系列にて放送された本放送に使われた (番組の詳細はザ・ビートルズ日本公演 (テレビ番組)を参照)。
しかし、アメリカでの公演などに比べると、この日本公演は、ライブとしては決して良い出来とは言えなかったようだ。7月1日公演も演奏された全11曲のほとんどが実に散漫な歌い回しだったため、失望した熱狂的ファンも多かったという。マイク等の機材も品質の良い物ではなかったようだが、当時ビートルズはコンサート活動に嫌気を指していた時期に入っていたこともあってか、ライブ前の記者会見でジョンが「ビートルズを聞きたい人はレコードを聞いてください。ビートルズを見たい人はコンサートへ来てください。」と言っていたことを考えると、始めからまともに演奏する気がなかったことが伺えるともいわれている。(初日の演奏で日本のファンが演奏を聴いてくれていると知ったメンバーが翌日のステージでは恥ずかしい演奏は見せられないと本気の演奏をしたという証言もあるそうだが)
実際、この日本公演が終わった直後の1966(昭和41)年のアメリカツアー、8月29日のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークのステージを最後に、ビートルズはライブ活動を停止する。
そして、1967(昭和42)年8月、マネージャーのブライアン・エプスタインが死去したころからグループとしてのバランスが微妙に崩れはじめ、ポールがメンバーを束ねようとするがうまくいかず、結局、1970(昭和45)年に解散した。ビートルズは解散後も世界中に多大な影響を与え続けている。ビートルズに触発されて生まれたアーティストは数知れない。21世紀の今日でも、彼らの人気やその影響力は 衰えることを知らない。しかし、今でこそ東京ドーム同様、武道館でのロックコンサートは頻繁に行われているが、初来日当時は佐藤栄作首相や、元朝日新聞記者で政治評論家の細川隆元らが、「神聖なる日本武道館でロックバンドが演奏することなどけしからん」という意見が多数を占めていたように、この当時は、まだ、ビートルズの曲に対しては、批判的な見方も多かったのである。
(画像は、1966年6月29日午前3時過ぎ、初めて東京・羽田空港に降り立ったビートルズは、JALの仕立てた半被姿であった。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
ビートルズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA
ザ・ビートルズ 公式サイト
http://www.toshiba-emi.co.jp/beatles/index_j.htm
The BEATLES Website / ザ・ビートルズ・ウェブサイト
http://beatles.at.infoseek.co.jp/
ビートルズ・オフィシャル・ファン・クラブ・サイト:Bネット
http://www.thebeatles.co.jp/contents/cover/cover.shtml
THE BEATLES
http://www.tcct.zaq.ne.jp/bpaei505/beatles/beatles_mokuji.html
1966(昭和41)年6月29日、午前3時過ぎ人気絶頂のイギリスのロックグループ・ビートルズが初めて東京・羽田空港に降り立った。
翌・6月30日から7月2日にかけて、東京・日本武道館で3日間5回の公演が行われた。初日は夜のみ、2・3日目は昼および夜の各2回公演であった。この公演では述べ5500人もの機動隊と警官が動員される一大騒動となった。1日昼の公演はテレビ放送され、視聴者は関東59,8%、関西46,1%だった。学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されたという。
来日の予定は、6月28日であったが、台風4号が来て1日送れとなった。空港のファンは警官に排除され、ビートルズを迎えたのは、250人の取材陣と、多数の警官だった。パトカーの先導で東京・赤坂のヒルトンホテルに入ると、帰国までの103時間、ビートルズは、ホテルに半ば軟禁状態となった。コンサート自体は、音響もマイクのセッティングも悪く、不評だったが、当時は、ビートルズ自体がライブへの意欲を失っていた時期でもあったという。
ビートルズは、世界中で最も広く知られ、成功したロックバンドのひとつ。1960(昭和35)年、イギリスの港町リヴァプールで、ジョン・レノン(リズムギター)、ポール・マッカートニー(ベース) 、ジョージ・ハリスン(リードギター) 、ピート・ベスト(ドラムス) の4人で結成。5人目のビートルズといわれたのが、1961(昭和36)年12月からマネージャーとなった、ブライアン・エプスタインで、「ビートルズはライブを見てこそその良さがわかる」と、彼は、テレビ出演とコンサートを中心に、仲間を世界に売り込んだ。
そして、1962(昭和37)年7月、EMIレコードと契約後、ピートに代わって、リンゴ・スター(ドラムス)が加わり、その年の10月最初のシングル「ラヴ・ミー・ドゥ(Love Me Do)」でレコードデビューした。そして、1963(昭和38)年2月、2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー(Please Please Me)」がイギリスのヒットチャートで初めて1位になる。そして、レコードデビューからわずか2年後には、ビートルズはアメリカに進出した。
この1964(昭和39)年は、ビートルズが世界制覇に成功した記念すべき年である。1月から「抱きしめたい」で、全米ヒットチャート第1位となっていたビートルズは1月に、フランスで公演後、2月7日、初めてアメリカに乗り込んだ。アメリカでは、2週間の滞在中に、テレビ出演2回、コンサート3回。ビートルズは行く先々で、前例を見ないほどの騒ぎと混乱を巻き起こし、ポップスのメッカ、アメリカをたちまちビートルズ1色にした。そして、この2月のアメリカ公演後、6月デンマーク、香港、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、そして、7月スエーデン、8月再度アメリカ、カナダとワールドツアーを成功させた。そして第1作の映画『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』 (A Hard Day's Night)が上映され、ビートルズ・フィーバーは、全世界で上昇の一途をたどった。この映画は、8月に日本でも公開され、ファンクラブが誕生した。この、ビートルズの記念すべきアメリカ進出成功の影には、ビートルズが音楽ビジネスのプロモーションを確立した立役者であるブライアンのメディア戦略があったといわれており、1967(昭和42)年に、彼が32歳という若さで急逝したことが、ビートルズ解散の遠因になったとも言われている。日本に、初めてビートルズがやってきたのが先に書いた通り、ビートルズが世界制覇に成功した2年後の1966(昭和41)年の今日(6月29日)のことであった。日本公演は、読売新聞社と中部日本放送の主催によって1966年(昭和41)6月30日から7月2日にかけて5公演、東京・日本武道館において行われた。初日は夜のみ、2・3日目は昼および夜の各2回公演であった。
その時の入場料金は、 A席:2100円、B席:1800円、C席:1500円 ※警備の都合上アリーナ席はなし。主催者側はもっと料金を上げたかったそうだが、ビートルズ側から多くの人に観てもらえるようにとの要望があり、契約で「料金は10ドル以下にすること」と決められたという。
また、当初、初日のステージの様子が録画されテレビ放送されることになっていたが、ビートルズ側の言い分(マイク・スタンドの不備等)によりその映像は放送されず、急遽、翌7月1日昼の部のステージが収録されて、その日の夜9時から日本テレビ系列にて放送された本放送に使われた (番組の詳細はザ・ビートルズ日本公演 (テレビ番組)を参照)。
しかし、アメリカでの公演などに比べると、この日本公演は、ライブとしては決して良い出来とは言えなかったようだ。7月1日公演も演奏された全11曲のほとんどが実に散漫な歌い回しだったため、失望した熱狂的ファンも多かったという。マイク等の機材も品質の良い物ではなかったようだが、当時ビートルズはコンサート活動に嫌気を指していた時期に入っていたこともあってか、ライブ前の記者会見でジョンが「ビートルズを聞きたい人はレコードを聞いてください。ビートルズを見たい人はコンサートへ来てください。」と言っていたことを考えると、始めからまともに演奏する気がなかったことが伺えるともいわれている。(初日の演奏で日本のファンが演奏を聴いてくれていると知ったメンバーが翌日のステージでは恥ずかしい演奏は見せられないと本気の演奏をしたという証言もあるそうだが)
実際、この日本公演が終わった直後の1966(昭和41)年のアメリカツアー、8月29日のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークのステージを最後に、ビートルズはライブ活動を停止する。
そして、1967(昭和42)年8月、マネージャーのブライアン・エプスタインが死去したころからグループとしてのバランスが微妙に崩れはじめ、ポールがメンバーを束ねようとするがうまくいかず、結局、1970(昭和45)年に解散した。ビートルズは解散後も世界中に多大な影響を与え続けている。ビートルズに触発されて生まれたアーティストは数知れない。21世紀の今日でも、彼らの人気やその影響力は 衰えることを知らない。しかし、今でこそ東京ドーム同様、武道館でのロックコンサートは頻繁に行われているが、初来日当時は佐藤栄作首相や、元朝日新聞記者で政治評論家の細川隆元らが、「神聖なる日本武道館でロックバンドが演奏することなどけしからん」という意見が多数を占めていたように、この当時は、まだ、ビートルズの曲に対しては、批判的な見方も多かったのである。
(画像は、1966年6月29日午前3時過ぎ、初めて東京・羽田空港に降り立ったビートルズは、JALの仕立てた半被姿であった。アサヒクロニクル「週刊20世紀」より)
ビートルズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA
ザ・ビートルズ 公式サイト
http://www.toshiba-emi.co.jp/beatles/index_j.htm
The BEATLES Website / ザ・ビートルズ・ウェブサイト
http://beatles.at.infoseek.co.jp/
ビートルズ・オフィシャル・ファン・クラブ・サイト:Bネット
http://www.thebeatles.co.jp/contents/cover/cover.shtml
THE BEATLES
http://www.tcct.zaq.ne.jp/bpaei505/beatles/beatles_mokuji.html