今日(6月27日)は、「演説の日」
1874(明治7)年6月27日、慶応義塾の三田演説館で日本初の演説会が行われた。「演説」という言葉は慶応義塾を創設した福澤諭吉が仏教語をもとに作ったもので、この日の演説で福澤は「日本が欧米と対等の立場に立つ為には演説の力を附けることが必要」と説いた。
福沢諭吉は1874年の12月刊行の学問のすすめ 十二編の中で、「演説とは英語にて「スピイチ」と言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なり。我国には古よりその法あるを聞かず、寺院の説法などは先ずこの類なるべし。西洋諸国にては演説の法最も盛んにして、政府の議院、学者の集会、商人の会社、市民の寄合より、冠婚葬祭、開業開店等の細事に至るまでも、僅に十数名の人を会することあれば、必ずその会につき、或いは会したる趣意を述べ、或いは人々平生の持論を吐き、或いは即席の思付を説きて、衆客に披露するの風なり。この法の大切なるは固より論をまたず。譬えばいま世間にて議院などの説あれども、仮令い院を聞くも第一に説を述ぶるの法あらざれば、議院もその用をなさざるべし。」と述べて、その重要性を説いている。
この中でも”我国には古よりその法あるを聞かず、寺院の説法などは先ずこの類なるべし。”と言っているように、演説(演舌、えんぜつ)は古来からある仏教用語の「法螺(ほうら)」からきている。事実無根のいい加減なことや、事実を誇張して語ることを俗に「ホラを吹く」というが、この「ホラ」は漢字で「法螺」と書き、大きな巻貝に穴を開けて吹き鳴らす道具で、その法螺を作る貝が法螺貝である。昔から世界各地で吹奏や合図のために用いられ、日本の法螺は密教僧によって唐から伝えられ、山伏の携える道具として知られているが、これを山中で吹くのは野獣を追い払うとともに魔を退けるためでもある。法螺は正しくは「ほうら」であり、『無量寿経』には「法鼓を扣き、法螺を吹く」、『法華経』にも「大法螺を吹き、大法鼓を撃ち」とある。『心地観経』には「大法螺を吹いて衆生を覚悟して仏道を成ぜしむ」と説く。このように「法螺を吹く」とは「仏の説法」のことであり、経典の中で「殻の音が遠く聞こえる。以て仏の説法に喩える」と、その意味を説明している。
福沢は無数の日本語の中から「スピーチ」の訳に「演説」を選んだが、ことの起こりは、前年(1973=明治6)の初夏、社友の小泉真吉(のち慶応義塾塾長に就任)が“スピイチ”の方法と重要性が記されている英語の小冊子(正式の書名はわかっていないという)を見つけ福沢に示したところ、その重要性を認め、早速翻訳し『会議弁』という小冊子にまとまられた。
この『会議辯』は1)総論2)集会を起す手続き3)三田演説会の序(三田演説会の規則)からなり、具体的に手順を詳述しており、この時“スピイチ”を演説、“ディベイト”を討論と翻訳し、現在使われている意味での言語を最初に創出した。福沢としては、近い将来実現されるだろう民選による国会をはじめ地方議会の選挙、運営を予感して、喫急の課題としてスピイチ(演説)の何たるかを詳述し普及を図ったものであろう。そして、この『会議弁』に従って、福沢を始め、慶応義塾の有志が週に2回ほど福沢の私邸や他の同志の家に集まり、ある時はテーマを宿題として与え、あるいはその場で決めて持論を述べ合ったり、またある時は決められたテーマを‘可’とする組と‘不可’とする組とに別れて議論するなどして訓練が重ねられ、ほぼ1年後の1874(明治7)年6月、三田演説会が組織され、演説会や討論会が毎週土曜日に、塾内にある出版社の会議室や塾内の食堂などで開催されたそうだ。当初は会員(発会時の会員は13名)だけの演説会であったが、演説法を普及させるためには、世間一般に公開し、多人数の聴衆を収容する会堂が必要であるということになり、演説館の建設に着手、建築費を全額福沢が負担して造らせ、1874(明治8)年5月1日に開館した。当初は現在の図書館(旧館)と塾監局との中間辺に位置していたが、1924(大正13)年、現在地―三田構内南西の小丘稲荷山上に移築され、さらに1947(昭和22)年5月修復がほどこされ現在に至っているという。1915(大正4)年には東京府からはやくも史蹟に指定され、また1960(昭和35)年3月には東京都重宝(建造物)の指定をうけ、さらに1967(昭和42)年6月には重要文化財に指定されている。
明治の時代になって、封建思想を排除し、自由と開放の観念を民衆に与えたのは、自由・民権派などによる「演説」という新しい表現形態であった。演者は当時日本の最高の知識人であった。近代思想を積極的に学びとった彼らは、さまざまな研究団体を組織し、討論会や公開演説会を開催していった。自由民権家であり思想家であった植木枝盛も、東京遊学中の1874年~1875年頃は、盛んに演説会に出席、また、福沢率いる三田学派の人々の講演から多くのものを学んだと日記に記しているという。明治時代の演説団体には明六社をはじめ慶応義塾系の交旬社や洋行帰りのメンバーで組織されていた共存同衆、また、法学者や新聞記者などを中心とした法律講義会(のちの嚶鳴社ーおうめいしゃ)などがあった。彼らは、演説・討論・著述等によって、精力的に活動した。その足跡は全国に及び、当時の民権派諸新聞に数多く見ることが出来る。
なお、1889(明治22)年に出来た「大日本帝国憲法」は1945(昭和20)年、敗戦によって、56年間の生命を終え、代わって戦後の民主化の中から生まれた「日本国憲法」は先ほど紹介した植木枝盛ら民権派草案の一部を取り入れて、成立後、今日まで今なお大多数の国民から支持され健在である。(週刊朝日百科・日本の歴史)
学問の進めの序文「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云へリ」という一節はあまりにも有名である。この言葉は福沢諭吉の言葉ではなく、アメリカ合衆国の独立宣言からの引用である。今でもアメリカ大統領の就任演説など聴いていると、本当に上手いな~と思う。しかし、今の日本の政治家などはまだまだ、演説が上手とはいえないな~。
(画像は、明治の女性民権運動のトップ。「岸田俊子(中島湘烟=しょうえん)」東京大学明治新聞雑誌文庫蔵。週刊朝日百科・日本の歴史より。彼女は、当時の常識を破って人目に自分をさらし、婦人の覚醒を訴えて男勝りの演説をしたという)
参考:
福沢諭吉ーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89
学問のすすめ(初編~十七編)
http://www1.sphere.ne.jp/dia/gakumon/gs/GS0.HTM#anchor3535567
第十章子規と「演説」 ~ 演説の来歴~ (三好恭治の熟田津今昔)
http://home.e-catv.ne.jp/miyoshik/nigitazu/nigitazu10.htm
慶應義塾豆百科
http://www.keio.ac.jp/mamehyakka/index.html
三田演説館
http://www6.ocn.ne.jp/~akarenga/mitaenzetsukan.htm
演説本の流行
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2005/tenji/index-l.html
自由民権派の憲法草案(私擬憲法)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/uekiemori.htm
アメリカ大統領就任演説(ケネディ~W・ブッシュまで)
http://hw001.gate01.com/katokt/inaugral09.htm
NPO法人 JKSK -黄金の鍵 語りつぐ、女性の物語
http://www.jksk.jp/j/key/index.htm
1874(明治7)年6月27日、慶応義塾の三田演説館で日本初の演説会が行われた。「演説」という言葉は慶応義塾を創設した福澤諭吉が仏教語をもとに作ったもので、この日の演説で福澤は「日本が欧米と対等の立場に立つ為には演説の力を附けることが必要」と説いた。
福沢諭吉は1874年の12月刊行の学問のすすめ 十二編の中で、「演説とは英語にて「スピイチ」と言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なり。我国には古よりその法あるを聞かず、寺院の説法などは先ずこの類なるべし。西洋諸国にては演説の法最も盛んにして、政府の議院、学者の集会、商人の会社、市民の寄合より、冠婚葬祭、開業開店等の細事に至るまでも、僅に十数名の人を会することあれば、必ずその会につき、或いは会したる趣意を述べ、或いは人々平生の持論を吐き、或いは即席の思付を説きて、衆客に披露するの風なり。この法の大切なるは固より論をまたず。譬えばいま世間にて議院などの説あれども、仮令い院を聞くも第一に説を述ぶるの法あらざれば、議院もその用をなさざるべし。」と述べて、その重要性を説いている。
この中でも”我国には古よりその法あるを聞かず、寺院の説法などは先ずこの類なるべし。”と言っているように、演説(演舌、えんぜつ)は古来からある仏教用語の「法螺(ほうら)」からきている。事実無根のいい加減なことや、事実を誇張して語ることを俗に「ホラを吹く」というが、この「ホラ」は漢字で「法螺」と書き、大きな巻貝に穴を開けて吹き鳴らす道具で、その法螺を作る貝が法螺貝である。昔から世界各地で吹奏や合図のために用いられ、日本の法螺は密教僧によって唐から伝えられ、山伏の携える道具として知られているが、これを山中で吹くのは野獣を追い払うとともに魔を退けるためでもある。法螺は正しくは「ほうら」であり、『無量寿経』には「法鼓を扣き、法螺を吹く」、『法華経』にも「大法螺を吹き、大法鼓を撃ち」とある。『心地観経』には「大法螺を吹いて衆生を覚悟して仏道を成ぜしむ」と説く。このように「法螺を吹く」とは「仏の説法」のことであり、経典の中で「殻の音が遠く聞こえる。以て仏の説法に喩える」と、その意味を説明している。
福沢は無数の日本語の中から「スピーチ」の訳に「演説」を選んだが、ことの起こりは、前年(1973=明治6)の初夏、社友の小泉真吉(のち慶応義塾塾長に就任)が“スピイチ”の方法と重要性が記されている英語の小冊子(正式の書名はわかっていないという)を見つけ福沢に示したところ、その重要性を認め、早速翻訳し『会議弁』という小冊子にまとまられた。
この『会議辯』は1)総論2)集会を起す手続き3)三田演説会の序(三田演説会の規則)からなり、具体的に手順を詳述しており、この時“スピイチ”を演説、“ディベイト”を討論と翻訳し、現在使われている意味での言語を最初に創出した。福沢としては、近い将来実現されるだろう民選による国会をはじめ地方議会の選挙、運営を予感して、喫急の課題としてスピイチ(演説)の何たるかを詳述し普及を図ったものであろう。そして、この『会議弁』に従って、福沢を始め、慶応義塾の有志が週に2回ほど福沢の私邸や他の同志の家に集まり、ある時はテーマを宿題として与え、あるいはその場で決めて持論を述べ合ったり、またある時は決められたテーマを‘可’とする組と‘不可’とする組とに別れて議論するなどして訓練が重ねられ、ほぼ1年後の1874(明治7)年6月、三田演説会が組織され、演説会や討論会が毎週土曜日に、塾内にある出版社の会議室や塾内の食堂などで開催されたそうだ。当初は会員(発会時の会員は13名)だけの演説会であったが、演説法を普及させるためには、世間一般に公開し、多人数の聴衆を収容する会堂が必要であるということになり、演説館の建設に着手、建築費を全額福沢が負担して造らせ、1874(明治8)年5月1日に開館した。当初は現在の図書館(旧館)と塾監局との中間辺に位置していたが、1924(大正13)年、現在地―三田構内南西の小丘稲荷山上に移築され、さらに1947(昭和22)年5月修復がほどこされ現在に至っているという。1915(大正4)年には東京府からはやくも史蹟に指定され、また1960(昭和35)年3月には東京都重宝(建造物)の指定をうけ、さらに1967(昭和42)年6月には重要文化財に指定されている。
明治の時代になって、封建思想を排除し、自由と開放の観念を民衆に与えたのは、自由・民権派などによる「演説」という新しい表現形態であった。演者は当時日本の最高の知識人であった。近代思想を積極的に学びとった彼らは、さまざまな研究団体を組織し、討論会や公開演説会を開催していった。自由民権家であり思想家であった植木枝盛も、東京遊学中の1874年~1875年頃は、盛んに演説会に出席、また、福沢率いる三田学派の人々の講演から多くのものを学んだと日記に記しているという。明治時代の演説団体には明六社をはじめ慶応義塾系の交旬社や洋行帰りのメンバーで組織されていた共存同衆、また、法学者や新聞記者などを中心とした法律講義会(のちの嚶鳴社ーおうめいしゃ)などがあった。彼らは、演説・討論・著述等によって、精力的に活動した。その足跡は全国に及び、当時の民権派諸新聞に数多く見ることが出来る。
なお、1889(明治22)年に出来た「大日本帝国憲法」は1945(昭和20)年、敗戦によって、56年間の生命を終え、代わって戦後の民主化の中から生まれた「日本国憲法」は先ほど紹介した植木枝盛ら民権派草案の一部を取り入れて、成立後、今日まで今なお大多数の国民から支持され健在である。(週刊朝日百科・日本の歴史)
学問の進めの序文「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云へリ」という一節はあまりにも有名である。この言葉は福沢諭吉の言葉ではなく、アメリカ合衆国の独立宣言からの引用である。今でもアメリカ大統領の就任演説など聴いていると、本当に上手いな~と思う。しかし、今の日本の政治家などはまだまだ、演説が上手とはいえないな~。
(画像は、明治の女性民権運動のトップ。「岸田俊子(中島湘烟=しょうえん)」東京大学明治新聞雑誌文庫蔵。週刊朝日百科・日本の歴史より。彼女は、当時の常識を破って人目に自分をさらし、婦人の覚醒を訴えて男勝りの演説をしたという)
参考:
福沢諭吉ーWikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89
学問のすすめ(初編~十七編)
http://www1.sphere.ne.jp/dia/gakumon/gs/GS0.HTM#anchor3535567
第十章子規と「演説」 ~ 演説の来歴~ (三好恭治の熟田津今昔)
http://home.e-catv.ne.jp/miyoshik/nigitazu/nigitazu10.htm
慶應義塾豆百科
http://www.keio.ac.jp/mamehyakka/index.html
三田演説館
http://www6.ocn.ne.jp/~akarenga/mitaenzetsukan.htm
演説本の流行
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2005/tenji/index-l.html
自由民権派の憲法草案(私擬憲法)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/uekiemori.htm
アメリカ大統領就任演説(ケネディ~W・ブッシュまで)
http://hw001.gate01.com/katokt/inaugral09.htm
NPO法人 JKSK -黄金の鍵 語りつぐ、女性の物語
http://www.jksk.jp/j/key/index.htm
最近演説らしい演説を聴いたことがありません。選挙前の立会演説会や候補同士の討論会をドンドンすればエエと思いますね。
会場が宗教が母体の政党に動員された人ばかりになってしまいますかね。
もし、やっていれば、Lindaさんの仰るとおり、宗教活動をしている人か、本当の平和がどんなものかわかっていない平和主義者か、特異なイデオロギーを持った人たちぐらいでしょうね~。
占拠の演説にしても、そこに参加している人たちは、その政党の党員や労働組合、支援している会社の従業員など、自分の意思でと言うよりも参加させられているといった人たちが多いのではないか。
私も現役時代、会社から参加を要望されて演説会の桜をやったことがありますよ・・(^0^)
6月に多く行われている株主総会でも、前の方の席で大きな声で「異議なし・賛成」を叫んでいる人は、みなその会社の従業員達ですよ・・・。本当に株主総会に出席しているまともな株主は少ないですね。