今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

アダルトの日

2006-01-15 | 記念日
今日(1月15日)は「アダルトの日」
1947(昭和22)年1月15日、日本初のヌードショーが開演された。
東京・新宿の映画館・帝都座の5階劇場で、秦豊吉企画の"額縁ショー"の第一回公演「ヴィーナスの誕生」が上演された。帝都座とは現在の伊勢丹の向かい、今は丸井百貨店が建っているあたりにあったらしい。"額縁ショー"は裸体画に見たてたもので、舞台に設置された大きな額縁のなかで、セミヌードの美女が上半身をあらわにして絵画のようなポーズをとってただじっと静止いるだけだった。当時は、モデルの女性が裸で動くと「風俗壊乱罪」に問われたという。そこで、大きな額縁は、動けないという制約の中、これは“生きた絵画”という芸術であるという理由付けのための舞台装置だったのだ。ショーは、黒いカーテンを開いてから閉じられるまで、わずか4~5分の間という短いものだったそうだが、場内の観衆はかたずをのんで見守ったという。これが、日本のストリップの原型ともいわれている。終戦直後の廃虚の中、女性もモンペが普通だった時代に登場したわずかな時間のヌードに、虚脱状態から抜け出せなかった人々が押し寄せて連日おすないすなの大盛況だったという。ヴィーナス役の出演は日劇ダンシングチーム出身のダンサー中村笑子と甲斐美和であった。
そして、この小劇場の"額縁ショー"を企画したのは秦豊吉(はた・とよきち)。7世松本幸四郎の甥にあたる人で、東大独文卒で同期生に芥川龍之介がいたという。三菱商事に入社。『西部戦線異状なし』を翻訳してベストセラーになったことが負担になって退社。小林一三の知遇で東京宝塚劇場に移り、戦後、帝国劇場(帝劇)社長に迎えられている。本名の秦豊吉よりも丸木砂土(マルキ・サド)のペンネームで知られており、「夜の話・昼の話」、「世界艶笑芸術」、「女体西部戦線」などのエロ小説、エロ紀行を執筆、サド作品の翻訳紹介にもつとめるが、おかげで何度か警察のやっかいにもなったらしい。
”額縁ショー”はこの年(昭和22年)の5月に終了したが、秦豊吉は同3月に発表された田村泰次郎の『肉体の門』を8月に帝都座で舞台化した。戦後の混乱期に肉体派の文学として、一世を風靡した「肉体の門」は、パンパンガールと呼ばれた街娼たちを描いたもので彼女達の凄惨なリンチシーンで有名な作品であるが、着物姿の戦争未亡人が縛られるシーンでは着物の前がはだけて乳房がそっくり現れるハプニングが起きておおいに話題になったという。また、宙吊りとされたヒロインの上半身裸の背に革のベルトが当たるサディスティックな場面も大好評だったという。正に、秦好みの作品である。1964(昭和39)年鈴木清順監督によって映画化もされている。
”額縁ショー”公演のあと東京渋谷の東京フォリーブズで、動きのあるストリップが登場。浅草のロック座などでもストリップ・ショーの上演が始まり、1949年には日劇小劇場でもストリップを上演するようになって、1952年の日劇ミュージックホール開設へとつながった。以来、ストリップは全国に広まって行く。
しかし、この当時のストリップの本場は何と言っても浅草であった。「ストリップ」の看板を最初に掲げた「常盤座」や「ロック座」「大都劇場」などが有名だが、ヘレン滝、メリー松原、朱里みさ等のスターは、大学生にまでファンをつくったと言う。演出は次第に凝ったものになり、ブラジャーばかりかショーツまで脱ぐようになり、さらに、行灯ショーや行水ショーなどの趣向も生まれるようになる。こうした中、最大のスター「ジプシー・ローズ」こと志水敏子が誕生した(それまではローズマリーと名乗っていた51年に改名)。「ストリップ」という言葉を作ったのは、独創的な演出家で知られた政那乙彦氏だそうだが、彼は後に彼女のマネージャー兼夫になる。ストリップは、戦前のお座敷芸が”額縁ショー”に始まって劇場化し全国に広がっていった戦後文化・大衆文化の象徴でもあった。後には性的な側面だけが強調され、露骨さを競うあうようになったが、昭和20年代には、肉体の動きの美しさや意外性を表現する新しい文化として意識され、踊子達はその技術によって競争をしていた。その象徴が「ジプシー・ローズ」であり、彼女の”グラインド(腰と尻を回転する技術)”は肉体表現の極致といわれた。彼女は踊りの旨いことではずば抜けていた上、身長が162センチも有り、当時の女性としてはかなり、大柄で、しかも、外人のように彫りの深い顔だち、そして、情熱的な”グラインド”が男性たちのエキゾチックなものへの憧れをかきたてたという。ストリップには、この他”バンブ(腰にアクセントをつけて前に突き出す)”や”バイブレーション(つま先で立ったまま、全身を振動させる)”などの基本テクニックがあるが中でも、この”グラインド”がもっとも派手であり舞台効果も大きいと言われている。彼女の楽屋には、東郷青児や棟方志功などがよく出入りしていたといわれる。棟方志功は「ジプシーの肉体は神である」と絶賛、彼女の似顔を描き、横に天衣無縫」と書き印した。吉行淳之介は「乱世の英雄のひとり」と評したと言われる。しかし、西洋人もびっくりの豊満な胸、妖しくエロチックな踊りはあまりにも刺戟的だと警察から何度も禁止されたという(朝日クロニカル・週刊20世紀より)。芸術かエロか・・・頭のお堅い人には判別付かないのだろうね。
話はそれるが、最近は、テレビなどでも、魅力的な女性がその肉体の動きの美しさを表現するなら良いけれど、何の芸もないグロな男性が、「ド~モハードゲイデ~~~~~ス最高フォ~」なんていいながら、単純な、”バイブレーション”だけを繰り返している姿などは見たくないね~。ほんとに反吐が出るよ。やりたければ、どこかのゲイバーかどこかのゲテモノ好きの集まるところでやってほしいものだよ。
(画像は日劇ミュージック・ホールでのジプシー・ローズ。朝日クロニカル・週刊20世紀より)
参考:
額縁ショー
http://pochi74.hp.infoseek.co.jp/erohon201.htm
『浅草アプレゲール』
http://www.yaezakidokudami.com/syouwa/asakusaapure.html
日劇ミュージックホール開場(1952)
http://www.ffortune.net/social/seso/nihon-today/nitigeki-musichall.htm
肉体の門(1964) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD21400/
丸木砂土(秦豊吉)
http://www3.tky.3web.ne.jp/~taqueshi/maruki.html
striptease(ストリップ)
http://ok.halhal.net/~senichi/seniti/night/27night.html
おもしろニュース研究会 「20世紀B級ニュース」/  新宿帝都座5階劇場で「ヴィーナスの誕生」開演
http://www.c20.jp/1947/01nudes.html

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (linda)
2006-01-16 11:46:07
よーさん、お早うさんです。

例の男、あれを芸だとは思ってないでしょうね。どうせ一発屋だから稼げる時に稼ごうと思っているのでしょうね。あんなものを出演(?)させるマスコミの見識を疑いますね。
返信する
マスコミ (よーさん)
2006-01-17 10:44:15
lindaさんの言われるように、あんなものを出演(?)させるマスコミの見識を疑います。

今のマスコミは、つまらぬ番組を一杯放送して、子どもや世の中のことを分らない人たちに、悪影響を及ぼしておいて、後日、そのことで、色々問題が出てきてから、何が、問題か・・・?などと、のたまっている。自分達の社会的責任のことは忘れて・・・。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。