今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

警視庁創設記念日

2005-01-15 | 記念日
今日(1月15日)は「警視庁創設記念日」
1874(明治7)年、東京警視庁(現在の警視庁)が創設された。
明治維新をおこなった新政府は、国内の治安維持のための新制度を早急に整備する必要に迫られた。1868(明治元)年、倒幕のために上京していた薩摩藩と長州藩の兵を集めて、東京の警備や治安に当たらせたのが、警察の始まりであり、当初は、地方の警備や武力的鎮圧を行う軍務官(のちの兵部省)と犯罪捜査等を行う刑法官(のちの刑部省)、反政府陰謀やテロの偵察を行なう弾正台の3本建ての制度であった。その時の警察官の名称は、「府兵(ふへい)」といい、その後、廃藩置県後の改革により警察は、刑部省と弾正台に変わるものとして創設された司法省のもとに一元化され、呼び名も「羅卒(らそつ)」と変わった。この時に警視・警部・巡査”の官職名も生まれた。明治維新の立役者西郷隆盛は、維新上京後、薩摩士族の階級差の激しさを考慮して、城下士を近衛兵に、郷士を警察に入れた。郷士の長が川路利良である。
1872(明治5)年8月川路利良大警視は、東京府に属していた警察権を司法省警保寮へ移管する際、警保助兼大警視に任命され、同年9月、西郷隆盛の推薦により、警察制度研究のため欧州へ派遣され、1年の視察を終え、翌1873(明治6)年9月帰朝した。そして、政府に対して警察制度改革の建議書を提出し、これを受けて、1873(明治6年)内務省が新設され、警察は全国統一組織となった。
また、同時に1874(明治7)年、東京警視庁(現在の警視庁)が創設された。
その権限は衛生・風俗・営業、住民の日常生活の監視など広範な領域に及ぶことを目指したが、実際には士族の反乱や農民一揆などに対抗するため、軍事的機能に重点が置かれてしまったが、その後、地方警察機構も強化され内務大臣指揮下のもとに、警察本部―警察署―駐在所という指揮系統に立つ機構の配置により、中央集権的・国家的な性格をもった警察機構が確立された。
時に、1877(明治10)年10月、西南の役が勃発するが、このとき、川路利良大警視は、陸軍少将を兼任し、警視庁警視隊を率いて恩恵を受けた西郷隆盛率いる西郷軍と戦うこととなった。このとき500人からの警視隊がこの戦争に参戦したという。
この当時、大久保利道は、自由民権運動などを抑圧し、殖産興業の一方で、警察政治を敷き、近代国家建設に狂奔していたが、川路利良は、この大久保の政策方針に共鳴し、新設の警視庁の長官として、大久保の警察政治の手足となって働いていた。郷里薩摩をも敵国として扱い、スパイ団を送り込む際に敵地潜入に等しい訓練命令を与えており、西南戦中も旅団長として、薩摩入りをめざしたため、県民の反発を恐れ、大山巌らに押しとめられたと言われている。
それからの、警察は、日清・日露戦争を経て、国民を政治的・社会的諸権利から抑圧する体制を成立さていった。そして、第二次世界大戦敗戦後も、この体制は変わることがなかったが、GHQにより警察制度の根本的改革をされ、1948(昭和23)年警察法(旧)によって、国家地方警察と各都道府県の2本立てになったが、GHQがなくなると、1954(昭和29)年に、警察法が改正され、都道府県警が設置され、その上に警察庁を置くという、元の体制に似たものに戻った。
日本の警察の犯罪検挙率は世界一といわれた時期があり、世界でも注目を集めたのが、「KOBAN」こと「交番」であるが、交番は警察署の下部組織で、警官が交替で番をして、地域住民の相談にのったり、様々な事件に現場で則対応できる体制をとっていたもので、1888(明治21)から使用されていた「派出所」「駐在所」が正式名称であるが、もともと、明治14年に建物が設置されるまで、お巡りさんが交替で番をすることを、交番と言っているうちに、定着し、1994(平成7)年より、正式名称「交番」となったものである。しかし、日本経済のバブルが弾けて、警察官も減り、家の近くの交番でも、最近は、駐在している人はいないことが多く、ほとんど無人、時々交代で誰かが居る程度の本当の交番になってしまった。
犯罪都市として有名であったニューヨークなどは、日本の「KOBAN」制度を採用し犯罪が大幅に減ったと言われているが、逆に、日本は今、犯罪王国になってきており、警察の検挙率もぐっと落ちてきている。しかし、もっと、悲しいことは、警察官による犯罪までが多発し、警察の権威も地に落ちている。戦前のような威張った警官も歓迎しないが、今のように地に落ちた警官も困ったものだ。今一度、警察の機構改革が必要だろう。
画像は明治になって,初めて登場した近代警察,取締(ポリス)の絵図・・袖にPOLICEのロゴ、写真で見る神奈川県警察の歴史より)
参考:
都史紀要22 明治初年の自治体警察 番人制度
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/tosikiyo22.htm
関東管区警察局
http://www.kanto.npa.go.jp/contents/06contents/faq05.html
処分が厳しかった明治の「警察不祥事」
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/meiji/meiji32g.htm
写真で見る神奈川県警察の歴史(神奈川県警察公式HP)
http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesa4900.htm

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3 コメント

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パソコンは大丈夫ですか (鈴音)
2005-01-15 12:28:46
あれ以来パソコンの不具合も起こらず順調でしょうか?

今日は小正月だ~というくらいの認識しかありませんでしたよ。

当然小正月ネタかと思いきや…いや、いろんな日があるもんです。
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よーさん有り難うございました (けぃみ)
2005-01-15 17:22:25
パソさん不調のご様子ですがこちらは大丈夫ですのね

時々失礼ながらまとめ読みさせていただくこともございますが色々知識を得ることができ本当に楽しみにしてますのよ^^

さてさて今日は警視庁の創立記念日ですのね

私事でございますが亡くなりました祖父は県警におりましたのね

っといいましても明治生まれの人間でございますのよ

私が小さいときに亡くなりましたので記憶は殆どがお写真に頼るところでございますが手前味噌ながら人望の厚い祖父でしたわ

確かに今は警察の不祥事多ございますが 当初

国内の治安維持にと作られました経緯鑑みまして

是非驕ることなく頑張っていただきたいですわね

『戦前のような威張った警官も歓迎しないが、今のように地に落ちた警官も困ったものだ。今一度、警察の機構改革が必要だろう』

よーさんのこのお言葉に尽きますわね(微笑)
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がんばって・・・ (よーさん)
2005-01-16 07:00:38
警察の人は早く信頼を回復して、市民を安心させてくださいね。
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