今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

宿の日

2006-08-10 | 記念日
今日(8月10日)は、「宿の日」
国際観光旅館連盟(国観連)日本観光旅館連盟(日観連)全日本旅館連盟(全旅連)日本観光協会の宿泊観光4団体が1992(平成4)年に制定。「や(8)ど(10)」の語呂合せ。日本の宿、特に旅館の良さを再認識する日だそうだ。
「日本の宿」というと「宿場」を連想する。「宿場」は宿駅とも呼ばれ、街道の拠点となったところである。「宿(しゅく)」という名前は、平安時代の末期頃から使われだしたが、江戸時代に宿駅伝馬制度が定められ、街道が整備されるとともに発展した集落である。
1601(慶長6)年、徳川家康は天下の覇権を握るや直ちに江戸と上方を結ぶ東海道の整備に着手し、引き続き中仙道、その他の五街道を整備し、伝馬制を採用。街道には一定区間に宿駅を設け、伝馬による継送を基本とする宿駅制度の整備が進められた。新しく宿駅を設けるために、街わりを実施し、そこに周辺の村々から民戸を移す村寄せを行ったところもある。
このようにしてつくられた宿駅には、公武の宿泊、休憩のため問屋場本陣、脇本陣などがおかれた。当初は農村とさほど変わるものではなかっただろうが、このような街道の開発・整備に伴って、交通量の増大や商品流通の活発化に伴い、次第に、一般の旅人を対象とする旅籠、木賃宿、茶屋、商店などが立並ぶようになり、その宿泊、通行、荷物輸送などで利益をあげるものが出来上がり、都市的な様相を呈するようになっていく。
又、江戸時代になって、貨幣経済の進展が町人達の商いやレジャーの旅を可能にし、旅の大衆化を促進したことはいうまでもないだろう。通貨や為替のスムーズな流通が「路銀」さえあれば、交通手段や宿泊施設がいつでも利用できるところから、更に旅装を身軽にした。より、直接的には、旅行関連サービス業の整備があげられる。たとえば、1804(文化元)年に始まった「浪花講(なにわこう)」である。「浪花講」は「飲む・打つ・買う」の客はシャットアウトした指定旅館制であり、加盟の宿には、「浪花講」の看板が掲げられ、利用客には定宿帳が配布されるというものであった。ここでは安くて良い 宿泊が保証されると共に、飯盛り女も置かないことになった。その後、江戸の商人の間 でも「三都講」が生まれ、その他「講」指定旅館は増加の一方だったという。普通の宿が、激しい客引き競争でエネルギーを消耗しているなか、宿泊する側と旅館との間の両者の利害を、うまく調整する知恵が「講」指定旅館になったこと は特筆に値する。また、このような旅の民衆化は、幕藩体制の農村の生活が窮屈であればあるほど、開放感に浸るまたとないチャンスでもあり、庶民は、郷里では一生口に出来ないであろう名物料理を、さらには様々な「精進落とし」を楽しんだり、女たちの中には、領国ではご法度の絹や紬を身につけたいばかりに他国へ参拝に出かける者もいたという。当時参拝には、「伊勢参り」が多かったが、大神宮へもちょっといりたいというのがその実態で、普通はあこがれの京・大和めぐりとセットにされていた点では現代の修学旅行などと変わらない。「伊勢参り」についで畿内では、前代以来依然として「高野山詣で」の人気がたかく又、信州門徒にとっては、「東・西本願寺への本山参り」がされていた。又、伊勢や畿内の寺社以外で全国規模の参拝客を動員できたのは信濃の善光寺と讃岐の金比羅宮であった。又、このような、寺社・霊山などの進行から独立した遊山見物、温泉入浴も盛んになる。日本三景、近江八景、金沢八景などは風景画集も編まれていた。摂津有馬、伊予道後などには古代にも貴族が湯治に赴いていたが、江戸時代に入ると伊香保、草津、箱根七湯、熱海、修繕寺、熊野、城崎などがポピュラーになる。これらの中には、ヘルスセンター並みにレジャーランド化したものも見られ「参詣」の中途で長湯治する場合も少なくなかった。
今日の「宿の日」が、「日本の宿」、特に旅館の良さを再認識する日とあるので、一度原点に帰って、江戸時代の宿場の起こりや、旅のことなど書いてしまったが、今でもただ単に、宿に止まりに行く場合はホトンドなく、宿には、何らかの目的があって泊まるのが普通である。今でも四国八十八ヵ所巡りの宿としてもあるるだろうが、江戸時代と違ってこのような「参詣」めぐりの目的は今では少ないであろう。多くは、仕事など商用の宿として、又観光目的での観光地での宿泊施設として、宿を利用することが多いであろう。今では宿泊のための宿も目的に応じて、商用のビジネスホテルから、観光ホテルや旅館、ペンションなど色々有る。
よく、和風旅館のパンフレットなどでは、「旅館の良さは木のぬくもりと人のふれあい。」で・・・などと書かれてはいるが、「日本の宿」、特に旅館の良さをどこに求めるかなどは、人によって求めるものも違うだろうし、なかなか一概にこれがそうだというのも難しい。
ただ現代の我々にとっては、昔の東海道、東京から京都・大阪に行くのは、そう難しいことではなく、日帰りさえ可能である。このように交通が便利になった反面、たとえば、新幹線などに乗ってしまうと、あっという間に目的地に着いてしまい、途中、どんな駅を通過したのかさえ分からないことが多い。いわんや飛行機などを利用すると、大阪から東京までひとっ飛びである。
江戸時代の人々が旅に出る機会は、今よりはずっと少なかった。しかし、当時の人々は、旅に出れば自らの足で一歩一歩進まなければならず、目的地に着くまでの道程を通して、宿場などについての知識を増やしていったであろうことは推測できる。また、当時の人々は、旅に出る機会が少ないだけに、旅に出る前には、物語や紀行文などを通じても、目的地までにどのような宿場があるのか、どの地方にはどのような名所があり、どんな名物があるのかということを学んでいた。さらに、子どもの頃から親しむ道中双六などを通して、宿場の順など、自然と記憶していた。当時大流行した十返舎一九作の『東海道中膝栗毛』は、東海道筋の名所名物に関する知識を持った上で読めば、より面白味が増す。浮世絵についても、宿場名をもじった絵や判じ物、あるいは『東海道中膝栗毛』をパロディ化した絵などは、あらかじめ東海道についての知識があってこそ、楽しむことができる。当時の人々は、我々よりもずっと、旅をする道中そのものに親しみ、その土地のことや街道のことを深く味わっていたようである。
今、旅に出て、その地でどのような宿に止まるか?部屋そのものの居心地を楽しむも良し、そこで出される土地の料理を味わうも良し、その宿の人の人情に接するのを楽しむも良し、そして、飲兵衛は温泉に入ってその土地の地酒を楽しむも良いだっろう。
私も現役時代、出張が仕事のようなものだったので、長い期間に、ビジネスホテルから一流のホテル、大きな観光旅館から地方の小さな旅籠、又、昔からある古い温泉旅館などいろんなところに泊まってきた。しかし、本当に、旅をして、その土地に来たという実感が味わえる宿は本当に少なくなかったといえる。特に観光旅館などは、どこも同じつくりの旅館で、料理も会席料理など、どこへ行っても殆ど同じである。そんな中で、私は、後半の方は、余り他所の土地の人が泊まらない、つまり、観光用でもなく、ビジネスマン向けでもない、地元の人が寄り合いに使っているよう旅館を仕事先の人に頼んでとってもらうようにした。何が大きく違うかと言えば、普通の観光旅館などでは、その土地でない人、つまり観光や仕事で来たよそ者に料理を出すわけだから、料理の味もどこの土地の人にも合うような、極、平凡な味付けにしている。つまり、言葉で言えば標準語的な料理なのである。又、接し方にしても、標準語的な言葉でマニュアルに基づいたような接し方をする。地元の人を対象としているところは、地元の人用の味付けをし、接客に妙な堅苦しさがなくざっくばらんな話が出来る。ふと、思ったが、江戸時代に東海道などを旅した人はその土地のそような旅館に泊まり、その土地のものを食べ、その土地の人の人情に触れ、その土地の話題を楽しんだのではないだろうか。そんな、旅館が私にとっては良い旅館だと思っているが・・・。私は、今も残る宿場町が好きであるが、以下参考の宿場町・街道集落など面白いよ。
(画像は、東海道五十三次ノ内「御油」旅人留人。広重画。平凡社太陽浮世絵シリーズ「広重」より。「御油」については以下参考の>東海道五十三次「御油宿」案内が詳しい)
参考:
宿場 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E5%A0%B4
浮世絵で楽しむ江戸の旅 東海道宿場めぐり(タバコと塩の博物館)
http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventApr05/04.html
東海道について
http://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index1/q01.htm
浪花講定宿帳と道中記
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/43_kou.html
伊勢迄歩講
http://www.inarijinja.or.jp/shamusho/t_06ise.html
宿場のくらし
http://www.hirahaku.jp/tenjishitsu/p46.html
旧東海道の旅
http://www.tokaido.co.jp/lab/wada/to-menu.htm
宿場町・街道集落
http://magok.cool.ne.jp/syukuba.html
[日本の宿]All About
http://allabout.co.jp/travel/yado/
東海道中膝栗毛 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E4%B8%AD%E8%86%9D%E6%A0%97%E6%AF%9B
東海道五十三次「御油宿」案内(付「赤坂宿」)
http://www1.ocn.ne.jp/~goyukuri/

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4 コメント

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ふたたびファインマン (ザ・ランス(石原))
2006-08-10 18:35:13
 ファインマン博士も、日本旅館に泊まって、大層気に入ったそうです。

 風呂場で湯川博士とばったり出会ったりしたと、楽しそうに書いてます。



旅館 (よーさん)
2006-08-11 05:46:32
ザ・ランスさん、旅館はいいですね。でもいいところは高いので私は、ほどほどのところしか泊まりませんが・・・。(^0^)
仲居さん (Linda)
2006-08-11 09:57:35
よーさん、お早うさんです。

ラグビー協会時代はホテルを取ってくれるのでホテルばかりでしたが、夫婦で旅をする時は旅館ばかりです。どちらかと言うと、旅館が好きです。ただ、部屋に来る仲居さんがお喋りでも困るしつっけんどんなのも気分が悪いです。
仲居さん (よーさん)
2006-08-11 15:25:36
Lindaさん、旅館は、仲居さんの接客態度が大きく影響しますね~。

時々無愛想なのがいるが、人と接するのが嫌いなら、こんな職業に付かなければ良いのにね~。

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