いつも参考にさせてもらっている「今日は何の日~毎日が記念日~」(※1)に、今日・11月17日の記念日として「肺がん撲滅デー」があった。
由緒を見ると、“2000(平成12)年9月に東京で開催された国際肺癌学会で制定。アメリカで11月第3週が「たばこ警告週間」となっていることから。”・・・とあったので、東京で開催された国際肺癌学会でどのようなことが話し合われたのかを検索すると、以下参考の※2:NPO法人 「子どもに無煙環境を」推進協議会のページに、国際肺癌学会(IASLC)東京宣言2000年9月14日というものがあった。
そこには、“肺癌は世界で癌死の最も高いものである。男女共にその発癌発病率の急増は警鐘を鳴らす状況にある。肺癌の9割は喫煙及び受動喫煙によるものであり、そのため予防可能なものといえる。喫煙はその他の多くの癌(ガン=悪性腫瘍の俗称)、循環器系疾患及び慢性肺疾患の主な原因ともなる。子供の喫煙によるニコチン中毒は世界的な流行病であり、速やかな対応を必要とする。禁煙は肺癌発生の抑止と、高騰する医療費の抑制を計る最良の方法であり、ひいては世界人類の公衆衛生の向上と豊かな生活を成就することができる。”として、これらの目的を達成するために国際肺癌学会(IASLC)は以下の事項(1~5)を宣言している。
1. 政府に対し、
1)子供の喫煙によるニコチン中毒>を防止するための新しい方法の開発
2)分煙などによる非喫煙者の保護のための公共施設・交通機関内での禁煙
3)政府広報・公共広告を通して、喫煙の害・禁煙の啓蒙
4)禁煙を目的としたタバコ税の増額
5)喫煙者に関わる医療費の一部自己負担制の新設
6)初等中等教育での禁煙教育を行うための法令整備、行政指導、予算措置を要望する。
2. 医学会や医療機関に対し、禁煙運動と禁煙教育への協力支援を依頼する。
3. 医療関係者に対し、禁煙のためのカウンセリング技術の習得を要請する。
4. 産業界・メディアに対し、タバコの広告宣伝及びセールス活動を廃止するように要請する。
5. 国際肺癌学会は、肺癌に関する資料を公共のために提供する。
以上の宣言は、要するに、タバコは害があるので、さまざまな「喫煙規制」をしようということのようだが、このような喫煙を規制するようになった理由としては、世界保健機関(WHO)の「たばこ規制枠組条約」が世界的な合意を得たからだと聞いている。
タバコは、葉の成分に習慣性の強いニコチンを含むナス科(ニコチアナ【Nicotiana】 タバコ属)の一年草の亜熱帯性植物で、南北アメリカ大陸の熱帯から温帯にかけてと、オーストラリア・南太平洋諸島・アフリカ南西部などに分布し、約66種が知られているが、そのうち45種が南北アメリカ大陸と、その周辺部に生育し、先住民族が使用していたというから、タバコ文化の発祥はアメリカだといってもよいだろう。
このタバコは1492年にアメリカ大陸を発見したコロンブスがヨーロッパに持ち帰ってから最初は、観賞用、薬草として栽培されたり、万能薬として医療にも用いたりされた(タバコの語源は、スペイン語やポルトガル語の "tabaco"で、スペインでは薬草 類を "tabaco"と呼んでいたらしい)。その後、疲れや緊張を和らげてくれる手軽な癒しの手立てとしての嗜好品として愛用され、百年も経たないうちに世界の隅々まで普及しているが、その当時から、ヨーロッパでは、タバコによる悦楽や慰みにふけることを背徳的な行為と考える人々の間では、タバコの使用はもともと野蛮な異教徒の忌むべき陋習であり、医療行為としてのみ許されるべきであるという主張が直ぐに高まり,その後も、たばこの乱用を戒める声は続いていたというが、庶民から居酒屋(パブ)などでの喫煙を奪うことはできなかった(国中に普及していた喫煙の風習を最初にたばこに反撃を試みた人物は、イングランド王ジェームズ一世だとされている)。しかし、現在では、タバコの喫煙は、世界的に、癌・高血圧・心臓病などの重大な疾患の原因になるほか、受動喫煙の問題などマイナスのイメージが強くなり、さまざまな団体による喫煙規制や禁煙運動が進められている。
このタバコの歴史については、以下参考の※3:「たばこの歴史」や※4:「アメリカにおける「喫煙と健康」論争の誕生と進展」に詳しく書かれているが、タバコの喫煙と健康問題については、後者の方で簡潔に纏められているのでそこから、最近の動きが発生するまでのアメリカの状況がどうであったかを引用させて貰おう。
タバコ文化発祥の地であり、葉タバコの栽培で植民地の最初の基礎を築いたアメリカにおいて、タバコは当初からヨーロッパであったと同様の非難の対象となってきたようであり、北米植民地(13植民地参照)に於ける初期の反タバコ運動は、マサチューセッツ州議会が1634年、公衆の面前でタバコを摂取することや2人以上の者が一緒に喫煙することを禁止する法律を成立させ、コネチカット州でも1640年、タバコの使用を抑制する法令を制定したが、タバコが、植民地の主要な輸出品となっていくにしたがって、1646年に共に廃止されたそうだ。
これが再び勢いを盛り返すのは独立戦争以後のことで、それは北部を中心に始まった禁酒運動と一緒に進められたという。
アメリカ独立運動宣言の署名者の1人で医師のベンジャミン・ラッシュは、1798年、合衆国で最初の注目に値する反タバコ論文とされる「タバコの習慣的使用の健康・道徳・及び財産に対する影響についての考察」を発表し、その中で、彼は「口と喉が喫煙やタバコの汁の刺戟にさらされたあとでは、どんな鎮静剤や気の抜けた酒もまずい。当然、欲求は強い酒に向かい、直ぐに暴飲と酒びたりになっていく」と指摘して、タバコの酒への悪影響と両者の関連性を強く主張していたそうだ。
因みに、Wikipediaによれば、ラッシュは一般に長老派教会員と考えられていて、フィラデルフィア聖書協会の創立者の一人であったそうで、依存症という概念を発明したとも言われている人で、ラッシュの頃まで、酔っ払うことは罪深いことであり、個人の選択の問題とされていたが、彼はアルコール依存症が自制心を失わせるという概念を紹介し、病因として、アルコール依存の選択よりもアルコールの特性であるとし、依存症の概念を発展させ断酒が依存症に対する唯一の治療法であるとしていた人だそうだ。ただ、ラッシュは、アルコールの過度の乱用が身体的かつ心因的な健康に有害であると主張したのであり、彼は後に成立する禁酒法よりも、むしろ個人による節度を信じていたという(Wikipedia)。
ラッシュの警告は、1833年の「アメリカ禁酒同盟」(禁酒法参照)の結成と同時に盛り上がった禁酒運動とともに、多くの社会改革運動家によって、強化された。
しかし、南北戦争とその後の4半世紀の間は、反禁煙の風潮が再び減退したが、19世紀末からシガレット(紙巻きタバコのこと)の台頭がこれにもう一度火をつけた。それは、シガレットが新奇で手軽なため女性や未成年者も手を出すようになったことが、良識ある人たちの顰蹙を買ったようだ。
タバコ反対運動は第一次世界大戦以後に全国で支持を集めたが、そこには、社会的影響力をもつ人達、「発明王」の名を持つトーマス・エジソン、自動車王ヘンリーフォードといった人々の影響が大きかったようであり、1920年1月タバコ反対を主張して大統領選に立つと宣言したルーシー・ベイジ・ガストンもその1人で、彼女はもともと「婦人キリスト教禁酒同盟」(※5参照)に関係しており、シカゴを拠点に活発な活動をし、州議会などにシガレット禁煙令を制定するよう働きかけていたそうだ。彼女が1924年死去した後の反タバコ運動の最も突出したリーダーは、「アメリカ非喫煙者保護同盟」のチャールズ・G・ピース博士だったという。
こうした社会改革運動家たちの活動が功を奏して、テネシー州では1897年、ニユーハンプシャー州では1901年、イリノイ州では1907年など各州で始まった立法化の波を受けてタバコ反対運動は全盛を極め、1921年まで拡大を続けていた。この時期、喫煙者とタバコ会社に関して何らかの法律が制定され、28州の法令集にシガレットの製造・販売・広告・使用に関する規定が書き換えられたが、禁止の度合いには非常に幅があり、アイダホとユタの2州を通過した法案のみが明確にシガレット全面的禁止を規定していたに過ぎなかった。また、多くの場合制定と同様に法律の撤回も迅速に行なわれ、しばしば財政上の必要性がその理由とされたようだ。
それでも1926年まではカンザス、アイオワ、インディアナ、ミシシッピーの諸州ではまだ反シガレット法が生きていたが、1930年までには本来の形で法律を残している州は殆どなく、効力のある唯一の禁止事項は、「未成年者へのタバコの販売」に関してのみであったという。
他方、禁酒法は1851年の「メイン州法」を皮切りに州法レベルの成立が相次ぎ、1919年には全国禁酒法」がアメリカ連邦議会でも通過し、翌1920年1月から1933年12月に廃止されるまで14年間も生き続けていた。これに比べ、反タバコ運動は禁煙法の制定は遅々たるもので「禁煙運動」は「禁酒運動の頼りない妹」に見られていたといえるだろう。・・・と述べている。
その後、ドイツでは、1942年にヒットラーがナチズム喫煙規制政策をとり健康有害、公衆衛生教育など反喫煙キャンペーンを行ったことが伝えられているが、その他の国では、第二次世界大戦中は影を潜めていた反たばこ運動であったが、戦後、肺癌の増加傾向が見られるようになると喫煙との関係が疑われる様々な実験や報告も行われるようになり、喫煙と人体への影響はまだ曖昧だとしても、少なくとも病理学の一分野では、タバコが人体に有害な可能性があると見られるようになり、このころより、反たばこ運動の焦点は製品であるタバコそのものよりも、タバコを吸う「喫煙」者そのものが否定される社会へと移行していくことになる。
その後,大規模な疫学調査(統計的な解明)の結果に基づいて、1964年にアメリカ公衆衛生局諮問委員会が「合衆国の人口中、シガレットの喫煙と因果的に関連している死亡か過多数の合計は、正確に推定することは出来ない。」としながらも、「シガレットは喫煙が特定の疾患による死亡割合や全体の死亡率に実際に寄与しているものと判断している」との報告を出し 、次の1967年の報告では、「喫煙問題は肺癌の主要な原因として圧倒的なものとなりつつある。・・・研究結果は、タバコ喫煙が冠動脈 心疾患による死亡の原因となり得ることを強く示唆している」と、前回の幾分暫定的な報告からかなり断定的な報告となり、こうした姿勢が1968年、1975年、1979年の報告でも堅持されたようになり、喫煙の健康に対する人々の懸念は一層高まっていったようだ。
公共の場所における喫煙を包括的に制限する法律を初めて成立させたのは、1973年米国アリゾナ州であるが1980年代に入ると、州・郡・市レベルまで喫煙関係条例が増えて行った。
世界保健機関が設立40周年を迎える1988年には、「世界禁煙デー」(※6)を毎年5月31日とすることが定められ、翌1989年以降この日に実施されるようにもなった。
カリフォルニア州は、1994年に働く場所での喫煙を禁止する法律を成立させ、1998年には壁で囲まれた場所における喫煙を完全に禁止する法律を成立させている。
米国に於いては、1992年以降、喫煙による被害者ばかりでなく受動喫煙者、反喫煙運動家、医療提供者等を原告、たばこ会社や小売業界、広告会社を被告とするタバコ訴訟が増えていった。
1997年11月、州政府との訴訟で主要なたばこ会社5社が、総額2,460億ドル(約25兆円)を25年にわたり支払うという「和解」をせざるを得なくなった。この結果、ニューヨーク市等では、多くの銘柄が1箱7ドル(約840円)になり、当時の日本の3倍以上の値段になっている(※7)。
そして、2003(平成15)年5月21日、冒頭で述べたWHOの「たばこ規制枠組条約」が、世界保健機関(WHO)第56回総会で全会一致で採択され、日本では、翌年3月9日 ニューヨでこれに署名し、 2005(平成17)年2月2日 公布及び告示(条約第3号及び外務省告示第68号)、同年2月27日より、効力が発生している(※6参照)。
思い起こせば、私は、現役時代、アメリカへは1996年~1999年の間に2度米国西海岸一帯の流通業視察と観光を兼ねて行ったことがあるが、1996年の最初行った頃は、日本でも禁煙運動あったものの緩やかであり、私のいた会社でもまだ社内での喫煙は禁止事項とはなっていなかったが、社長以下重役連は禁煙をしており、禁煙を出来ない人は自制力が無いような雰囲気が出来始めてはいた。しかし、まだまだ、喫煙が身体に悪いという認識は殆どの喫煙者にはなく、ただ、勤務中に事務所内での喫煙はばかられ、吸いたい時にはそっと、席を離れて休憩所や食堂などでカップコーヒーなど飲みながら自由に喫煙をしていた。
私も当時は喫煙をしていたので同様であった。ただ、実際に米国西海岸への視察で、現地に着くと、非常に限られた場所でしか喫煙できるところはなく、喫煙できるレストランなどへ行っても、奥の隅に、ごく限られた場所に狭く仕切られたところが喫煙席になっており、そこに座っているだけで、周囲の人達から、蔑むような冷たい視線を浴び、本当に厭な思いをした。
そして、米国では、低所得者層の住むダウンタウン周辺地域、それに、中・高所得者層の住む郊外の地域では、全く環境が異なっており、低所得者層のいる地域では、あちこちにタバコの吸殻が見られるが、中・高所得者層のいる地域では、全く見ることはなかった。明らかに、所得階層によって、禁煙への取り組みも違っていることを見て驚いた。
それでも、私は、帰国後も、喫煙をしていたが、3年たった2度目の視察の時には、前回の視察で味わった屈辱的な思いだけはしたくなかったので、これを機会に、禁煙をした。だから、私は、当時でも、タバコが、身体に悪いからと思って喫煙をしたわけではなかった。
私は若い頃、気管支喘息の気もあったのでタバコなど会社へ入社当時は吸っていなかったのだが、商社と言う仕事柄、営業に出て一対一での交渉ごとや夜の付き合いも多く、どうしても、タバコでも吸わないと間が持たないというので吸い出したので、もともと吸っても1日、1箱程度しか吸わなかったから簡単に禁煙できたのだろう。
タバコと違って、酒の方は、会社の連中から 「うわばみ」とあだ名されるほどの底なしの飲兵衛で、類は類を呼ぶで、同じような飲兵衛仲間が沢山出来、酒は浴びるほどに飲んでいたため、定年の頃には、御蔭で肝臓がすっかり弱ってしまって、医者にも注意され、肝臓の薬は飲んでいるが、それでも、今だに、毎晩晩酌は欠かさない。凡そ、私は、大人になって夕食に、ご飯を食べたことはなく、定年後になってから、月2~3回意識的に、飲まない日を作っているだけである。
だからと言って、適量を越えた酒やタバコが身体そのものに良いものとは思っていないし、特に酒以上に、タバコなどニコチンを含んだ煙を吸ってそれが身体に良いわけはないと思っている。
しかし、先にも記した2000年の国際肺癌学会(IASLC)東京宣言にもあるように、酒やタバコが身体に良くない面があるから未成年者の喫煙を禁じることとか、周囲の人に迷惑をかけないように受動喫煙者を亡くすようにすべきことなどの宣言は理解できるが、私は既に、タバコは禁煙しているので直接関係はないものの、「禁煙を目的としたタバコ税の増額」や「喫煙者に関わる医療費の一部自己負担制の新設」といったことについては、どうも方法論が違っているのではないかと言う気がする。
タバコ税については、民主党鳩山由紀夫政権(当時)では2010(平成22)年10月のたばこ税増税(※10参照)の目的を「健康目的の為に喫煙者を減らす」と記者団に語った事から、いつの間にか「健康目的の懲罰税」の性格を帯びてくる様になってきた。これは、以下参考の※11:「厚生労働省:2009年世界禁煙デーについて」を見ても分かるように、禁煙週間のテーマ「煙のない健康的な社会づくり」が、WHOのスローガン:「警告!たばこの健康被害」を受けてのものであろうが、これに対し「たばこ税の元々の目的ではなくなっている」と批判する声も挙がっている。
今年(2011年)も小宮山洋子厚生労働大臣が9月5日の記者会見で、2012年度税制改正に向けて、たばこ税の増税を財務省に要望する考えを明らかにした。
増税の理由として、先進国の中で日本のたばこの値段が安いことや、タバコは1箱【20本入り】あたり約400円だが「1箱700円くらい までは、値上げで販売量が減っても1本あたり税収が増えるため全体の税収が 減らない」と強調し、大幅な引き上げに意欲を見せたが、タバコ税の所管官庁は財務省であり、小宮山と同じNHK出身の安住淳財務大臣は、小宮山の発言に不快感を示し、野田内閣発足早々、まとまりの悪さを暴露した形だが、超党派による禁煙推進議員連盟の事務局長をも務めていた彼女は、昨年9月のインタビューでも「なるべく早く先進国並みの1箱600円まで値上げ」「1箱1000円くらいまでは値上げしてもいい」と語り、そのメリットとして健康促進、受動喫煙減少、医療費削減、未成年者の喫煙防止、寝たばこ火災抑制の5つを挙げていた(※11)。
しかし、東日本大震災の復興財源にあてる増税の種類や税率について、民主、自民、公明3党の税制調査会は、11月10日、野田政権が予定していたタバコ増税そのものは見送ることになった(個人住民税の増税額の引き上げなどで穴埋め)ようだが、又、そのうちに増税の話は出てくることだろう。
タバコ税とはたばこ税法(昭和59年8月10日法律第72号)に基づき、「製造たばこ」に対して課される税金(いわゆる「国たばこ税」=狭義のたばこ税)であり、酒税法(昭和28年2月28日法律第6号)に基づき、酒類に対して課される酒税同様の国税(※12)であるが、何かあると、なぜこれらの酒やタバコなどに税金がかけられるかについての詳しくは、Wikipediaの酒税、タバコ税を見てもらえば分かるが、1つには、酒、タバコは共に、嗜好品(=贅沢品的なもの?)であり、その消費については税金を負担できるであろうとされているのだろう。それに、どちらも、蔵出し税であり、出荷した時に徴収する税金である為、取りっぱぐれが無い。酒税はもう、これ以上上げられないぐらいになっているので、これ以上税金を上げると業界の反発が強い。それに比べて、タバコの販売元は、今は民営化されたとはいえ、もとは大蔵省の外局であった日本専売公社であり、政府には逆らえず、国民さえなんとか大義名分をもって納得させれば、増税しやすいので、特に値上げの標的にされやすいところがあるようだ。
タバコが、本当に健康上悪いだけの代物であるならば、製造や販売そのものを禁止していくべきだと思うのだが・・・・。
ただ、世界保健機関(WHO)は、アルコールも癌(ガン)リスクを増大させるとして警告を行っており、WHO傘下の国際がん研究機関(IARC)では飲酒は、がんを引き起こす元凶と指摘している(Wikipediaの酒参照)らしいので、タバコは既に禁煙しているものの、今では毎日の晩酌を唯一の楽しみに生きている私には、この問題がお酒にまで飛び火したときには、生き甲斐がなくなってしまうので困るよな~・・・。
江戸時代の本草学者である貝原 益軒(1630年=寛永7年 - 1714年=正徳4年)によって書かれた健康な生活の暮し方についての解説『養生訓』(内容は※13又※14参照)が「酒、タバコ」についての解説もしているので、そこにはどんなことが書いてあるか、判りやすい現代語訳の※14:「養生訓 (抄訳)」から、見てみよう。直接、酒・タバコに入る前に先ず、巻第二総論 下に書かれている“飲食”についてその一部を抜粋してみよう。
7 飲食はひかえめに
“飲食は人が生きていくために必要なものである。でも必要以上にむさぼってはいけない。食欲を抑えることも必要である。食べ過ぎてしまい、そのために胃腸薬を服用すると、胃の本来の働きが弱くなってしまう。食欲を抑えるには、精神力が必要だ。病気になることを怖れることを忘れないようにしなければいけない。
10長命と短命
“長命と短命を決めるのは、人の生き方による。自分の思うがままの生活をつづければ、健康を損ない短命になる。逆に節度をもった生活を続ければ長命でいられる。”・・・。
正に、ここに記されている通りである。これを前提に、第四巻飲食 下の中で、記されている酒、タバコについてみてみよう。以下のように書いてある。
44 酒は天の美禄
“お酒は、天から与えられた褒美である。ほどよく飲めば、陽気になり消化を助け、心配事から開放され、やる気を出す。しかし、多く飲めば害になる。たとえば火や水は人の生活になくてはならないものであるが、同時に火災や水害ももたらす。そういうものである。酒を多く飲むと寿命も縮めてしまい、せっかくの天からの褒美も台無しである。
45 多飲の戒め
“お酒というのは、人によって多く飲める人と飲めない人がいる。少ない量で気持ちよくなる人は、多く飲む人より酒代が少なくてよく、経済的である。日々我慢をせず、多く飲むことが習慣になってしまうと、身を崩してしまう。慎まなければいけない。”
このほか、酒は、空腹時に飲むと害になるとか、冷や酒は良くないので、程よく燗(かん)をした酒が良いとか、酒を飲むときは甘いものを食べてはいけない(これは今の医学では誤りとも聞くが・・・)。焼酎は(度数が強い)ので毒があるから多く飲んではいけないとか色々と書かれており、
51 酒と命 では、
“長寿な人たちは、ほとんど酒をのまない。お酒を多く飲む人が長寿なのはめずらしい。酒はほろ酔い程度に飲めば、長寿の薬となるだろう。”・・・・等々。
いちいち、ごもっともと、感心することばかりであるが、私など、若いうちの無茶のみをただただ反省するばかりである。
仕事柄、相当ストレスの沸く仕事をしていたので、そんなストレスを発散するには、気の合う飲兵衛仲間との酒が一番であったが、それが祟ったのか、かっての飲み友達の多くは既に、私より、先に、旅立ってしまっている中、私だけ未だにしぶとく生き残っている。酒だけではなく、仕事中に、ホット息抜きをするときなど、一服のタバコはいいものであった。
しかし、酒に比べてタバコのことは、飲茶 ならびに煙草の項に以下のように簡単に書いてあるだけである。
60 煙草の害
“たばこは天正(1573年)・慶長(1596年)年間の近年になって、他国から渡ってきた。「淡婆姑」は日本語ではない。
煙草は、毒である。煙を吸い込むと目が回り倒れることもある。習慣になれば害も少なくなり少しは益もあるといわれるが、害のほうが多い。病気になったり、火事になったりと心配ごとが増える。習慣になると、煙草をやめれなくなり家計にも負担をかけることになる。“・・・・と。
酒は飲み方を間違えれば毒になるが間違えなければ“長寿の薬になるだろう”と書いているのに比べると、煙草は、“少しは益もあるといわれるが、害のほうが多い”と手厳しい。又、“病気になったり、火事になったりと心配ごとが増える。”ともあるが、煙草の種が日本にもたらされて、日本で栽培されるようになったのは、江戸時代初めの慶長10年(1605年)ごろだそうで、当時、薬草としてこっそり栽培している個人がいたらしい。当時は薬であると信じていたことから、好んで喫煙していたらしく、豊臣秀吉や徳川家康も煙草を吸っていたという。
冒頭の画像は、高松藩家老・木村黙老が描いた平賀源内像である(週刊朝日百百科『日本の歴史』【83】より)。
【☆画像注釈:江戸時代の本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家、画家【蘭画家】としても有名な平賀源内 は、特に本草学に熱心で藩主松平 頼恭に引き立てられ、城下の栗林荘(現在の栗林公園)に薬草園も作っている。エレキの発明家として有名だが、煙管【きせる】を持った画像を見ても分かるように煙草(タバコ)好きで、日本初のライターとも言うべきゼンマイを使用した火打石と鉄を用いた「刻み煙草用の 点火器」を発明している。】
当時は「きせる」による喫煙が主であり、江戸時代初期には全国に普及していたが、非常に高価なもので喫煙できるのは裕福な武士か商人のみであったが、庶民の間に喫煙の風習が広がりはじめた頃、徳川幕府が、度々「たばこ」の禁煙令を内容を変えて発令してているが、その目的には「タバコ」自体への非難とは異なるもの“当時かぶき者などが多く出現したことから、そのような乱暴狼藉を働く反社会的な浪人集団が珍しい風習である「タバコ」を徒党のシンボルとしていたためそのような反駁(はんばく)府精力の抑制やタバコの広まりにより、現金収入を得られて実入りのよい「タバコ」を栽培する農家が増加し、年貢米の確保に不安を覚えた幕府が、農家による「タバコ」の栽培を禁じた”ものらしい。しかし、幕府による度重なる禁令にも関わらず、「タバコ」を楽しむ人々は増え続け、徳川3代将軍・家光の代である寛永期(1624〜1643年)に入ると、「タバコ」に課税して収入を得る藩も現れ、「タバコ」の耕作は日本各地へ広まってゆき、やがて、禁令も形骸化し、徳川綱吉が5代将軍を務めた元禄期(1688〜1703年)頃を境に、新たなお触れは出されなくなり、「タバコ」は庶民を中心に嗜好品として親しまれながら、独自の文化を形作っていくこととなったようだ(※15の徳川幕府と「タバコ」の関係参照)。このころには、専売制も出来上がり、今で言うところのタバコ税は幕府や藩の重要な財源となっていたことだろう。
貝原 益軒が『養生訓』の中で、”病気になったり、火事になったりと心配ごとが増える。習慣になると、煙草をやめれなくなり家計にも負担をかけることになる。“・・・・としているのも“火事と喧嘩は江戸の花”といわれるぐらい江戸では火事の発生が頻繁で、一番恐れられていたことから、火災予防を心配し、酒も同じだが、タバコなど嗜好品はほとんどの場合、心理的あるいは薬理学的な機序(しくみ、メカニズム)により習慣性を有し、物質嗜癖(医学上は「依存」と呼ぶことが多いらしい)の対象となりうることから、その常習性を心配してのものだったようだ。
『養生訓』巻第一 総論 上1では「人間の尊厳性」が語られている。1部抜粋すると以下のようである。
“今、自分が生きていることは、いろんな人たちのおかげであることを認識しないといけない。両親が自分を生み育ててこられたことを感謝し、そのほかに自然の恵みにも感謝しなければならない。その感謝の表現として、自分が健康で長寿を全うすることこそが、最大の感謝の表現なのである。
ひととして生きているのならば、健康で長生きすることは、誰でも願い思う最大のものである。健康で長生きする方法を知り実践することは人生の最も大事なものである、と言っても過言ではないであろう。不健康なことをして、自分の身体を病むことはとても馬鹿げたことである。自分の欲望と自分の健康とをはかりにかけることについて考えよう。(中間略)人生を楽しく過ごすのはいいことであるが、そのことで寿命を縮めることがあってはいいことでない。お金をたくさん儲けたとしても、そのために自分の健康を損ない楽しく生活を過ごせないとしたら、儲けたお金も何も役に立たないであろう。健康で長生きするほうが、大きな幸せではないだろうか。”・・・と。
近年は、健康上の理由から飲酒や喫煙にたいする規制が厳しくなってきている。特に、喫煙は、喫煙者本人だけではなくその周辺の者の受動喫煙が問題視され、各種団体の禁煙圧力が強まっている。
現代、日本人の3大死因はがん、心臓病、脳卒中だというが、これら疾患への予防・治療の研究も急速に進み、日本は世界一の長寿国になった。
しかし、長生きするようになれば、アルツハイマー病やパーキンソン病、骨粗しょう症など高齢者特有の疾患が増えていると聞く。
こうした病気は直接死に結びつくわけではないが、冶療が難しく長期にわたってゆっくりと進行し、人格を崩壊させたり寝たきりにさせたりする。精神的・肉体的に本人を、また周囲の人々を苦しめる。食べ物を飲み込むこともできなくなって管から栄養をとり、肺炎や心不全、出血をくり返しながら死を迎えることも多く、末期には意思の疎通すらもできなくなり自ら尊厳死を選ぶことも不可能になる。
私は仏教徒であるが、人間の人生にとって最も大切なことは、どのように死を迎えるかではないかと考えている。死を迎えたとき悔いを残し、苦しむことなく、周りの人に感謝の一言も述べて、安心してあの世へ旅立ちたい。
もう、平均寿命まで、そんなにあるわけでもなく、今は私が亡き後、残った妻などが困らないよう身の回りの整理や遺言作りなども徐々にすすめている。しかし、一番難しいのが、死の迎え方だ。病気も何もなしにあの世に旅立つことは出来ない。昔からのかかりつけの医師に、「一番楽に死ねる病気は何ですか?その病気で死のうと思うとどうすればよいのだろうか?」と聞いいたことがあるが、苦笑いして教えてはくれない当然だろう。医者は、病気を治療し延命をすることは出来ても、病気で楽に死ぬ方法など教えられないだろうから・・・。その答えは、自分で考えなくては仕方がない。
心臓病だとあまり苦しまずにぽっくり死ぬことができるかもしれないが、突然の死は家族や友人との別れが出来ず寂しいし、遣り残したことが出来ないかもれない。不治の病の癌だと、あとの余命が何ヵ月と宣告され、最後は苦しむのかもしれないが、自分の死期が何時頃と判れば、かえって、遣り残したことも片付けて、人生の締めくくりが出来るかもしれない。
人の死に方は、生き方でもある。寝たきりにならずに死ねるのなら、癌や心臓病で死ぬのも良いかもしれない。ただ、もう既に準備はしているが、もうこの年になって、元気に回復することが無いのなら、絶対に延命治療だけはしないよう妻や子供には言ってあるし、その時用に、延命治療を拒否する旨、医者宛の自筆文書も書いて用意してある。死を迎えるまでにやって欲しいのは、治療ではなく、痛みなどで苦しまないようにしてくれればそれで良い。だから、私自身は余り、病気になることそのものを気にはしていない。
ただ、出来るだけ、ポックリと楽に死にたいので、そのためには、元気で長生き生きすることだろうと、散歩や体操など適度の運動と暴飲暴食だけはしないよう今は心がけている。
しかし、毎日の食時では、家人が適度に栄養バランスは考えてくれているが、余り、そういうことにはこだわらず好きな美味しと思うものを食べて、肝臓の薬を飲みながらも程ほどの晩酌も欠かさず、好きなことをして人生を楽しんでいる。ただ、医者の言われて、週に1回程度休肝日をつくっているのも、大好きなお酒が飲めなくなるのが厭だからである。私は、もう、タバコは吸わなくなって20年近くなるが、愛煙家も、同じような気持ちの人が多いかもしれない。ただ、自分が楽しめても、人に迷惑をかけない(受動喫煙)ようにだけは注意しなければいけないだろう。病気になれば、医療費がかさむというが、人間最後は病気で死ぬのだからそれは仕方がないだろう。私は、延命治療など望んでいないので、もし、病気になったら、一日でも早く楽に死ねるようにして欲しい。そうすれば、医療費や、年金問題にも迷惑をかけないだろう。老齢化老齢化と言われている今の世で、若者に気を使いながら何時まででも生きながらえるのは心苦しいから・・・。自分の人生、最期の過ごし方だけは医者が何と言おうと自分で決めたいと思う。
最後になったが、喫煙の有害性を主張する識者や各種団体の禁煙圧力が強まっていることに対して、喫煙の有害性に疑問を投げかける識者がおり、日本では養老孟司の名などが知られているが、最近なにかと話題になっている中部大学の 武田邦彦教授が、自分はかってタバコを吸っていたが今では、禁煙をしている者であるとして、その上で、統計データなどを元に、タバコと肺がんはほぼ無関係とブログに書いて論議を醸しているようだ。その問題のブログが以下参考に記載の※16:「武田邦彦 (中部大学)ブログ◇◇食・生活」のタバコを考えるパート1~12がそうであるが、統計に関するものについては、こちらの方が正しいのか、喫煙の有害性を主張している側が正しいのかは、私などの素人にはなんとも言えないが、さすが、学者らしく、論理的に持論の展開を進めている。
昔から、"人を納得させるのも数字なら人を欺くのも数字"と言われるように、このような統計やマスコミがよく使う世論などというものは、作り手側の恣意が強く反映されているものだ。だからこのような数字でみる、タバコと肺がんの関係は別として、タバコにストレスを除去してくれるなど精神面を癒す効果と、タバコに含まれるニコチンなどにガンを引き起こすという二つの作用があるとすれば、成人している大の大人が、人に迷惑さえかけなければ、どちらを選択するかは本人の問題なのだから、それを余り、他の人が、特別視したりだけはしない方が良いのではないかと思うのだが・・・。
参考:
※1:今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/
※2:NPO法人 「子どもに無煙環境を」推進協議会
http://www3.ocn.ne.jp/~muen/index.htm
※3:たばこの歴史
http://www.t-webcity.com/~thistory/thistory/t_history.html
※4:アメリカにおける「喫煙と健康」論争の 誕生と進展(Adobe PDF)
http://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/165/yamaguchi47-87.pdf#search='1973年 米国 アリゾナ州 タバコ 規制'
※5:女性キリスト教禁酒同盟
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004682883
※6:厚生労働省:たばこと健康に関する情報ページ
http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/kin-en/index.html
※7:たばこ税とたばこ文化
http://www.h-hasegawa.com/main/tabako.htm
※8:たばこ規制枠組条約(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty159_17.html
※ 9:たばこ税の増税Yahoo!ニュース
※ http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/tobacco_tax/
※10:厚生労働省:2009年世界禁煙デーについて
http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/kin-en/09.html
※11:bloomberg2010年9月13日
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90900001&sid=aigqwug6u.TI
※12:税金対策と節税対策ガイドTOP > 国税
http://www.zeikin-taisaku.net/002/
※13:貝原益軒アーカイブ(学校法人中村学園 )
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/index.htm
※14:養生訓 (抄訳) - 森下ジャーナル
http://home.att.ne.jp/theta/mo/you/
※15:JTタバコワールド:たばこの歴史
http://www.jti.co.jp/sstyle/trivia/study/history/index.html
※ 16:武田邦彦 (中部大学)ブログ◇◇食・生活
http://takedanet.com/cat5651416/
厚生労働省:たばこ規制枠組条約第3回締約国会議概要
http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/jouyaku/090428-1.html
たばこ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%B0%E3%81%93
特定非営利活動法人 日本肺癌学会 - 公式サイト
http://www.haigan.gr.jp/
はつらつ養生訓 下方 浩史(国立長寿医療センター疫学研究部長)
http://www.abikosln.org/health/51.doc
禁煙運動に賛成?反対? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412027014
由緒を見ると、“2000(平成12)年9月に東京で開催された国際肺癌学会で制定。アメリカで11月第3週が「たばこ警告週間」となっていることから。”・・・とあったので、東京で開催された国際肺癌学会でどのようなことが話し合われたのかを検索すると、以下参考の※2:NPO法人 「子どもに無煙環境を」推進協議会のページに、国際肺癌学会(IASLC)東京宣言2000年9月14日というものがあった。
そこには、“肺癌は世界で癌死の最も高いものである。男女共にその発癌発病率の急増は警鐘を鳴らす状況にある。肺癌の9割は喫煙及び受動喫煙によるものであり、そのため予防可能なものといえる。喫煙はその他の多くの癌(ガン=悪性腫瘍の俗称)、循環器系疾患及び慢性肺疾患の主な原因ともなる。子供の喫煙によるニコチン中毒は世界的な流行病であり、速やかな対応を必要とする。禁煙は肺癌発生の抑止と、高騰する医療費の抑制を計る最良の方法であり、ひいては世界人類の公衆衛生の向上と豊かな生活を成就することができる。”として、これらの目的を達成するために国際肺癌学会(IASLC)は以下の事項(1~5)を宣言している。
1. 政府に対し、
1)子供の喫煙によるニコチン中毒>を防止するための新しい方法の開発
2)分煙などによる非喫煙者の保護のための公共施設・交通機関内での禁煙
3)政府広報・公共広告を通して、喫煙の害・禁煙の啓蒙
4)禁煙を目的としたタバコ税の増額
5)喫煙者に関わる医療費の一部自己負担制の新設
6)初等中等教育での禁煙教育を行うための法令整備、行政指導、予算措置を要望する。
2. 医学会や医療機関に対し、禁煙運動と禁煙教育への協力支援を依頼する。
3. 医療関係者に対し、禁煙のためのカウンセリング技術の習得を要請する。
4. 産業界・メディアに対し、タバコの広告宣伝及びセールス活動を廃止するように要請する。
5. 国際肺癌学会は、肺癌に関する資料を公共のために提供する。
以上の宣言は、要するに、タバコは害があるので、さまざまな「喫煙規制」をしようということのようだが、このような喫煙を規制するようになった理由としては、世界保健機関(WHO)の「たばこ規制枠組条約」が世界的な合意を得たからだと聞いている。
タバコは、葉の成分に習慣性の強いニコチンを含むナス科(ニコチアナ【Nicotiana】 タバコ属)の一年草の亜熱帯性植物で、南北アメリカ大陸の熱帯から温帯にかけてと、オーストラリア・南太平洋諸島・アフリカ南西部などに分布し、約66種が知られているが、そのうち45種が南北アメリカ大陸と、その周辺部に生育し、先住民族が使用していたというから、タバコ文化の発祥はアメリカだといってもよいだろう。
このタバコは1492年にアメリカ大陸を発見したコロンブスがヨーロッパに持ち帰ってから最初は、観賞用、薬草として栽培されたり、万能薬として医療にも用いたりされた(タバコの語源は、スペイン語やポルトガル語の "tabaco"で、スペインでは薬草 類を "tabaco"と呼んでいたらしい)。その後、疲れや緊張を和らげてくれる手軽な癒しの手立てとしての嗜好品として愛用され、百年も経たないうちに世界の隅々まで普及しているが、その当時から、ヨーロッパでは、タバコによる悦楽や慰みにふけることを背徳的な行為と考える人々の間では、タバコの使用はもともと野蛮な異教徒の忌むべき陋習であり、医療行為としてのみ許されるべきであるという主張が直ぐに高まり,その後も、たばこの乱用を戒める声は続いていたというが、庶民から居酒屋(パブ)などでの喫煙を奪うことはできなかった(国中に普及していた喫煙の風習を最初にたばこに反撃を試みた人物は、イングランド王ジェームズ一世だとされている)。しかし、現在では、タバコの喫煙は、世界的に、癌・高血圧・心臓病などの重大な疾患の原因になるほか、受動喫煙の問題などマイナスのイメージが強くなり、さまざまな団体による喫煙規制や禁煙運動が進められている。
このタバコの歴史については、以下参考の※3:「たばこの歴史」や※4:「アメリカにおける「喫煙と健康」論争の誕生と進展」に詳しく書かれているが、タバコの喫煙と健康問題については、後者の方で簡潔に纏められているのでそこから、最近の動きが発生するまでのアメリカの状況がどうであったかを引用させて貰おう。
タバコ文化発祥の地であり、葉タバコの栽培で植民地の最初の基礎を築いたアメリカにおいて、タバコは当初からヨーロッパであったと同様の非難の対象となってきたようであり、北米植民地(13植民地参照)に於ける初期の反タバコ運動は、マサチューセッツ州議会が1634年、公衆の面前でタバコを摂取することや2人以上の者が一緒に喫煙することを禁止する法律を成立させ、コネチカット州でも1640年、タバコの使用を抑制する法令を制定したが、タバコが、植民地の主要な輸出品となっていくにしたがって、1646年に共に廃止されたそうだ。
これが再び勢いを盛り返すのは独立戦争以後のことで、それは北部を中心に始まった禁酒運動と一緒に進められたという。
アメリカ独立運動宣言の署名者の1人で医師のベンジャミン・ラッシュは、1798年、合衆国で最初の注目に値する反タバコ論文とされる「タバコの習慣的使用の健康・道徳・及び財産に対する影響についての考察」を発表し、その中で、彼は「口と喉が喫煙やタバコの汁の刺戟にさらされたあとでは、どんな鎮静剤や気の抜けた酒もまずい。当然、欲求は強い酒に向かい、直ぐに暴飲と酒びたりになっていく」と指摘して、タバコの酒への悪影響と両者の関連性を強く主張していたそうだ。
因みに、Wikipediaによれば、ラッシュは一般に長老派教会員と考えられていて、フィラデルフィア聖書協会の創立者の一人であったそうで、依存症という概念を発明したとも言われている人で、ラッシュの頃まで、酔っ払うことは罪深いことであり、個人の選択の問題とされていたが、彼はアルコール依存症が自制心を失わせるという概念を紹介し、病因として、アルコール依存の選択よりもアルコールの特性であるとし、依存症の概念を発展させ断酒が依存症に対する唯一の治療法であるとしていた人だそうだ。ただ、ラッシュは、アルコールの過度の乱用が身体的かつ心因的な健康に有害であると主張したのであり、彼は後に成立する禁酒法よりも、むしろ個人による節度を信じていたという(Wikipedia)。
ラッシュの警告は、1833年の「アメリカ禁酒同盟」(禁酒法参照)の結成と同時に盛り上がった禁酒運動とともに、多くの社会改革運動家によって、強化された。
しかし、南北戦争とその後の4半世紀の間は、反禁煙の風潮が再び減退したが、19世紀末からシガレット(紙巻きタバコのこと)の台頭がこれにもう一度火をつけた。それは、シガレットが新奇で手軽なため女性や未成年者も手を出すようになったことが、良識ある人たちの顰蹙を買ったようだ。
タバコ反対運動は第一次世界大戦以後に全国で支持を集めたが、そこには、社会的影響力をもつ人達、「発明王」の名を持つトーマス・エジソン、自動車王ヘンリーフォードといった人々の影響が大きかったようであり、1920年1月タバコ反対を主張して大統領選に立つと宣言したルーシー・ベイジ・ガストンもその1人で、彼女はもともと「婦人キリスト教禁酒同盟」(※5参照)に関係しており、シカゴを拠点に活発な活動をし、州議会などにシガレット禁煙令を制定するよう働きかけていたそうだ。彼女が1924年死去した後の反タバコ運動の最も突出したリーダーは、「アメリカ非喫煙者保護同盟」のチャールズ・G・ピース博士だったという。
こうした社会改革運動家たちの活動が功を奏して、テネシー州では1897年、ニユーハンプシャー州では1901年、イリノイ州では1907年など各州で始まった立法化の波を受けてタバコ反対運動は全盛を極め、1921年まで拡大を続けていた。この時期、喫煙者とタバコ会社に関して何らかの法律が制定され、28州の法令集にシガレットの製造・販売・広告・使用に関する規定が書き換えられたが、禁止の度合いには非常に幅があり、アイダホとユタの2州を通過した法案のみが明確にシガレット全面的禁止を規定していたに過ぎなかった。また、多くの場合制定と同様に法律の撤回も迅速に行なわれ、しばしば財政上の必要性がその理由とされたようだ。
それでも1926年まではカンザス、アイオワ、インディアナ、ミシシッピーの諸州ではまだ反シガレット法が生きていたが、1930年までには本来の形で法律を残している州は殆どなく、効力のある唯一の禁止事項は、「未成年者へのタバコの販売」に関してのみであったという。
他方、禁酒法は1851年の「メイン州法」を皮切りに州法レベルの成立が相次ぎ、1919年には全国禁酒法」がアメリカ連邦議会でも通過し、翌1920年1月から1933年12月に廃止されるまで14年間も生き続けていた。これに比べ、反タバコ運動は禁煙法の制定は遅々たるもので「禁煙運動」は「禁酒運動の頼りない妹」に見られていたといえるだろう。・・・と述べている。
その後、ドイツでは、1942年にヒットラーがナチズム喫煙規制政策をとり健康有害、公衆衛生教育など反喫煙キャンペーンを行ったことが伝えられているが、その他の国では、第二次世界大戦中は影を潜めていた反たばこ運動であったが、戦後、肺癌の増加傾向が見られるようになると喫煙との関係が疑われる様々な実験や報告も行われるようになり、喫煙と人体への影響はまだ曖昧だとしても、少なくとも病理学の一分野では、タバコが人体に有害な可能性があると見られるようになり、このころより、反たばこ運動の焦点は製品であるタバコそのものよりも、タバコを吸う「喫煙」者そのものが否定される社会へと移行していくことになる。
その後,大規模な疫学調査(統計的な解明)の結果に基づいて、1964年にアメリカ公衆衛生局諮問委員会が「合衆国の人口中、シガレットの喫煙と因果的に関連している死亡か過多数の合計は、正確に推定することは出来ない。」としながらも、「シガレットは喫煙が特定の疾患による死亡割合や全体の死亡率に実際に寄与しているものと判断している」との報告を出し 、次の1967年の報告では、「喫煙問題は肺癌の主要な原因として圧倒的なものとなりつつある。・・・研究結果は、タバコ喫煙が冠動脈 心疾患による死亡の原因となり得ることを強く示唆している」と、前回の幾分暫定的な報告からかなり断定的な報告となり、こうした姿勢が1968年、1975年、1979年の報告でも堅持されたようになり、喫煙の健康に対する人々の懸念は一層高まっていったようだ。
公共の場所における喫煙を包括的に制限する法律を初めて成立させたのは、1973年米国アリゾナ州であるが1980年代に入ると、州・郡・市レベルまで喫煙関係条例が増えて行った。
世界保健機関が設立40周年を迎える1988年には、「世界禁煙デー」(※6)を毎年5月31日とすることが定められ、翌1989年以降この日に実施されるようにもなった。
カリフォルニア州は、1994年に働く場所での喫煙を禁止する法律を成立させ、1998年には壁で囲まれた場所における喫煙を完全に禁止する法律を成立させている。
米国に於いては、1992年以降、喫煙による被害者ばかりでなく受動喫煙者、反喫煙運動家、医療提供者等を原告、たばこ会社や小売業界、広告会社を被告とするタバコ訴訟が増えていった。
1997年11月、州政府との訴訟で主要なたばこ会社5社が、総額2,460億ドル(約25兆円)を25年にわたり支払うという「和解」をせざるを得なくなった。この結果、ニューヨーク市等では、多くの銘柄が1箱7ドル(約840円)になり、当時の日本の3倍以上の値段になっている(※7)。
そして、2003(平成15)年5月21日、冒頭で述べたWHOの「たばこ規制枠組条約」が、世界保健機関(WHO)第56回総会で全会一致で採択され、日本では、翌年3月9日 ニューヨでこれに署名し、 2005(平成17)年2月2日 公布及び告示(条約第3号及び外務省告示第68号)、同年2月27日より、効力が発生している(※6参照)。
思い起こせば、私は、現役時代、アメリカへは1996年~1999年の間に2度米国西海岸一帯の流通業視察と観光を兼ねて行ったことがあるが、1996年の最初行った頃は、日本でも禁煙運動あったものの緩やかであり、私のいた会社でもまだ社内での喫煙は禁止事項とはなっていなかったが、社長以下重役連は禁煙をしており、禁煙を出来ない人は自制力が無いような雰囲気が出来始めてはいた。しかし、まだまだ、喫煙が身体に悪いという認識は殆どの喫煙者にはなく、ただ、勤務中に事務所内での喫煙はばかられ、吸いたい時にはそっと、席を離れて休憩所や食堂などでカップコーヒーなど飲みながら自由に喫煙をしていた。
私も当時は喫煙をしていたので同様であった。ただ、実際に米国西海岸への視察で、現地に着くと、非常に限られた場所でしか喫煙できるところはなく、喫煙できるレストランなどへ行っても、奥の隅に、ごく限られた場所に狭く仕切られたところが喫煙席になっており、そこに座っているだけで、周囲の人達から、蔑むような冷たい視線を浴び、本当に厭な思いをした。
そして、米国では、低所得者層の住むダウンタウン周辺地域、それに、中・高所得者層の住む郊外の地域では、全く環境が異なっており、低所得者層のいる地域では、あちこちにタバコの吸殻が見られるが、中・高所得者層のいる地域では、全く見ることはなかった。明らかに、所得階層によって、禁煙への取り組みも違っていることを見て驚いた。
それでも、私は、帰国後も、喫煙をしていたが、3年たった2度目の視察の時には、前回の視察で味わった屈辱的な思いだけはしたくなかったので、これを機会に、禁煙をした。だから、私は、当時でも、タバコが、身体に悪いからと思って喫煙をしたわけではなかった。
私は若い頃、気管支喘息の気もあったのでタバコなど会社へ入社当時は吸っていなかったのだが、商社と言う仕事柄、営業に出て一対一での交渉ごとや夜の付き合いも多く、どうしても、タバコでも吸わないと間が持たないというので吸い出したので、もともと吸っても1日、1箱程度しか吸わなかったから簡単に禁煙できたのだろう。
タバコと違って、酒の方は、会社の連中から 「うわばみ」とあだ名されるほどの底なしの飲兵衛で、類は類を呼ぶで、同じような飲兵衛仲間が沢山出来、酒は浴びるほどに飲んでいたため、定年の頃には、御蔭で肝臓がすっかり弱ってしまって、医者にも注意され、肝臓の薬は飲んでいるが、それでも、今だに、毎晩晩酌は欠かさない。凡そ、私は、大人になって夕食に、ご飯を食べたことはなく、定年後になってから、月2~3回意識的に、飲まない日を作っているだけである。
だからと言って、適量を越えた酒やタバコが身体そのものに良いものとは思っていないし、特に酒以上に、タバコなどニコチンを含んだ煙を吸ってそれが身体に良いわけはないと思っている。
しかし、先にも記した2000年の国際肺癌学会(IASLC)東京宣言にもあるように、酒やタバコが身体に良くない面があるから未成年者の喫煙を禁じることとか、周囲の人に迷惑をかけないように受動喫煙者を亡くすようにすべきことなどの宣言は理解できるが、私は既に、タバコは禁煙しているので直接関係はないものの、「禁煙を目的としたタバコ税の増額」や「喫煙者に関わる医療費の一部自己負担制の新設」といったことについては、どうも方法論が違っているのではないかと言う気がする。
タバコ税については、民主党鳩山由紀夫政権(当時)では2010(平成22)年10月のたばこ税増税(※10参照)の目的を「健康目的の為に喫煙者を減らす」と記者団に語った事から、いつの間にか「健康目的の懲罰税」の性格を帯びてくる様になってきた。これは、以下参考の※11:「厚生労働省:2009年世界禁煙デーについて」を見ても分かるように、禁煙週間のテーマ「煙のない健康的な社会づくり」が、WHOのスローガン:「警告!たばこの健康被害」を受けてのものであろうが、これに対し「たばこ税の元々の目的ではなくなっている」と批判する声も挙がっている。
今年(2011年)も小宮山洋子厚生労働大臣が9月5日の記者会見で、2012年度税制改正に向けて、たばこ税の増税を財務省に要望する考えを明らかにした。
増税の理由として、先進国の中で日本のたばこの値段が安いことや、タバコは1箱【20本入り】あたり約400円だが「1箱700円くらい までは、値上げで販売量が減っても1本あたり税収が増えるため全体の税収が 減らない」と強調し、大幅な引き上げに意欲を見せたが、タバコ税の所管官庁は財務省であり、小宮山と同じNHK出身の安住淳財務大臣は、小宮山の発言に不快感を示し、野田内閣発足早々、まとまりの悪さを暴露した形だが、超党派による禁煙推進議員連盟の事務局長をも務めていた彼女は、昨年9月のインタビューでも「なるべく早く先進国並みの1箱600円まで値上げ」「1箱1000円くらいまでは値上げしてもいい」と語り、そのメリットとして健康促進、受動喫煙減少、医療費削減、未成年者の喫煙防止、寝たばこ火災抑制の5つを挙げていた(※11)。
しかし、東日本大震災の復興財源にあてる増税の種類や税率について、民主、自民、公明3党の税制調査会は、11月10日、野田政権が予定していたタバコ増税そのものは見送ることになった(個人住民税の増税額の引き上げなどで穴埋め)ようだが、又、そのうちに増税の話は出てくることだろう。
タバコ税とはたばこ税法(昭和59年8月10日法律第72号)に基づき、「製造たばこ」に対して課される税金(いわゆる「国たばこ税」=狭義のたばこ税)であり、酒税法(昭和28年2月28日法律第6号)に基づき、酒類に対して課される酒税同様の国税(※12)であるが、何かあると、なぜこれらの酒やタバコなどに税金がかけられるかについての詳しくは、Wikipediaの酒税、タバコ税を見てもらえば分かるが、1つには、酒、タバコは共に、嗜好品(=贅沢品的なもの?)であり、その消費については税金を負担できるであろうとされているのだろう。それに、どちらも、蔵出し税であり、出荷した時に徴収する税金である為、取りっぱぐれが無い。酒税はもう、これ以上上げられないぐらいになっているので、これ以上税金を上げると業界の反発が強い。それに比べて、タバコの販売元は、今は民営化されたとはいえ、もとは大蔵省の外局であった日本専売公社であり、政府には逆らえず、国民さえなんとか大義名分をもって納得させれば、増税しやすいので、特に値上げの標的にされやすいところがあるようだ。
タバコが、本当に健康上悪いだけの代物であるならば、製造や販売そのものを禁止していくべきだと思うのだが・・・・。
ただ、世界保健機関(WHO)は、アルコールも癌(ガン)リスクを増大させるとして警告を行っており、WHO傘下の国際がん研究機関(IARC)では飲酒は、がんを引き起こす元凶と指摘している(Wikipediaの酒参照)らしいので、タバコは既に禁煙しているものの、今では毎日の晩酌を唯一の楽しみに生きている私には、この問題がお酒にまで飛び火したときには、生き甲斐がなくなってしまうので困るよな~・・・。
江戸時代の本草学者である貝原 益軒(1630年=寛永7年 - 1714年=正徳4年)によって書かれた健康な生活の暮し方についての解説『養生訓』(内容は※13又※14参照)が「酒、タバコ」についての解説もしているので、そこにはどんなことが書いてあるか、判りやすい現代語訳の※14:「養生訓 (抄訳)」から、見てみよう。直接、酒・タバコに入る前に先ず、巻第二総論 下に書かれている“飲食”についてその一部を抜粋してみよう。
7 飲食はひかえめに
“飲食は人が生きていくために必要なものである。でも必要以上にむさぼってはいけない。食欲を抑えることも必要である。食べ過ぎてしまい、そのために胃腸薬を服用すると、胃の本来の働きが弱くなってしまう。食欲を抑えるには、精神力が必要だ。病気になることを怖れることを忘れないようにしなければいけない。
10長命と短命
“長命と短命を決めるのは、人の生き方による。自分の思うがままの生活をつづければ、健康を損ない短命になる。逆に節度をもった生活を続ければ長命でいられる。”・・・。
正に、ここに記されている通りである。これを前提に、第四巻飲食 下の中で、記されている酒、タバコについてみてみよう。以下のように書いてある。
44 酒は天の美禄
“お酒は、天から与えられた褒美である。ほどよく飲めば、陽気になり消化を助け、心配事から開放され、やる気を出す。しかし、多く飲めば害になる。たとえば火や水は人の生活になくてはならないものであるが、同時に火災や水害ももたらす。そういうものである。酒を多く飲むと寿命も縮めてしまい、せっかくの天からの褒美も台無しである。
45 多飲の戒め
“お酒というのは、人によって多く飲める人と飲めない人がいる。少ない量で気持ちよくなる人は、多く飲む人より酒代が少なくてよく、経済的である。日々我慢をせず、多く飲むことが習慣になってしまうと、身を崩してしまう。慎まなければいけない。”
このほか、酒は、空腹時に飲むと害になるとか、冷や酒は良くないので、程よく燗(かん)をした酒が良いとか、酒を飲むときは甘いものを食べてはいけない(これは今の医学では誤りとも聞くが・・・)。焼酎は(度数が強い)ので毒があるから多く飲んではいけないとか色々と書かれており、
51 酒と命 では、
“長寿な人たちは、ほとんど酒をのまない。お酒を多く飲む人が長寿なのはめずらしい。酒はほろ酔い程度に飲めば、長寿の薬となるだろう。”・・・・等々。
いちいち、ごもっともと、感心することばかりであるが、私など、若いうちの無茶のみをただただ反省するばかりである。
仕事柄、相当ストレスの沸く仕事をしていたので、そんなストレスを発散するには、気の合う飲兵衛仲間との酒が一番であったが、それが祟ったのか、かっての飲み友達の多くは既に、私より、先に、旅立ってしまっている中、私だけ未だにしぶとく生き残っている。酒だけではなく、仕事中に、ホット息抜きをするときなど、一服のタバコはいいものであった。
しかし、酒に比べてタバコのことは、飲茶 ならびに煙草の項に以下のように簡単に書いてあるだけである。
60 煙草の害
“たばこは天正(1573年)・慶長(1596年)年間の近年になって、他国から渡ってきた。「淡婆姑」は日本語ではない。
煙草は、毒である。煙を吸い込むと目が回り倒れることもある。習慣になれば害も少なくなり少しは益もあるといわれるが、害のほうが多い。病気になったり、火事になったりと心配ごとが増える。習慣になると、煙草をやめれなくなり家計にも負担をかけることになる。“・・・・と。
酒は飲み方を間違えれば毒になるが間違えなければ“長寿の薬になるだろう”と書いているのに比べると、煙草は、“少しは益もあるといわれるが、害のほうが多い”と手厳しい。又、“病気になったり、火事になったりと心配ごとが増える。”ともあるが、煙草の種が日本にもたらされて、日本で栽培されるようになったのは、江戸時代初めの慶長10年(1605年)ごろだそうで、当時、薬草としてこっそり栽培している個人がいたらしい。当時は薬であると信じていたことから、好んで喫煙していたらしく、豊臣秀吉や徳川家康も煙草を吸っていたという。
冒頭の画像は、高松藩家老・木村黙老が描いた平賀源内像である(週刊朝日百百科『日本の歴史』【83】より)。
【☆画像注釈:江戸時代の本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家、画家【蘭画家】としても有名な平賀源内 は、特に本草学に熱心で藩主松平 頼恭に引き立てられ、城下の栗林荘(現在の栗林公園)に薬草園も作っている。エレキの発明家として有名だが、煙管【きせる】を持った画像を見ても分かるように煙草(タバコ)好きで、日本初のライターとも言うべきゼンマイを使用した火打石と鉄を用いた「刻み煙草用の 点火器」を発明している。】
当時は「きせる」による喫煙が主であり、江戸時代初期には全国に普及していたが、非常に高価なもので喫煙できるのは裕福な武士か商人のみであったが、庶民の間に喫煙の風習が広がりはじめた頃、徳川幕府が、度々「たばこ」の禁煙令を内容を変えて発令してているが、その目的には「タバコ」自体への非難とは異なるもの“当時かぶき者などが多く出現したことから、そのような乱暴狼藉を働く反社会的な浪人集団が珍しい風習である「タバコ」を徒党のシンボルとしていたためそのような反駁(はんばく)府精力の抑制やタバコの広まりにより、現金収入を得られて実入りのよい「タバコ」を栽培する農家が増加し、年貢米の確保に不安を覚えた幕府が、農家による「タバコ」の栽培を禁じた”ものらしい。しかし、幕府による度重なる禁令にも関わらず、「タバコ」を楽しむ人々は増え続け、徳川3代将軍・家光の代である寛永期(1624〜1643年)に入ると、「タバコ」に課税して収入を得る藩も現れ、「タバコ」の耕作は日本各地へ広まってゆき、やがて、禁令も形骸化し、徳川綱吉が5代将軍を務めた元禄期(1688〜1703年)頃を境に、新たなお触れは出されなくなり、「タバコ」は庶民を中心に嗜好品として親しまれながら、独自の文化を形作っていくこととなったようだ(※15の徳川幕府と「タバコ」の関係参照)。このころには、専売制も出来上がり、今で言うところのタバコ税は幕府や藩の重要な財源となっていたことだろう。
貝原 益軒が『養生訓』の中で、”病気になったり、火事になったりと心配ごとが増える。習慣になると、煙草をやめれなくなり家計にも負担をかけることになる。“・・・・としているのも“火事と喧嘩は江戸の花”といわれるぐらい江戸では火事の発生が頻繁で、一番恐れられていたことから、火災予防を心配し、酒も同じだが、タバコなど嗜好品はほとんどの場合、心理的あるいは薬理学的な機序(しくみ、メカニズム)により習慣性を有し、物質嗜癖(医学上は「依存」と呼ぶことが多いらしい)の対象となりうることから、その常習性を心配してのものだったようだ。
『養生訓』巻第一 総論 上1では「人間の尊厳性」が語られている。1部抜粋すると以下のようである。
“今、自分が生きていることは、いろんな人たちのおかげであることを認識しないといけない。両親が自分を生み育ててこられたことを感謝し、そのほかに自然の恵みにも感謝しなければならない。その感謝の表現として、自分が健康で長寿を全うすることこそが、最大の感謝の表現なのである。
ひととして生きているのならば、健康で長生きすることは、誰でも願い思う最大のものである。健康で長生きする方法を知り実践することは人生の最も大事なものである、と言っても過言ではないであろう。不健康なことをして、自分の身体を病むことはとても馬鹿げたことである。自分の欲望と自分の健康とをはかりにかけることについて考えよう。(中間略)人生を楽しく過ごすのはいいことであるが、そのことで寿命を縮めることがあってはいいことでない。お金をたくさん儲けたとしても、そのために自分の健康を損ない楽しく生活を過ごせないとしたら、儲けたお金も何も役に立たないであろう。健康で長生きするほうが、大きな幸せではないだろうか。”・・・と。
近年は、健康上の理由から飲酒や喫煙にたいする規制が厳しくなってきている。特に、喫煙は、喫煙者本人だけではなくその周辺の者の受動喫煙が問題視され、各種団体の禁煙圧力が強まっている。
現代、日本人の3大死因はがん、心臓病、脳卒中だというが、これら疾患への予防・治療の研究も急速に進み、日本は世界一の長寿国になった。
しかし、長生きするようになれば、アルツハイマー病やパーキンソン病、骨粗しょう症など高齢者特有の疾患が増えていると聞く。
こうした病気は直接死に結びつくわけではないが、冶療が難しく長期にわたってゆっくりと進行し、人格を崩壊させたり寝たきりにさせたりする。精神的・肉体的に本人を、また周囲の人々を苦しめる。食べ物を飲み込むこともできなくなって管から栄養をとり、肺炎や心不全、出血をくり返しながら死を迎えることも多く、末期には意思の疎通すらもできなくなり自ら尊厳死を選ぶことも不可能になる。
私は仏教徒であるが、人間の人生にとって最も大切なことは、どのように死を迎えるかではないかと考えている。死を迎えたとき悔いを残し、苦しむことなく、周りの人に感謝の一言も述べて、安心してあの世へ旅立ちたい。
もう、平均寿命まで、そんなにあるわけでもなく、今は私が亡き後、残った妻などが困らないよう身の回りの整理や遺言作りなども徐々にすすめている。しかし、一番難しいのが、死の迎え方だ。病気も何もなしにあの世に旅立つことは出来ない。昔からのかかりつけの医師に、「一番楽に死ねる病気は何ですか?その病気で死のうと思うとどうすればよいのだろうか?」と聞いいたことがあるが、苦笑いして教えてはくれない当然だろう。医者は、病気を治療し延命をすることは出来ても、病気で楽に死ぬ方法など教えられないだろうから・・・。その答えは、自分で考えなくては仕方がない。
心臓病だとあまり苦しまずにぽっくり死ぬことができるかもしれないが、突然の死は家族や友人との別れが出来ず寂しいし、遣り残したことが出来ないかもれない。不治の病の癌だと、あとの余命が何ヵ月と宣告され、最後は苦しむのかもしれないが、自分の死期が何時頃と判れば、かえって、遣り残したことも片付けて、人生の締めくくりが出来るかもしれない。
人の死に方は、生き方でもある。寝たきりにならずに死ねるのなら、癌や心臓病で死ぬのも良いかもしれない。ただ、もう既に準備はしているが、もうこの年になって、元気に回復することが無いのなら、絶対に延命治療だけはしないよう妻や子供には言ってあるし、その時用に、延命治療を拒否する旨、医者宛の自筆文書も書いて用意してある。死を迎えるまでにやって欲しいのは、治療ではなく、痛みなどで苦しまないようにしてくれればそれで良い。だから、私自身は余り、病気になることそのものを気にはしていない。
ただ、出来るだけ、ポックリと楽に死にたいので、そのためには、元気で長生き生きすることだろうと、散歩や体操など適度の運動と暴飲暴食だけはしないよう今は心がけている。
しかし、毎日の食時では、家人が適度に栄養バランスは考えてくれているが、余り、そういうことにはこだわらず好きな美味しと思うものを食べて、肝臓の薬を飲みながらも程ほどの晩酌も欠かさず、好きなことをして人生を楽しんでいる。ただ、医者の言われて、週に1回程度休肝日をつくっているのも、大好きなお酒が飲めなくなるのが厭だからである。私は、もう、タバコは吸わなくなって20年近くなるが、愛煙家も、同じような気持ちの人が多いかもしれない。ただ、自分が楽しめても、人に迷惑をかけない(受動喫煙)ようにだけは注意しなければいけないだろう。病気になれば、医療費がかさむというが、人間最後は病気で死ぬのだからそれは仕方がないだろう。私は、延命治療など望んでいないので、もし、病気になったら、一日でも早く楽に死ねるようにして欲しい。そうすれば、医療費や、年金問題にも迷惑をかけないだろう。老齢化老齢化と言われている今の世で、若者に気を使いながら何時まででも生きながらえるのは心苦しいから・・・。自分の人生、最期の過ごし方だけは医者が何と言おうと自分で決めたいと思う。
最後になったが、喫煙の有害性を主張する識者や各種団体の禁煙圧力が強まっていることに対して、喫煙の有害性に疑問を投げかける識者がおり、日本では養老孟司の名などが知られているが、最近なにかと話題になっている中部大学の 武田邦彦教授が、自分はかってタバコを吸っていたが今では、禁煙をしている者であるとして、その上で、統計データなどを元に、タバコと肺がんはほぼ無関係とブログに書いて論議を醸しているようだ。その問題のブログが以下参考に記載の※16:「武田邦彦 (中部大学)ブログ◇◇食・生活」のタバコを考えるパート1~12がそうであるが、統計に関するものについては、こちらの方が正しいのか、喫煙の有害性を主張している側が正しいのかは、私などの素人にはなんとも言えないが、さすが、学者らしく、論理的に持論の展開を進めている。
昔から、"人を納得させるのも数字なら人を欺くのも数字"と言われるように、このような統計やマスコミがよく使う世論などというものは、作り手側の恣意が強く反映されているものだ。だからこのような数字でみる、タバコと肺がんの関係は別として、タバコにストレスを除去してくれるなど精神面を癒す効果と、タバコに含まれるニコチンなどにガンを引き起こすという二つの作用があるとすれば、成人している大の大人が、人に迷惑さえかけなければ、どちらを選択するかは本人の問題なのだから、それを余り、他の人が、特別視したりだけはしない方が良いのではないかと思うのだが・・・。
参考:
※1:今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/
※2:NPO法人 「子どもに無煙環境を」推進協議会
http://www3.ocn.ne.jp/~muen/index.htm
※3:たばこの歴史
http://www.t-webcity.com/~thistory/thistory/t_history.html
※4:アメリカにおける「喫煙と健康」論争の 誕生と進展(Adobe PDF)
http://www.seijo.ac.jp/pdf/faeco/kenkyu/165/yamaguchi47-87.pdf#search='1973年 米国 アリゾナ州 タバコ 規制'
※5:女性キリスト教禁酒同盟
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004682883
※6:厚生労働省:たばこと健康に関する情報ページ
http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/kin-en/index.html
※7:たばこ税とたばこ文化
http://www.h-hasegawa.com/main/tabako.htm
※8:たばこ規制枠組条約(外務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty159_17.html
※ 9:たばこ税の増税Yahoo!ニュース
※ http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/tobacco_tax/
※10:厚生労働省:2009年世界禁煙デーについて
http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/kin-en/09.html
※11:bloomberg2010年9月13日
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90900001&sid=aigqwug6u.TI
※12:税金対策と節税対策ガイドTOP > 国税
http://www.zeikin-taisaku.net/002/
※13:貝原益軒アーカイブ(学校法人中村学園 )
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/index.htm
※14:養生訓 (抄訳) - 森下ジャーナル
http://home.att.ne.jp/theta/mo/you/
※15:JTタバコワールド:たばこの歴史
http://www.jti.co.jp/sstyle/trivia/study/history/index.html
※ 16:武田邦彦 (中部大学)ブログ◇◇食・生活
http://takedanet.com/cat5651416/
厚生労働省:たばこ規制枠組条約第3回締約国会議概要
http://www.mhlw.go.jp/topics/tobacco/jouyaku/090428-1.html
たばこ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%B0%E3%81%93
特定非営利活動法人 日本肺癌学会 - 公式サイト
http://www.haigan.gr.jp/
はつらつ養生訓 下方 浩史(国立長寿医療センター疫学研究部長)
http://www.abikosln.org/health/51.doc
禁煙運動に賛成?反対? - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412027014
私も、自分に延命治療は要らないと思います。
でも、愛する人たちには、できれば少しでも長く生きてほしいと思います。。。
長く生きれば、そのうちに治療法が見つかることもありますしね。
ま、でもともかく生きているうちは、元気で動けるのが良いですね (^^)
生きることは難しいですね。
産まれた限りは必ず死ぬ。
何もなく元気に死んでいくことは出来ない。
生まれ成長しそれからは徐々に身体が弱っていき、最後は何かかしら病気になって死ななければいけない。
元気で長生きが望みだが、何時までも元気ではいられない。
私も段々と日本人の平均寿命にちかづいてくると、友達も、そして、親戚の人達、それ以外にも仲良くしていた人たちが次々となくなり、孤独になっていく。
私は孤独には強いつもりだが、それでも最後の1人になってゆくと寂しくて仕方がないだろう。
適当な年令を過ぎた時から生きることそのものよりも出来るだけ楽に死にたいと思うようになった。
妻や子供たちそれに兄弟には、そのことを伝えている。
もし癌にでもなれば、変な治療よりもホスピタルにでも入って出来るだけ楽に死んで行けるようにしたいと周りの人には言ってある。
そうなれればよいのだが・・・。
これだけは、どう仏さまが聞き入れてくれるかは分からないのが一番の不安です。