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慈恵病院で「こうのとりのゆりかご」運用を開始

2008-05-10 | 歴史
今日(5月10日)は、昨・2007(平成19)年5月10日慈恵病院で「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」運用を開始1年目となる。
慈恵病院は、熊本県熊本市にある、キリスト教カトリック)系の医療法人聖粒会が設置・運営する病院。
2006年12月15日に「こうのとりのゆりかご」の設置申請を熊本市に提出。翌2007年4月5日に熊本市より申請が許可され、5月1日に完成。5月10日正午から運用が開始された。
赤ちゃんポスト(同病院では「こうのとりのゆりかご」の呼称を用いる)とは、諸事情のために育てることのできない新生児を親が匿名で養子に出すための容器、およびそのシステムの通称である。慈恵病院が何故「こうのとりのゆりかご」を設立したのか?その経緯やシステムなど詳細については、同院HPのこうのとりのゆりかごを参照されるとよい。
このような設備の目的は、そもそも望まれない赤ちゃんを殺害と中絶から守ることにある。
とはいえ、マスコミにより設置の報道がなされて以来、捨て子を容認するのかといった意見も多く出されているシステムではあるが、現実には中絶捨て子虐待などの養育放棄で多くの命が失われている実態があり、それらの新生児が早急かつ安全に保護されてしかるべきだという意見もあり、モラル人道の双方の観点からの議論が今も続けられている(赤ちゃんポストにまつわる賛否両論参照。
厚生労働省によると、捨て子の相談数は年間200件前後とされ、2005(平成17)年度の人工妊娠中絶は28万9127件。また2004(平成16)年に虐待で死んだ子ども58人のうち、7人は母親が自治体に妊娠を届けず自宅などで産んで数日後に命を奪われたケースだったという(2006年11月29日読売新聞)。
慈恵病院は先にも書いたようにカトリック系の医療法人であり、当然のこととして宗教上の中絶手術を行わないだろう。そして、同院は命を尊重する取り組みとして小中高校の性教育に助産師を派遣し、養育が困難な妊婦に養子縁組の仲介もしてきたという。赤ちゃんポストの設置をめぐっては、「救える命があるなら救いたい」という切実な声がある反面、子供を置いていくことに対する疑問の声もある。ポスト設置により、子供を捨てることや育児放棄を助長するのではないかというものである。そして、また、匿名性ゆえに、自らの出生を知るという子供の権利を侵害するのではないか、又、保護責任者遺棄罪(刑法218条)や児童福祉法児童虐待防止法の問題もなる。特に保護責任者遺棄罪について、法務省は、「確実に安全なら(同法に)抵触しないが、具体的事例をみなければわからない」との考えを示している。赤ちゃんポストににはそれぞれの思想・信条によって良し悪しの解釈に問題のあるところであるが、このブログを書いていて、1970年代にコインロッカーへの生後間もない赤ちゃんの捨て子事件が流行したのを思い出した。
1968(昭和43)年ごろから、「母子心中」「幼児虐待」「捨て子」などといったことがマスコミに突然登場するようになるが、1970(昭和45)年2月「東京渋谷のコインロッカーで嬰児の死体が発見される」という事件が起きた。同様な事件がこの年2件、さらに1971(昭和46)年3件、1972(昭和47)年8件、1973(昭和45)年には46件とこういった遺棄事件は1973年に全国的に多発、死亡していたケースも多かったことから「コインロッカーベイビー」と呼ばれ社会問題となった。
「家出の主婦、3児を絞殺」「23歳母親、邪魔な赤ちゃん捨てる」「19歳の父、2ヶ月の赤ちゃんうるさいと殴殺」「双子産んで、育てられないと殺す」「21歳母親、オシッコもらしたと子供の下腹部切りとる」「治療費ないと放置、赤ちゃん衰弱死」「16歳母親が家出して赤ん坊捨てる」といった事件が新聞を賑わす(以下参考に記載の「昭和48年(1973年)の少年犯罪」参照)。
これらの事件はいずれもそれまでにあった「生活苦から」と言う理由よりも、子供が「邪魔になった」のでというような親の無責任さから起こっている。この1973(昭和48)年、親に捨てられ保護された子供は東京都内だけでも65人に達したという(朝日クロニクル「週刊20世紀」)。
厚生省はこうした一連の事件報道から1973年(昭和45)度に「児童の虐待、遺棄、殺人事件調査」を行う。また、同年アメリカの重症な被虐待児の回復過程を綴った『ローラ、叫んで御覧』(以下参考に記載の「読書ごっこ|ローラ、叫んでごらん」参照)が翻訳され、1974年ベストセラーとなる。多くの新聞や雑誌がこの本についての書評や特集を組んで絶賛したが、相次ぐ事件報道と併せて、この時期「児童虐待」という言葉が一般社会にかなりの程度周知されることろなった。
日本は戦前の国家体制の枠組みに縛られ自由が制限された時代から戦後のGHQの介入で当時の体制や価値観を否定され、1960年代の安保闘争学生運動という反発と混乱を経て1970年代に入る。制度、規範、常識など既存の枠組み崩しが知的階層に強調され、また、「社会の規範にとらわれない自由な生き方」が支持された時代であり、「ヒッピー」がはやった背景もここらにあった。しかし、こうした「自由とはこうあるべきもの」という概念と基本的な生活環境の不適切さが混同され、児童虐待、高齢者虐待といったようなネグレクト (neglect)な問題を生んだといえる。
戦後30年足らずのうちに、日本の開発は恐ろしい速さで進み、世界有数の過密社会、競争社会を生んだ。農作物の輸入が増え、食料自給率が減った。地下が高騰し土地成金を排出。人々は大都会の息苦しさを喘ぐようにもなっていた。開発優先の政治、金がものを言う政治への不満も強くなったが政治を変える道筋も見つからなかった。そして、日本では「金、金、早く、早く」の考えが人々の心を汚染していた。そこに、「自由のはきちがえ」や「モラルの低下」などが重なり、「16歳母親が家出して赤ん坊捨てる」といったネグレクトな問題を生むようになった。
このブログを書いていて、1973(昭和48)年に起きた「菊田医師事件」を思い出した。
「急告! 生まれたばかりの男の赤ちゃんを我が子として育てる方を求む-菊田産婦人科医院」・・・。こんな広告が同年4月、地方紙に載った。俗に「菊田医師事件」といわれるものの発端となった広告である。宮城県石巻市の産婦人科医・菊田昇医師が、中絶を希望する母親を説得して出産させ、子どものいない家庭にその赤ちゃんを実子として斡旋していたことが明るみに出た。同医師は「実子特例法」の制定を求めていた。生まれた子供や貰い親の事を考え、従来の子どもを産んだ夫婦と育てる夫婦の間の養子縁組(普通養子)とするのではなく、初めから赤ちゃんを育てる夫婦の実子にしようというものであった。その為に偽の出生証明書を書くことは違法行為となる。菊田医師が斡旋した赤ちゃんは10年間で100人にのぼったという。法律順守か、それとも子どもの命を重視すべきか・・・が大論争となり、中絶や捨て子がまかり通っていた風潮に波紋を投げかけた事件であった。この時の菊田医師の行為は違法行為であったし、同医師の「実子特例法の制定」の訴えも、「職業倫理にも反する」と上告は棄却され、菊田医師の敗訴が確定したが、後に、この事件が立法を促すこととなり、特別養子制度の創設に至っっている(「菊田医師事件」のことについては以下参考に記載のもので頭に※印のあるものを参考にされると良い)。
少子高齢化が問題となっている今の時代、結婚をしない人、結婚をしても子供を生もうとしない人が増えている時代に、妊娠しながらどうしても子供を産む訳にはいかない人たたちがいる一方、赤ちゃんが欲し欲しくて仕方がないのにどうしても子宝に恵まれない人が居る。
「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)も、「救われる命がある」「捨て子を助長する」など当時と同じようような問題が論議されている。事は、赤ちゃんという人の生命にかかわる問題であるが、そこには、妊娠中絶をすることの是非の問題もあるのである。妊娠中絶期間がどうのこうのと言う前に、生まれる前のお腹の中の胎児であれば、生かすも殺すも母親の自由だ権利だという発想そのものがどういうものだろうか?。
しかし、日本人の思想がおかしくなり、又、極端なモラル低下が表面化したのが1970年代であったことが改めて思い起こされた。それから、、又、40年近い歳月が過ぎている。考えてみれば、おかしくなった親が生んだ子供が子供をつくっている時代が日本の現状であることを考えれば、今世間を騒がせている年よりや幼児などの弱いものいじめ、それに、おぞましい事件などが数々報道されても・・行き着くところまで来てしまった日本ではもうなんともしかたがないのか・・とさえ思われる。もう余り長くは生きられない年代になった私は、幸せであったとさえ思えるよ。
(画像は、向かって左は参院法務委員会に参考人として出席し「実子特例法の制定」を訴える菊田医師〔1973年4月24日〕。菊田医師の「7ヶ月中絶は殺人である」との主張は優生保護法〔後の〕の中絶可能期間を1ヵ月短縮させる契機となった。画像向かって右は菊田医師が地元紙に出した赤ちゃん斡旋の広告である(朝日クロニクル「週刊20世紀」より)。
医療法人 聖粒会慈恵病院
http://www.klb.go.jp/kigyou-guide/0035/index.html
赤ちゃんポスト - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88
児童福祉施設 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E7%A6%8F%E7%A5%89%E6%96%BD%E8%A8%AD
厚生労働省:平成17年度 児童相談所における児童虐待相談件数
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/06/h0629-4.html
[解説]赤ちゃんポスト設置へ(2006年11月29日 読売新聞・YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/mixnews/20061129ok05.htm?from=goo
[PDF] 虐待の援助法に関する文献研究 (第1報:1970年代まで)
http://www.crc-japan.net/contents/guidance/pdf_data/h15research.pdf
[PDF] 子どもの虹情報研修センター 紀 要 紀 要
http://www.crc-japan.net/contents/guidance/pdf_data/kiyou_no3.pdf
昭和48年(1973年)の少年犯罪
http://kangaeru.s59.xrea.com/48.htm
第2章 カトリックの性に関する考え方
http://www.catholic-teachers.com/2.htm
ロッカー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC#cite_note-0
読書ごっこ|ローラ、叫んでごらん
http://homepage.mac.com/theline/book/04_no_language/text_cry.html
連合国軍最高司令官総司令部 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/GHQ_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
年表:優生保護法・母子保健法・他
http://www.arsvi.com/0g/a01001.htm
普通養子と特別養子
http://www13.ocn.ne.jp/~taiyou04/140610.html
特別養子制度のあらまし
http://foster-family.jp/data/tokubetu_youshi.html
※特別養子とは - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C6%C3%CA%CC%CD%DC%BB%D2
※赤ちゃんあっせん(1975)
http://www.ffortune.net/maigo/baby-refer.htm
※子どもの権利
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/02/s0227-10k.html

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2 コメント

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信頼しているのに (Linda)
2008-05-13 05:48:31
よーさん、お早うさんです。
赤ちゃんや幼子がが一番頼りにしている母親に殺されるって辛いですね。母親って自分の命を捨てても子供を守るものだと思うのですが。
末世 (よーさん)
2008-05-13 08:57:15
Lindaさん、本当に悲しいことですね、振り返ってみると、そのような悲しい事件が広がってきたのは、日本では、1968(昭和43)年ごろからのようですね。戦後の荒廃から立ち直り経済成長を遂げた頃からです。
人間貧乏だからって、なかなか自分の子供を殺したりはしませんよ。結局身勝手なんですよ。戦後のへんな自由主義がはびこり、宗教や道徳も無くなり自己中心主義。おのれの快楽だけを求める人間が増えてきた頃からです。もう、今は、仏教で言うところの完全な末世だといえるでしょう。落ちる所まで落ちた感じですね。これからの時代は恐ろしい時代ですよ。

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