今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

節分

2006-02-03 | 行事
今日(2月3日)は「節分」(旧暦なら1月6日)。
一般的に「節分」といえば立春の前日をいっているが、節分は、本来二十四節気の季節が移り変わる日をさし、「季節を分ける」ことをも意味している。そのため、立春だけでなく、立夏、立秋、立冬の前日をも含むが、中でも、立春の前日の節分は、年が変わる重要な日として位置づけられている。大陰暦でも立春の日は一定ではなく、旧年12月中にくる事もあり、これを吉兆としたが、概ねは旧暦の1月上旬である。この日には追儀(ついな)、豆撒きの他、鰯の頭や柊の枝を戸口にさし、臭気の強いものを焼くなどの、邪霊悪鬼の侵入を妨げ祓う行事を行う。イワシの頭はその臭いで、柊の葉はその先の尖ったところで刺すことで、又、豆は「魔滅」に通じる事から鬼を追い払う事ができるという言い伝えから。節分の豆撒きは、室町時代から伝わった風俗である。追儀は、中国から伝わった行事で、宮中で大晦日(おおつごもり)に行われていた。本来は、黄金四目の面を被って、黒衣朱裳をまとった方相氏(ほうそうし)が矛盾を持ち鬼を追う先導役を務めたが、後には方相氏自身を鬼として追うようになった。宮中の追儀は室町時代に衰えたが、寺社の行事として伝わり、節分又は、正月6日、7日に行われる場合が多い。豆をまく役は年男が勤め、「鬼は外」「福は内」と唱え、その年の恵方に向かって撒く。年の数だけ豆を食べると厄払いになると信じられている。追儀と豆撒きは、本来、別の行事であったが、両者が結合した例や、豆撒きを追儀と呼ぶ例もある。
この様な行事が一般的に普及したのは江戸時代の頃からといわれている。節分の日は毎年同じではないが、今年は新暦の2月3日の今日が節分である。
関西では、豆まきに加えて、この日の夜に恵方(えほう)を向いて太巻(恵方巻)を丸噛りすると、その年一年に幸福が訪れるとの言い伝えがある。
現在の恵方巻が関西ではやりだしたのは、1977(昭和52)年に大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った海苔の販売促進行事だそうで、豊臣秀吉の家臣・堀尾茂助吉春が、偶々節分の前日に巻きずしの様な物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているのだとか・・(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)。
また、以下参考の「生活情報誌読売ファミリー・暮らしネット♪」によると、文献には「幕末から明治の初めに船場の商家で始まった」とある。節分は旧暦の大みそか。もともと、前年の災いを払い、新年の幸運を祈る一種の厄落としの意味があった。1932(昭和7)年「大阪鮓商組合」の出したチラシに「節分の日に丸かぶり」というのがあり、丸かぶりをしている女性の絵が描かれ、「この流行は古くから花柳界にもてされてゐました。(中略)惠方に向いて無言で壱本の巻寿司を丸かぶりすれば其年は幸運に惠まれる」(原文)とあるそうで、古くから行われていたことは間違いないようだ。それが明治半ばに一度、廃れたものを復活させたもののようだが、あるコンビニが1998(平成10)年に全国販売を始めたのがきっかけで、今では全国的に知られるようになったようである。
太巻き(恵方巻)の具のキュウリを“青鬼”、生姜や人参を“赤鬼”と見立て、節分に鬼を食ってしまうという意味とも言われる。巻き寿司を使うのは、「福を巻き込む」からで、丸かじりする理由は「縁を切らないために包丁を入れない」という意味が込められている。また、「福を逃がさないため」に、最初の一口を食べ終わるまでは口をきいてはいけない、もしくは、一本食べ終わるまで口をきいてはいけないとされることが多いが、一家揃って同じ方向を向き、黙って太巻を丸かじりする様はなかなかユーモラスだよよね。
ところで、節分に寿司を食べる時の、「恵方」は古くは正月の神の来臨する方向を指していたものが、九星術が流行してから現在のような意味になったようで、その方位は「明けの方(あきのかた)」ともいい、その年の歳徳神(としとくじん)のいる方向をいう。よく年末年始に町の本屋や神社で見かける暦本などの最初のページを開くと、乙姫様のような女神様の絵が描かれている。この神様が歳徳神で、今年新聞の配達所から貰った暦を見ると歳徳神の絵の下に「あきの方、丙の方。歳徳神の方位は一ヵ年の吉方で万事に用いて大吉となる。初詣をすれば家業繁盛の基となる」と書かれており、この神様のいらっしゃる方角はこの神様の力によって、他の悪い神様の影響を受けない方向とされ、「よろず吉」なのである。
この歳徳神は気まぐれで、毎年居られる場所が異なり、ややこしい。この恵方のことについては、以下参考に記載の「こよみのページ の恵方ってどっち?」が詳しい。
今年(2006)年の恵方は、丙の方「南南東」。太巻き寿司を食べる時は真南から15度ばかり東の方を向いて食べよう!。私は、最近、お酒を控えるために週に1度「飲まんデー」をつくっている。どうせ、太巻き寿司では、お酒の肴にもならないので、今日は飲まんデー!だ。
《画像は今年の易本に記されている方位図、方位の説明のページより「歳徳神」の絵の部分。)
参考:
節分-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%88%86
恵方巻-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%B9%E5%B7%BB
節分壬生寺炮烙納
http://tois1.nichibun.ac.jp/database/html2/gyouji/honkoku/gyouji_15.html
生活情報誌読売ファミリー・「暮らしネット♪」
http://www.yomiuri-jko.co.jp/family/gimon/20050202/
「こよみのページ 」の「恵方ってどっち?」
http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0430.htm

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5 コメント

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豆撒き (Linda)
2006-02-03 09:29:44
よーさん、お早うさんです。

我が家では僕が豆撒きをします。大きな声で「福は内、鬼は外」といいながら2階から下へ、奥から表に向かって鬼を追い詰める様に撒いて、最後に玄関を開けて「あっはっは」と笑っておきます。娘たちが子供の頃は喜んで撒いてくれましたが、年頃になると恥ずかしがってやらなくなりました。今はワインちゃんと2人だけなので殆ど毎年僕です。

以前はご近所でも豆を撒く声が聞えたのですが、最近は静かなものです。一般家庭では豆撒きをしなくなったのでしょうかね。
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こんばんわ~ (chun)
2006-02-03 22:56:31
よ-さん、書き込みありがとう♪

恵方巻きは熊本でもすっかり定着したみたいですよ。

豆のコ-ナ-より、お寿司売り場が賑わってたみたい。

豆も恵方巻きも食べなかったけど、もし豆を年の数だけ食べるんだったら、豆だけでお腹いっぱいになりそう・・・

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豆撒き (よーさん)
2006-02-04 07:41:34
Lindaさん、chunさん、この頃は、どこも余り豆撒きはしていないのではないかな~。なんか、洋風建築の家では、ムードが出ないよね~。

私とこも豆撒きはせず・・。ただ、恵方巻きだけは、食べた。もう、恵方巻きも全国区になったみたいだね。すしを買ったら、少し福豆を貰ったので、後で、年の数の一桁だけ、それも、撒かずに、「福は内」と言って、口の中へ放り込みましたよ・・(^0^)
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(^-^*)/コンチャ! (リリピィ)
2006-02-04 14:45:57
書き込み、ありがとうございました♪

恵方巻、そう言う由来があったんですね。

昔、始まったころ、「お寿司屋さんが考えたんじゃないの~」とか家族で言ってました(笑)

無言で食べるの、最初の一口でも良かったんですね。

ほっとしました?!(笑)

では、(*^ー^)ノ~~☆:.・*.マ.:タ.:ネ.:ー・*.:(^ー^*)ノ~~☆
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恵方巻 (よーさん)
2006-02-05 11:52:51
リリピィさん、書き込みありがとう!

特別こだわることないのじゃ~ない。

もともと、お遊びで始められたようなものらしいから・・・(^0^)
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