今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

八朔(はっさく)。田の実の節句

2006-08-01 | 行事
今日(8月1日)は、「八朔。田の実の節句」
八朔(はっさく)とは八月朔日(さくじつ=一日)の略で、略してそう呼ばれている。旧暦の8月1日のこと。元々は旧暦8月の行事で、その年の新しい穀物を取入れたり、贈答をしたりして祝う日だった。明治以降は新暦でも行われるようになった。この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあった。このことから、田の実(タノミ)の節句ともいう。
年中行事や冠婚葬祭は私達の日常生活のリズムをつくる重要な儀礼であり、基層文化の根幹をなす主要素として、それぞれ、地域社会の歴史的条件に規制されながら今日まで伝承されてきている。9世紀末、宮中内裏の清涼殿に設置されていたという「年中行事の障子」とよばれる衝立(ついたて)には、9~10世紀のごろに行われた宮廷儀礼の次第が克明に記録されており、これらは「年中の公事(くじ)」として、当時の貴族社会の生活のリズムを形成していた。節会と呼ばれる行事の内容は、華やかな宴や行列が行われるもので、京都の有名社寺の法会や祭礼などが含まれている。宮廷の公事に関わる貴族達は儀礼に参加することによって、生活の折り目をつけた。ところが、武家の時代になると、宮廷の大掛かりな公事は惰性的になり、存続意義が失われ、応仁の乱以後ほとんど哀滅してしまった。ただし、宮中行事の中でも、おおがかりな饗宴を伴わない、一族だけの私的な行事として行われる部分は定着して、次の時代に引き継がれた。たとえば、元旦の四方杯や屠蘇、歯固めの行事などは存続ていった。こうした宮中行事の伝統とは別に、たとえば、八月朔日の憑(たの)みの節句と称された八朔の行事や、正月11日の鏡開きなどのように、地域に生成していた民族行事が昇華して、武家年中行事として定着した。
陰暦の8月1日は稲の収穫を前にした重要な節目で、農村においては、早稲米(わさごめ)を神に供えたり、互いに贈ったりする田の稔りの行事が行われていた。鎌倉時代中期以降、この日に贈り物をする風習が公家・武家にも急速に広まり、特に院・天皇や将軍への進献及びその返礼は、年中行事的な位置を占めるに至った。
8月1日は先にも述べたように、「たのみ・たのむ」の節句(節供)ともいい、憑・怙恃(こじ)、田面・田実などの字があてられている。いずれも「タノミ・タノム」と同意である。行事の内容は、稲の実りを祈る作頼みと、庇護者への贈答に大きく分けられる。前者の作頼みは、本来地域によって日にちの一定しない農耕儀礼であるが、後者も、もとは、新米を贈る農村の行事であったらしいが、中世以降、武家・公家社会で主従関係を確認強化するために「頼む人」(庇護者)へ贈り物をすることが一般化し、これが民間にも及んだ。徳川家康は、江戸入場にこの日を選んだとされ、この日は、家康の江戸入府の日として、元日に次ぐ幕府の最も重要な式日とされていたようだ。この日、大名・旗本はこぞって登城し、太刀などを献上してこれを祝ったという。
中元・歳暮の時期になると日本全国を慌しく往復する膨大な贈答品。年始・年末の新年会や忘年会。日本の社会において、人と人との、結びつきを強め、再確認し、さらに親密度を高める上で、最も有効かつ不可欠な役割を果たしてきたものに「宴と贈り物」がある。本来、中元とは陰暦7月15日、いわゆる盂蘭盆のことで、贈答儀礼としての中元が登場するのは、明治時代以降である。この時期に贈答を行う習俗としては、毎年8月1日に行われていた八朔の御礼が古い。これは、主人と家礼(家来)とが、贈り物を交換することによって、主従・恩顧関係を確認し合う行事で、はじめは収穫の祭事として東国ではじまり、鎌倉時代中期以降、民衆から朝廷に至るまで広く流行するようになった。贈答儀礼の中元は、この八朔の儀礼に起源をもつらしい。一方、中世の職人の間には、年末・年始に得意先の羽子板・箸・チリトリなどを贈って雇用関係を確認し合う習慣があったという。これは替物・節料などと呼ばれていたそうだがこのうち年末に贈られたもの歳暮、年頭に贈られるものは年始と呼ばれるようになった。今日の年始・歳暮は、この慣習が広まったものと考えられている。
宴の世界には「酒肴」と言う言葉もあるように、日本列島に生きた人々を強く結びつける上で古くから、贈り物には海の香りが濃厚な「海からの贈り物」海産物が果たした役割は大きかった。また、山川の幸も宴・贈り物の中で重要な意味を持っていたが、何よりも酒無しには宴会は成り立たない。縁古以来、毎年の祭りや人生の通過儀礼に当って、神との共食の意味をこめた酒宴は欠くことのできない行事であった。人を招いての供応には、土地の特産物が引き出物として送られるだけでなく、時には、女性が提供されることさえあった。このように贈り物と宴には、主従関係を確認強化するといった共通の目的があるのである。
八朔を、「タノミの節供」と呼ぶ地域が西日本に分布していたというが、福山市鞆の浦では、5月5日の節句の代わりに、子どもの誕生と成長を祝う行事として「八朔の馬出し」という全国でも珍しい行事が行われているというが、そのほかでは、どこでどのような行事が行われているのかよくわからない。
「八朔や盆に乗たる福俵 」
「八朔や犬の椀にも小豆飯」 
このような、小林一茶の句にもあるように、「タノミの節供」には、稲が順調に穂を出すようにと座敷に飾られた祭壇には福俵を供え、又、赤飯を炊いて祝ってもいたようだが・・・。
わが地元兵庫県の播州は秋祭りで有名なところであるが、姫路に「荒川神社」という名の神社がある。この神社は、今から約670年ほど前に創建されたそうだが、昔、この神社のあった地は夢前川の旧流路になっており、汐入川と水尾川という2本の川があり、大雨や台風で洪水が起こりやすかったことから水の神である水波能女神(みずはのめのかみ)を祀ったのが始まりだとか。この「荒川神社」には、稲作の成長に合わせて行われる三つの例祭があり、稲作の成長を願う「田休みの祭り」、稲作の無害を願う「八朔祭り」、収穫を祝う「秋祭り」は、「荒川神社例祭風流」として、2年前の2004(平成16)年に、姫路市重要無形民俗文化財に指定されているという。この神社では、毎年9月1日に「八朔祭り」が執り行われていたそうだが神事として練り番町総代が参加するくらいで一般氏子には知らされていなかったため余り知られていなかったようだ。地元なので、私も「荒川神社」の名前と同神社の秋祭り・別名「小芋祭り」の名前ぐらいは知っていたが、「八朔祭り」のことは、知らなかった。どのような祭りなのか一度見てみたいものだ。(興味のある方は、以下参考の「荒川神社紹介」をどうぞ。)(画像は、八朔「大和耕作絵抄」NHKデーター情報部編ヴイジアル「百科江戸事情」生活編より)
参考:
岩佐美代子.宮廷に生きる
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/just-iwasa-miyoko-kyuteiniikiru.htm
年中行事 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E4%BA%8B
板戸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%88%B8
家康の府中御殿と江戸入りの頃
http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinorekisi/edo/musasifutyuugotenn/musasifutyuugotenn1.htm
第四節 八朔祭の変遷
http://www.town.yashima.akita.jp/event/guide%20book/gb16.htm
荒川神社紹介
http://www.h-matsuri.com/arakawa/shrine.htm
一 茶 発 句 全 集
http://www.janis.or.jp/users/kyodoshi/issaku.htm
鞆の浦
http://www.geocities.jp/senior_fukuyama/tomo.html

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
儀礼 (linda)
2006-08-01 12:29:08
よーさん、こんにちは。

贈り物は儀礼的になっていますね。もうやめようかと思っていると相手が送ってくるので慌ててお返し。翌年はこちらが送れば相手が慌てて送ってくる始末です。お互いに止めるタイミングが難しいなと思っている感じがします。
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夏の贈り物 (とんとん)
2006-08-01 23:23:48
昔は塩昆布など買ったことがないぐい 頂き物で一年 食卓にありました

そしてこの時期 そうめんも贈ったり贈られたり・・

徐々に少なくなり最近は買うこともありますが、もらい過ぎても困ることがありました。

秋に少しでも新米を贈って下さる遠い親戚がありました。

お米も気持ちも美味しくいただいたものです。
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中元、歳暮 (よーさん)
2006-08-02 07:02:44
lindaさん、とんとんさん、中元、歳暮、なかなか難しい問題ですね。あることの意義もあるし、あれば、面倒とも思う。(^0^)

私のところは、現役時代に関係していた会社の株を少しづつ持っていますが、少なくても、今の低金利より配当金も多いし、それよりも嬉しいのは、中元時期に合わせて、株主還元として地元の名産品を送ってくれるのですよ。これらの到着が、今では、家人の楽しみの一つになっていますよ。

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