1999年1月31日 東急百貨店日本橋店が閉店。白木屋以来336年の歴史に幕 を閉じた。
東京・日本橋に日本初めての百貨店が出来たのが1904(明治37)年呉服屋から転身を遂げた三越呉服店(三越)が始まり。他に日本橋には高島屋、や松阪屋そして、これらと張り合っていた白木屋という百貨店があった。
白木屋は1662(寛文2)年創業で、近江の材木商、大村彦太郎が江戸日本橋に呉服反物の類の販売を主とする店を開いたのが始まり。町人から大名・大奥までをも顧客としたそうで、これは三越より時代的には少し古い(三越の創業は、1673年=延宝元年)。明治時代に入ると服装の洋装化の波にも乗り、洋服部も開設し、越後屋(三越呉服店)などと並び、百貨店として発展。1911(明治44)年、百貨店初のエレベーターと回転ドアを設置するなど先進的な取り組みで知られた。1928(昭和3)年に建物が出来(西館)、1931(昭和6)年に新ビル(東館)が完成。その時のデザインはクラシック様式の三越の向こうを張って、華麗なアールデコ調の装飾で彩られていたという。しかし、不幸にも完成間もない1932(昭和7)年12月16日に大火があり、4階おもちゃ売り場の歳末・クリスマスの飾り付けに、電球の火花が引火し、当時玩具の主流だったセルロイドに燃え移り、あっと言う間に大きな火事になったという。そして、店員や問屋など14人の死者が出た。これは、当時の女性が着物の下には何も下着などつけていなかったので、火事から逃れるとき、下から見られるの恥じて逃げ遅れてのものであったことから、 この火事を境に日本の女性に急速に下着が普及することになったことは良く知られている。大火後に改装され、営業を続けたが、戦後の1956(昭和31)年、東京急行電鉄(東急)の傘下に入り、昭和32年にも 大規模な改装をし、1958(昭和33)年には東急傍系の東横百貨店と合併するも「白木屋」の店名は1967(昭和42)年に「東急百貨店日本橋店」となるまで残っていた。
1999(平成11)年1月31日、その白木屋以来336年の歴史を誇ってきた東京・日本橋の東急百貨店日本橋店が売れ行き不振で閉店へ。正月3日から始まった閉店セールは初日から押すな押すなの大盛況。店じまいした1月末(1月31日)までの来店客は204万人。売り上げ165億円は年商の約半分とか。営業中にこれだけの人が来てくれれば閉店せずに済んだのだが・・安ければ売れるんだよね~。その跡地は「COREDO(コレド)日本橋」となっている。
百貨店の屋上には、商売につきものの お稲荷さんと、白木観音がまつられていた。その昔、江戸市中が水不足で困っていたとき、白木屋2代目当主が井戸を掘ると、観音像が現われるとともに、清水が湧き出したものだという(1712年=正徳元年)。
白木名水は湧き出してから数百年の時を経て消失したが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡として東京都の旧跡に指定されている。 この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史のあとに、日本橋一丁目交差点角にあったものを2004(平成16)年にCOREDO日本橋アネックス広場内に移設再現されている。
私は、昭和30年末、東京で仕事をしていたが、本社が日本橋、白木屋の近くにあった・・・当時が懐かしく思い出される。
(画像は、コレクションの絵葉書・昭和の大東京「大建築の偉観」のうちの1枚。昭和初期のもの)
参考:
白木屋が消えた
http://homepage2.nifty.com/datey/m5sirokiya.htm
東急日本橋店
http://homepage1.nifty.com/tanboh/15407.htm
レジスター博物館
http://www.ncr.co.jp/library/library/register/index.html
東京・日本橋に日本初めての百貨店が出来たのが1904(明治37)年呉服屋から転身を遂げた三越呉服店(三越)が始まり。他に日本橋には高島屋、や松阪屋そして、これらと張り合っていた白木屋という百貨店があった。
白木屋は1662(寛文2)年創業で、近江の材木商、大村彦太郎が江戸日本橋に呉服反物の類の販売を主とする店を開いたのが始まり。町人から大名・大奥までをも顧客としたそうで、これは三越より時代的には少し古い(三越の創業は、1673年=延宝元年)。明治時代に入ると服装の洋装化の波にも乗り、洋服部も開設し、越後屋(三越呉服店)などと並び、百貨店として発展。1911(明治44)年、百貨店初のエレベーターと回転ドアを設置するなど先進的な取り組みで知られた。1928(昭和3)年に建物が出来(西館)、1931(昭和6)年に新ビル(東館)が完成。その時のデザインはクラシック様式の三越の向こうを張って、華麗なアールデコ調の装飾で彩られていたという。しかし、不幸にも完成間もない1932(昭和7)年12月16日に大火があり、4階おもちゃ売り場の歳末・クリスマスの飾り付けに、電球の火花が引火し、当時玩具の主流だったセルロイドに燃え移り、あっと言う間に大きな火事になったという。そして、店員や問屋など14人の死者が出た。これは、当時の女性が着物の下には何も下着などつけていなかったので、火事から逃れるとき、下から見られるの恥じて逃げ遅れてのものであったことから、 この火事を境に日本の女性に急速に下着が普及することになったことは良く知られている。大火後に改装され、営業を続けたが、戦後の1956(昭和31)年、東京急行電鉄(東急)の傘下に入り、昭和32年にも 大規模な改装をし、1958(昭和33)年には東急傍系の東横百貨店と合併するも「白木屋」の店名は1967(昭和42)年に「東急百貨店日本橋店」となるまで残っていた。
1999(平成11)年1月31日、その白木屋以来336年の歴史を誇ってきた東京・日本橋の東急百貨店日本橋店が売れ行き不振で閉店へ。正月3日から始まった閉店セールは初日から押すな押すなの大盛況。店じまいした1月末(1月31日)までの来店客は204万人。売り上げ165億円は年商の約半分とか。営業中にこれだけの人が来てくれれば閉店せずに済んだのだが・・安ければ売れるんだよね~。その跡地は「COREDO(コレド)日本橋」となっている。
百貨店の屋上には、商売につきものの お稲荷さんと、白木観音がまつられていた。その昔、江戸市中が水不足で困っていたとき、白木屋2代目当主が井戸を掘ると、観音像が現われるとともに、清水が湧き出したものだという(1712年=正徳元年)。
白木名水は湧き出してから数百年の時を経て消失したが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡として東京都の旧跡に指定されている。 この「名水白木屋の井戸」の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史のあとに、日本橋一丁目交差点角にあったものを2004(平成16)年にCOREDO日本橋アネックス広場内に移設再現されている。
私は、昭和30年末、東京で仕事をしていたが、本社が日本橋、白木屋の近くにあった・・・当時が懐かしく思い出される。
(画像は、コレクションの絵葉書・昭和の大東京「大建築の偉観」のうちの1枚。昭和初期のもの)
参考:
白木屋が消えた
http://homepage2.nifty.com/datey/m5sirokiya.htm
東急日本橋店
http://homepage1.nifty.com/tanboh/15407.htm
レジスター博物館
http://www.ncr.co.jp/library/library/register/index.html
大阪では白木屋さんに馴染みがないのですが、確かハワイのアラモアナ・ショッピングセンターで買い物をしたことがあります
有名な白木屋「しらきや」と読んでいましたけど「しろきや」なんですね
セルロイドの綺麗な「おもちゃ」が火災の大きな原因だったのですね
女性が下着をつけるようになったのが、白木屋の火災からだということは知りませんでした
いつも よーさんのブログは勉強になります。
女性が下着をつけるようになったのが、白木屋の火災からだというのは有名な話ですよ・・(^0^)