今年もあと数日を残すのみとなった。ここ数年は上原和と梅原猛に嵌っている。特に梅原猛は著書が多く、先日”日本人の「あの世」観”を読了し、今は”地獄の思想”を読んでいる。すでに何度も書いたように、梅原は写楽豊国説などのように思い込みが甚だしく納得できないことや、斎藤茂吉や津田左右吉に対する激しい非難にそこまで言うかと思うこともあるが、そのユニークな発想に何度も驚かされる。
今回読んだ”日本人の「あの世」観”の中に「原古事記と柿本人麿」という論文があるのだが、太安万侶編集で稗田阿礼が誦んだ現”古事記”(和銅古事記)に先立って原古事記(天武古事記)が存在し、驚くことに、この原古事記は柿本人麻呂が書いた可能性があるというのである。現古事記の作成期間が4か月余りとあまりに短いのでこれに先立つ歴史書(原古事記)があったはずだという。万葉集には古事記から引用されている歌が二首あり、梅原は、現古事記にある歌は一字一音の万葉仮名で表記されていることに対し、万葉集に引用されている古事記の歌は音訓交り文で表記されていることに注目する。そして人麻呂の歌も時代によって漢文から音訓交りに変化し、最後は一字一音の万葉仮名になり、それが原古事記から現古事記への表記法の変化と一致するというのである。
・漢文表記(略体歌)の人麻呂の歌の例
春柳葛山發雲立座妹念
(春柳 葛城山に 発つ雲の 立ちても座ても 妹をしぞ念ふ)
・万葉仮名(一字一音=作歌)の歌の例
和何則能尓宇米能波奈知流比佐可多能阿米欲里由吉能那何列久流可母
(わがそのにうめのはなちるひさかたのあめよりゆきのながれくるかも)
上の2首の間に音訓交り歌(非略体歌)がある。
表記法に加え、原古事記にあったと推定される倭建命(日本武尊)と軽太子の2つの悲劇は古事記の中で文学的にも優れているばかりか、挽歌を数多く歌った人麻呂の歌に通じるものがあるというのだ。倭建命は父の理不尽な命により日本各地を転戦し最後は戦いに倒れ白鳥となって天に召される。一方、軽太子(かるのひつぎのみこ)は同母妹の軽大郎女(かるのおおいらつめ)と通じたことが咎められ流された伊予で追いかけてきた軽大郎女とともに死ぬ。古事記の作者は、体制に組み入れられず非業の死を遂げた倭建命と軽太子の二人に深い同情を寄せている。
ところで、梅原は”神々の流竄”で現古事記を誦んだ稗田阿礼は藤原不比等であるという説を唱えている。根拠は、不比等は史(ふひと)であること、元明天皇個人に誦み聞かせたものであること、阿礼が歴史撰修を命じられた28歳は不比等の年齢と一致することなどである。
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