備忘録として

タイトルのまま

人麻呂終焉の海

2009-07-12 10:30:33 | 万葉
「鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあらむ」

梅原猛が鴨山の地であるという石見の益田川河口近くに、人麻呂終焉の地、”鴨島址展望地”の石碑が、福祉施設の入り口にひっそりと立っている。石碑の背後には背丈ほどの柵が立っていて、鴨島のあった海の方向が展望できないのはどうしたことだろうか。
益田市役所のホームページ(http://www.city.masuda.lg.jp/kanko/hitomaro_01.html)は、ここを紹介しているが、石碑の写真は海岸傍に立っているので、柵は最近できたものだろう。ホームページには地図が添えられていないし、手元の観光地図にも載ってないので、こんな辺鄙な場所を訪れるのは人麻呂マニアか梅原マニアしかいないだろう。


石碑の脇に上の地図と説明文があった。写真の赤いところが、かつて鴨島があった地点で、梅原はここで人麻呂は水刑死に処せられたという。鴨島は平安時代の地震と津波で水没したとされている。梅原猛の「水底の歌」には、ここに岩礁があり周辺より浅いとある。”水底の歌”発表後、梅原猛の指揮で潜水調査をしている。
以下は、読売新聞で連載されている平成万葉の旅の人麻呂・島根県益田の項である。
http://www.yomiuri.co.jp/man-yo/20090213-OYT8T00796.htm
梅原の後も現地調査が行われたが、海底に人麻呂神社跡は見つからなかったという。


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