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より一層の知識と光を求めて・・・・

時に末日聖徒/モルモン教への私見含むメモ帳にて御座候 ほな毎度どんもにて 御きげんよろしゅうで御座候

ユタ州の製糖業  かきかk

2017-07-11 08:01:08 | 教会の歴史 

何が書ける・ペーストできるかな??

昔、教会での各自教会員に勧められている食糧貯蔵の件で、その時砂糖が体に悪いというの聞き知ってたんですが、砂糖何キロ貯蔵しましょうとあって、そのへんどうなのかなって?!思ったもんでした。 まぁ、必需品?としての砂糖に毒性があるなどというのは20世紀後半くらいになってアメリカでは広まったんでしょうかね??

砂糖病    https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E2%80%9D%E7%A0%82%E7%B3%96%E7%97%85%E2%80%9D

まぁ、19世紀、ユタでも製糖業で成功しようと、ジョン・テイラー(後に管長に)はフランスから機械を購入、手車隊でソルトレークまで運ばせたと。んが、失敗。悪臭・悪味で、砂糖には程遠かったものしか・・・・ノウ・ハウがね、何かつかませられたか。ユタで、ビート・甜菜糖が出来上がったのは、カリフォルニアで成功した会社に買収された後だというにゃ。

製糖業 ユタ州    https://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&p=%E8%A3%BD%E7%B3%96%E6%A5%AD%20%20%20%E3%83%A6%E3%82%BF%E5%B7%9E

 


信仰の危機?!  その6

2013-10-09 09:34:02 | ニュース??!!

昨日のに、コメントが。(信仰の危機?! その5  2013-10-08 07:12:14 | )、毎度、おおきに、でっせでっせ。

「Unknown (バハマ)   2013-10-08 17:38:54   
間違いをみとめても誰が何をしたのかはいわない謝罪もしない、これじゃまた批判され無限ルーぷ 日本の総大会は今週の土曜でしたっけ? 何時からでしたっけ? 直接聞いてみるしかないですね。」

うぅぅぅんんとねぇ、うぅぅぅんんとさぁ、またまた、たまWEBの悲観的杞憂的なので、あれなんですが、一応、ご披露させていただきやすとね、もち、教会が、良いほうに変って行くのには、大いに賛成だけんど、一日にして変るみたいなことは、期待しないほうがよさげでは、まぁ、まずは、本質的には変らないんではという見方がさぁ、検討してみないことには、ねぇぇ、どうも、そっちのほうでは??と・・・・

例によって、イザヤ28章が、ジョセフ亡き後のモルモン教会/末日聖徒イエス・キリスト教会にあてはまるとしてですよ、「イザヤの言葉はまことに偉大だからである。・・・・彼の語ったことはすべて、彼の語った言葉のとおりにこれまで起こっており、またこれからも起こるであろう。」(第3ニーファイ23:1,3)とありますように 主御自身のお墨付きがあるわけでして、誰が何しようと、必ず、そうなるんだと、変らないんだと。

で、そのイザヤ書28章に、

「28:7 しかし、これらもまた酒のゆえによろめき、濃き酒のゆえによろける。祭司と預言者とは濃き酒のゆえによろめき、酒のゆえに心みだれ、濃き酒のゆえによろける。彼らは幻を見るときに誤り、さばきを行うときにつまづく。
28:8 すべての食卓は吐いた物で満ち、清い所はない。」

とあるわけですが、これをどう解釈しますかねぇ、酒というのは、彼ら教会幹部が好んで関わっている事柄・・・・ブリガムだったら、金銭、富、権力になるか・・・・世の中との接点、もたらされる情報とかでしょうか? で、食卓・テーブルは、聖文の巻物を置く或いは読み上げる時の書見台、転じて、説教壇になりましょうか。吐くということは、誤りを口から出している、話しているとでも。清い所なしは、主の御旨とは違ってるみたいな・・・・「05 それゆえ、まことに、わたしはあなたがたに言う。この民に向かって声を上げなさい。わたしがあなたがたの心の中に入れる思いを語りなさい。そうすれば、あなたがたは人々の前で辱められることはないであろう。 06 あなたがたの言うべきことは、まさにそのときに、まことにその瞬間にあなたがたに授けられるからである。」(教義と聖約100章)とあるけれど、テレ・プロンプターに出てくる、前もって書いた原稿を読んでて、その瞬間に与えられるということへの信仰がないみたいな・・・・例えば、東日本震災が人工地震によるものとして、そういった情報が、幹部に入ってたとして、教義と聖約88章の聖句引用して、天罰みたいに説教したなんていうのは、この予言の成就の一部に数えられるんではと。

といったふうに解せるとしてですね、こういった視点で、今回の見れば、一連のシナリオ通りなのかもっすよと。あのスエーデンの人(マトソン氏)も、実は、前もって役者の一人であると了解し、シナリオに参加してたのかも、ウケ狙いみたいなパフォーマンス/やらせ??、本質的には、何も変らんみたいな・・・・ 

「NJWindow M.ジェンセン / H.マトソン 「信仰の危機」関連記録  モルモン教関連 / 2013-09-02 10:20:36 」
        
うぅぅぅんん、ほんとに教会幹部たちを支配してるものは何のか??ほんとにピュアな予言者だったら、この世は星の栄えというか、必ずや、ジョセフのようにこの世から抹殺されるはずだろうし・・・・

十二使徒という召し・職は回復されたと、そして教会員の中からその職に召されてきてるんだと。が、しかし、召された人、イコール、日の栄え的完璧な人ということではないんだと。それまで不完全な人間が、急に完璧な人に変るとかってないんだと。それこそ、副管長が言ったという”間違いを犯す”人間ということで。その辺、個性のばらつきがいろいろあるんだと。主から見て、喜ばれる幹部もいれば、そうでない幹部もいるんでは??

いったい、裁きの時にどうなるのか、これらの最も小さいものにしたのは/しなかったのは、すなわち、私にした/しなかったのであるとあるわけですが、

「25:40 すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
25:45 そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。
25:46 そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。
」(マタイ伝25章)・・・・永遠の命とも

例えば、「リチャーズ使徒らを乗せた装備万端の幌馬車隊一行は、ウィリー隊を通り過ぎる時に、1、2日共に過ごした。その時、時期が遅いから、越冬して来年出発したほうがよいと意見した者を、厳しく叱責、いろいろ苦難はあるが、無傷で、ロッキーを越えシオンの地に入るであろうと主の御名によって語った・予言した・・・・滞在中、牛肉を所望、牛一頭が提供された、途中のフォート・ララミー砦で、代わりの牛を用意すると約束。ララミー砦に着いてみると、そのような約束は反故と判明。さらに食料を切り詰めねばならなくなった、そんななかでの、大雪の嵐・・・・」と書いてましたが、

   (モルモンの有力ファミリー  その2   2013-01-01 21:35:51  | 教会歴史)

当時ヨーロッパ伝道部長として活躍し、ヨーロッパの会員を移住させる指揮をとってたフランクリン・D・リチャーズ使徒(1821-99、49年使徒兼教会歴史員、ウィラード・リチャーズ使徒の甥)にしてみれば、ヨーロッパから貧乏な徒歩でやって来る教会員は、小さい者たちと見なせたから、そんなことができたんでしょうか、死んでもかまわんと、ブリガムの望んでる蒸気機関と酒樽など知っててのことだったんでしょうか・・・・しかし、それは、主にしたことになるんだと、裁きの時にどうなるのか??

      http://search.yahoo.co.jp/search?p=martin+willie+handcart++%22steam+engine%22&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

日曜学校で、教会作成のビデオ見たんですが、マーティン手車隊救助に向かった話で、3人の若者が、厳寒の中、手車隊のメンバーを背負って何度も川を渡って往復、ついには、命を落とすと、それを聞いたブリガムは子供のように泣きじゃくったとあって、その時、代理教師の人が、ブリガムは直ぐに救助に向かわせ、そんなに素晴しい人なんだと言ってましたが、まぁ、ビデオは、そうアピールするわけだけど・・・・もっと、真相探ればさぁぁ・・・・まぁ、19世紀までは、少年の長時間労働などざらというそんな時代でもあったわけだが・・・・

例えば、あのマウンテン・メドウ殺戮。ブリガムら幹部らは、ファンチャー一行が殺害されることに、別にかまわんだったのでは。彼ら一行を小さい者とみなせたと・・・・チェロキー・インディアンの血筋だし・・・・しかし、それは、主にしたことになるんだと、裁きの時にどうなるのか??


カール・グロンダール氏の風刺漫画より

2013-10-03 21:01:06 | 人物・人名

   http://www.flickr.com/photos/45229913@N05/8427402409/
   John D. Lee    Taken on January 29, 2013 
      http://www.flickr.com/photos/45229913@N05/archives

なるほど、なるほど、この風刺漫画の言わんとすることは、教会では、指導者の霊感されたリーダーシップのもと、おもにヨーロッパからの聖徒たちが、開拓者として手車で、約2000キロメートルの道のりとなる(ノーブー町からソルトレークまで)平原とロッキー山脈を徒歩でやって来たという大いなる信仰と犠牲については、語られるけれど、ジョン・D・リー、すなわち、マウンテン・メドウの虐殺については、何も語られない、教えられない(対外的に、或いは、日曜学校などで)ということだなぁぁと、たまWEBは解したんだけど・・・・たまWEBのように、陰謀説に則り、あれこれ、真相追求されちゃぁ、困っちゃうでしょうか??・・・・しかも、ジョン・D・リーの処刑が偽装だったとしたら、うわぁぁ、驚き、カールさんでも想像がつかないんじゃぁ??・・・・

       http://search.yahoo.co.jp/search?p=cal+grondahl&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt

漫画といえば、こんなのあるんすね・・・・
     http://issuu.com/iplates/docs/issuu_ammon_sm?e=5878980/3232047


ブリガムの正体見えたり?!その12

2013-10-02 21:43:09 | 人物・人名

手車隊の裏話、書いてましたかぁぁ・・・・

       手車
       http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/s/%BC%EA%BC%D6

ブリガムは、経済的な理由から、幌馬車にかかる費用と比べて手車を推奨したと言う話。ゴールドラッシュ(1848)の時に、一攫千金を狙う採掘者たちは、手押車で徒歩でやって来たわけだから、貧乏な聖徒たちは、それにならってもらうと・・・・

ブリガムは、合衆国政府から、およそ500名のモルモン大隊に支払われる給与(金銭)を、くすねたということだ。大隊に参加した人々が、除隊となり帰還後、妻子に送ってやるとの約束が、果されてなかったことが判明。半分近く、教会去ったとか。・・・・当初は、1000人提供するとブリガムのほうから、人を介して、時の当時のジェームズ・ポーク大統領(フリーメイソン)に申し出たんだとか・・・・

富を愛する、金銭を愛するという、ヤング管長の異常な愛??・・・・まぁ、独裁者的だったと・・・・文句言うと、秘密警察が・・・・

If gold seekers with wheelbarrows could successfully cross the plains, he felt poor Saints could pull handcarts to Zion. The plan went awry when
http://books.google.co.jp/books?id=RIQ3f9jaGaQC&pg=PA52&lpg=PA52&dq=%22handcarts%22+brigham+-university++bagler&source=bl&ots=p_FExID_Fj&sig=rCSw65feWiMhOLn0vEzY3uH1hIQ#v=onepage&q=%22handcarts%22%20brigham%20-university%20%20bagler&f=false
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22handcarts%22+brigham+-university++bagler&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt


ブリガムの正体見えたり?! その7 

2013-04-19 20:29:08 | 世の権力、秘密結社、教会、富

マーティン、ウィリー手車隊で、約200人、餓死、衰弱、病死、凍死してるわけですが、遭難の知らせを受け、レスキュー隊を派遣しても、ブリガムは、手車隊の人たちを助けるよりも、彼が、東部から買い付けた、蒸気エンジン、ウイスキー、タバコ、茶を優先させてソルトレークまで運ばせたということですねぇぇ・・・・なんとまぁ、冷酷というか、間接的に、死なせてる・・・・未読ですが・・・・やっぱり、フリーメイソン、秘密結社からの使者たちだったんだべさぁぁ・・・・

     http://user.xmission.com/~research/central/handcart.pdf
     ウィル・バグリー氏、手車隊の真相について、2009年に論文発表してたんですね・・・・

     http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E2%80%9CONE+LONG+FUNERAL+MARCH%E2%80%9D%3A&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

うぅぅんん、19世紀、権力者の地位につく人は、そのように、帝王学的に?育てられ、教育されてたんでしょうか・・・・ヤング・リチャーズ有力ファミリー、そして閨閥が・・・・やはり、メーソン結社特有のピラミッド社会に類似??


ブリガムの正体見えたり?! その6

2013-04-18 22:06:45 | 世の権力、秘密結社、教会、富

このシリーズ、その5(2013-04-15 22:35:52 )での訳情報、「ブリガムは、手車隊には、まぁ、秘密裏にでしょう、蒸気エンジンと酒樽(バーボン ウイスキー: トウモロコシとライ麦製の米国産のウイスキー)を運ばせていたということで、息のかかった救助隊の一部にでしょうか、そのことを伝え、無事に、運んでくるよう指示したという裏話があるようで・」の資料元は、在野のモルモン歴史家として著名なウィル・バグリー氏(1950- ソルトレーク生まれ 父親は80年代、カリフォルニア州オーシャンサイド市長)によるものですね。今週水曜、ソルトレークシティ公共図書館で、『(モルモン開拓者の)苦難の旅の真相』と題する手車隊に関しての講演(無料、オープン)があったということです。

        http://www.mormonsandtrek.com/
        うぅぅんん、どんな内容だったんでしょ??たまWEB、英語リスニングあれですけど、ソルトレークにいたとしたら行ってたでしょうか・・・・

        http://en.wikipedia.org/wiki/Will_Bagley
        ふぅぅんん、彼は歴史家としてのキャリアが始まったのは1995年、それまでは、大卒後(カリフォルニア大学サンタクルズ校)、いろんな仕事してたんだぁ、大工、高級家具師、カントリーミュージシャン、IT企業のテクニカル・ライター等。マウンテン・メドウ虐殺事件を扱った著作では、だいぶブリガムが、首謀者だとして追い詰めたとされるんだが・・・・

シリーズその4では(2013-04-01 08:28:59 )、ジョセフのブリガムについての予言がありましたね。「ブリガムが、万が一にでも、教会を導くことになれば、教会を地獄へ導くことになる・・・・ここにブリガム兄弟がおります。彼が、もし、教会を導くということになれば、彼は地獄へと導くでありましょう」。

いやぁぁ、マウンテン・メドウの虐殺は、まさにこの予言成就の一部だったのでは?? たまWEBの脳内では、そう思ってしまうぜよ!!!

そもそも、血の贖罪という教義は主の御旨ではないのじゃないか??ブリガムが秘密結社からの使命者として見た場合、フリーメイソン或いはイルミナティ秘密結社による権力掌握・維持のための手段としての殺人につながってしまうのでは??ごまかしの教義??

例えば、モルモン書に「11 しかし、アルマは彼に言った。『御霊が、手を伸べてはならないとわたしを制されます。まことに、主はこの人々を栄光のうちに御自分のみもとに受け入れられるからです。主は彼らがこのことを行うのを、すなわち人々が心のかたくななままにこの人々にこのことを行うのを黙認しておられます。それは、主が怒って彼らに下される罰が公正なものとなるためです。罪のない者の血は彼らを責める証拠となり、終わりの日に彼らを非難して激しく叫ぶことでしょう。』」(アルマ14章)とありますし、たしか、ジョセフは、迫害者が霊界で受ける悲惨な状態を被迫害者が見ると、同情の涙を流すとかって言ってませんでした?!

「13 わたしはこれまで3度、民を敵の手から救い出したが、彼らは自分たちの罪を悔い改めなかった。
14 そして彼らが、わたしたちの主であり救い主であるイエス・キリストによって禁じられていた、すべてのものにかけて、自分たちは敵のところに上って行って戦い、同胞の血の報復をすると誓ったとき、見よ、主の声がわたしに聞こえてこう言われた。
15 「報復はわたしのすることである。わたしが報復する。この民はわたしによって救い出された後に悔い改めなかったので、見よ、地の面から絶たれる。」
16 さて、わたしは敵に向かって上って行くことをきっぱりと断り、主から命じられたとおりにした。わたしは、将来起こることについて証をされた御霊の示しのとおりに、自分が見聞きしたことを世の人々に明らかにする証人になった。」(モルモン書3章)ともありますです。    『復讐するは我にあり』  2012-04-01 21:25:14 

「テルマ・ギアーが語る「マウンテン・メドウの大虐殺」 淑徳大学 教授 高橋 弘    4.虐殺事件後のヤング     

マイケル・クインの研究では、当時、教会史家であったウィルフォード・ウッドラフ(後の第四代大管長)の記録には次のような記述がある。「マウンテン・メドウの大虐殺」の後、その虐殺現場を始めて訪れたとき、大管長ヤングは記念碑に掲げられる碑文には次のように記されるべきだと語ったという。「復讐は我(神)にあり。私(ヤング)はその(復讐の)ほんの僅かを実行したに過ぎない」と。 

その五日後、虐殺に加わった多くの信徒たちが集まった集会で、ヤングはつぎのように演説したという。『大管長ヤングはこのように語った。マウンテン・メドウズで虐殺された一行は、(モルモン教会の)預言者たち(ジョセフ・スミスや使徒プラッツ)を殺害した者らの父親、母親、兄弟、姉妹、あるいは血縁の者たちであったのだ。だから虐殺はやつらが甘受すべき運命だったのだ。唯一、ヤングの心を悩ませていることは、女たちや子どもたちの生命が奪われたことである。しかし、当時の状況を考慮に入れればそれ以外に(虐殺する以外に)方法はなかったであろう』。」
         http://garyo.or.tv/kakure/meadows_takahasi.htm

「勇気と真実の会 電子会報 2005.7.15発行 第6号    2003年1月、この虐殺事件について画期的な本を著した歴史家であるバグリー氏(註4)は、南ユタ大学での講演でこう語った。『この虐殺にかかわった者たちは、その事件以降とほうもない苦悩に悩まされるようになり、そのためモルモン教会大管長ブリガム・ヤングにこの苦しみをどう解決すべきか何度も助言をお願いした。しかしヤングはこれに対し、嘲笑、恫喝、沈黙で応答した』。 ****************

註4 高橋はこれまで、ジュアニタ・ブルックスの『マウンテン・メドウの虐殺』(1962)をもっとも信頼できる研究として参考にしてきたが、つい最近になって、今まで知られていなかった記録を丹念に検証し、ブルックスの説をさらに推しすすめ、「マウンテン・メドウの虐殺」を新しく書き直した研究があることを知った。それはジョン・クラカワーが『信仰が人を殺すとき』にも参考にしているウィル・バグリーの『預言者たちの血-ブリガム・ヤングとマウンテン・メドウズの虐殺』(2002)である。Will Bagley, Blood of the Prophets: Brigham Young and the Massacre at Mountain Meadows,  University of Oklahoma Press, (2002). またSally Denton、American Massacre; The Tragedy of Mountain Meadows, September 1857, Alfred A. Knopf, 2003 が出版され、その中でデントンは、虐殺はヤングの指示と承認の下に行われたことを当時の資料と虐殺に加わったモルモン教徒の子孫からの聞き取り調査によって明らかにしている。この結論はバグリーとも一致する。

註5 ブルックスは『マウンテン・メドウの虐殺』で、ヤングがファンチャー隊を妨害せずそのままユタを通過させるよう手紙を書いたが間に合わなかった、と述べ、ヤングは虐殺に関わっていなかったばかりでなく、虐殺はヤングの意図ではなかったと述べた。しかし同時にブルックスは、新たな証拠が見つかれば、こうした記述は書き換えられる蓋然性が高いことを指摘している。2000年に入ってから出版された、ジャーナリストや歴史家の手になる「マウンテン・メドウの虐殺」にかんする本(デントン、バグリー)は、40年前のブルックスが叶わなかった新しい資料や証拠を用いたもので、これらの本は虐殺が教団トップが関与する組織的事件であったことを明らかにしている。クラカワーのみが、この点ではブルックスの説をそのまま継承している。━━━

          http://garyo.or.tv/mm/backnumber/kaiho06.pdf

まぁ、しかし、ブリガムが、虐殺を命じたとする完璧な証拠は、無いということだ、が、しかし、しかしですよ、ジュアニタ・ブルックス(1898-1989)は、これじゃぁ、(ブリガムが)確実に有罪になってしまう、だから、その記録資料を焼却したと友人に語ったということだ。いやぁぁ、彼女、先祖は虐殺事件で間接的に関与してたんですが、完全に正直にはなれなかったかということかぁぁ、学者が証拠もみ消しすると・・・・その資料は何であったのかぁぁ???

http://en.wikipedia.org/wiki/Juanita_Brooks

マウンテン・メドウ
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%89%E3%82%A6&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt     

血の贖罪については

「モルモン教と暴力  ―アメリカ西部開拓時代における新宗教の形成―  高橋 弘 1994年8月 ICU比較文化26より
・・・・血による贖罪(Blood Atonement)   モルモン教の初期の教えのなかに「血の贖罪」と呼ばれるものがある。「血の贖罪」とは,自らの血を注ぐことなくしてはけして赦されない罪があるとする教えで,二代目の指導者ブリガム・ヤングの教説に由来する。この教えは内部粛清のための教理であり,指導者がその指導に従順でない信徒にたいして適用された冷酷無慈悲な慣行であった。」
        http://garyo.or.tv/takahashi/boryoku.htm

「権力の掌握」  2012-05-29 06:03:34 

『ユタ州とブリガム・ヤング』(高橋弘 新教出版社 2007/04 )の最終章(”ブリガム・ヤングの暴力的文化”)は、ウィル・バグリー氏の発表論文を著者が訳したものですね。

        ユタ州とブリガム・ヤング
        http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%A6%E3%82%BF%E5%B7%9E%E3%81%A8%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

この本のこと、少々、書いてましたかぁぁ・・・・約6年前だぁぁ、たまWEBの能力では、6年経っても、この程度っつうことなんだけど、まぁね・・・・

「超私的訳part2    WEB… - 2007/05/18 15:22        
ふむふむむ…この本『ユタ州とブリガムヤング』読もうかな?!…目にとまったのは、年表のところで'1857.6.28大管長ブリガムヤングが使徒ウイルフォードウドラフに占星術は真実だと思うと語る。ヤングはお守りとして血石のお守りを身に着けていた'(出典ソースがないけど、おそらくはウイルフォードウドラフ日記か) これからすると殉教の時予言者ジョセフスミスがポケットに持っていたとされる'jupiter talisman'/木星のしるしのある護符メダル・お守りの話は作り話ではなかったんでしょうかね。このメダルの表(裏?)には、ヘブル語アルファベットの16文字からなる表(アルファベットは数字にも対応し魔方陣にもなる、このような表はフリーメーソンでもあるらしい、)とヘブル語の文、意味は、'父、父なる神、エホバは神の代弁者'、裏側?は、木星に関するしるしとラテン語文で、意味は'全能の神よ、私を支え、助け給え'…古代ヘブライ語では、ジュピターとはzadocとか呼んで真東に昇るモーニングスター・明けの明星をさし正義を意味したとか。東の星というのはフリ-メーソンの持つシンボルでもあるらしい、ジュピターはエジプト神話ではアンモンと呼ばれ、ギリシャ神話ではゼウス。古代ギリシャ人にとってゼウスは偉大な守護神でありまた誓約や同盟、結婚に関係してるという…占星術では木星は、高位の者を示す、週のうち木曜日が木星が支配する日…教会歴史で最初の60年間断食証会は木曜日に開かれた、今日教会幹部の定例の集会も毎週木曜だとか…直径1&9/16インチ、銀か錫製…弁護士によるジョセフの所持品リストには無かった、エマスミス(1804-1879)と2番目の夫ルイスビダモンとの子チャールズ(母エマが亡くなった時15歳)が、母エマが父にこれはジョセフがポケットに入れてた物だと言ったと父から聞かされたと主張、1930年に売りに出したのをコレクターのウイルフォード・C・ウッド(教会員)が購入。
   http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4400221202.html  
   レプリカ http://cgi.ebay.com/JOSEPH-SMITH-JUPITER-TALISMAN-MORMON-MEDAL-GOLD-CHARM_W0QQitemZ300110750225QQihZ020QQcategoryZ3454QQcmdZViewItem  
   http://www.renaissanceastrology.com/barrett.html 
   http://www.answerbag.com/q_view/270184  

・・・・
『ユタ州とブリガムヤング』をながめて・・・・
19世紀は暴力・戦争の世紀、諸国家が出来る過程で多くの戦争が行われ血が流された、例えば明治維新(1868)にしても、南北戦争(1861-65)で使用された銃がセコハンとして売買され使われた、昔の識者はイギリスに英というかっこいい文字をつけた、これなんかも、’…1843年ノーブー神殿地下室での神権会でジョセフスミスが予言した、グレートブリテン島の国、英国が降参するのは一番最後となるだろう、かの国は他の国々を、この合衆国をさえも含め、屈服させていく手段となるだろう、そしてかの国を打ち倒すのは北からの十支族のみだろう、かの国は決して国として聖徒達を迫害しないだろう、また金塊を非常に多く集めるだろう、かの国の支配下で保護を求めるべきだ。チャールズカード日記1887.1.21 ’にあるよういわば大英帝国の支配下だったんでしょう…・・・・・
今日のモルモン教会のトップ指導者のうち…血縁・親戚・姻戚関係にある者は72.3パーセントに上るそうだ'とあり…どの国においても大方、閨閥(けいばつ)なるものが存在すると思われ…江戸時代では皇族と大名クラス同士でつながったりして、その子孫が明治期には華族となり、その華族が今日大会社や政治家など姻戚関係で結びつけるように…このような地球上に、ピュアに回復された福音の教えや戒めから離れず何世代にも渡って続き繁栄するためには多妻婚が必要であったと…」


ブリガムの正体見えたり?! その5 

2013-04-15 22:35:52 | 世の権力、秘密結社、教会、富

馬車など、最高級?ともいえそうな装備で先に到着したフランクリン・D・リチャーズ使徒たち一行から、マーティン手車隊遭難の知らせに、即総大会を中止して、救助隊を募り、組織、派遣に向かわせたブリガムだったんですが、そのリーダーシップの美談的のとは裏腹とでもいいましょうか、ブリガムは、手車隊には、まぁ、秘密裏にでしょうか、蒸気エンジンと酒樽を運ばせていたということで、息のかかった救助隊の一部にでしょうか、そのことを伝え、無事に、運んでくるよう指示したという裏話があるようで・・・・まぁ、開拓者とはいえ、物を大切にということなんだろうけど、ブリガムは、人命よりは、そっちのほう惜しんでた??、関心大だったりして?? ・・・・

手車隊のリーダーが強行した理由は?? 何気に、平原を横切りロッキー山脈に入るには、時期的に遅い、冬の嵐にあったら、凍死・遭難の危険ありという意見を述べた者や翌年にと離脱した者たちを指導者に従わぬと叱責・・・・ブリガムの命じたそれらを運ぶというプレッシャーがあったりして??・・・・えぇぇっと、このへん、前に書いてたかな、フランクリン・リチャーズ使徒(1821-99  ウィラード・リチャーズ使徒の甥)による叱責とか??

      マーチン 手車隊
      http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%80%80%E6%89%8B%E8%BB%8A%E9%9A%8A&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=

      http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22steam+engine%22++%22martin+handcart%22&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


モルモンの有力ファミリー  その2

2013-01-01 21:35:51 | 教会の歴史 

モルモンの有力ファミリー  その2

”リチャーズ・ヤング・ファミリー(閨族)というのもあるんですかぁぁ・・・・”
        「モルモンの有力ファミリー 2012-11-09 13:37:51 | 教会歴史」
         http://blog.goo.ne.jp/yoriissouno/e/ec5163e9773ae5344a837a2c656ffad6

で、”閨族”って書きましたけど、正確じゃないのかな、教会初期の始まりにおいては、まずは、えぇぇとですねぇ、この両家のつながりというのは、ブリガム・ヤング(1801-77 1835使徒)とウィラード・リチャーズ(1804-54 英国伝道中に英国籍女性と結婚し、その英国滞在中に、1840年、ブリガムによって使徒に聖任)は、いとこの関係であることに注目すればいいのかな。ブリガムの母アビゲイル・ハウ(1766-1815)は、ウィラードの母ローダ・ハウ(1762-)の妹ですね。ローダはハウ家の第1子で、10人の弟妹がいると・・・・

        http://freepages.genealogy.rootsweb.ancestry.com/~hwbradley/aqwg2682.htm#59338
        http://en.wikipedia.org/wiki/Willard_Richards
        http://en.wikipedia.org/wiki/Brigham_Young
        http://en.wikipedia.org/wiki/Franklin_D._Richards_(Mormon_apostle)
        http://en.wikipedia.org/wiki/George_F._Richards
        http://en.wikipedia.org/wiki/LeGrand_Richards

リチャーズ一族から、使徒が、4人くらい出てるのかな、一番最近では、リグランド・リチャーズ(1886-1983 『52使徒 奇しきみわざ』の著者)ですかぁぁ・・・・他二人は、リグランドの父ジョージ・F・リチャーズ(1861-1950 06使徒)その父(リグランドの父方祖父)フランクリン・D・リチャーズ(1821-1899 49使徒)。

で、前にフランクリン・D・リチャーズ使徒については、マーティン手車隊との関連で、少々、旧掲示板で書いてましたかぁぁ・・・・今朝、その手車隊とリチャーズ使徒との話など、英語の少々読んだりしたんですが、訳すまでは出来なかったので、まずは、掲示板のを再掲ということで・・・・

        マーチン手車隊
        http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E6%89%8B%E8%BB%8A%E9%9A%8A&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


「CHOppItO訳ー・--パート29です  。WEB---- - 2010/03/22 20:41

『わたしたちの受け継ぎ』の70ページには、手車隊の生存者は、後に指導者への非難とか全然言ってないという素晴らしいお話しが載ってます。1856年7月、徒歩で平原を越えロッキー山脈に入っていくのには遅すぎる、危険と意見した者もいたけれど、出発することになったウィリー、マーティン両手車隊は、結局、222名の犠牲者を出したわけですが、・・・・・

裏話的には、当時ヨーロッパ伝道部長として活躍し、ヨーロッパの会員を移住させる指揮をとってたフランクリン・D・リチャーズ使徒(1821-99、49年使徒兼教会歴史員、ウィラード・リチャーズ使徒の甥)が、これら二つの手車隊を遅い時期に出発をさせた責任ありとみなされてるようです。(2006年、モルモン歴史協会年次大会など)

リチャーズ使徒らを乗せた装備万端の幌馬車隊一行は、ウィリー隊を通り過ぎる時に、1、2日共に過ごした。その時、時期が遅いから、越冬して来年出発したほうがよいと意見した者を、厳しく叱責、いろいろ苦難はあるが、無傷で、ロッキーを越えシオンの地に入るであろうと主の御名によって語った・予言した・・・・滞在中、牛肉を所望、牛一頭が提供された、途中のフォート・ララミー砦で、代わりの牛を用意すると約束。ララミー砦に着いてみると、そのような約束は反故と判明。さらに食料を切り詰めねばならなくなった、そんななかでの、大雪の嵐・・・・リチャーズ使徒は、ブリガム・ヤングにより、公に非難された・・・・

     http://en.wikipedia.org/wiki/Mormon_handcart_pioneers  
     http://www.mormoncurtain.com/topic_mormonhandcarts.html 


CHOppItO訳ー・--パート29です    Wです - 2010/03/22 21:18  

Wです

およ
こちらに移したんだね

じゃーコピーしておくよ

> リチャーズ使徒らを乗せた装備万端の幌馬車隊一行は、ウィリー隊を通り過ぎる時に、1、2日共に過ごした。その時、時期が遅いから、越冬して来年出発したほうがよいと意見した者を、厳しく叱責、いろいろ苦難はあるが、無傷で、ロッキーを越えシオンの地に入るであろうと主の御名によって語った・予言した・・・・滞在中、牛肉を所望、牛一頭が提供された、途中のフォート・ララミー砦で、代わりの牛を用意すると約束。ララミー砦に着いてみると、そのような約束は反故と判明。さらに食料を切り詰めねばならなくなった、そんななかでの、大雪の嵐・・・・リチャーズ使徒は、ブリガム・ヤングにより、公に非難された・・・・

太平洋戦争の「インパール作戦」みたいだ

師団長達の反対を押し切って強行された作戦は、物資の補給ができず現場は悲惨な状況になった

作戦を視察した牟田口中将は食料、弾薬の欠乏を訴える将兵にたいして「大日本帝国軍人は食料や弾薬が無くても大和魂で戦え」と言った

結局作戦は中断、おびただしい数の餓死者を出した

作戦を強行した、南方軍司令長官牟田口中将は何の責任も問われることはなかった

教会では「マーチン手車隊」の悲劇は「美談」として語られてきた

「大失敗」を「美談」にすり替えることは大きな間違いでしょう

手車隊の生存者が誰も教会を離れなかったというのは、また別の話だと思う
人の心がどうであったにせよ、間違いは間違いでしかない

 

CHOppItO訳ー・--パート29です    採鉱技師 - 2010/03/23 13:56  


> 師団長達の反対を押し切って強行された作戦は、物資の補給ができず現場は悲惨な状況になった
>
> 作戦を視察した牟田口中将は食料、弾薬の欠乏を訴える将兵にたいして「大日本帝国軍人は食料や弾薬が無くても大和魂で戦え」と言った
>
> 結局作戦は中断、おびただしい数の餓死者を出した
>
> 作戦を強行した、南方軍司令長官牟田口中将は何の責任も問われることはなかった

「自分自身で合理的判断を行い、無理な戦いは避ける
戦い方で、逆に拠点を守り抜く部隊が多く
建前上で死守せよという内地からの命令を
精強な東北、九州の部隊は真面目に受け取り
玉砕してしまうので、関西の部隊は、意外と役立ったとの
参謀本部の高官の述懐もあります」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212250792?fr=rcmd_chie_detail

馬鹿みたいに盲従することが信仰ではない、と言うことです。


CHOppItO訳ー・--パート29です   採鉱技師 - 2010/03/23 14:02  


> 馬鹿みたいに盲従することが信仰ではない、と言うことです。

日本人のメンタリティーを見ると、戦争の失敗から何も学んでいないということです、か、ねぇ?

あっ、


CHOppItO訳ー・--パート29です    。WEB---- - 2010/03/23 18:44  


あぁぁぁ、なるほどぉw、地方・県民気質ですねぇぇ・・・・・


手車隊の話ですが、この時代、翌1857年から、ユタ戦争が勃発(58年まで)、57年9・11には、マウンテン・メドウ虐殺事件が・・・・
で、手車隊への永代移住基金の援助金は、ゼロになり、それでも57年は、約480人(死者6人くらい)、ソルトーレーク盆地までやってきた。58年は、ユタ戦争で、中止に。59年235人(死者6)、60年357人(死者1)。56年は、援助金のもと、約2000人(ウイリー、マーティン両隊の除いた3隊では、死者27)

大陸横断鉄道完成の1869年までに、約7万人の教会員の移民があって、そのうち、手車隊は、56年から60年までの5年間、10隊で、5%未満の約3000人。・・・・・車軸に金属を巻くとか、しない安い造りで、費用を削った分、途中、磨耗などで修理が必要となり、日数がよけいにかかった・・・・

57年には、ユタ遠征のため進軍してた米国陸軍の隊長は、餓死しそうになってた手車隊に、牛一頭、贈ったと記録されてる(敵に塩を送る??)・・・・
これって、なんというこった、あの、リチャーズ使徒と正反対じゃぁ、あぁぁりませんかぁ・・・・貧しい者を助けるのが、弟子と『教義と聖約』52:40には、あるようですが・・・リチャーズ使徒は、また、イタリアでも、移民しようとする教会員に向かって、無事に皆、ソルトレーク盆地に到着するからと勧告・激励したという、実際は、途中病死とかで何人か亡くなった・・・・移民者の日記に・・・・それにしても、あの両手車隊犠牲者、いろいろプレッシャーがあったんでしょうけど、人命第一の方向では、なかったということか、大切しなかったというか、残酷というか・・・本当に”当たる”予言だったら、助かってたか・・・・


・・・・・アイリング使徒の、日本の教会員が、将来、もっと伝道をするようになるというようなお話があったと思いますが、1,2年くらい前、ネットで見つけたサイトで、今は消えちゃったようですが、アイリング使徒とネルソン使徒だったか、パキスタンと北インドに訪問中、同じような内容の話を地元教会員向けに語ったような内容だったと記憶・・・パキスタンは、モスレム国かな、教会員いたような感じだった・・・・これは、案ずるに、何か、特別なみたまの賜物で、語ったというよりも、教会員の現状等を鑑みての、常識的・実際的なアドバイスだったか??!!・・・・まぁ、アジアでは、教会員の伝道に期待されるということなんでしょう・・・・ということは、伝道アドヴァイザとかの召しと
いうオムナイ氏のリーダーシップに一層の期待が・・・・

そのサイトは、from the dust とかなんとかだったか・・・・今は、これに変わっちゃったみたい・・・・
      http://www.mormonworld.org/category/mormon-asia/  


CHOppItO訳ー・--パート29です    Wです - 2010/03/23 21:28  


Wです

>それにしても、あの両手車隊犠牲者、いろいろプレッシャーがあったんでしょうけど、人命第一の方向では、なかったということか、大切しなかったというか、残酷というか・・・本当に”当たる”予言だったら、助かってたか・・・・
>

予言は全て「ふさわしい状態であるならば」という条件付きだから
予言が成就しなかったのは、お前の行いが悪いからだよ、てなとになってしまう

残酷な話です

予言成就のために頑張ったが達成できず落ち込んでいると、「お前の未熟さが原因だよ」なんていわれるのと同じ

幹部達も、軽率な予言を謹んでほしいものだ

 


CHOppItO訳ー・--パート29です   。WEB---- - 2010/03/24 21:32  


まぁ、教会幹部とヒラ会員とは、月とスッポンみたいなものでしょうか、指導者や幹部の発言を批判するようなこと言えば、信仰がない、教会に背いているとなって、最悪、破門になるのかも・・・・


1856年、 ニューヨークにいたジョン・テイラー使徒(1808-87、後の管長)は、フランクリン・D・リチャーズ使徒(1821-99、 49使徒)に、時期的に遅くなってからは、教会員に出発する勧告をしないようにと注意を促していた。 が、リチャーズ使徒は、聞き入れた様子はなく、ヨーロッパの教会員に、約束の地へ出立するのは、神の意思であり、信仰によって、モーセに神が行ったように、嵐を分かつであろうなどとして勧告したと。奴隷船のようなタコ部屋の船内に閉じ込められて、ニューヨークに着いた聖徒らのうち幾人かは、テイラー使徒とリチャーズ使徒との間が険悪となり、どちらどう指揮をとるのかなどで言い争うのを目撃したという・・・・

・・・・自分的には、また妄想的といわれそうですが、以前のスレで書いた、あのウイラード・リチャーズ使徒が、カーセージの牢獄で、ジョセフを撃ったという示現を見たというサイトの影響でしょうか、フランクリン・D・リチャーズ使徒も、なんか怪しいという先入観があるんでしょうか・・・・


ジョン・テイラー管長の夢・示現・予言

2012-06-26 10:33:18 | ジョセフ // 語録・予言・示現・夢等

たまWEB、以下の、旧モルモンの泉掲示板に書いてましたん、再掲っす・・・・ブログ始めて、ほぼ一年になるわけですが、書くネタ不足ということでもないんでしょうけど、あと、ジョセフの殉教というの書いてましたから、6月末だし、それも、再掲しようかと・・・・この、テイラー管長の夢とかって、教会出版物に訳されたのがあるのかな???


その日、七人の女が
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%22%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%80%81%E4%B8%83%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A5%B3%E3%81%8C%22&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=


「p a r t 0009    。WEB・ - 2008/02/28 20:10  


第2ニーファイ14:1(イザヤ4:1)「その日、七人の女が、一人の男に取りすがって言う…」について。

以下はウッドラフ管長(1807-98)の日記(1878・6・15)にあるというジョン・テイラー管長(1808-87)が受けたという夢・示現(1877・12頃)

”普段どおり9時半に床につきました。フランス語で黙示録を読んでいました。いつもより、私の心は静かで穏やかでした。眠ろうとして気を落ち着かせましたが眠ることができませんでした。麻痺するような奇妙な感覚に襲われ、幾分か無意識になりました。まだ、眠っていませんでした。遠くに夢を見てるような不思議な気持ちで目覚めてるような感じでした。

最初に気づいたのは、オグデン町のタバナクルの一番後ろの端の席に座っていて説教するよう頼まれたくないなと思っている自分でした。賛美歌(讃美歌)を歌った後に、案の定説教壇に呼ばれました。そこで末日の業が真実であると証してからそのほか特に話すことはないと言った瞬間、自身の体から抜け出て漂うかのように感じがして、’いや、話したいことがある、ここにいる兄弟たちから、将来どんなことが起こるかと聞かれた件についてだ、ここでそれを話そう’と言った。

直ちに自分はソルトレークの町をあちこち歩いていた。どこもかしこも家々は喪中の札が貼られていて、自分の家にもその札があって、死んだのは自分かと尋ねるとノーという答えだった。奇妙なことに街路には自分以外一人もおらず、皆家の中に病人や死人と一緒だったように思われた。葬式のようなのは見なかった、町はどこも非常に静かで人々は祈っていて、病名のわからないその病気をコントロールしているふうだった。

そしてユタの領域を四方八方見渡すとどこも喪中のしるしが見えた、次の瞬間、自分はオマハ町の西側にいた。あたかも空中を東に移動してきたかのようで、眼下には道行く人たちが見えた。ほとんどは女性達だった。彼らは徒歩でロッキー山中を越え、平原を渡ってやってきた。リュックを背負ってるだけだった。持ち物が背中の小さな包みだけでどうして来れたのか不思議だった。また男性が極めて少なかった。鉄道車両は走ってないようだった。線路は錆びれていて、道路はみな廃道のようだった。

引き続きオマハから東の方のカウンシルブラフ町をながめると病気で満ち溢れ、ほとんど女性ばかりだった。ミズーリ州やイリノイ州では争いや騒動で人々は互いに殺し合っていた。また女性も加わり、家族は家族に対し争い切り刻むような恐ろしい光景だった。

首都ワシントンを見ると全くの荒廃だった。ホワイトハウスや議事堂には人っ子一人いなかった。住民は逃げ去って町は荒れるにまかされていた。

次に自分はバルチモア町にいた。チャールズ・ホテル前の、1812年記念碑のある広場は死体で埋まっていた。母親たちは自らの子供たちののどをかき切り、渇きを癒すためその血を飲んでいた。そして横たわり死んでいった。チェサピーク湾や町の中は死体の腐敗による悪臭がひどく、その腐敗臭が死を招くほどだった。通りで男性は皆死体となっていた。女性は狂っていて死ぬ一歩手前だっ。街中どこも見るもおぞましい状景だった。

ここで、この夢・示現の終わりと思ったが、自分はフィラデルフィア町にいた。そこは静かであった。全く人に出会わなかった。街中に人は住んでないようだった。チェストナット街など、どこもかしこも死体の腐敗臭があまりにひどくどんな生き物も存在できないほどで、実際生き物を目にしなかった。

次にニューヨーク市のブロードウエイ通りにいた。人々はその病気と全力で戦ったようだが通りを過ぎて行くと美しい女性の死体が見え、歩道ではまさに死を迎えようとしているのが見えた。男たちは地下の穴倉から這い出てきて死体から貴重品を盗んでいた。地下の隠れ家に戻る途中、のた打ち回って死んでいった。裏通りでは母親たちは自らの子供たちを殺し、生肉を食らい、数分の後死んでいった。どこへ行っても恐怖、略奪、荒廃、そして死の光景だけだった。馬車や乗り合い車両などはなかった、死と破壊だけだった。

それからグランドセントラル・パークに行き後ろを振り返ると火事が起こってすぐに強い東風で炎が煽られ、ありとあらゆる建物がそして波止場も炎に包まれて焼かれていった。この偉大な市が見る間に荒廃の地となった。焼かれた臭気は強くハドソン川を越えていき、そして炎の進むところ、病気と死が従っていった。言葉で言い表せないくらいの恐怖だった。国中、方々で同じようなことが起こっていると理解した、大多数の人たちが死んでいった。

このすぐ後、インディペンデンス町の反対側、すなわちミズーリ川の西岸に自分は立っていた。しかし町がなく、ミズーリ州、イリノイ州、そしてアイオワ州の一部には全く人がいなかった。次に見えたのは川からさほど遠くないところで神殿衣を着た十二人の男性だった。新エルサレムの十二の門を表していると理解した。その地を奉献していた…’今や神の王国が永遠に確立された’という天使の声を聞いた。さらにもうひとつの声を聞いた、’かくして予言者イザヤの語った七人の女が一人の男に・・・が成就する’と。


・このテイラー管長の夢・示現は、誰かの作り話ではないかと疑義を抱く人もいる模様、(自分的にはそれもあり得るかと、訳していて暗いというか・・・幼稚なのは己の脳みそか、ともかくに)例えばウッドラフ管長が1890年多妻婚について公式宣言を出している、テイラー管長は多妻婚の擁護者だった、とすると多妻婚の継続を望む人の手になるものか・・・

・モルモン書の第2ニーファイ14章の参照欄(108p)に、女の”恥”とは’未婚で子供じみているという汚名’と記載されてる。lds教会版欽定訳聖書(英文)のイザヤ4章の参照欄では’未婚や不妊は恥辱・汚点’と。男性は戦争に行って、戦死したため女性ばかりとなったのか?? 同じくイザヤ4章の参照欄で”七人”については、戦争により男性の数が不足してると・・・

・ジョセフ・スミス訳聖書のイザヤ書では、4章1節は、3章の最後の節となっていて、3章は全部で1節多い27節となり、4章は”その日、主の枝は麗しく…”から始まっている。3章は4章の福千年というよりはエルサレムの破壊に重点があるようだが・・・昔、ユタ州にいた時、シオンの娘とは高慢で不道徳となったアメリカ人だと教えられたの思い出します。

・『モルモンの教義』マッコンキー著には多妻婚の教義が福千年に復活するとあるらしい。

・インスティチュート教義と聖約テキストで84章114節のコメントで、ウッドラフ使徒(1863・8・22)がニューヨークは地震で破壊されボストンは津波にやられアルバニーは火で焼かれると語ったと。

  http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&q=%E3%82%AA%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%80%80%E3%80%80%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%B3&lr= 
  http://www.google.co.jp/search?num=100&hl=ja&q=%E5%B7%9E%E5%9C%B0%E5%9B%B3%E3%80%80%E3%80%80%E3%83%8D%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AB&lr=  
  http://www2m.biglobe.ne.jp/~ZenTech/world/map/usa/Nebraska_state_map.htm  
  http://www.usatourist.com/japanese/places/maryland/baltimore.html  
  http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%22seven+women+shall+take+hold+of+one+man%22++%22Wilford+Woodruff%2C%22&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

 

p a r t 0009     。WEB・ - 2008/03/01 12:58  


…テイラー管長の夢・示現の話はウッドラフ使徒、当時、の日記にあるくらいだから、多く受け入れられてるようだ…ミズーリ州インディペンデンスにシオンの町建設のため教会員が行くとき、かつて手車を引いて徒歩でソルトレークまでやって来たように、その時も歩いて、しかも多くは女性だけになるとは…

ジョセフ・スミス歴史1:40には、イザヤ書第11章が引用されたとありますが、オリヴァー・カウドリはWW・フェルプスへの手紙で、天使モロナイがイザヤ書から引用した(複数回訪れた時)のはこの他に、第1、2、4、28、29章で、(4章では5節と6節)ジョセフは示現も見せられて、より深く理解できたと書いている…
4章4節の”汚れ”とは??こちらさんの解説では、高慢と貧しいものを軽視し顧みないことだと…
   http://pages.sbcglobal.net/bielikov/HolyScriptures/Isaiah-04.pdf