熊澤良尊の将棋駒三昧

只今、生涯2冊目の本「駒と歩む」。配本中。
ご注文方法、住所、電話番号はコメントでお問い合わせください。

目次

作品 文章 写真 販売品

橋下さん

2012-01-31 06:22:20 | 文章
1月31日(火)、晴れるかも。

先日の「朝まで生テレビ」。
内容は、橋下さんの完勝でしたが、反響は大きかったようですね。

この話を書いた翌日のアクセスキーワードのダントツの第1位は「朝まで生テレビ」。
昨日もほぼ同じ。
普段はこのブログに無関係な方から、沢山のアクセスでした。

1 朝まで生テレビ
2 熊澤良尊
3 名駒大鑑
4 将棋駒 販売 赤
5 熊澤良尊将棋駒工房
6 熊沢良尊
7 空蝉 駒
8 駒工房
9 NHK杯将棋駒
10 良尊
11 菱湖 駒
12 朝まで
13 色紙 偽物
14 将棋 駒 書き駒 手入れ
15 将棋 コマ 寄せ書き
16 将棋
17 自民党
18 将棋チェスト
19 香住 民宿
20 京都 将棋 新人戦

ーーーー
次回、「駒サロン」のこと。
そろそろ、あれこれ思案中です。

1月は寒かった。
2月はもっと寒そう。
「3月でどうですか」と松下さんに相談したところ、「まあ、それでいいんじゃない・・」。
ということで、その線で考えようと思います。

まだ決まっていませんが、具体的には3月10日(土)。
場所は、名古屋の徳川美術館。
折からは「雛道具展」ともう一つ、面白い企画が加わるかも知れません。
と言うことで、第一候補です。

大阪からは、近鉄電車で時間を掛けてゆっくりワイワイがやがやと。
初めての方も、ウエルカムでと思っています。
決定は半月ぐらいあとになります。

ーーーー
豊島家の資料。


興味深いですね。
初公開です。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊島家の資料ー2

2012-01-30 06:27:44 | 写真
1月30日(月)、曇り。

厳しい寒さ。
テレビでは「今週はさらに寒くなるとか」。
春が待ち遠しいですね。

先日の「朝まで生テレビ」。
ーー「橋元さんではなく橋下さんが正しい」と、ご指摘戴きました。そうですね、ふじいさん有難う。
   これからもよろしく。


ーーーー
豊島家の資料。
その続きを掲載しておきます。

先ずは、封筒に入っていた字母紙。
主に「水無瀬」。
それ以外も少し。
切り抜かれたものが一掴みと、折りたたまれた丸々A4サイズほどの字母紙が数枚。
切れ端は実際に使おうとして、使われなかった残り物ですね。

紙は、字母紙に使うにしてはチョッと分厚い洋紙。
これに謄写版のようなもので印刷してあります。
他に、薄葉紙に判子で押したものや、墨書いた切れ端が数枚。


この字母紙で作られたと思われる古い駒と一緒にご覧いただきます。


駒は、30年ほど前、大和郡山で骨董市を営んでおられた方から譲っていただきました。
右の説明書きは、何年か前の駒展で使われたもの。
参考のため、一緒に撮影しました。

駒には「作者銘」はありません。
駒の表面は粗い砥石で研いだような粗さ。
特に手が込んで作られたものではありませんが、古い時代の雰囲気があります。
片方の裏には「水無瀬大納言兼俊卿筆跡」。双玉。

字母紙は、先述したように、豊島家から譲っていただいたもの。
「名駒大鑑」」を上梓印刷する直前でした。

字母紙一枚に、同じ文言が墨書されています。
「豊島作」もありますね。
この筆跡が誰のものか。
考えれば考えるほど興味があります。
何故ここに墨書したのか。
面白いですね。

この「水無瀬大納言兼俊卿筆跡」とある駒は、水無瀬神宮に残っている「兼俊筆の駒」とは全く違います。
こちらは、せいぜい100年くらい前。
そう古くからあったものではないようですね。
100年と言うと、明治の終わりか、大正時代の始めくらい。
これまで、この書体の駒で江戸時代以前のものを見かけた事はありません。

100年前にこの書体の駒が初めて作られた。
今日出回っている「水無瀬書」の駒は、どうやらこれが原型のように思うのですね。


では、また。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝まで生テレビ

2012-01-29 06:57:45 | 文章
1月29日(日)、雲一面。

先ほどまで、「朝まで生テレビ」を2日遅れで見ておりました。
とにかく面白かった。



討論は「橋下さんの大阪都構想」。
論客は、「橋下市長対、反対派6人」。
反対派は女精神科医者、大阪のナントカ大学教授、ジャーナリスト、自民党大阪市議、共産党国会議員、元新聞記者で一昨年まで大阪教育委員長だった人。(この方とは10年くらい前に将棋文化をテーマにした会議で同席したような)

厳密にいえば、橋下さんには、賛同意見の一人が加わって、1(プラス1)vs6人タッグの変則マッチ。
論点は大阪市長選挙公約、府市二重行政問題、区長公募と大阪都構想、教育行政問題、関電に対する脱原発への株主提案など。

反対派は、ポリシーとかビジョンが無いのでしょうね。
再三のリクエストに、自分の考えをの述べようとしない。
それで、手続き論の小さなところで、橋下さんをやっつけようとの魂胆。
聴いていて、エキヘキ。
中には多少まとまな意見を言う人も。
しかし、変な議論に生きがいを感じているような人が多かった。
まあ、総じてミスキャストですね。

一方、橋下さんは良く考えてるなという印象。
展望と話の筋道が理路整然。
そして雄弁。
知事としてこれまで誰もやらなかった改革を種々してきた自負と、将来を見据えた思いがハッキリしています。
番組は終始、橋下さんの独壇場の観。

反対派は、とにかくやっつけようと発言しても、反対のための反対に終始し、多くはピントはずれ。
当方も思わず突っ込んだり。

例えば、年に数回しか開かれず形骸化していた教育委員会。
これまでノウノウと何もしなかったことを肯定しているのですね。
「他でも同じようなところが多いだろうな」が聴いていての感想。

あれでは橋下さんを屈服させることはできませんね。
視聴者の声は、橋下さん支持が大多数。
と言うことで、ボクシングで言えば、3-0で橋下さんの完勝。

敗者は偏狭な反対意見を繰り返えすのみ。
そんな印象でした。

ーー「橋元さんではなく橋下さんだよ」と、指摘を戴きました。そうですね、ふじいさん有難う。訂正です」ーー


ーーーー
豊島家の資料の続き。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊島家の字母紙「菱湖」

2012-01-28 06:27:14 | 写真
1月28日(土)、晴れそう。

昨日の夜のレセプション。
午後は京都まで所用で出かけていたのですが、チョッと疲れが出たので帰宅することにしました。
レセプションは、急遽欠席に。
事務局長の濱田先生、関係者の皆様、申しわけありませんでした。


豊島家の資料、その続き。
順不同で、掲載しておきます。
これは「菱湖」の字母紙。


豊島家の字母帳には、もう一つの「菱湖」があります。
これは向うが透けて見えるくらいの薄葉紙に印刷されています。
実際に駒に貼って使っていたのでしょう。

何故か「王将」が2つ。
「王将」は実はもう一つあって、どちらか気に入った方を使ったのでしょう。
右上に肉筆の墨書で「豊島作」「菱湖書」。
紙の上端が、ハサミで切り取られたように歪な切り口。
薄葉紙には他の駒文字も一緒に印刷して、切り分けて使ったことが窺えます。


これは紙箱の蓋表。
元々は、安い駒の箱ですが、「探山」と「法眼董斎」とあります。
中には駒型の2種類の字母の印盤が入っていました。


印盤と言っても、駒に文字が彫られていて、字母の判子として朱肉で薄葉紙に写していた訳です。
駒形の表面には、彫った時の字母紙が貼られていて、朱肉が浸みこんでいました。
それが、昨日ご覧頂いた赤い字母。
出来るだけ文字が崩れないようにセロファンテープで剥がして転写、保存しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊島家の資料

2012-01-27 06:22:16 | 写真
1月27日(金)、曇り。

昨日「豊島龍山の水無瀬書」について、問い合わせがありました。
「知っていると言えるほどはありませんが・・」と答えると、「どんなことでもいいので」とのことでした。

頭にあること2~3答えましたが、かなり忘れていることも。
それで、薄らいだ記憶をよみがえらせようと、豊島家の古いファイルを開いてみました。
30年前に、熱海の豊島家を訪ね、未亡人から聴き書きしたメモや、入手した資料類です。
出来上がった半端の駒。
作りかけの駒。
20数種類の字母。
実際に使っていた道具や資材類。
字母の一部は「名駒大鑑」にも収録していますが、資料は段ボール箱で2杯半ほど。
それらは「字母帳」を除いて、全てを未亡人から分けていただいたものです。


先ずは、訪問時に撮影した写真とメモ。
左の写真は、下から、下谷の店での一家写真、お爺さんの太郎吉さん、上がご主人の数次郎さん。
部屋に掛かっていた肖像写真をこちらのカメラで額越しに複写したものです。
右は、その時のメモ。
キーワードしかメモっておりませんが、その時の話がよみがえります。

次の写真は、肉筆の字母紙。
これは、長禄2枚。
太郎吉、数次郎かは聞いておりませんが、初めの頃は、1枚1枚こうして書いていたのですね。
右下は、「豊島太郎吉商店」の封筒。
昭和初期の頃ものでしょう。

これには字母紙が3組分余りが入っていました。


ーーーー
本日は、島本町と京都へ。
この続きは、また。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

袋の型紙づくり

2012-01-26 18:49:20 | 写真
1月26日(木)、曇りがち。

雪も降りました。
太陽も出ました。
それでも曇りがち。
寒い一日でした。

今日は書き駒を少々。
中々思うようには進みません。
見るに耐え得る文字を書くのは、難しい。
それを実感しています。

気分転換に、他のことも。
今日は、「極小雛駒」を包む袋(仕覆)の型紙作り。
袋は、お買い上げいただいた方からのリクエストです。
作ると言っても、縫製は京都のお店に頼むのですが、大きさはシッカリとこちらで決めなければなりません。
大きめに作るのは簡単ですが、ダブダブではいけません。
責任を持ってジャストサイズに作るにはどうしたらよいか。

考えた末、型紙を作って縫製屋さんに渡す。
それが間違いが無い方法だと思うのです。
と言う訳で、厚めの和紙を使って、実物大の展開型紙を作りました。
明日、生地とともに渡します。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お寒うございます

2012-01-25 06:03:05 | 文章
1月25日(水)、雲多し。

国会が始まりました。
総理・外相・経済関連大臣の施政方針演説をラジオで聞きました。
政権奪還時の出鱈目さの反省と変節への説明、国民への謝罪もないままに、増税への一方的主張に終始。
国の借金の多さは理解していますが、「何故、反省の弁が言えないのかなあー」と、当方は、ただ聞き流すのみ。

折から、暦の上でも大寒に入って、今が一番寒い時期でもありますね。

ーーーー
「チョッと小さな中将棋駒」。
磨きの段階に入っているのですが、その数の多さにグッタリ。
途中で、全然別の漆仕事をしてしまいました。

ーーーー
島本町での会議は27日と決まりました。
当日は、去年の中将棋関連者7名で話し合った来年度に向けた提案や要望事項を伝えようと思っています。
この日の夜は、招待いただいている「全国高等学校将棋新人大会(京都)」のレセプションです。


ーーーー
中将棋駒。
一応、最終の磨きを終えました。
写真はその途中。
まだ白い削り滓が詰まっています。

銘はまだ入れておりません。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中将棋の盤

2012-01-24 07:39:42 | 文章
1月24日(火)、曇り。

昨晩。
夜中に厳しい寒さに目を覚ますと、テレビでは京都北部には大雪警報とか。
それなら寒いのも仕方がないと、布団の中で我慢我慢。
そして朝になり起床。
ふと気がついて、障子の向うのガラス窓を確かめると、2ミリほどの空間。
今晩からは、シッカリ確かめ無くっちゃあー。

ーーーー
新しい駒袋。
その裏側です。


ーーーー
只今製作中のチョッと「小さな中将棋駒」。
駒は間もなく出来上がるのですが、盤をどうするか考え中です。
考えは何通りかあるのですが・・。

①板盤を榧で作る。
②板盤を軽い別の木材で作る。
③持ち運びしやすいように、2つ折り盤を作る。
④もっと持ち運びしやすい布盤(紳士服ウール地)にする。
⑤布盤よりシッカリしたあの素材で作る。
⑥TPOで使い分けられるように、上記の内2種類を作る。

ーーーー
昨日の検索キーワード 上位20。
1 中将棋名人
2 熊澤良尊
3 良尊
4 将棋  駒 金箔
5 将棋  駒 キリガネ
6 龍王 龍馬
7 菱湖
8 駒工房
9 水無瀬神宮
10 駒 将棋 根付
11 野弁当
12 朝倉将棋
13 中将棋
14 赤柾 駒
15 将棋駒 象牙
16 鑑定団
17 香住 民宿
18 熊澤良尊将棋駒工房
19 熊澤
20 駒袋の大きさ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古い中将棋駒

2012-01-23 18:14:12 | 写真
1月23日(月)、雲厚し。

今日は、手紙を3通ほど。
とは言え、午前中の一時には、陽ざしがありました。
明日からは、寒波とか。
大寒ですからね。
自然現象には、しようがありません。

新潟のSさんから古い中将棋駒の写真と手紙をいただきました。
Sさんは去年、島本町でお会いした方。
その時「最近、俊光銘の中将棋駒を手に入れた・・」と。
送られてきたのはその写真20枚ほど。
手に入れた時は、かなり汚れていたそうです。

この駒について「分かる範囲で教えてほしい」とのことでしたので、直ちに手紙を書いて返事しました。
写真も送れば良かったですが、ブログに掲載することにしました。

写真の漆文字を見れば、部分的に小生のとは違いがありますが、「俊光」の駒に間違いはありません。
「俊光」どのような人物かはよく分かりません。
状況証拠では、江戸時代前期から中期の頃の人だと思います。
水無瀬家に関連があるかどうか。
今のところ、それらしい史料は確認できておりません。

小生の知るところでは、先ず柳沢家に伝わった駒が2つ。
これは「小将棋駒」。
柳沢家から木村名人に贈られて、一時は将棋博物館にありましたが、今は木村家に戻っていると聞いています。

「俊光」の駒は、このほかにも数組見たことがあります。
いずれも漆書きの駒。
まったりした筆跡が特徴です。

と言うことで、今日のブログの写真は「中将棋駒」。
一式92枚がそろっているもので、20何年か前に京都で手に入れました。
写真では分かりにくいかもしれませんが、「朱」で行き先が記してあります。

違った角度からもご覧ください。

いつでも見ていただけるよう工房に展示してありますので、実見希望の方はウエルカムです。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フクロウの駒袋

2012-01-22 07:36:13 | 文章
1月22日(日)、霧雨。

昨日、京都から「フクロウの駒袋」が届きました。
前回より地色を少し濃くしたものや、一部には文字を染め抜いたものも。
取りあえず10枚を試作。





写真は「チョッと小さな駒」と盤ですが、袋には「普通サイズの駒」を入れて撮影しました。
袋の裏は、フクロウの後ろ姿の図柄です。
前回の試作品には「どこかに署名が欲しい」とのリクエストを戴きました。
それで一部の余白には、小さく「良尊駒」と染め抜いたものも作ってみました。
それは後刻、撮影してアップします。

桐箱は1年前に10個ばかり作っていたものですが、ぴったり収まりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駒の写真集

リンク先はこちら」 http://blog.goo.ne.jp/photo/11726