清末、八ヶ国連合軍が北京になだれ込んできた時に、
戦後処理を一身に受けて立った恭親王・奕訴(点なし)にも轎夫(かごふ)にまつわる逸話が伝わっている。
前述の世襲の話ではないが、優れた轎夫(かごふ)はなかなか代わりがいないという面から
少しくらいのわがままの通ったらしいことを思わせるエピソードである。
ある日、恭親王が轎に乗って外出すると、その前方にいるのが、兄の轎であることに気が付いた。
恭親王・奕訴は、道光帝の第六皇子。
その兄で成人したのは二人しかいない。
第四皇子でこの時は皇帝になった奕(言+ウ冠+丁)、咸豊帝。
西太后のだんなと言った方が、わかりやすいかも(爆)。
もう一人は第五皇子の奕誴(言宗)。
惇恪親王・綿恺(嘉慶帝の第三皇子、つまりは自分の叔父さん)に跡継ぎがなかったので、養子に出され、
「惇勤親王」の地位を継ぐ。
これがいつの話かはわからぬため、咸豊帝がすでになくなっている時なら、どの道、咸豊帝のはずはないし、
もし存命の頃でも、皇帝様が城中を軽装の轎でうろうろしているはずもないから、
どうやら第五皇子の惇勤親王のことかと思われる。
恭親王・奕訴(点なし)が先方に兄の轎(かご)発見した話である。
恭親王は轎夫(かごふ)らに、前方の轎は兄のものだから、追い越さないように、と声をかけた。
ところが屈強なる四人の男どもは、
「あなたの兄さんでも、我らの兄さんにあらず」
とうそぶき、どんどんと速度を上げ、さっさと追い越してしまったという・・・・。
家に帰ると、恭親王は轎夫らを叱りつけ、尻をいくらか板で打ちつけた。
翌日になると、今度は兄の惇恪親王が、おまえのうちの轎夫四人を貸してくれ、と連絡してきた。
惇恪親王は轎に銀の塊をパンパンに詰め込むと、
四人の轎夫が逃げ出せないように、周りを見張りで固めた上、無理やり、北京城中を練り歩かせた。
四人がもうしません、と降参して根を上げるまで許さなかったという。
惇恪親王は、言ったそうな。
昨日、弟がすでにおまえたちを板で叩いて罰したと聞いたから、もう板打ちはなしじゃ、もう帰りなさい、と。
・・・・恭親王のこのエピソードから感じ取れるのは、
轎夫(かごふ)らの主人への甘えというか、両者の信頼関係である。
恭親王と惇恪親王は、天子様の二人の弟。
その二人を相手に、追いつき追い越されるのチキンゲームをやらかし、
しかも主人の命令を振り切って、抗うなどということ、
本当に単なるドライな主従関係なら、銀塊を担いでの市中牽きまわしだけで済むはずがない。
つまりは三者ともに、少し「プレイ」の匂いがする。
「しゃあないな。おまえら、ちょっと悪ふざけしすぎじゃ。」
というくらいのお痛。
深い信頼関係で結ばれていたのではないか、と思わせる話ではないか。
恭親王の「俺様」な轎夫の話を見て、そんな風に想像したのであったが、
偶然にも江戸時代の本を読んでいたら、よく似たような話が出てきた。
それを見ると、どうやら需要と供給のバランスという問題もあるようだ。
「お江戸は日本最高のワンダーランド」増田悦佐 講談社
本書によると、江戸城に大名を送り届ける駕籠かき人足のことを陸尺(ろくしゃく)と呼び、
仲間同士で独自の社会を形成し、殿様のご意向などそっちのけで、
仲間とのスピード競争にかまけ、殿様を駕籠から放り出してしまうこともたびたびだったという。
宇都宮藩の家老・間瀬和三郎が、江戸城に登城する際、
何度も急ぐなと諌めたにもかかわらず、駕籠かきがスピードを出しすぎ、
蹴つまずいて陸尺は大けが、自分も駕籠ごと地面に放り出された。
しかしその処分は、罰するどころか、
「不埒ながら、けがをしたのかかわいそうだ」と
見舞金を出すだけで沙汰やみ。
・・・なんだか似たような話ではないか。
本書によると、大名や各藩の家老が集まる江戸では、常に駕籠かき人足が不足気味。
完全な売り手市場となっており、この人足を首にして、別の人間を雇ったからと言って、
次も無謀野郎しかやって来ない、ということらしい。
江戸時代の無謀な駕籠かき人足と恭親王の轎夫(かごふ)。
その社会的な背景は、まったく一緒だったのだろうか?
私は清末の中国の方が、労働力は過剰だったのではないか、と思える。
街に乞食がいたり、まだ奴隷制度が残っていたり。
お痛をしたら、板でぶったたいたりできるだけ、雇う側に権威があったような印象を受けるのだが、どうだろうか
お江戸日本は世界最高のワンダーランド (講談社+α新書) | |
増田 悦佐 | |
講談社 |
前門・大柵欄。
正陽門前の大渋滞というのは、このあたりのことですな。
戦後処理から始まる「復興」は、
想像もできないくらいの苦労があるでしょうね?
難しいお話は解りませんが、
歴史は、侵略・復興の繰り返しで、
馬鹿を見るのは庶民だけって気がします。
いつもありがとうです。(^_-)-☆ぽち!
こういうちょっとした逸話がなぜか好きなんですよ。
その時代や人物の様子が、いきいきと伝わってくる
からかも知れませんね。
楽しい記事、ありがとうございました。続きが楽しみです。
外国人排斥運動を焚き付けた西太后の義和団の乱の
尻拭い。。。
本人はさっさと逃げていないのですから、
いい面の皮ですね。。。
>増田さんへ
人間らしいエピソードには、
思わずにんまりしてしまいますよね。。