自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

「謙虚と傲慢」 久しぶりにラ・ロシュフコー

2013年03月29日 | Weblog

 「謙虚とは、往々にして、他人を服従させるために装う見せかけの服従に過ぎない。それは傲慢の手口の一つで、高ぶるためにへりくだるのである。それに、傲慢は千通りにも変身するとはいえ、この謙虚の外見をまとった時以上にうまく偽装し、まんまと人を騙しとおせることはない。」(ラ・ロシュフコー『箴言集』より)

 僕は時々、むきになって直言することがある。他人様から見れば傲慢なヤツだと思われていることだろう。直言した後、もう少し謙虚な物言いが出来なかったものかと忸怩たる思いをする。しかしながら、上の箴言によれば、傲慢が謙虚を装えば騙しになる。それでは、言うべきことがあるとき、どんな態度や言葉遣いで話せばいいのだろうか?
 箴言というものは、物事の一理を鋭く説く言葉である。そこには時代を超えた真実が表現されている場合も多い。気がついた箴言を傾聴していると、身動きがとりにくくなる。
 高ぶってもへりくだっても傲慢の偽装となる。それでは、どうせよ、というのだろうか。謙虚と傲慢という言葉を僕の辞書から無くせばいいのだ。だが、そんなことが出来るはずもない。困ったことだ。

2013年03月28日 | Weblog

美、
それは、考えたり反省したりせず
直接、人間が気にいる
いっさいのもの
つまり気高い調和である。
              ゲーテ『箴言と省察』より

 僕はスランプに陥るということが少ない輩だと自分では思っているが、それでも時々気が滅入る時がある。そんな時は好きな音楽を聴いたり、絵を観にいったりする。旅行する時は、ほぼ必ず美術館に赴く。地方へ行く時には、これは必ず焼き物の窯場を訪れる。
 そこでは、理屈ぬきで感動させてくれる「美」に出会う。気高い調和の世界に浸り、考えも反省もせず、ボーとする。
 今年はそんな世界に浸る機会が少い。だから、今年の僕は例年より元気がないのかもしれない

『木を植えた人』(再掲)

2013年03月27日 | Weblog

 ジャン・ジオノ『木を植えた人』の物語が実話なのか虚構なのかは不明である。虚構であっても、この短編から大きな感動を受ける。フランス南部のプロヴァンス地方に生まれたジャン・ジオノが、その地方の荒れ果てた高地を森に変えた一人の男を描いているのがこの短編である。
 その男、エルゼアール・ブフィエは毎晩ドングリを百粒を荒地に植えていた。植え始めて三年、十万粒のドングリの内二万本の芽が出た。その半分はネズミやリスにかじられたが、一万本のカシの木が荒地に育った。第一次大戦後五年を経て、「私」が再び訪れると、一万本のカシの木は既に人の背丈を越え、ブナやカバの森も育っていた。広大な荒地が緑の森に変わっていた。
 近くの村には小川が流れていた。そこに水が流れるのは随分と久しぶりのことで、誰も覚えていないくらい昔のことだった。男の育てた森が小川を生み出していたのだ。
 更に二十数年、男は根気よく森を育てた。廃墟だった村に気持ちの良い生活が戻り、「森が保持する雨や雪を受けて、古い水源がふたたび流れはじめ、人々はそこから水を引いている。」
 森が水をつくってくれるのだ。森は薪も炭も与えてくれるが、何より水を与えてくれる。豊かな森には豊かな水がある。
 僕らは森の恵みをどれほど認識しているだろう。文明というものが、森を切り拓くことによって進歩してきたというのが事実であるならば、この事実を反省しなければならないと思う。

執心、妄心

2013年03月26日 | Weblog

 時々、日本の名文を読み返すことがある。その一つ、鴨長明『方丈記』の末尾から引く。

 「・・・一期月影傾きて、余算の山の端に近し。たちまちに三途の闇に向はんとす。何の業をかかこたんとする。仏の教え給うおもむきは、事に触れて、執心なかれとなり。・・・しかるを、汝、姿は聖人にて、心は濁りに染めり。・・・もしこれ、貧賤の報のみずから悩ますか。はたまた、妄心のいたりて、狂せるか。その時、心、さらに答ふる事なし。」

 高貴の身を捨て、世俗を去り、山中に六畳ぐらいの草庵で暮らせば、現世でのしこりを忘れ、木々のざわめき、小鳥の声、虫たちの戯れなど、時には読書など、誰からも干渉されることなく、気ままに生を楽しみ営むことができる。しかし長明は心静かに安楽としておれなかった。「執心なかれ」と思っても、妄心に至る。仏の教えを求むるも、達っせざる自らの「心は濁りに染め」る。これが、我が心が「よどみに浮かぶうたかた」であるという事実なのかもしれない。
 事実なのかもしれない。事実なのだ。

山の民

2013年03月25日 | Weblog

 『彦一頓知ばなし』や『それからの武蔵』の作者・小山勝清の生涯を描いた『われ山に帰る』(高田宏著)は人物伝として秀逸であるばかりではなく、日本の近代思想史に裨益するものである。
 大正年間、釜石鉱山や足尾銅山での労使争議を指導し、堺利彦の書生として或る種のユートピア思想を志向した小山勝清は結局挫折感を味わい、故郷の球磨川上流の村落に帰った。
 古老の話「わしの今までの暮らしはどう考えても収入のほうがずっと少ない。それだのに、わしは生きておる。いや、わしだけではござらん、村の衆みんな、その計算でゆくと野垂死んでいて不思議はない。なるほど、借金もあれば、土地や山林を売りはらっておるけどな、そんなもんでは帳尻は合わん。どうなっておると思いなさるかね」老人は得意気に言った。
 「不思議でもなんでもない。まず村の衆の協力がいまの勘定から脱けておる。家を建てる、棟を修繕する、橋をかける、それがみんな協力でできてしまう。それだけじゃござらん。村の衆のたいがいは田畑をなくして今じゃ小作人じゃが、それでもやはり食っていけるのは村の共有財産のおかげですわい。薪をとる山もまぐさ場も共有、四季のおかずは共有の畑に作る。筍は共有の竹林からとってくる。屋根をふく萱もそうなら、山を焼いたあとの茶畑もそうじゃ。これがもし個人持ちであったらば、とうの昔金持ちのものになってしまい、今じゃ枝一本自由にならず、みんな暮してはいけんじゃろう」。
 勝清の志向した考えは、山の民の内に規模は小さいながらも既に実現されていた。

四人の人間

2013年03月24日 | Weblog

 もう六年近くになるのか。作家の城山三郎が逝ってから。
 公正公平でぶれない人間の代表のように評価された。経済小説という分野を開拓した作家だが、この分野のみならず戦時中の上官たちの無様な姿を描き、足尾鉱毒事件を指弾した田中正造の最晩年を優しく描いたり、弱い者や使われる人の立場を常に擁護した。その城山が若い頃、アメリカ人の作家から受けた印象に残る一文を思い出している。それは、一人の人間の中に四人の人間が生きているべきだというもの。
 一つ目は探検家。自分の中に探検家は健在ですかと問う。探検家の意味は人それぞれが解釈していい。
 二つ目は芸術家。夢を見る力、芸術的とも言える構想力、そういう才能はちゃんと生きていますかと問う。
 三つ目は判事。管理者と言ってもいいんだけど、そういう判断力はしっかりしてますかと問う。
 四つ目はソルジャー。命がけで闘うことができますかと問う。
 この四人が一人の人間の中でしっかり確立していないとだめなんですよ、と城山は言う。
 
 むつかしいと思う。企業の責任者や政治の指導者は言うに及ばず、むつかしいことだが誰でもがこの四人の人間を自分の中に備えているのが望ましいとは思う。言うは易しく・・・。

自然と自然法③

2013年03月23日 | Weblog

 自然法は自然とどのように関係するのであろうか。この難儀な問題に僕なりの拙い考えを披露して、このテーマについての記述を終える。
 実定法はもとより、自然法といえども人間の行為を規制するものである。明文化されていない自然法が人間の行為を規制するのは、どのようにしてか。行き過ぎた行為が潰えるのは何故か。それは反作用が働いたからである。人間の競争心に由来する行為も度を過ぎると反作用を受ける。この事態の成立を、僕は、自然界で成立している作用反作用同一性の法則との類推で考えている。
 作用反作用同一性の法則は自然の摂理の一つだと思う。どんな人間のどんな行為も自然の摂理を越えることは出来ない。人間の度を過ぎた行為は自然から反作用を受けて、潰える。
 さて、自然権としての、例えば人権とは先天的なものだろうか。「先天的」ということで何を意味しているのだろうか。この問題についても僕は自然の摂理に沿って考える。自然界のミクロの物質はほぼ100パーセントが左右対称をなしている。雪の結晶を想像すれば、この左右対称という自然の摂理を理解できると思う。肉眼で見えるマクロものには、例えば蜂の巣穴がある。あるいは人間を含む殆どすべての動物は、鼻の線を軸として左右対称である(マクロの物では近似的ではあるが)。この左右対称関係を人間Aと人間B、あるいは集団Xと集団Yに当てはめると、AとB、XとYは左右対称関係にあって、夫々にこの関係にある項が夫々に同一の権利をもっている。このように考えるところに人造のものではない、自然に根ざした先天的な人権概念が成立する。個人の人権の先天性ではない。対人関係での人権の先天性である。そして、この先天性は左右対称関係という自然の摂理に根差しているのだと僕は考える。
 今、現在進行形で自然が人間社会に、その過度の行為の故に、猛烈な反作用を行使している。人間社会が自然に対してもっと謙虚にならなければ、反作用の故に人間社会は耐えがたい状態に陥るであろう。(終り。何とも頼りない終りです。)

自然と自然法②

2013年03月22日 | Weblog

 近代初期の自然法思想は、自然状態と社会・政治状態とを媒介する社会契約であるという考え方である。これは、共同体に埋没した個人ではなく、個人の主体性を基礎にして、その理性に国家・社会の存立の意義をもたせる考え方である。つまり、人は生まれながらに自由・平等であり、不可侵の自然権をもち、この不可侵の自然権をもつ人間は国家による拘束を受けないで自由に生活していく自然状態から出発するが、他方、人は孤立して生活することができないが故に国家をつくることを約束する。自由な個人から出発し、国家の基礎を人間の自由な意思に求め、自由と権力による拘束を自律の原理によって説明する。
 十九世紀に入り、近代的国家体制が確立し、法制度が整備され、自然法の理念が実定法に吸収、具体化されるようになると、十八世紀に至るまでの法思想を支配してきた自然法思想の役割が表面から次第に退いていった。それに代って、法実証主義が有力になった。ここでは経験的な実定法が力をもち、超経験的な自然法は排除された。ドイツにおいて、法実証主義が価値判断を退け、政治権力に対抗して法律に従って批判する潮流を放棄する傾向のもとで、ナチスの独裁政治体制が維持された。しかし、ナチスが崩壊し第二次世界大戦が終わると、その人権を無視した数多くの悪法に対して批判が高まり、再び自然法思想が浮上し、ドイツにおいて自然法の研究が復活していった。特に、現在のドイツでは自由の尊重、人権の保障という価値を実定法の内容に盛り込む姿勢が強い。
 今日、自然法については多様な理論的研究がなされているが、自然法と法実証主義のいづれを選ぶかという視点は、むしろ弱く、この両者を調和させる方法が注目されていると言ってよい。
 ただ、自然法が自然とどのように関係するのかという問題は法学者の間では殆ど注目されていない。どんな自然とどのように関係するのか、この問題は永遠の問題なのかも知れない。(続く)

自然と自然法①

2013年03月21日 | Weblog

 小学校唱歌にある「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」は自然の姿が多く残っていた時代の歌詞である。現在では国土のどこをとっても、人の手が加わっていないところはないと言えば過言であろうか。僕は自然の山河と親しんだ子供時代が懐かしく、荒廃していく自然を見るたびに淋しさを感じる。十六年前に今のところに住まいを得た頃と比べると、小さな森を丸ごと崩して住宅が押し寄せてきた。
 自然の狭義の意味は、人々が自分たちの生活の便宜のために改造の手を加えていないものをいう。自然とは、人工、人為に成ったものとしての文化・文明に対して、人力によって変更、形成、規制されることなく、おのずから成る生成・展開を引き起こす本質(nature)のことである。ただ、人の手が加わっても、それが復元の意味をもつ場合には、これを自然に含ませてもよいのではないかと思う。
 自然という言葉の意味は多義的で複雑で、いろんな分野の専門家たちがそれぞれに説明している。もしくは説明しようとしている。
 法学においても、自然法、自然権という言葉が使われ、この言葉もやはり自然に関する思想と切り離すことはできない。自然法とは、古代からの法思想の歴史に登場した伝統的な考え方に即して言えば、人為から独立した何らかの自然の秩序・事態あるいは先天的な倫理法則・価値に基づいて必然的に存立するものとされる。人間の作った法ではなく、時と所を超越した普遍妥当的な法であり、先天的な根拠に基づいた規範である。
 自然法の内容や実定法との関係についての議論は、歴史的にも法学者によっても様々であるものの、実定法に対して自然法は、価値においても効力においても優位にあると考えられている点では共通している。したがって、自然法は至上の正義の法であり、実定法の成否を判断する基準とされ、自然法に反する実定法は、法としての効力を有さないと考えられている。(そう考える法学者がいる。)
 歴史的には、自然法は古代のギリシア哲学以来議論されてきた。ロゴスによって生活すること、普遍妥当性をもつ理性のルールという形での自然法の考え方がとられた。中世においては、カソリック神学と結びついた。その代表がトマス・アクィナス(1225-1274)である。著書『神学大全』において、法を神法、永久法、自然法、実定法に分類する。神法は神の啓示そのもであり、永久法は神の知性に基づく法の源泉である。人間は神の知性に参与、すなわち永久法に参与することができる。ここに自然法が成立する。人間は自然法を通して永久法を知ることになる。実定法は人間が作ったものであるが、自然法から導き出されたものでなければならないと考えられた。中世の自然法思想は、神の知性、意志にその根拠を求め、教会の正当性と中世封建秩序を維持する役割を果たした。
 中世の社会秩序が崩壊し、教会の権力が失墜すると、自然法も神学から解放され、その根拠も神の知性から人間の本性に置き換えられ、個人主義、自由主義に基づく自然法思想が支配的になった。(続く)

歩く

2013年03月20日 | Weblog

 
 孫引きなんですが、ある旅人が、詩人ワーズワースのメイドに「ご主人の書斎を見せてください」と頼んだところ、彼女は「書庫ならここにありますが、書斎は戸外にあります」と応えたそうだ。詩人にとっては散策する野や森、風や光こそが書斎だったのであろう。
 『森の生活』の著者H.ソロー(1817-1862)は、「僕は一日に少なくとも四時間、普通はそれ以上だが、あらゆる俗事から完全に解放されて、森の中や、丘、野を越えてさまよわなければ健康と生気を保つことは出来ない」と書いている。ソローにとっては、森や野を彷徨することは生きることと同義語であった。
 散策を人生の糧にしていたソローは、また次のようにも書いている。「僕はこれまでの人生において、歩く術、散歩の術を心得ている人には、一人か二人しか会ったことがない」。
 こんなことを記しながら、この2年余り、僕は歩くことを忘れているようだ。足腰が弱くなっている。その分、頭もずいぶん老化しているに違いない。

福島第1原発:プール冷却停止 停電の影響

2013年03月19日 | Weblog

(朝刊より)
 東京電力は18日、福島第1原発の1、3、4号機の使用済み核燃料プールの循環冷却装置などが午後7時ごろ停電で停止したと発表した。復旧の見通しは立っていない。事故から2年が過ぎても同原発が不安定な状態であることが浮き彫りになった。
 東電や原子力規制庁によると、同日午後6時57分ごろ、発電所内の電源設備の一部が停止。免震重要棟は復旧したが、使用済み核燃料プールの循環冷却装置や、1〜6号機の核燃料6377本を保管している共用プールの冷却装置、汚染水を処理するセシウム吸着装置などに供給される電気が止まった。高圧の配電盤につながるケーブル付近でトラブルがあったとみられ、原因を調べている。
 使用済み核燃料プールや共用プールの水温は18日現在で約13〜25度。電源が復旧しなくても、保安規定の65度を超えるまでに、最も水温の高い4号機で4日以上かかる。水温が100度を超えると蒸発し、冷却できなくなる。電源設備が回復しない場合でも、発電所内の別の場所から電源を供給できるという。

 ◇原子炉注水正常
 一方、1〜3号機の原子炉を冷却する注水設備に異常はなく、モニタリングポストの大気中の放射線量に目立った変化はなかった。複数の使用済み核燃料プールの冷却装置が停止するなど大規模停電は、東日本大震災直後を除いては発生していなかった。

(廃炉まで何が起こるか分からない不安!!!)

科学的知識には注意書きがない!

2013年03月18日 | Weblog


 ノーベル物理学賞受賞者にして数多くの啓蒙書でお馴染みのR.P.ファインマン(1918-1988)の一冊『聞かせてよ、ファインマンさん』から少し抜粋。
 「絶対的な確実性をもつ科学的知識はいっさい存在しない」。
 「科学的知識は人間に良いことも悪いことも出来る力を与えるが、その力をどう使うべきかという注意書きを添えてくれない」。
 彼がこう言うのは、1943年、ロスアラモスでオッペンハイマーの原爆製造チームに参加したことの反省からかも。

 1986年スペースシャトル「チャレンジャー1号」が発射直後爆発し7人が亡くなった事故に関するファインマンの意見。
 大事故が起きる確率について関係者の間で格段の差が見られる。100分の1から10万分の1までと大差がある。高い確率は現場で作業する技術者たち、低い確率はNASAの幹部たちのもの。
 この意見はフクシマを考える上でも役立つのではないか。

ベートーヴェンの自然観

2013年03月17日 | Weblog

 ベートーヴェンの「田園」交響曲のリストによるピアノ編曲版の楽譜を入手して以来、時々練習を試みたが、歯が立たない。それでもテクニックが易しいところを弾くのは楽しい。
 ところで、ベートーヴェンにとって「田園」(Pastorale)はどんな意味における「田園」であったのだろうか。解説を参考にして僕なりに少し考えてみる。
 パストラーレとは本来、牧歌を表し、牧歌にはイエスの降臨を喜ぶクリスマス音楽としての役割と、牧人の音楽としての役割という二つの側面がある。「田園」交響曲の終章に「牧人の歌」と記されているのは後者の意味である。だが、牧人の歌は単に羊飼いの音楽なのではなく、ヴェルギリウス以来西欧に流れているアルカディアにおける牧歌であろう。アルカディアでは神と人が調和した生活を営むことができる。僕には実感できないが、神の恩寵に満たされた安らぎのある調和した生活の場がアルカディアであるなら、ベートーヴェンの「シンフォニア・パストラーレ」は音楽における「田園(アルカディア)の生活誌」である。
 「田園」は神の創造になる自然である。「嵐」は神の怒りの象徴であり、終章の「嵐の後の感謝の念」が「牧歌の歌」であることが、神の創造たる自然を表していると考えられる。
 簡単に言って以上のようなことは僕には実感できないが、この曲の美しさは、やはり自然の秩序を表す、ただならぬ美しさである。現代文明が忘れてきた自然である。

水俣病:認定訴訟 「認定基準誤り」上告審弁論で原告 来月16日に判決

2013年03月16日 | Weblog

(朝刊より)
 水俣病未認定患者と遺族が熊本県に水俣病認定を求めた2件の訴訟の上告審弁論が15日、最高裁第3小法廷(寺田逸郎裁判長)で開かれた。原告側は「水俣病と認めなかった国の認定基準は誤り」と主張。県側は「法律上の認定要件に従えば水俣病とは認定できない」と反論し、結審した。判決は4月16日と指定された。
 公害健康被害補償法に基づき国が定めた水俣病の認定基準は、感覚障害や運動失調、視野狭さくなど複数症状の組み合わせを要件とする。両訴訟の1、2審は、この要件の是非が主な争点となり、判断が分かれた。
 水俣病関西訴訟の大阪高裁判決(01年)は、家族に認定患者がいるなど一定の条件を満たせば感覚障害だけでも水俣病と認定。04年、最高裁もこれを支持したことから、基準緩和が実質的に容認されたと受け止められたが、その後も国は認定基準を見直していない。来月16日の判決は、行政の水俣病認定に対し、司法がどう審査すべきかについて初の統一判断を示すとみられる。
 2件の訴訟は、熊本県から認定を棄却された2人(うち1人は遺族)が棄却処分取り消しなどを求めて提訴。77年に77歳で死亡した母親の認定を求めた熊本県水俣市の次男の訴訟は、1審の敗訴に対し2審・福岡高裁が、症状が感覚障害だけの水俣病もあり得るとして逆転勝訴とした。一方、大阪府豊中市の女性(今月3日に87歳で死亡、遺族が承継)の訴訟は、1審勝訴に対し2審・大阪高裁が逆転敗訴とした。
 先に弁論した豊中市の原告側は「不合理な認定基準により、救済されるべき患者が排除されている。公健法に基づく救済に背くもので、司法が代わって救済判断すべきだ」と主張。水俣市の原告側は「認定基準の根拠となった医学論文は一つもない。(水俣病の)公式確認から57年間の救済制度は誤りだ」と述べた。県側は「国の認定基準は合理性がある。原告を認定すれば、被害者と認められない人も救済することになる」と主張した。
 
 ◇早く私の苦労を終わりにして
 「早く私の苦労を終わりにしてください」。弁論では、77歳で死亡した母チエさんの認定を求め提訴した水俣市の溝口秋生さん(81)が意見を述べた。水俣病の関連訴訟が最高裁の法廷で審理されるのは、04年の関西訴訟以来、約9年ぶり。
 1審・熊本地裁は08年1月、溝口さんに全面敗訴を言い渡した。これに対し、2審・福岡高裁は昨年2月に逆転勝訴判決。国の認定基準も不十分と批判した。「高裁で、やっと私の言うことを信じてもらえたのだと、街中を胸を張って歩ける気分になった。高裁判決を変えることは許されない」と力を込めた。

井山本因坊、棋聖獲得で史上初の6冠

2013年03月15日 | Weblog

(ウェブ朝刊より)
 囲碁の井山裕太本因坊(23)=天元、王座、碁聖、十段=が14日、静岡県伊豆市の旅館「玉樟園新井」で行われた第37期棋聖戦7番勝負第6局で張栩棋聖(33)に勝ち、対戦成績4勝2敗として棋聖位を奪取。史上初の6冠同時制覇を達成した。新6冠王は、昨年5月に結婚した将棋の室田伊緒女流初段(23)に「感謝しかないです」と言葉を贈った。
 無数のフラッシュに包まれた井山は、少年のように頬を赤らめた。「長い歴史の中で誰も達成していない記録なので光栄ですけど、信じられない気持ちの方が強いです」。謙虚に、伏し目がちに前人未到の偉業を喜んだ。
 尊敬し、影響を受けたと公言する張栩を圧倒した。午後5時3分、197手で黒番中押し勝ち。序盤、右上隅で見せた新構想を勝利につなげた。名人獲得経験のある井山は、7大タイトルを全て1回以上制する「グランドスラム」も達成。1987年の趙治勲、2000年の張栩に続く史上3人目の快挙となった。
 勝利の女神は新婚ホヤホヤの奥さんだ。昨年5月に室田女流初段と結婚した時は2冠だったが、以来タイトル戦は5戦負けなし。「(結婚して)精神面が安定したところはあります。お互いに勝負の世界で生きているので、相手のことがよく分かるのかもしれません」。テレつつも愛する妻に感謝の言葉を贈った。
 今後、名人戦に出場し、山下敬吾名人(34)を破れば7冠制覇となる。将棋界では1996年に羽生善治現3冠が達成し、時の人となった偉業中の偉業だ。「羽生先生は『周りの期待でいい波に乗れた』と。まさに今回そんな感じでした。全て1人で取るのはもちろん魅力的ですし、究極の目標です」。羽生は当時25歳。2歳若い井山もまた、究極の天才となり得るのだろうか。
 
 ◆囲碁の七大タイトル戦 現在、棋聖戦、名人戦、本因坊戦、天元戦、王座戦、碁聖戦、十段戦があり「七大タイトル戦」と呼ばれている。タイトル保持者と挑戦者が5番勝負または7番勝負で優勝を争い、勝者にタイトル称号が与えられる。1977年から現在の7大タイトル制となった。