自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

「黒い雨」の範囲(再掲)

2010年06月30日 | Weblog
 (朝刊より)
 広島への原爆投下直後、放射性物質を含む「黒い雨」が降った範囲が、国が援護対象に指定している地域より大幅に広い可能性が高いことが(今年の1月)25日、広島市が実施した被爆者調査結果から分った。同市はこの結果を踏まえ、降雨地域の拡大を改めて国に強く要望する方針。
 「黒い雨」は広島市中心部から北西方向にかけて降ったとされる。国は被爆直後に地元の気象台の技師らが実施した調査をもとに、1時間以上降った「大雨地域」(南北10キロ、東西11キロ)と1時間未満の「小雨地域」(南北29キロ、東西15キロ)を決定。大雨地域在住者のみ公費で健康診断が受けられ、ガンなど特定疾患になった場合は被爆者健康手帳を交付している。
 広島市は2008年、市内と周辺2町在住の被爆者ら約3万7千人を対象に記入式の健康意識調査を実施。約2万7千人の有効回答者のうち、「黒い雨」の体験について記憶が明確な1844人の回答を解析した。その結果、原爆投下から約2時間後の午前10時台には、「黒い雨」が降ったとみられる地域が最も拡大。国の「小雨地域」と比べて、東西、南北方向とも10キロ前後広い円内で降っていた可能性が高まった。
 「小雨地域」に含まれておらず、爆心地の北西にあたる広島市佐伯区中部では「黒い雨が土砂降り状態だった」と答えた人が目立った。同区北部では「3~4時間降った」との回答も多かったという。

(原爆投下後65年。まだまだ新事実が出てくる。再度、最先端の科学技術で被災の現状を明らかにすべきだと思う。あのチェルノブイリのその後はどうなっているのだろう。)
(今日はちょっと遠出してきます。)

井伏鱒二 『黒い雨』

2010年06月29日 | Weblog
 無常という言葉があるからには有常という言葉があってもよいと思う(有情という言葉はあるけれど)。僕の造語「有常」とは日々の生活に伴う「恒の心」を表す。
 原爆罹災者の体験を描いた井伏鱒二の『黒い雨』は、有常、恒の心を描いているだけに、それだけに、原爆による悲惨さとの比較で、胸打つものがある。それは、悲惨さの内に人間の哀愁がこもっていると言うか、悲哀と言うか、いや、一言では表され得ない、これはもう、読んで実感する外はない、井伏の人生観なのだろう。数ある原爆文学作品の中で、資料を駆使した、冷静で且つ抒情性を失わない作品だと思う。
 ところで、キノコ雲を通して降った棒のような太い黒い雨が放射能を実際にどれぐらい含有していたかを苦心して実証したのは原爆投下後40年を経てからである。民家の室内のしっくいの白壁に染み付いた黒い雨の痕跡を丁寧に分析して、4日間暗室で高感度の感光板が精密な放射能量をとらえた(NHK「時の記録」より)。
 黒い雨 Black rain という言葉を残した井伏鱒二の功績は大きいと言わねばならない。

2010年06月28日 | Weblog
 もうだいぶん前から気づいているのだが、蝿の姿を見なくなった。漁村などの田舎ではどうなのだろう。都市部でも昔は蝿取り紙をつるしたものだ。蝿がいなくなったのは、人間から見て蝿が嫌われ、殺虫剤を撒かれ続けられたからであろう。ところが蝿を嫌う人ばかりではない。江戸時代の人だが、一茶。

   やれ打つな蝿が手をする足をする

 よく知られたこの句。蝿の前肢や後肢をすり合わせるしぐさが、人の拝んで命乞いをしている姿に似ているので、はっとして、蝿を打つ手を止めたというのである。「やれ打つな」は、自分に呼びかけた言葉だろう。
 小さきものを愛でる社会であってほしい。が、蝿や蚊には寄って来てほしくないと思う。こう思うのは僕の心が「文明化」されたからであろう。

メダカからクジラまで

2010年06月27日 | Weblog
 1950-60年代にドジョウやメダカ、ホタルなどがどんどん姿を消した。しかし、社会の関心は、人の命に直接かかわる水俣病などに向かった。それは或る意味で当然のことであった。何故なら、環境問題の観点から農薬を問題視する風潮はなかったからである。曲がった手や足のしびれや不自由な身体活動を目の当たりにして、有機水銀中毒症の悪弊を糾弾するのは当然であったからである。僕も激しい憤慨を覚えたものであった。あった、ではなく、現在も係争中である。腹立たしいことに。
 この目の当たりに出来る悪弊とは別に、奇跡の物質DDTの殺虫効果は第二次大戦が始まった1939年、スイスの化学者によって発見され、直ぐに戦争に使われ、戦場でのマラリア退治に威力を発揮した。戦後、それが農薬になった。これで害虫との闘いに勝てると多くの人が思った。
 「違う。それどころか、DDTは鳥や益虫を殺し、さらに人の命まで脅かす恐ろしい毒物ではないのか」とレイチェル・カーソンは『沈黙の春』(1958年、出版は1962年。出版を農業団体などの業界が懸念したが、見かねたJ.F.ケネディが出版に尽力したというエピソードがある。)で書いた。『沈黙の春』は20ヵ国語以上に翻訳され、環境問題の深刻さを伝えた。70年に『沈黙の春』が取り上げた残留性の高い有機塩素系農薬や、急性毒性の高い有機リン剤のほとんどは使用禁止になった。日本でも70年代に事実上相次いで禁止された。しかし、汚染は南極や北極にまで広がり、農薬が残留しやすいイルカやクジラからは、おそらく500年経っても消えないと言われている。メダカからクジラまで農薬の汚染は拡散したのだ。メダカは現在、絶滅危惧種に指定されている。
 以上の事どもを許してきた人の心まで汚染されてきたのではないか。今なお、別の農薬の使用は留まるところを知らないのだから。 

思い出の記・富士登山

2010年06月26日 | Weblog
 僕んちのジャジャウマとクモガクレが小学生の頃だから随分と前の事であるが、夏に家族で富士山に登った。夕方5時頃(だったと記憶している)五合目から登る。頂上の気温が5度というので相当の装備をして、案内人の後をただひたすら登る。相当に急な登り坂もあった。途中、下方で花火が咲いたが、上から見ると全く花火の呈を為さず、火の粉に過ぎない。8合目ぐらいだったと思うが、深夜一時頃山小屋で仮眠をとる。山頂で日の出を見る為のコースで、時間の計算もしてある。仮眠と言っても眠れるものではないが、不思議と疲れを感じない。一時間半ほどして登り始める。しばらくすると、クモガクレ(当時は僕に似て?おとなしい子だった)が苦しさを訴える。酸素が少しうすいのだ。そこはよくしたもので酸素ボンベの缶を売っている。一缶1500円。それを吸い吸い登る。(ここで問題。 酸素ボンベの缶は頂上では幾らするとお思いでしょう?)
 ともかくも無事に頂上に到着。さすがに疲れた様子。その時の、僕を除く写真があるが、冷たい風のせいで今にも泣き出さんばかりの顔をしている。日の出は、残念ながら天候がわるく少ししか見えなかった。(先程の問題の答え、800円、頂上では買う人は殆ど居ない。)
 登りはそれ程きつくなかった。下りが疲れるのなんの、ジャジャウマが途中で動かなくなった。火山灰の砂道をじぐざぐに降りる。時間が経つにつれて陽が射し暑い、暑い。太陽に近いから暑い。ほとんどの荷物を僕が持つ。リュックが肩にこたえる。そこはよくしたもので馬が待っていてくれる。だが、ジャジャウマもクモガクレも歩くと言う。馬の世話にはならず、歩くと言う。頑固なヤツらだ。ともかくもスタート地点の五合目まで歩き通した。仮眠の時間も入れて約16時間。靴と靴下を脱いで親指を見ると、爪が反っていた。
 今は昔の話であるが、いい思い出である。あれから何年になるか。ジャジャウマもクモガクレも昔の面影は殆どない。


(今日はちょっと遠出してきます。)

W杯サッカー選手の活躍に寄せて

2010年06月25日 | Weblog
(ゲーテ『西東詩集』より)
時を短くするものは何か? 活躍。
時を耐えられぬほど長引かせるものは何か? 無為。
負い目をおわすものは何か? 執念深い待機。
利益をもたらすものは何か? くよくよ思案せぬこと。

 これは極めて明快で実践的な箴言である。一日の内でこの四項目のどれかに思い当たるところがあり、反省させられたり、励まされたりするはずだ。くよくよ思案するのは害あって益なし、であろう。
 W杯で1次トーナメントを突破した日本選手の活躍がめざましい。彼らにとっては、本番ではまず行動ありき、なのだろう。ただし、活躍に至るまでの鍛錬には僕なんぞが推測できないほどの厳しいものがあるはずだ。無為も執念深い待機もくよくよした思案も無縁のものなのだろう。

知の及ばぬところ

2010年06月24日 | Weblog
 近頃、とりわけ近頃思うんですが、僕(ら)の知はしれたものではないかと。しれたものだから、畏れる気持ちをもたねばならないのではないかと。

 「孔子曰く、君子に三畏有り。
 天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。
 小人は天命を知らずして、畏れざるなり。大人に狎れ、聖人の言を侮る。・・・・・」

 私見では、天命とは自然の摂理であり、大人とは弱者の味方であり、聖人の言とは市井の人の言である。この三者を畏れる心を僕はしばしば忘れる。まだまだ小人、これ忘るるべからず。


(今日は梅雨の晴れ間の真夏日。暑い暑い京都へ行ってきます。)

沖縄慰霊の日

2010年06月23日 | Weblog
(新聞より)
 沖縄は23日、沖縄での全戦没者を追悼する「慰霊の日」を迎える。糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園内にある平和祈念堂で22日夜、追悼式の前夜祭が営まれ、県内外から遺族ら約400人が参列した。
 午後7時過ぎ、前庭で鎮魂の火が献火されるとともに、遺族代表7人が平和の鐘を打ち鳴らし、参列者全員で犠牲者に黙とうをささげた。主催する財団法人・沖縄協会の清成忠男会長は「戦争への反省と世界平和確立への決意を新たにし、御霊(みたま)のご冥福をお祈り申し上げます」と鎮魂の言葉を述べた。この後、古典音楽や琉球舞踊が披露され、不戦と平和を誓った。

 (慰霊についての本日の記事を後ほど記す予定です。)

【沖縄県知事の平和宣言要旨】
 沖縄全戦没者追悼式での仲井真弘多沖縄県知事の平和宣言要旨は次の通り。
 
 65年前、沖縄は、史上まれにみる激烈な戦火に襲われ、20万人余りの尊い命が奪われ、美しい自然やかけがえのない文化遺産を失った。私たちは、この悲惨な戦争体験を通して、平和がいかに尊いものかという人類普遍の教訓を学んだ。
 
 沖縄には、依然として過重な基地負担の問題があり、県民は基地から派生する事件や事故に脅かされ、騒音被害に苦しんでいる。基地負担の軽減、そして普天間飛行場の危険性の除去を早急に実現することは、沖縄だけの問題ではなく、国民全体が等しく取り組むべき課題だ。くしくも50年前の今日、日米安全保障条約・日米地位協定が発効した。この大きな節目の年を契機とし、沖縄の過重な基地負担が、県民の目に見える形で軽減されることを願ってやまない。

 全戦没者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、県民の英知と情熱を結集し、人類共通の願いである世界の恒久平和の実現に向けてまい進していくことを宣言する。(13時15分記)

経口補水塩

2010年06月22日 | Weblog
(ユニセフからの最新のアピール)
 防げるはずの原因で、5歳の誕生日さえ迎えられずに命を落としている子どもたちが世界にはあまりも大勢います。
 アフリカ・ザンビアで、両親が心待ちにしていた赤ちゃんが生まれました。名前はミトゥワ。意味は「天からの授かりもの」です。お母さんは病気がちでお乳をあげることができず、ミトゥワは毎日お腹をすかせて泣いています。「ごめんね、今何かを飲ませてあげるからね」お母さんは、苦しい家計を工面してわずかな砂糖を手に入れ、水に溶かして飲ませています。でも砂糖水だけではどうしても栄養が足らず、泣き声は日に日に細くなっていきます。抵抗力の弱ったミトゥワの小さな身体に命を脅かす脅威が迫っています。
 世界のどこで生まれても尊い命。その一人ひとりに名前があり、家族があり、未来があります。でも命を守る方法が足りません。汚れた水でお腹をこわして下痢になったり、蚊にさされてマラリアにかかったり、軽い風邪から肺炎になったりと、先進国に暮す私たちには思いも及ばない理由で、5歳にも満たない子どもたちが次々と命を落としています。その数は年間880万人。3.6秒に一人。その一人ひとりに未来があるはずでした。
 子どもの命を守る方法は、実はすでに分っています。たとえば、ユニセフが各地で実施している「子どもの健康週間」。そこでは、感染症を防ぐ予防接種やビタミンAの投与をはじめ、下痢による脱水症を和らげる経口補水塩やマラリアを予防する蚊帳などを配布しています。
 たとえば、3000円が、下痢による脱水症から命を守る経口補水塩375袋に変わります。
 日本ユニセフのホームページをご覧になりませんか。このブログの右欄下方にURLがあります。

終末期医療のあり方 (了)

2010年06月21日 | Weblog
 悪い結果に優る良い結果が得られるかという問いではなく、可能な諸選択肢の内でどれが比較的良いかと問うのである。ここから、二重結果論が不適切と認定した治療において、それをしないことによる患者の苦しみを医療者が放置することになったのとは対照的に、それをすることにはかくかくの害があるとネガティブに考えた場合に、常に「ではしないとどうなるのか」をも考えなければならず、しないよりはした方が患者にとってベターなのではないかと問われることとなる。つまり、医療者は「かくかくの場合は無加害原則の下にあり、与益原則は適用されない」などとは言えず、常に「より害がないように、より益になるように」と相対化された「益を求め害を避けよ」と志向するのである。
 可能な選択肢の中で患者にとって最も益となる治療を選ぶというQuillが提示する均衡性原則は、医療現場の現実に合っていると思われる。難しいのは、「患者にとって最も益となる治療を選ぶ」という場合、その選び方をどんなプロセスで決定するのか、ということである。方針は比較的選びやすいが、その決定は困難な場合が多い。これが、終末期医療の現状である。だが、現場の医療者の思考と直感には、均衡性原則プラス治療行為における意図の良さという要請がはたらいていると思われる。
 思われると僕が言うのは、サイコオンコロジー学会での発表を聞いたり、レジュメを読んだりして、医療者が現場でどんなふうに考え、治療を決定しているかを僕自身が垣間見ているからである。但し、そのように垣間見られるのは、まだまだ限られた医療機関においてであろうとも思う。(了)
 (何とまずい終わり方!決定の仕方について具体的に深慮しなければならないのに。)

終末期医療のあり方 ⑧

2010年06月20日 | Weblog
 終末期医療の現場にあって、均衡性原則の立場を代表するQuillは、良い結果と悪い結果の比較考量を、単に一つの治療行為の候補に関して判断するのではなく、可能な治療行為の選択肢のすべてについて、それぞれの良い結果と悪い結果の総合を比較して、それらの内で最も良い結果をもたらすものを選ばねばならないという考えとして、均衡性原則を提示している。ここから、同じ益をもたらす諸選択肢の内では、害が最も少ないものを選ばねばならないという治療方針が帰結する。したがって、通常の緩和治療によっては耐え難い苦痛が緩和されなくなって初めて、鎮静・鎮痛の選択肢が許される等の帰結が出てくる。
 このような考え方の延長上には、他により良い手立てがない場合に限って、安楽死を認めるという帰結も理論的には出てくる。「他により良い手立てがない場合に限って」という条件は第四条件を展開したものであるが、二重結果論が安楽死を「死なす」ことを意図するからには不適切だとしてきたのに対して、安楽死が認められる可能性を拓きはするが、これを無制限に認めるのではなく、限定しようとしているのである。
 現在考えられる選択肢の中から最も良い治療を選ぶという相対化する見方で均衡性原則を解することは、取り返しのつかない害を伴う選択を無制限に許すことに歯止めをかける一方で、「死期を早める」ことは一般には不適切な選択肢だとしても「苦しいだけの生が長引く」よりは良い、というように、結果の良し悪しを相対化するものである。そのことによって、「悪い結果を介して良い結果を得るのはまずい」というような二重結果論が無効になる。(続く)

終末期医療のあり方 ⑦

2010年06月19日 | Weblog
 均衡性原則と呼ばれている考え方がある。この原則は形式的には二重結果の原則の第四条件(悪い結果が予想されるにも拘わらず、それを超える良い結果がある場合に、その行為は許され得る)のみから成る。つまり、この考え方は、良い結果と悪い結果を天秤にかけ、良い結果が悪い結果を凌駕していることを要請する。また、患者の状態の悪さ(苦痛の程度など)と許容し得る悪い結果(リスク)の間で比較考量する。そして、そこに均衡性を配慮する。
 このような均衡性論は二重結果論の第四条件だけを単独で立てる考え方である。が、他の条件を切り捨てることによって、均衡性論においては第四条件の実質が二重結果論のそれとは大分変わってきている。つまり均衡性論を整合的に主張するには、単に、治療の選択肢をそれぞれ単独で出して、それぞれが第四条件を満たしているかどうかを判別するという手順では済まないのである。
 例えば、安楽死について二重結果論の立場で否定する際には、第四条件は殆ど効果がない。死という悪い結果を許容するに足る積極的な良い結果があるかどうか、という点がどうであれ、死なすという行為は不適切で(条件①)、死を意図しており(条件②)、死という悪い結果を介して苦痛からの解放を達成するのも不適切である(条件③)、と論じるのだから、第四条件の検討はなおざりにされることになる。
 これに対して、均衡性条件一本槍で或る行為の適不適を判別しようとする場合には、第四条件による適不適の判別力を高めないと、何でもありということになりかねない。実際、均衡性の内容を磨く工夫がされている。(続く)

(この連載、どうやら不人気。文章がかたく、文意が明晰ではないことが原因と思われます。あと2回で終わります。)

終末期医療のあり方 ⑥

2010年06月18日 | Weblog
 【二重結果の原則批判】二重結果の原則に厳格に従うSulmasyの主張を基にして、これについて吟味する。彼はモルヒネ等を使う痛みのコントロールによっては耐え難い痛みから解放されない患者にどう対応するのだろうか。考えられる対応は二つある。
 (1)「鎮静によるならば、あなたを辛くなくなるように出来ます。でも倫理的理由によって私はそれをして差し上げられません」と言って、患者が耐え難い痛みのうちにあるのを放置する。(精神的ケアは極力するだろうが、そのようなケアで痛みが「耐え難く」なくなるのであれば、初めから鎮静など必要ではない。) (2)疼痛コントロールのための投薬量を、「これでもまだ緩和できないからには、もう少し増やそう」と言って、どんどん増やしていって、投与の副作用として死期が早まる結果となる方が鎮静よりは良いと考える。
 (1)であれば、彼は自らの「倫理的純潔」のために患者の苦しみを犠牲にするという態度をとっていることになる。医療者は、患者に害をもたらすなという命令によって縛られ、益をもたらせという命令はこの場合適用されない、と見なされている。そのようにして、与益原則と無加害原則との衝突を避けるのが二重結果の原則の目差すところだからである。すると、患者の苦痛に(少なくとも考えの上では)目をつむっていると思われる。これは或る種の宗教的伝統では常套手段なのである。
 (2)であれば、「死期が早まること」の予想は伴っていないが、「意識の低下」を意図する鎮静より、痛みの緩和を意図する強力な鎮静の方が良いと考えていることになる。だが、この場合、「死期が早まること」の予想を伴っていないと現実に強弁できるだろうか。つまり「意識の低下」より「死期の早まり」を選んだと現実には言わざるを得ないと思われるもする。
 意図的に鎮静を行うことを認めないSulmasyの主張、したがって二重結果の原則論は、現場の医療者の直感と実践に反している。そうであれば、二重結果の原則論のどこかに理論的欠陥があるに違いない。(続く)

終末期医療のあり方 ⑤

2010年06月17日 | Weblog
 さて、二重結果の原則との関連で鎮静について少し考えてみる。鎮静とは癌の末期などにおいて緩和ケアを手厚く行い、疼痛のコントロールを出来る限り行う治療行為である。耐え難い苦痛に悩まされる患者が一部に居る。このような場合、「痛い、辛い」と感じる意識を低下させること、つまり鎮静によって苦痛から解放するという選択肢がとられる。意識の低下のさせ方にも程度がある。浅くするか深くするかの区別もあり、また、継続的な鎮静か断続的な鎮静かという区別もある。意識を低下させることは、患者を人間的な生から遠ざけることであり、「悪い結果」であるから、苦痛が緩和される限りにおいて出来るだけ浅く断続的にすべきだと考える医療者が居る。あるいは、死に至るまで継続的に鎮静し続けないと患者が鎮静から醒めた時に苦痛が耐え難いと考えられる場合、継続的な鎮静は安楽死と変わらないのではないかとの考えもあり、医療者はこれについて倫理的にどう考えたらいいのかという状況に立たされる。
 また、他の疼痛コントロールにおいても、それが死期を早めるという副作用をもつとき、どう考えるかという問題があったが、鎮静に関しても同じことが問題となる。見た目には安楽死とあまり変わらないとも思われるため、疼痛コントロールを躊躇する医療者も多い(ただし、現在得られる医学的知見では、鎮静が死期を早める副作用をもつ場合はごく僅かであると見られている)。
 医療者で二重結果の原則を保持するフランシスコ会士Daniel Sulmasyは、鎮静による意識の低下はまさに「悪い結果」であり、したがって意識の低下を意図して行う「鎮静」という医療行為は倫理的に不適切であると言う。また、鎮静は、意識の低下という悪い結果を介して、苦痛の緩和という良い結果を得ようとするものであるから、不適切でもある。
 では、鎮静という医療行為に倫理性はないのか?(続く)


(今日は今年一番の暑さだとか。覚悟して京都に行ってきます。)

終末期医療のあり方 ④

2010年06月16日 | Weblog
 こうした例示から分かることであるが、二重結果の原則には、ある結果の良し悪しを固定的に評価するという傾向がある。「死をもたらすこと」は状況に関わらず悪く、「延命」は状況に関わらず良い。このように主張する立場は、「汝殺すなかれ」というような道徳律を前提ないし背景に据えていると推定される。実際、「二重結果の原則はカトリック教会が主張するもの」という指摘が繰り返されている。
 倫理規範を「神の命令」というように見なす立場からすると、複数の規範が人に与えられている時に、それらの間で衝突・ディレンマがあってはならないのであり、あらゆる状況で必ず正しい選択の道が拓けていなければならない。したがって、二重結果の原則の上の四条件は、複数の規範が衝突しないように、その間を調整する規則として必要なものとなるだろう。
 これに対して、例えば積極的安楽死が倫理的に認められる可能性を主張する側は、既に述べたように、「耐え難い苦痛の中で過ごすことは患者の人生に何の益ももたらさず、かえって、生を終わらせるという仕方で苦痛から解放することの方が、患者にとって益となる」というような考え方をし、死があらゆる場合に絶対的に「悪い」結果であるとは限らず、「苦しいだけで、回復の望みもない生」よりは「苦しさからの解放をもたらす死」の方が「より良い」と考える。したがって、この立場からすれば、「汝殺すなかれ」という命令も絶対的なものではなくなる。「殺す」という言葉を、単に「人を積極的に死なす」ということとしてではなく、より限定された意味をもつ言葉として解釈するという方針をとるだろう。(続く)