作家(代表作『阿弥陀堂だより』)で内科医の南木佳士(なぎけいし)がパニック障害(僕はこの障害がどんな障害なのか、詳しい事を知らない)を発病し、十年間死ななかった理由を3つ挙げている。
(1)医者としてのプライドを捨て去り、患者になりきり、主治医の指示通りに薬を飲んだこと。
(2)病んでいる間にも時は過ぎ行くのだから、元の状態に戻ることが治癒だと考えるなら、それはあり得ないと諦めたこと。
(3)未来は己の意志で切り開けるものなのではなく、降って湧く出来事におろおろしながら対処していく、そのみっともない生き様こそが私の人生なのだと恥じ入りつつ開き直ること。
この3つを適切に言い換えれば、生きる指針になるかもしれない。しかし、生きる為の「主治医」は自分自身である他は無く、矢張り自分が自分自身を世話しなければならないのだと思う。ただ、その場合、(2)と(3)は充分に指針となるのだろうと思う。とりわけ若い人が自分自身に自信を無くした時は。そういう時は幾ら前向きになろうとしても、上手くいかないものなのだ。「恥じ入りつつ開き直る」ことがあってもいいではないか。
(1)医者としてのプライドを捨て去り、患者になりきり、主治医の指示通りに薬を飲んだこと。
(2)病んでいる間にも時は過ぎ行くのだから、元の状態に戻ることが治癒だと考えるなら、それはあり得ないと諦めたこと。
(3)未来は己の意志で切り開けるものなのではなく、降って湧く出来事におろおろしながら対処していく、そのみっともない生き様こそが私の人生なのだと恥じ入りつつ開き直ること。
この3つを適切に言い換えれば、生きる指針になるかもしれない。しかし、生きる為の「主治医」は自分自身である他は無く、矢張り自分が自分自身を世話しなければならないのだと思う。ただ、その場合、(2)と(3)は充分に指針となるのだろうと思う。とりわけ若い人が自分自身に自信を無くした時は。そういう時は幾ら前向きになろうとしても、上手くいかないものなのだ。「恥じ入りつつ開き直る」ことがあってもいいではないか。
医師の処女作は取り分け興味深く、読みやすく感じた。
南木先生の著作も何冊か読んだ。
ただ惜しむらくは五,六冊ともなれば同じパターンになる。
マア医師だけにも限るまい。
ところで病人が病人になりきる、所謂病気を病気として受け入れる。当たり前の事であるが中々できない。
吾が屯の三皮女どもは医師を誑かす事に競争心を燃やしかつ自慢している。
それが如何にくだらない事か、また治療に支障があることか、何れは自分に降りかかってくるのだが。
マア医師のほうに原因がないともいえないが。
吾が輩も他人のことを言えたものでもない。反省反省。
医師の技量はもとより、うわべだけではない人徳に惹かれる、そんな医師が居れば、いいなぁ。
学校行ってるょ(^_^)v
勉強のことでも、他のことでも、何か質問してよ。
おじさん、バカだから自分でも分からないこと書いて、自己満足しているところがあるよ。
吾輩は「鬱」と云う魔物に取っちめられ、2月の中旬ごろはよかったが、この1週間前ぐらいから、午前中、午後編頭痛に悩まされれることが多くなった。
命に別状はないのだが。ま、午後6時から睡眠の9時までが至福の時間だ。
原因ははっきりしているのだが。まあ、今の主治医を信じて任せることにしている。と云ってもトホホである。