自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

ヒトラーに喩える

2009年10月31日 | Weblog
 新政権が本格的にスタートし、26日には新首相の所信表明演説があった。この演説に対する自民党の新総裁の感想談が物議をかもしている。以下は、新聞に投稿された翻訳家氏の論評。
 「従来の首相演説とは大きく異なっていた。格調高いとするか、中味が薄いとするか、その評価は聞く側の自由だ。ただ政治家や政党党首として批判する場合には一定の矜持があって当然だろう。谷垣自民党総裁が、記者を前にしてヒトラーやナチスに喩えて皮肉っていたのには驚いた。
 新聞によれば、民主党議員についても「ヒトラー・ユーゲントのようね、ヒトラーの演説に賛成している印象を受けた」という表現を使った。
 これは個人的印象を率直に語ったといって済まされるだろうか。欧米では、政治家の資質や思想の比喩にヒトラーやナチスを使うのは最大の侮辱であり、タブーでもある。
 谷垣氏は発言を速やかに撤回して欲しい。そうでないと日本の政治家の資質や歴史認識を疑われることにもなる。」

 「ヒトラー・ユーゲントのようね」との酷評は、首相演説に対する民主党議員の賛意・拍手に関してである。野党にまわることを余儀なくされた自民党総裁には党を再生させる義務がある。その総裁の言葉としては余りに品が無い。品が無いというのは、低く見積もってである。不思議なのは、谷垣発言をマスメディアが問題視していないことである。

(今日はちょっと遠出してきます。)

続・自然暦

2009年10月30日 | Weblog
 過日の『自然暦』の続きを記す。
 自然暦は農作業の目安となる諺などを集めただけではなく、食べ物に関する諺などにも事欠かない。特に「寒」についてのものが面白い。
 例えば、羽前北小国村(現・山形県小国町)の「ヤマドリは寒明けに脂が不足する、タヌキは寒中に脂で太る」などは、土地の人の永い経験に裏付けられた知恵として面白い。その他、食べ物の上に「寒」をつければ、それで立派な自然暦の役目を果たすらしい。「寒雀」(飛騨高山)、「寒ウツボ」(紀伊田辺町)などと同様に、フナ、カレイ、ブリなどの上に「寒」がつけば、美味ということになる。
 食べ物の話は、特に雪国の寒中の冬籠りに欠くことのできないものであるが、自然の生き物たちは、この時期最も厳しい試練にあっている。生き物たちは、春を迎えるまでの長い期間苦闘の連続であろう。タヌキが寒中に太るとか、イノシシが太るなどと人間はうそぶいているが、タヌキやイノシシは生き延びるための必死の対策をとっているのであろう。
 僕らは自然の摂理をもっとよく知るべきだと思う。が、その知り方をまず教えてもらわなければならない。自然の摂理を知らない人間が多くなり、自然を荒らすものだから、タヌキやイノシシが里に来て悪さをする。お互いのテリトリーを守るのも自然の摂理の一つだろう。

切磋琢磨

2009年10月29日 | Weblog
 スポーツの中でプレイして一番面白いのはラグビーではないかとかねがね思っている。高校時代のクラス対抗試合で、楕円のボールを持って走っていた時、相手の選手に、今で言う、ラリアットをくらい右肩を脱臼した。その時の痛みを今でも覚えている。一種、格闘技の性格をもつスポーツだ。
 大阪朝鮮高級学校が初めて全国高校ラグビーに出場することが決まったのは03年であった。72年から93年までは、各種学校という法的な位置づけが予選出場を阻んだ。10度目の03年、大阪府第一地区予選を勝ち抜き、初めて「花園ラグビー場」に名を刻んだ。
 新入部員に経験者は居なかった。監督の金信男(キムシンナム)氏曰く「原石を磨くのが役目」。基本をたたきこんだ。公式戦に出られなかった当時、啓光学園、大阪工大高、天理、報徳学園などが練習試合を受けてくれた。「選手のプレイに根性がある」と見込まれて。
 全国大会出場決定後、練習試合で胸を貸してくれた全国の監督たちから祝福と激励が届いた。金監督は語った。「ラグビーを愛し寛大な心で迎え入れてくれた方たちを大事にしてきた。在日も日本人もない。・・・共存共栄する日本人と同じ土俵で切磋琢磨できる人間を育てたい」。監督の言には、過去の忸怩たる思いと将来への希望が混ざっている。
 切磋琢磨という四文字は、こういう場合にこそ使うのだと僕は思う。まずは、同じ土俵を用意することだ。用意してこそ、切磋琢磨できるというものだろう。
 寒くなるとラグビーの季節。全国のラグビー選手たちは、高校、大学、社会人を問わず、心躍らせて練習に励んでいることだろう。

久しぶりに『冬の旅』

2009年10月28日 | Weblog
 昨晩久しぶりにヘルマン・プライで『冬の旅』を聴いた。
 その9番「鬼火(Irrlicht)」。

  深き谷間へと 鬼火は誘う
  われは迷えども 心痛まず
  鬼火の誘いに われは慣れたり
  喜び嘆きも すべて鬼火のしわざなりしか

  水なき川に沿い われは下りぬ
  すべての流れは海に注ぎ
  すべての悲しみは
  墓場につづかん

(夜の旅は、あてどない道をゆく若者に恐怖を与える。鬼火は彼を深い谷間へと誘う。しかし若者はもう慣れた。この世の喜びも悲しみもすべて鬼火の仕業だと感じる。
 この曲で、若者は一つの思想を初めて抱く。それは「諦観」である。それまでは恋人への執着を歌っていたが、この世は鬼火のようなものだという虚無感に襲われたとき、二十代後半のシューベルトは絶妙な歌曲を産み出した。独りのシューベルトがもう独りのシューベルトとひそかに語り合いながら。「やっと星の本当の美しさが分るようになったよ」というふうに。
 二十代後半、懐かしい。もの想う秋の夜長ではあった。)

大根

2009年10月27日 | Weblog
(以前の徒然想から修正・再掲)
 美味い大根はまだちょっと早いが、冬大根が野菜の中で一番好きかもしれない。かつて自分で野菜を耕作していたことがあったが、冬に突然の来客があると、まるまると太った大根を抜いてきて、フロフキにして馳走した。ブリ大根なども好きな副食である。おでんの具では真っ先に大根をとる。
 大根の古い言い方は「おおね」だそうだ。これに大根という漢字を当てたわけで、漢語ではない。中世の頃から「だいこん」と音読するようになったそうだが、そこには「根」という言葉を避けたい人々の思いがあった。飢饉になると、木や草の根で飢えをしのぐことが一般的だったので、「根」はどうしても飢饉の苦しみを連想させたからである。飢饉に見舞われたからこそ「だいこん」という言葉が生まれたというのは言い過ぎである。
 大地の恵に感謝する気分が薄れてきたように思う。子供に限らず青年たちの教育にも土とまみれる耕作をもっと取り入れる方が良いと思う。
 数日で今年の六分の五が終わる。やはり過ぎし日は早く逝った。残る六分の一をいかに過ごすかが、さしあたっての問題である。

(今日は早出し、友人と歓談してきます。)

自然暦

2009年10月26日 | Weblog
 『自然暦』の編著者川口孫治郎氏によると、「自然を目標にとった自然暦、それが往々却って太陰暦、太陽暦よりも確かなところがある」。どんなに高度な科学技術でも、自然の複雑さには太刀打ちできないし、それだけに、永年にわたって培ってきた単純な経験的推測の方が自然を的確に捉えるということなのかも知れない。
 同書には次のような記述がある。「自然観察が、言い伝えとなり、諺となって固定したのが自然暦である。猪苗代湖南の村々では、湖をへだてた北の磐梯山に残る雪形を見て耕作の時期を知り、寺の境内の大きな桜の木を種まき桜と言って、その桜の花の咲く時を播種の基準として生活してきた。日本アルプスをはじめ各地にある白馬岳、駒形山のような名のついた山も、その山に残った春雪の形で農耕の時を知ったことから、ついた名である。」
 自然暦は農耕に関連する。農業にとって、農作業の適期を知ることが何よりの関心事であったに違いない。適期をはずせば、農作物の命取りにもないかねない。農作業の適期は、その年の気象条件が決めるのであって、カレンダーが決めるものではないから、自然暦の方が合理的だという説には肯けるところがある。
 同書には様々な諺やその類が載っていて、夫々に面白い。自然の摂理に根ざした知恵というものは、場合によれば、科学的を称する知識よりも有益であろう。逆に言えば、有益でなければ自然の摂理に根ざした知恵とは言えないということであろう。ただし、こんな薀蓄はどうでもよく、農業の現状が先細りになっていくのではないか、その事が気にかかる。

知里幸恵と『アイヌ神謡集』 ②

2009年10月25日 | Weblog
 幸恵はその序文でかつて先祖たちの自由な天地であった北海道の自然と、用いていた言語や言い伝えが滅びつつある現状を哀しみをこめて語りながら、それゆえにこそ、破壊者である日本人にこの本を読んでもらいたいのだ、という明確な意志を表明している。
 一方、『アイヌ神謡集』の物語はいずれも明るくのびやかな空気に満ちている。幸恵の訳文は、本来は聴く物語の雰囲気を巧みに出していて、僕の気分にもよるが、思わず声に出して読み上げたくなる。
 「銀の滴降る降るまはりに、金の滴降る降るまはりに。」
 近代の文学とは感触が異なる。十三編のうち九編はフクロウやキツネやカエルなどの野生動物、つまりアイヌの神々が自らを歌った謡(うた)であり、魔神や人間の始祖の文化神の謡にしても自然が主題である。幸恵は序文や自分が選んだユーカラを通して、アイヌが自然との共生のもとに文化を成立させてきたことを訴えたかったのであろう。
 『アイヌ神謡集』に登場する神々は支配的な存在ではなく、人間と対等につきあっている。敬われればお返しに贈り物を与える神もいるが、悪さをしたり、得になるための権謀を弄すれば、懲らしめる神もいる。しかし、皆どことなく愛嬌があって憎めない。絶対悪も絶対善もない世界は、あたかも種間に優劣がなく、バランスのとれた自然界の写し絵のようである。この点では、現代の環境文学の礎として見られなければならないであろう。
 豊かな自然を前にして謡われる神謡が、何故に環境破壊極まったこの時代に流布しつつあるのか。僕たちの身体感覚に、まだ残っている自然性の証なのであろうか。言葉の意味だけに寄りかかってきた多くの文学作品が何かを取り残してきた事への反省なのであろうか。ユーカラのような口承文芸は、過去の遺産ではなく、文学の一ジャンルとしての地位を担うものと考えるべきである。
 知里幸恵の仕事は、様々なテーマを現代に投げかけてくる。(終わり)

知里幸恵と『アイヌ神謡集』 ①

2009年10月24日 | Weblog
 僕は何故か『アイヌ神謡集』が好きだ。あえて理由を言えば、自然の摂理に背を向けた現代社会が『アイヌ神謡集』など、自然に根付いた言の葉を渇望しているからであるかもしれない。知里幸恵について簡潔に。
 知里幸恵は1903年北海道登別生まれ、没年1922年。享年19歳。アイヌ出身である彼女は、金田一京助に励まされて、アイヌ語のローマ字表記を工夫し、身近な人々から伝え聞いた物語の中から十三編の神謡を採り出して日本語に翻訳した。十八歳から十九歳にかけての仕事であった。以前から心臓の悪かった幸恵は、校正を終えてから東京の金田一家で急逝した。刊行はその一年後であった。
 『アイヌ神謡集』はもともと口承詩であるから、それを文字、しかも日本語に置き換える作業はどんなにか困難であったろう。しかし幸恵は、リズミカルな原語のローマ字表記とみずみずしい訳文の日本語を、左右に対置させた。それによって相乗効果が生まれ、極めて独創的な作品となった。
 幸恵がこの仕事に精魂こめていたころ、多くの日本人はアイヌ民族を劣等民族と見なし、様々な圧迫と差別を加えている。同化政策と称してアイヌからアイヌ語を奪ったのもその一例である。しかしこの少女はめげなかった。(続く)

(今日はちょっと遠出してきます。)

深刻な内分泌撹乱

2009年10月23日 | Weblog
 グリーン・ケミストリー(緑の化学:毒性緩和に焦点を当てた科学分野)の専門家によると、内分泌撹乱は潜在的に「癌より深刻な健康問題」である。理由は少なくとも4つある。
 ①動物あるいは人間は、生殖器官、神経系、免疫系が毒に犯されても、外観は健康に見えるので、問題を容易には特定できない。
 ②多くの場合、汚染からその影響が現れるまでの時間差が大きく、手遅れになるまでに、影響を予測し、予防することが困難である。
 ③化学的組成を調べるだけでは、トリプチルズ(船舶塗料の一種)など環境ホルモンを含む化学物質の作用は予測できないので、化学物質ごとに検査して、内分泌撹乱物質を特定するのが困難である。
 ④現行の排出規制の多くは、高濃度汚染の場合の発癌、その他の健康障害に基づいて定められているが、低濃度汚染の場合でも、内分泌撹乱は発生するので、内分泌撹乱物質が規制の網の目をすり抜けている。
 米国でも日本でも、反論のため、業界資金による研究が大規模に実施されたが、『サイエンス』誌掲載の論文によれば、「内分泌撹乱物質は通常の安全基準以下の水準でも生物学的影響を及ぼす」ことを、専門家集団が結論づけた。影響とは、特には人間の生殖機能および発育への悪影響である。
 自然の摂理に刃を向けてきたことは、意図的であったと言わざるを得ない。財界と政界との癒着の構造は生物の多くを滅ぼすかもしれない。その場合、特に被害を受けるのは発展途上の国や最貧国の人々である。

(昨日、こういう話をしたが、殆どの若い人は上の空だった。僕の話し方にも問題あり。)

マツタケ異聞

2009年10月22日 | Weblog
 今年はマツタケが豊作なのか不作なのか平年並なのか、興味も薄れた。余りに高価で口に入らないとはなから諦めているから。僕んちの食卓にのぼるとしても、外国産のマツタケだろう。
 マツタケ生産量は1960年代前半から急速に減少したそうだ。原因は日本人がアカマツ林を利用しなくなったからである。エネルギー源が電気やガスに替わり、枯れ枝や薪を採らなくなった。堆肥も必要でなくなったので、落ち葉かきもしない。放置されたアカマツ林には下草が茂り、土が肥え湿度が高い環境になり、菌類が大量に発生する。ところが、マツタケは他の菌類との生存競争に弱いそうで、駆逐されてしまうらしい。
 環境さえ整えばマツタケは大量発生する。明治末、各地で森林伐採が進み、その代わりに生育の速いアカマツが植林された。特に土地がやせている西日本では、低山の大部分がアカマツ林になった。アカマツ林が二十年前後たつと、マツタケが大量発生し、最盛期には関西では千トンを超えたという。
 マツタケが大量発生する、下草のないアカマツ林は、植物の種類が少なく、昆虫や鳥などの種類も少ない、自然度が低い環境とも言える。実り豊かなブナ林やナラ林と、秋の味覚の王者と言われるマツタケの生えるアカマツ林とは両立しないのだそうだ。人間の都合と自然度が両立しないとも言えるのであろう。

(今日は木曜日。運動不足を少しでも補うために京都へ行ってきます。)

核廃絶への道

2009年10月21日 | Weblog
(朝刊より)
 核廃絶への具体的な道筋を検討してきた国際賢人会議(共同議長・エバンズ元豪外相、川口順子元外相)が最終会合を広島で開き、来年1月に発表する報告書の最終原案をまとめた。
 昨年6月に広島を訪れたラッド豪首相の呼びかけに日本が応じ、国際賢人会議が設置された。07年に米紙に小論「核のない世界」を発表した米国の「四賢人」のうち、ペリー元国防長官が会議のメンバーとなった。あとの3人のキッシンジャー元国務長官、シュルツ元国務長官、ナン元上院軍事委員長も諮問委員として加わり、世界の知恵を結集してきた。
 世界ではこれまで官民から多くの核廃絶構想が出されてきたが、際立った政策にはつながらなかった。そこで国際賢人会議は、主要国の立場の数歩先を見据えて、核廃絶に向けて実際に世界が動くような行動計画を目指した。
 広島でまとまった廃絶への道筋は次のようなものだ。
 ・2012年までに包括的核実験禁止条約を発効させる。
 ・核を持つすべての国が軍縮交渉の準備に入る。
 ・核の役割を核攻撃の抑止に限定し、非核国には使用しない。
 ・25年までに核兵器ゼロに手が届くような状態へと進む。
 ・核保有国同士の先制不使用にも合意する。
 ・核兵器禁止条約作成の準備も進める。
 ・その後、核抑止が不要になるような国際環境をつくって、廃絶する。

 核をなくす目標年は明示していない。核実験した北朝鮮や、核開発疑惑のあるイランへの対応に妙案を示しているわけでもない。それでも核依存の安全保障を改め、核を非合法化していく道筋を示した重要な行動指針である。集中的な外交努力で、次々と実行に移したい。
 日豪の連携が今後とも鍵となる。鳩山首相とラッド首相は、提言を踏まえて核問題で協力していくことで一致している。両国がオバマ米大統領の核軍縮外交を後押しし、共感する国を広げていけば、今回の提言を政策に結実させる大きな力となろう。

(気の早いことを言うが、核兵器の無力化には相当のお金が要ること、無力化に伴う放射能をどう処理するかということも考えておく必要がある。)

キノコ

2009年10月20日 | Weblog
 秋の味覚の代表のひとつ、キノコ。
 春夏秋冬が規則正しく(最近は少しくずれてきているように感じられるが)訪れるうえに、世界の平均降雨量の約1.8倍も雨の多い多湿の気候であるから、この風土条件はキノコにとって極めて好都合である。
 クヌギ、コナラ、エゴノキ、アカシデ、カラマツ、ブナ、ミズナラ、シイ、カシなどの雑木林や松林が随所にあり、キノコの生育しやすい豊かな土壌が日本列島をおおっている。そのため、日本に生育するキノコで食用にされているものだけでも約180種あるそうだ。
 松茸、椎茸、クリタケ、シメジ類、ハツタケ、マイタケ、ナラタケ、ナメコ、エノキタケなど、味や香りが上品なのも日本のキノコの特徴である。
 人工栽培も行われ都市にいても比較的安価で食べられる。椎茸以外のキノコでも、エノキダケ、ナメコ、ハツタケ、マイタケ、シメジなどが、オガクズや人工床で栽培されているそうだ。
 保存法も優れている。椎茸は天日で乾燥して栄養価まで増加させて保存し、シメジは塩漬けにして保存され、食べたい時に塩出しして使われる。ナメコは缶詰にして半永久的に保存できる。佃煮にして保存できるキノコも多い。
 料理の仕方も様々に工夫されている。残念ながらめったに口に入らない松茸は、その香味を決して逃さない調理法で賞味する。炊き込みご飯によく合うキノコも多い。吸い物に似合うキノコは上品な椀ものとして喜ばれる。天ぷらにもする。
 日本人は昔から、キノコを生食、焼く、煮る、蒸す、炊く、揚げる、和える、茹でる、炒めるなど、様々な調理法で、それぞれのキノコの持ち味を活かす料理の知恵を養ってきた。
 【キノコを3年間保存する仕方】
 キノコをていねいに水で洗った後、茹でる。茹で上がったらキノコと同量ぐらいの塩とともに樽あるいは木箱に漬け込む。蓋をして軽く重しをのせ、そのまま保存しておく。食べる時は充分に塩出しをして、例えば大根おろしをかけて食べたり、汁ものにつかう。炒めてもよい。

 今年もカナダ産の松茸が食卓に出るかな。

エネルギーについて

2009年10月19日 | Weblog
 エネルギーと物質が同じものであることを発見・説明したのがアインシュタインである。
 エネルギーとは、物質の質量と光速度の二乗との積であるとの等式で表される。
 宇宙はその昔、「ビッグバン」と呼ばれる大爆発を起こし、その時のエネルギーが物質化することによって出来上がったと考えられている。人類はその物質を利用することによって近現代文明を謳歌してきたが、今、その文明が危機に瀕している。
 4大エネルギー資源である石油、石炭、天然ガス、ウランの採取可能年数は、それぞれ約40年(約1兆バレル)、約200年(約1兆トン)、約60年(約150兆立方㍍、約60年(約400万トン)と言われる。特に日本は消費エネルギーの80%を海外に依存しており、事態は深刻である。
 4大エネルギーに代るものとして水力、風力、太陽光発電などがある。これらを大いに利用すべきであるが、最終的には物質をエネルギーに変える方法の発見が人類の存亡を決めると思われもする。
 その走りとして原発があるが、これは物質をエネルギーに変えた後に放射能を含む廃棄物を出す。また運転中に放射能漏れ事故が起きない保証はどこにもない。
 質量を可能な限りエネルギー化すれば放射能問題も発生しない。ところが、この方法については糸口すら見つかっていない。ただ、目の前に太陽という見事なサンプルがあるだけである。
 ビッグバンの冷却過程で人類は生まれた。人類は今、冷却とは逆の過程を人為的に歩もうとしている。
 2005年2月15日、米国の参加しない京都議定書が発効したが、その温暖化対策は無きに等しい。今年の12月に米国も参加するCOP15で新しい対策が練られる。その大原則は、思うに、あらゆる場面で【私益より公益を重んじる】であろう。言うは易しく行うは難し、ではある。が、現状ではそうも言っておられない。

思い出の記――鰹節

2009年10月18日 | Weblog
 小学1、2年生の時は4キロ近い道だった。在所の村から小学生が集まって歩く。冬、寒い時は集まって焚き火をし、小石を熱して、その小石を新聞紙で包んでポケットに入れて手を温めながら小学校まで歩いた。
 弁当が美味だった。白飯の上に削った鰹節を醤油でまぶしたのを敷きつめたもの。ただそれだけのもの。簡単この上ない弁当。いわば削り節丼。それが実に美味だった。醤油が白飯にしみこみ、香ばしい鰹節の味。この美味を一度味わって頂きたいものだ。何? そんな原始的な飯は食べられないって? ま、そう言わずに、食べてみて候。栄養分もたっぷりです。
 鰹節は自分で前晩に削った。削り方が人によって異なる。押して削るか引いて削るか。僕は引いて削る。近頃は削り器を持っている家は少ないかもしれない。最初から削り節を買ってくる場合が多い。だが、削り器で削った鰹節の方が明らかに旨い。削りにムラができ、ちょっと硬いのやら、粉のようなものやら、それぞれに味が違う。
 弁当でもうひとつ。これも実に簡単。油揚げを醤油で焼いて白飯に添えるだけのもの。持ち歩いている間に醤油が白飯に程よくしみこんで、油揚げの切り身と一緒に食べると、これがまた実に旨い。
 ま、要するに食料が乏しかったのである。が、乏しいなりに美味であった。
 話がそれるが、小学1、2年生の時にはノートがなく、石盤。そこに石木で書く。石盤については、それがどのようなものであったか、パンダさんと議論したことがある。今、考えると、石盤にも安価なものと高価なものがあったということだろう。
 2年生の終りに、家が火の不始末で全焼。町に引っ越した。引っ越す前に姉の嫁いだ寺に3ヶ月預けられた。全焼していなかったら別の人生を歩んでいたことだろう。

秋の暮

2009年10月17日 | Weblog
  あやまちはくりかへします秋の暮    三橋敏雄

 もちろん原爆の碑に刻まれた言葉のパロディであります。戦後の政治や社会の有り様を見れば、戦争で何かが決定的に変わったなどとは、とても言えないではないかという作者の冷徹なまなざし。

  淋しさに二通りあり秋の暮
  石塀を三たび曲がれば秋の暮

など、「秋の暮」での名句が敏雄には多い。僕は十一月の気候が好きなんですが、時に淋しさを感じる季節でもあります。
 「秋思」という言葉がありますが、「物のあはれは秋こそまされ」(『徒然草』)の万物凋落の感慨が加わり、移ろいゆく自然の中での、人のあわれさ、はかなさをいうことが多い。あわれさ、はかなさを感じるほど、僕は敏感ではありませんが、物思う秋ではあります。


(今日はちょっと遠出してきます。)