自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

執心、妄心

2008年05月31日 | Weblog
 時々、日本の名文を読み返すことがある。その一つ、鴨長明「方丈記」の末尾から引く。
 「・・・一期月影傾きて、余算の山の端に近し。たちまちに三途の闇に向はんとす。何の業をかかこたんとする。仏の教え給うおもむきは、事に触れて、執心なかれとなり。・・・しかるを、汝、姿は聖人にて、心は濁りに染めり。・・・もしこれ、貧賤の報のみずから悩ますか。はたまた、妄心のいたりて、狂せるか。その時、心、さらに答ふる事なし。」
 高貴の身を捨て、世俗を去り、山中に六畳ぐらいの草庵で暮らせば、現世でのしこりを忘れ、木々のざわめき、小鳥の声、虫たちの戯れなど、時には読書など、誰からも干渉されることなく、気ままに生を楽しみ営むことができる。しかし長明は心静かに安楽としておれなかった。「執心なかれ」と思っても、妄心に至る。仏の教えを求むるも、達っせざる自らの「心は濁りに染め」る。これが、我が心が「よどみに浮かぶうたかた」であるという事実なのかもしれない。
 事実なのかもしれない。事実なのだ。

尹東柱(ユン ドンヂュ)

2008年05月30日 | Weblog
 1941年、平沼東柱と創氏改名を余儀なくされ、翌年渡日した22歳の時の詩(再掲)。

  死ぬ日まで天を仰ぎ
  一点の恥もないことを
  葉群れにそよぐ風にも
  私は心を痛めた。
  星をうたう心で
  すべての死んでいくものを愛さねば
  そして私に与えられた道を
  歩んでいかねば。

  今宵も星が風に吹き晒される。


 外国の国是によって名前を変えさせられるという事はどういう事であろうか?祖国の喪失を無理矢理命じられるという事であろうか?真意は測り知れない。
 1943年、独立運動の嫌疑で逮捕され、翌年、治安維持法違反で懲役刑、福岡刑務所に投獄される。翌45年2月16日獄死。一説に、特攻兵の精神を高揚させる薬の治験で死んだ。だとすると、戦時中とはいえ、むごい事を行ったものだ。それにしても、上の詩を読む度に背筋が寒くなる程の清純を感じる。
 詩碑が韓国と同志社大学に建立されている。(昨日、戦争について考えさせられる事があって、何度も読んだ詩を思い出し、感慨を新たにした。)

裁判員制度

2008年05月29日 | Weblog
 2009年4月から実施されようとしている裁判員制度は、三権の中で国民から最も遠かった司法への国民の参加の道を開こうとするもので、常識的に考えて歓迎すべき制度だと思う。
 司法制度改革審議会の意見書は、「統治主体・権利主体である国民は、司法の運営に主体的・有意的に参加し、プロフェッションたる法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成・維持するように努め、国民のための司法を国民自らが実現し支えなければならない。・・・国民は、一定の訴訟手続きへの参加を始め各種の関与を通じて司法への理解を深め、これを支える」と述べた。具体的には、「刑事訴訟手続きにおいて、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、裁判内容の決定に主体的、実質的に関与することができる新たな制度を導入すべきである」と提言した。
 意見書の言う通りだと思う。しかし、僕ら一般の国民が「裁判官とともに責任を分担」できるであろうか。できるとしたら、どんな司法環境の下でなら、できるのであろうか。国民が司法についての理解を深めなければならないことは言うまでもないが、現今の司法環境は、一般国民が口出しできる環境ではないように思う。もっともっと開かれた、透明で分かりやすい裁判制度が求められているのではないか。

スルメイカ

2008年05月28日 | Weblog
 思い起こせば、子供の頃おやつで最も多く食べたのはスルメかもしれない。火鉢で焼いたスルメの香ばしさが懐かしい。イカ飯なども好物である。日本人ほどイカを食する国民は他にないとも思われる。
 マイカとも呼ばれるスルメイカは、一年中日本近海にいて、いつでも漁獲されているように思われるが、実は一年をかけて日本列島を南北に往復しながら一生を終えるというライフサイクルをもっているそうだ。ものの本によると、西日本ではサクラが咲く頃に獲れるので「花イカ」、伊豆半島付近で漁獲されるものは「麦イカ」、三陸では「夏イカ」と、季節によって呼び名が変わって北上し、秋には「戻りイカ」となって再び南下する。
 日本で最も普通に食べられているイカだが、種名に「するめ」と付けられているほどには、スルメイカのするめは珍重されていない。ケンサキイカのするめを「一番するめ」というのに対して、スルメイカのするめは「二番するめ」と言われ、二番手扱いされているそうだ。しかし、昔から各地の地場産業を支えてきた産品なので、松前するめ、南部するめ、佐渡するめなど、産地名を冠して呼ばれるものも多いそうだ。
 日本を代表する魚、いわば国魚としてアユが挙げられるが、日本を代表するイカならスルメイカだろう。アユもスルメイカも寿命が一年。どうも日本を代表する生き物は、サクラもしかり、ぱっと散る短命のものが多いようだ。これは、好奇心は旺盛だが飽き易いという日本人の性格の反映なのか、それとも潔癖性を示しているのか、判断に苦しむ。いや、余計なことを記してしまった。

生きる

2008年05月27日 | Weblog
  生きる

在りし日の青春を 
在りし日の白き記憶として
今も続くしがらみを 
これからも続く灰色の宝物として
逝ってしまった人たちを
永遠に輝く金色の友人として

ぼくは生きる

生きとし生けるすべてのものに
緑色の万感の思いを捧げ
いずれ来る最期への道に
青磁色に光る畏怖の念を抱き
やがて失われる世界は 
それでも 有り余るほどの色に満ちて

ぼくは生きる

お茶の効能

2008年05月26日 | Weblog
 12年前に病を得てからできるだけ水分を摂るようにと言われ、そのように心がけている。近頃は色々なお茶が出回り、試飲している。お茶博士を自認する人から、お茶の効能についての蘊蓄を聴いた。
 1.美容=ビタミンAと同じ働きをするカロチンとビタミンCが含まれ、カロチンは皮膚や粘膜の細胞の健康維持に役立ち、ビタミンCはメラニン色素の沈着を防ぐ。
 2.老化防止=老化物質の活性酸素の生成を抑えるカテキンが含まれ、ビタミンとの相乗効果で、その作用が高まる。更にアミノ酸の一種、テア二ンはアルツハイマー型のボケを抑制する。
 3.疲労回復とストレス解消=カフェインには疲労回復のほか、強心作用、利尿作用などがあり、またお茶を楽しむ事により気分に潤いをもたらす。
 4.整腸作用=カテキンには腸内のビフィズス菌の増殖を助ける効果がある。
 5.ガンの予防=カテキンには発ガン抑制効果がある。最近の研究では転移を抑える効果もある。
 6.コレステロール値を下げる=カテキンには悪玉コレステロールだけを減少させる効果がある。
 7.血糖値の上昇を抑える=カテキンには血液中の糖濃度を低下させる効果がある。
 その他、風邪の予防など諸々。僕の場合は特に血流をよくする為にお茶をよく飲む事にしている。皆様もお茶をどうぞ。

幸福とは?

2008年05月25日 | Weblog
 (ラ・ロシュフコー『箴言集』より)
 この世で最も幸せな人は、僅かな物で満足できる人だから、その意味では、幸福になるために無際限の富の集積が必要な王侯や野心家は、最もみじめな人たちである。

 僕らは、とくに大企業の野心的な経営者たちは、富の集積を追い求めすぎた。一般社員の心をも弄んで、経営者たちは「稼げ!」をモットーにした。そこにJR西の列車事故などの悲劇が生じた。
 何年か前から僕は「自制心」の涵養を口をすっぱくして説いている。僭越だと思いながらも、説いている。幾ら富を集積しても、幸福にはならないことをこの国のリーダーたちは心得るべきだ。リーダーたちは、社会における幸福とは何かということを深慮すべきだ。弱者と呼ばれる人々や次世代のために。

ゲーテ『ファウスト』より

2008年05月24日 | Weblog
  「私は、ただ遊んでばかりいるには、歳をとり過ぎているし、
  あらゆる希望を捨てるには若過ぎる。」

 これは『ファウスト』第一部「書斎の場」で、主人公が塞いでいるのを見て、塞ぎの虫を追いはらってみせようと、悪魔のメフィストーフェレスが、金の縁取りをした赤い服、絹のマント、鳥の羽をさした帽子という派手な出で立ちで訪れたのに対して、ファウストが言い放った台詞である。
 如何に若くても遊びほうけるのは愚かだし、どんなに歳をとっても希望を捨てては、生きる印がない。一所懸命生きることだ。
 ただ最近僕は、大袈裟に言えば人生に疲れた。何故かというと、親しい人が一人去ったと思うと、また一人去っていくのだから。何故先に逝くの?

渡水看花

2008年05月23日 | Weblog
 前に記したと記憶しているが、再掲する。明の哲人、高啓の詩。

   渡水看花
 渡水復渡水   水を渡り、復(ま)た水を渡り
 看花環看花   花を看て環(ま)た花を看て
 春風江上路   春風江上の路
 不覚到君家   覚えずして君の家に到る

 水、花、春風、そんな光景の中で陶然と時を過ごす。ふと気がつくと貴方の家に着いていた。麗しい詩だ。ところで、不覚到君家の、この君が実は阿弥陀様のことだという解釈がある。君家とは阿弥陀様の膝の上、来世のことだという解釈がある。この解釈によると、渡水看花とは、来世へ行く道の景色を詠ったものということになる。その景色は水、花、春風に満ちた道を映した優しい景色である。そうだろうか。無信心の僕には分からぬ。でも、そうであったらいいだろうと思う。こう思うのはまだまだ早計で、僭越だ。毎日を平凡に過ごしたら、それでいいのだと思う。こう思うのもまた僭越かもしれない。

シソ

2008年05月22日 | Weblog
 僕のそれ程好きではない梅干の色つけに欠かせない赤ジソと、僕が大好きな刺身のつまでおなじみの青ジソ。色素ぺリラニンを含むのが赤ジソ、含まないのが青ジソ。シソの色素とウメのクエン酸が反応すると、鮮やかな赤色を出す。梅干はこの化学反応を上手に利用している。また、白身魚の刺身には赤ジソを、赤身魚には青ジソを添えるのが基本だそうだ。いずれにせよ、夏の香料、日本のハーブの代表だろう。
 利用するのは葉だけではない。花も実も薬味として用いる。紫色の花や実の穂も刺身やあらいのつまに使われ、穂ジソと呼ばれる場合がある。穂ジソは、食べる時に手のひらにとって、勢いよく叩いてから醤油に入れると、香りが高くなる。熟した実は、葉と一緒に、佃煮、漬物にして常備すると良い。かなり長持ちする。これは美味である。
 シソの香りのもととなるシソ油には強い殺菌力がある。20グラムのシソ油で醤油180リットルを完全に防腐できるという。この殺菌力を利用してか、健胃、利尿、鎮痛などの薬用としても用いられる。薬効はともかくも、シソの葉がビタミンA、ビタミンB、カロチンを多く含み、栄養価が高いことは事実である。
 シソの葉や実をもっと謝食すべきだというのが、僕の個人的感想である。

2008年05月21日 | Weblog
 奈良に住んでいるせいもあって、葛粉を用いた菓子や葛湯などを食するときが比較的多い。親戚などへの土産として葛粉からできた干菓子を持参するが、軽く小さいわりには高価な感じがする。干菓子は噛んではダメで、舌の上で転がしていると、じわーと上品な甘味が広がる。
 葛は山野に自生する大きな蔓状の植物で、根は葛根湯などの漢方薬にも使われる程、薬効があると言われる。その葛根を何度も水にさらし、澱粉を取り出すと葛粉ができる。この過程で手がかかるので本葛粉は値が張るのだろう。奈良の吉野地方は古くからの産地として知られている。
 本葛粉と砂糖があれば葛餅がすぐにできる。葛粉、砂糖、水を混ぜ、火にかけ、透き通ったら型に入れてさっと冷やすだけ。5分ぐらいで、ぷるぷるの葛餅が完成する。できたての、ほんのりと温かい方が美味い。普通は冷蔵庫で冷やして食べるが、これでは生地が劣化して食感が失われる。冬は葛湯を飲むが、それを濃くしたものが葛餅で、温かい方が葛本来の味覚を醸す、という訳だ。でもねー、夏はやはり冷やした方が美味いと思うが。

坐る

2008年05月20日 | Weblog
 坐るという字は、土の上に人が二人すわっていることだ、という解釈がある。その二人とは自分と自分である。土に坐って自分と自分が対話し、自分の内面を見つめる、それが瞑想や坐禅につながるのだという仏教家が居る。
 無信心の僕は、仏教のことは知らないが、坐るという字を見つめていると、何となくそんな解釈がもっともらしく思えてくる。
 土の上、石の上、草の上、畳の上に黙って坐っていると、自分自身の喜怒哀楽を見つめることが出来るように思える。思うに、これは、椅子に座ることでは出来ない。椅子に座って事務や読書は出来るが、自分との対話は出来ないのではないか。 ひょっとしたら、坐ることで自分との対話が可能になるということは、日本文化の特徴であるかもしれない。旅館の畳の上に坐って、窓越しに緑滴る山を見ているうちに自分と自分との対話が進む、そんな旅をしたいものだ。贅沢かなぁ。

棚田

2008年05月19日 | Weblog
 写真雑誌に見事な棚田の風景の写真が載っていた。日本にも棚田は各地にあるが、その写真は中国雲南省のもので、日本のものとは規模が違う。総面積2万4000ha、数百段以上、標高1600m付近から谷底まで余すところなく埋め尽くす。見事というほかは無い。少数民族(ハニ、イ、ミャオ、ヤオ族など)が千年以上に亘って営々と稲作を続けてきた。民族同士で棚田を分け合い、助け合う伝統がこの棚田を育んできたのであろう。田植えも刈り取りもすべて手作業で、機械が入る道はない。人と牛がすれ違う細い道が張り巡らされている。
 僕はこういう風景を見ると、大袈裟ではなく素直に感動する。民族の苦労と誇りと稲作への執念を感じる。稲作を始めとする第一次産業の育成が大事だと思う。そこが僕らが生かされる原点なのだから。

 今回の四川省での激甚大地震は雲南省には影響しなかったのだろうか。地理音痴の僕には即座には分りかねる。

おーい、コッコー!(kokoro-feeling)

2008年05月18日 | Weblog
 およそ13ヶ月前にこの「ココロ学院」というブログを始めた。当時ホームページの掲示板上で仲良くなったココロ(正確にはkokoro-feeling)というハンドルネームの高校一年生の女の子の発言を聴いている内に、高校生の視点で様々な事を発信してみようという気になった。ココロは自分のことをコッコと呼んで欲しいと言った。ところが、コッコはパソコンが使えなくなったらしく姿を消した。
 おーい、コッコー! その後元気にしてるの?多感な高校生の人間関係はうまくいってるの?勉強はどう?・・・・・訊いても応えてくれないことは分っているんだけど。
 「ココロ学院」は当初の意図からはずれて、僕の駄文の寄せ集め場所になった。一年経って、当初の意図に戻ることは困難で、というか、元々この意図を実行することが僕には困難だったのだ。

 どうなのかな?「ココロ学院」の存在価値はあるのかなぁ? おーい、コッコー、どう思う?って訊いても応えてくれないことは分っているんだけど。
 さて、どうしようか? 「ココロ学院」を閉じようか、それとも名称を変えようか?閉じることは簡単だけど、実を言うと閲覧者が毎日40人以上居られる。奇特な方々も居られるものだと、不思議に思う次第でありまする。さて、どうしようか? おーい、コッコー、応えてくれないよね。

伎芸天

2008年05月17日 | Weblog
 5月9日の「コケ」で触れたミューズの御仏とは、言うまでもなく伎芸天です。何度も仰ぎ見たが、その穏やかな姿にはいつ見ても安堵する。
 面白い文を見出した。竹内浩三曰く、
 「墨をすって、半紙に「以伎芸天為我妻」と書いて、壁にはった。そしたら、涙がぽろぽろ出た。」
 二十歳前後の、詩人たるを自覚した浩三の感慨である。

 それで思い出したのは、僕が二十歳前後の頃、半紙に書いて下宿屋の壁にはった文句である。気恥ずかしいが、思い出したので記しておくことにする。
 「気高さと優しさと、他に何が要るでしょう」
これは、たぶん太宰治の何かを真似したものである。
 伎芸天と太宰の醸す雰囲気は大分異なる。若い時はその時々に気に入った文や絵画に感情移入するのだろう。今は昔の話である。おー、恥ずかしや、恥ずかしや。