自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

明日から「美しき五月」

2013年04月30日 | Weblog

 美しき五月という常套句がある。
 美しき五月のなかでも美しいのは陽光に輝く若葉であろう。

   朝の髪結ふ肘高く柿若葉   岡本 眸

 主婦が割烹着姿で手を拭きながら見上げる柿若葉。柿若葉は、楓の若葉などと異なり、庶民的な若葉だ。やや分厚な葉が不透明な緑の影をつくる。農家の庭にあったり、裏庭にあるのがふさわしい。その他に、盛り上がるような樟若葉も美しい。楢や橡などの雑木林がいっせいに芽吹き、若葉するときの美しさには喜びを感じる。
 五月の味覚では蚕豆(そらまめ)。冷凍や温室栽培の多いなかで莢(さや)のついた蚕豆は天日のあたる畑で収穫された野菜だ。ひとかかえにもなるのを買ってきて、莢をむく。

   そら豆はまことに青き味したり   細見綾子

 蚕豆は甘く煮たり、飯に炊き込んだり、いろいろの食べ方があるが結局は塩茹でに限る。魚では初鰹。鯵もしゅんに入った。

 ところで、美しき五月という常套句は、本来は冬が長く、春が来るのが遅い北国の言葉だろう。日本ならば北海道。梅、桃、桜、ライラックなどがいっせいに咲く五月。メーデーも本来は冬が去り春が来たことを喜ぶ、英国の春祭だ。英国の清教徒が初めて米国に渡った船の名がメーフラワー号。メーフラワーとはサンザシの花だそうだ。

原始、森の生活

2013年04月29日 | Weblog

 史説によると、縄文時代の人々は、森という豊かな自然の恵みを受けて生活していた。日本列島は森の列島だから、人々はほどよい規模に森を開いて住居をつくり、まわりの森から衣食住のすべてを得ていた。
 人々は十数戸から二十戸ぐらいの竪穴住居をひとまとまりにして住んでいた。周辺は栗の木の多い落葉広葉樹林である。住居をつくるための木や屋根をふくカヤ類はこの森に幾らでもある。木の樹皮とか草は衣服の材料にもなり、いろいろな紐にもなる。栗をはじめとして食用になる木の実が沢山ある。若芽や若葉の美味しい木もある。
 落葉広葉樹林の森は食べ物に満ちているから、鳥や獣もたくさん棲んでいる。それら鳥や獣をほんの少し獲れば、栄養たっぷりの食肉にもなり、獣皮は衣服や敷物にもなる。
 人々は煮炊きに使う土器や、木を伐ったりする石器を念入りに楽しみながら作っていた。狩猟採集での労働時間が少ないので、土器づくりも石器づくりも、遊びに近いものだっただろう。
 高原の澄んだ空気のなかで、石斧を磨く男と樹皮の繊維をほぐす女が、はればれとした顔で話し、朗らかに笑う光景が想像される。
 僕らの先祖はこんな生活をしていたのだろう。戻ることは勿論できないが、想像すると郷愁に近い感慨を抱く。物質文明に慣れてしまった僕らのDNAには原始の森の民の痕跡が残っているのだろう。

『土』---②

2013年04月28日 | Weblog

 もう30年も前に、金子みすゞという詩人の名を聞いていたのだが、わずか二十六歳でこの世を自ら去った女性に畏れをなして、読まず知らずで来ていた。が、5、6年前に気を取り直してと言うと大袈裟だが、読んだ。大正十五年の『日本童謡集』(童謡詩人会編)には、北原白秋、西條八十、野口雨情、三木露風、泉鏡花、竹久夢二などとともに、みすゞの詩が二編選ばれている。彼女の詩をひとつ。

  土

 こッつん こッつん
 打たれる土は
 よい畠になって
 よい麦生むよ。
 朝から晩まで
 踏まれる土は
 よい路になって
 車を通すよ。
 打たれぬ土は
 踏まれぬ土は
 要らない土か。
 いえいえそれは
 名もない草の
 お宿をするよ。


(彼女の他の詩ではもっとはっきりするのだが、小さなもの、弱いもの、無名のものに優しさと暖かさに満ちた眼差しを注ぐ詩人である。時代が経って、だんだんと土が視野から消えていった。特に都市部ではアスファルトに覆われ、見える土は家々の庭の土だけになってしまった。「名もない草のお宿」が都市部では見えない。)

『土』

2013年04月27日 | Weblog

 漱石の娘が嫁ぐとき、持たせたのが長塚節の『土』である。この小説の序文で漱石はこう書いている。
「先祖以来、茨城の結城郡に居を移した地方の豪族として、多数の小作人を使用する長塚君は、彼等の獣類に近き、恐るべき困憊を極めた生活状態を、一から十迄誠実にこの『土』の中に収め尽くした・・・」。
 決して楽しい読みものではない。しかし、自然と人間、農業と暮らしについての秀逸な文学作品であるばかりではなく、民俗誌、農業史として読んでも興味深い。
 だが、最も精緻に描かれているのは豊饒な自然だ。例えば「烈しい西風が目に見えぬ大きな塊をごうっと打ちつけては又ごうっと打ちつけて皆痩せこけた落葉木の林を一日中苛め通した。木の枝は時々ひゅうひゅうと悲鳴の響を立てて泣いた。・・・」
 漱石の文体とは異質の、自然の厳しさを知り尽くした文体である。冬、陽だまりにムシロを敷いて切干にする大根をきざむ音、俵を編む人の姿。こういった情景には貧困よりは豊かな自然のふところに抱かれて生きる者の安らぎさえ感じられる。
 農薬はまったく登場しない。自然界のバランスが保たれていたのだろう。害虫を防御するのにかまどの灰を撒く。現代の農業とは余程違う。
 さらに興味深いことに、老人問題という今日的問題も提示されている。
 弛む事のない自然描写も見事だが、多岐にわたる、現代に通じる問題をも提起した小説である。だが、今日読まれる機会は稀である。文庫本としては入手し難いのだから。忘れかけられた作家かもしれない。

2013年04月26日 | Weblog

 僕は焼き物を観るのが好きだ。もっと若い頃は衝動買いで安物を手に入れ、悦に入ったことがあった。日本の焼き物は土を焼成したものが多い。変なことを考えた。土とは何か?
 長大な時をかけ焼かれたものが冷え、固まって風化した、それが地球だ。その地球の表層が土だ。土がもし無かったら、多くの植物は生えない。植物が生えなかったら、光合成がなされず、殆どの生物は存在しない。そうすると、仮に僕らが生存できるとしても、僕らの用を成すものの殆どは生育しない。勿論、樹木も野菜も生育しない。
 だから、人間を含む生物は土無しには生きられないのだ。当たり前のことだが、都市部の人々は土に感謝しているだろうか。土が見えないようにアスファルトで覆っているではないか。
 ところで、土を耕す人々が居る。彼らこそ地球の住民だ。土に養分を施し、豊かな土に種を蒔き、植物を育てる。その植物を僕らは金で買って食べて生きている。土に密着して植物を育てる人々のお陰で、僕らは生きることが出来る。僕らは土から浮遊しているのだ。浮遊物なのだ。
 浮遊物なんだけど、時には土に思いを馳せることがあってもいいのではないか。いずれ土に還るのだから。土と仲良くしておく方が寝心地がいいだろう。

8年前の今日、JR西脱線大事故

2013年04月25日 | Weblog

★福知山線脱線事故
 2005年4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市のJR福知山線塚口-尼崎間で、快速電車が制限速度を大幅に超えてカーブに進入し脱線。
 線路脇のマンションに激突し、乗客106人と運転士が死亡、562人が負傷した。
 業務上過失致死傷容疑で書類送検されたJR西日本幹部ら10人のうち、山崎正夫元社長のみ起訴されたが、12年1月に無罪が確定した。10年4月に強制起訴された井手正敬元相談役ら歴代3社長は神戸地裁で公判中。今年3月、指定弁護士がそれぞれ禁錮3年を求刑した。
 この大事故の最高責任者(複数)が決定するのは何時のことになるのか。決定しても遺族の方々は安堵できないであろうが、それでも早く決定することを望まれているはずだ。

山の民

2013年04月24日 | Weblog

 『彦一頓知ばなし』や『それからの武蔵』の作者・小山勝清の生涯を描いた『われ山に帰る』(高田宏著)は人物伝として秀逸であるばかりではなく、日本の近代思想史に裨益するものである。
 大正年間、釜石鉱山や足尾銅山での労使争議を指導し、堺利彦の書生として或る種のユートピア思想を志向した小山勝清は結局挫折感を味わい、故郷の球磨川上流の村落に帰った。
 古老の話「わしの今までの暮らしはどう考えても収入のほうがずっと少ない。それだのに、わしは生きておる。いや、わしだけではござらん、村の衆みんな、その計算でゆくと野垂死んでいて不思議はない。なるほど、借金もあれば、土地や山林を売りはらっておるけどな、そんなもんでは帳尻は合わん。どうなっておると思いなさるかね」老人は得意気に言った。
 「不思議でもなんでもない。まず村の衆の協力がいまの勘定から脱けておる。家を建てる、棟を修繕する、橋をかける、それがみんな協力でできてしまう。それだけじゃござらん。村の衆のたいがいは田畑をなくして今じゃ小作人じゃが、それでもやはり食っていけるのは村の共有財産のおかげですわい。薪をとる山もまぐさ場も共有、四季のおかずは共有の畑に作る。筍は共有の竹林からとってくる。屋根をふく萱もそうなら、山を焼いたあとの茶畑もそうじゃ。これがもし個人持ちであったらば、とうの昔金持ちのものになってしまい、今じゃ枝一本自由にならず、みんな暮してはいけんじゃろう」。
 勝清の志向した考えは、山の民の内に規模は小さいながらも既に実現されていた。

春愁

2013年04月22日 | Weblog

 特に4月、目が覚めている間は春愁にひたっています。春愁をどう説明すればいいのか、この説明が難しいのですが、室生犀星の詩が春愁を或る程度詠っているのではないかと思い、引きます。

   寂しき春(『室生犀星詩集』より)

 したたり止まぬ日のひかり
 うつうつまはる水ぐるま
 あおぞらに
 越後の山も見ゆるぞ
 さびしいぞ
 一日もの言はず
 野にいでてあゆめば
 菜種のはなは
 遠きかなたに波をつくりて
 いまははや
 しんにさびしいぞ

 僕は寂しくはないのですが、「うつうつまはる」とか「一日もの言はず」とか「遠きかなたに波をつくりて」とか、こういったテンポの遅い粘着性の語法で、春を詠むココロが僕には何となく分かるのです。何となく分かるところに春愁がつけこんでくるのだと思います。かと言って、犀星を好んでいる訳ではありません。犀星を読めば気が滅入りますが、この時期は気が滅入るのを厭いません。

ライシャワーの予測

2013年04月21日 | Weblog


 元駐日米国大使ライシャワーの『ザ・ジャパニーズ』という本を古本屋で買った。僕は彼について特別の関心をもっているわけではないが、本屋で立ち読みしている間に読んでみようと思った。
 この本の最後に「日本の未来」と題して四点の問題が挙げられている。
 1.天災では日本はいつもたっぷり手痛い目にあってきた。1923年の関東大震災の災禍は日本人の意識に深く焼きついているが、当時と比べ、高層建築や高速道路、高架鉄道や地下街がひしめいている今日では、大地震はおろか大暴風雨ですらが、旧に倍する災害をもたらす恐れがある。
 2.社会の内部構造の問題。現代の工業化社会はあまりに複雑化し、自らの重みに耐えかねて、管理不可能かつ崩壊の兆しをみせつつある。指導者達の「自己管理能力」が問われかねない。
 3.世界的な環境ならびに資源という点において、大国のうちで一番の脅威にさらされるのは日本であろう。これを避けるには日本単独では不可能である。
 4.そこで、第四に、国際間協力が必要になってくる。単に環境・資源問題のみではなく、世界規模での貿易と平和のための国際間協力が欠かせない。

 いずれの問題も現代の日本にのしかかっているように思う。この本は1979年に初版が出て、同じ年に第19刷を数えている。小さな字で430頁の本である。よく売れ、よく読まれた本だったのであろう。しかし、彼の挙げた問題を真摯に反芻している人が今日どれだけ居るだろう。そして現在進行形で問題になっているTPPへの参加(4.の「世界規模での貿易」に含意されている)は拙速であってはならない。

生命というもの

2013年04月20日 | Weblog

 僕の好きな文の一つに次の文がある。
 「とりわけ戦後むやみやたらと経済成長に血眼になることによって、私たちがともすれば見失っている日本人が元来持っていた生命というものに対するある見方・・・日本人はなにかある極限的な状態に追い詰められて、自らの存在、あるいは生命というものを顧みようとします場合に、人間の生命というものを、一切衆生と切り離したものとしては意識しないで、他の動植物、ねずみとかトンボとか、あるいは植物とか、そういう存在の中に貫かれている生命のリズムというものを凝視することによって逆に人間の命というものを迂回して考えるという、そういう性質を日本人は持っていたはずなんです。」
 中国文学者で作家の高橋和巳の、志賀直哉『城の崎にて』についての文の一節である。この人の講義に僕は出たことがある。どこかおどおどした立居振舞の人で、優しい眼をした30代後半の書生のような先生であった。話し言葉は下手だが、小説の文は類稀な上手を極めた。残念にも早世された。
 ところで、上の文の醸すところに僕が批評するところは全く無い。この文を参考にして次のような事を考えた。弱肉強食の生物界にあって、強者は弱者を慮るのが良いのではないか。実際、天然自然においてはそうなっている(空腹を満たす場合を除いて)。とりわけ人間の間でも強い人間は弱い人間を慮り愛する方が良いのではないか。強い国は弱い国を慮り手を差しのべる方が良いのではないか。そうすれば、互いに戦争を仕掛けることはないであろう。そうすれば、人間を、あるいはむやみやたらと動植物を殺すこともないであろう。他者の、あるいは動植物の「存在の中に貫かれている生命のリズムというものを凝視することによって逆に」自分の「命というものを迂回して考えるという、そういう性質」を涵養する方が良いのではないか。そうすれば、他のものの生命というものを亡きものにするということは随分と減るだろう。

ヒツジグサ

2013年04月19日 | Weblog


時期的に一ヶ月は早いんですが。
6年前の作。

Wikipediaより。
ヒツジグサ(未草)は、スイレン科スイレン属の水生多年草。
地下茎から茎を伸ばし、水面に葉と花を1つ浮かべる。花の大きさは3~4cm、萼片が4枚、花弁が10枚ほどの白い花を咲かせる。花期は6月~11月。
未の刻(午後2時)頃に花を咲かせることから、ヒツジグサと名付けられたといわれるが、実際は朝から夕方まで花を咲かせる。
日本全国の池や沼に広く分布している。寒さに強く、山地の沼や亜高山帯の高層湿原にも生えている。

思い出の記・富士登山

2013年04月18日 | Weblog

 僕んちのジャジャウマとクモガクレが小学生の頃だから随分と前の事であるが、夏に家族で富士山に登った。夕方5時頃(だったと記憶している)五合目から登る。頂上の気温が5度というので相当の装備をして、案内人の後をただひたすら登る。相当に急な登り坂もあった。途中、下方で花火が咲いたが、上から見ると全く花火の呈を為さず、火の粉に過ぎない。8合目ぐらいだったと思うが、深夜一時頃山小屋で仮眠をとる。山頂で日の出を見る為のコースで、時間の計算もしてある。仮眠と言っても眠れるものではないが、不思議と疲れを感じない。一時間半ほどして登り始める。しばらくすると、クモガクレ(当時は僕に似て?おとなしい子だった)が苦しさを訴える。酸素が少しうすいのだ。そこはよくしたもので酸素ボンベの缶を売っている。一缶1500円。それを吸い吸い登る。(ここで問題。 酸素ボンベの缶は頂上では幾らするとお思いでしょう?)
 ともかくも無事に頂上に到着。さすがに疲れた様子。その時の、僕を除く写真があるが、冷たい風のせいで今にも泣き出さんばかりの顔をしている。日の出は、残念ながら天候がわるく少ししか見えなかった。(先程の問題の答え、800円、頂上では買う人は殆ど居ない。)
 登りはそれ程きつくなかった。下りが疲れるのなんの、ジャジャウマが途中で動かなくなった。火山灰の砂道をじぐざぐに降りる。時間が経つにつれて陽が射し暑い、暑い。太陽に近いから暑い。ほとんどの荷物を僕が持つ。リュックが肩にこたえる。そこはよくしたもので馬が待っていてくれる。だが、ジャジャウマもクモガクレも歩くと言う。馬の世話にはならず、歩くと言う。頑固なヤツらだ。ともかくもスタート地点の五合目まで歩き通した。仮眠の時間も入れて約16時間。靴と靴下を脱いで親指を見ると、爪が反っていた。
 今は昔の話であるが、いい思い出である。あれから何年になるか。ジャジャウマもクモガクレも昔の面影は殆どない。

感激屋と批判家

2013年04月17日 | Weblog

(ゲーテ『箴言と省察』より)

  熱狂的な感激屋と
  冷たい批判家とは、
  実のところ、同じだということに、
  本人たちは気づいていない。 

 熱狂的な感激屋は、あばたもえくぼに見えるから、こういう人の価値判断は当てにならない。
 冷たい批判家は、えくぼもあばたに見えるから、こういう人の評価も当てにならない。
 東洋では中庸、ドイツでは黄金の中道(die goldene Mitte)というらしいが、これこそ価値を見つける確かな道なのだろう。もっとも、その道を見つけるのは、至難の業なんだが。
 僕はといえば、時には感激屋、時には批判家、どっちつかずでこれまで生きてきた。僕の言うことはすべて当てにならないということになりかねない。ただ、熱狂的な、冷たいという形容詞は付かないと自負している。