自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

宮沢賢治 ②

2010年10月12日 | Weblog
 (昨日に続いて、稲に語らしめた野沢一の賢治讃)
 あの労苦、あの猛烈な骨折り、そして勇気。そして心の深さのおくゆかしさ。稲を大王の如く拝むあの顔、こ奴は永劫のしろものだ、消滅しない古代だ。そうだ、こんな男も時には出ないと嘘だ。それにしても珍しい奴、この地球を見通す程の目を持ちながら、稲の倒れたのにあんなに驚くべき淋しい目をする。あれは男だけれども稲の母ちゃんのようなものだ。仲間を呼んできて、彼を拝もう、彼の脚はいま泥まみれだ。身体は股までびっしょりだ。それにとても疲れている。ああ、火と食べ物と乾いた着物とをやろう。そしてあの魂がひたむきに求めるものを神が与えてやるように神に祈ろう。この嵐の中に濡れながら、しかしあの明るい霊はどうだ。この暗い風の雨田をあんなにやさしく、又明るく、火の燃え上がるように照らすではないか。嵐もあれには負けるだろう。賢治は人間の身体をもって雨にも風にも負けぬ稲を作り出すまでは引かないというのだな、見事だ。そうだ、自然は彼に結局勝利を与える。見よ、秋の日がさんさんと地中から湧き、天から降ったときには稲は上々として岩手の国に実り、宮沢賢治を祝祭しながら、この嵐の日を昔語りのなつかしい苦労としてくれる。人間が真を得ようとして努めるなら、天も之を許さぬ訳にはいかぬ。彼の身体はいま稲となって嵐を防ぎ、美しい秋の豊かな実りを守るのだ。』
 宮沢賢治はこうして稲の穂と、しめる黒土の上にその生涯をきづきながら、更に高い彼の心は、別の球体にまことと美との宇宙を造ろうとする。そしてこの二つを見事になしとげて、三十八年をもって、所謂われらのこの世を去る。
 妹に愛の至純を見て、人間の尊厳を農に見て、法華経に人間のたまらなさを誦し、所謂宇宙の気圏をもって深大で世界一の、時間の限りなき美しき連鎖を確立し、これを、死の途上で得たるものは、岩手の国、花巻の住人、宮沢賢治である。
 稲の穂のゆれるかぎり、農が雨としめりの黒土に播かれて、春の日耕され秋穫り入れられる限り、清らかに静かに匂う美しいものがこの世にある限り、賢治さんはどんな日が来ても、あの優しい少し歯の見える口をして、あの和やかな顔と、あの絶えずものの真に向かって開かれた優しい見者の目をもって、ああもへりくだれるものかと思う程謙遜に、ああも丁寧になれるものかと思う程親切に、人を思い、稲を思い、暖かく抱きかかえてその一房の稲を静かにその心の奥にしまいこむのだ。
 稲の覚者、善逝大師、彼はおそらく近世に於ける農と稲との造り主であろう。そして自らは人として懐かしく静かにはにかみながら、あの歯の少し出た口を気にする程いい人であった。以上が、広大なる賢治さんに対する私の貧しい文である。時が来たならば、又もっと静かな眼差しで、もっと大きく、深く、懐かしく、賢治さんのあの目を見ることが出来よう。(終り)

(賢治について僕個人の考えを披露する事はできない。野沢一という昭和20年、41歳で逝った(その途中、軍事訓練などで過労肺浸潤で転地療養を余儀なくされた)詩人の賢治についての洞察を拝借した。この洞察に優る賢治考は未だないと僕は考えている。野沢の死後、彼の詩集『木葉童子詩経』が出ている。)

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