伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「抱きしめたい」

2009年09月29日 | エッセー

  〽Oh yeah, I'll tell you something,
   I think you'll understand.
   When I'll say that something
   I want to hold your hand,
   I want to hold your hand,
   I want to hold your hand.〽

 原題は ―― I Want To Hold Your Hand ―― 言わずと知れた「抱きしめたい」である。いまや一つの楽曲であることを超え、歴史的遺産となった。
 ビートルズ、5枚目のシングル。63年11月にリリースされた。翌年2月には全米ヒットチャート1位。年間ランキングでも1位に輝いた。世界で1200万枚を売り上げ、ビートルズを不動の地位に押し上げた。日本では彼らのデビュー盤として、94年3月に東芝から発売された。はじめは「プリーズ・プリーズ・ミー」を予定していたのだが、アメリカでの驚異的なセールスに急遽差し替えとなった。
 アメリカでは一日24時間、打(ブ)っ通しでこの曲を流し続けた放送局があったそうだ。それほどに世界が熱狂した。ボブ・ディランは曲中の『I can't hide』を『I get high』と聞き違えて、ドラッグの歌と誤解した。とんだ早とちりだが、ディランがロックに向かう転轍機となった曲だ。
 アーリー・ビートルズを代表するこの曲、成功が巨大だっただけに陰に隠れたのか、不問に付されたのか、置き去りの疑問がある。
  ―― 邦題、である。曲を外して、詞だけを考える。
 前掲部分の日本語訳を掲げてみる。(昭和48年版 角川文庫 「ビートルズ詩集①」 片岡義男 訳)

   Oh yeah 教えてあげよう
   きみはわかってくれると思う
   ばくがきみに言いたいのは
   きみの手をとりたい
   きみの手をとりたい
   きみの手をとりたい、ということ

 イシューは、『I want to hold your hand』の一節だ。そのまま原題でもある。訳文は「きみの手をとりたい」である。「手を握りたい」とも訳されている。どちらにせよ、「抱きしめたい」ではないだろう。つづきを抜き書きしてみると。(上掲書より)

  〽You'll let me hold your hand.
   Now let me hold your hand〽

   ぼくにきみの手をとらせてくれと
   さあ、きみの手をとらせてほしい


  〽And when I touch you I feel happy inside.
   It's such a feeling that my love
   I can't hide〽

   きみに触れるとぼくは幸せな気持ち
   とてもすばらしい気持ちなので
   きみへの愛をかくすことができない

 終始、きわめて控え目なことばが並ぶ。
  〽Oh please, say to me
   You'll let me be your man〽
の『your man』が唯一きわどいといえなくもないが、当時の若者の常套句であったのかもしれない。上掲書の訳文は「きみの恋人にして」となっている。リンゴには、同年に『I Wanna Be Your Man』と題する曲もある。
 いずれにせよ、おとなしい求愛である。少なくとも、「抱きしめたい」ではない。それでは原詩を離れすぎている。意訳にしても度を超えている。むしろ誤訳に近い。
 なぜか ―― 。
 洋画には今でも邦題をつけるが、当時、洋楽では原題のままがほとんどだった。しかし、これは長すぎる。まずは、そうだろう。かといって、「手をとらせて」では散文的にすぎるし、「手を握らせてよ」では艶(ツヤ)がない。「手をつなごう」では市民運動だし、「お手をどうぞ」ではシャンソンだ。それとも、急な差し替えに遣っ付け仕事をしたのか。それなら、瓢箪から駒だ。

 昭和39年、東京オリンピックの年である。東海道新幹線が開通し、海外への観光旅行が自由化された。マイカー時代が始まったのもこのころである。この年のレコード大賞は青山和子「愛と死をみつめて」、新人賞は西郷輝彦「君だけを」と都はるみ「アンコ椿は恋の花」。洋楽ではアニマルズの「朝日のあたる家」、ベンチャーズの「ダイアモンド・ヘッド」が大ヒットした。 …… まことに懐かしい。  
 テレビのCMコピーを調べてみると、「飲んでますか」三船敏郎<アリナミン>、「ファイトで行こう」王貞治<リポビタンD>、「丈夫で長持ち」渥美清<ユベロン>。NHKでは「ひょっこりひょうたん島」が放送開始。さらに流行語では、「豚とソクラテス」「産業スパイ」「東京砂漠」「マンション」「過密」「おれについてこい!」「根性」「ウルトラC」「コンパニオン」「いい線いってるね」などなど。 …… もう涙なしには語れない。

 そのような時代相に照らすと、「抱きしめたい」は相当過激だ。おそらくあのころ『飛んでいた』若けーヤツらでも、赤面せずには言えないフレーズであったにちがいない。そこが狙い目だったか。『異』訳を承知で、ビートルズの過激性をこの邦題に埋め込んだのか。それなら、点頭せざるをえない。
 洋画では原題よりも邦題が嵌まった例は多い。「史上最大の作戦」(原題『The Longest Day』)、「明日に向って撃て!」(原題『Butch Cassidy and the Sundance Kid』)、「ランボー」(原題『FIRST BLOOD』)はその代表か。しかし「抱きしめたい」は特異だ。過ぎたるは及ばざるがごとしなのに、十二分以上に及んでしまった。
 なにせまだ中学生。『I Want To Hold Your Hand』が「抱きしめたい」とくれば、慣用句かスラングとして飲み込むしかなかった。第一彼らの疾走に追いつくのがやっとで、意味など詮索する余裕も暇(イトマ)もなかったのが実相だ。

 あれから46星霜を隔てた。ドーナツ盤が擦り切れるまで聴き入った遥かな遠景に目を凝らすと、あの時の興奮が淡く滲んでくる。 (リマスター版発売の報に触れて、想が涌いた) 


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