伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ディフェンスライン

2015年04月21日 | エッセー

 ペリリュー島で海に向かい深々と辞儀をする天皇、皇后の姿が印象的だった。戦後70年のパラオ慰霊である。同50年には長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂。同60年にはサイパンを訪れた。
 サイパンについては、
「61年前の厳しい戦争のことを思い、心の重い旅でした」
 と語り、今回は出発に先立ち
「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」
 と吐露した。
 片や、わが宰相はどうか。
〓安倍晋三首相は20日夜のBSフジの報道番組で、戦後70年の節目に出す「安倍談話」をめぐり、戦後50年の「村山談話」などにある「植民地支配と侵略」「心からのおわび」などの文言を使うかどうかについて、「同じことを入れるのであれば談話を出す必要はない」と述べた。〓(4月21日付朝日新聞)
 この落差はなんだろう。比較するのも汚らわしいが、人品骨柄があまりにも違いすぎる。かつて司馬遼太郎が、本邦においては天皇家以外はみんな馬の骨、これほど平等な国はないと語ったことがある。所詮は山口の馬の骨。謦咳に接しても、何の感化も受けぬらしい。
 少し古いが、碩学内田 樹氏の言説に学びたい。
◇個人が集団を代表するわけではないし、集団が個人すべてを代弁するわけでもない。でもやはり絡み合っている。たとえ個人でも、集団の政治責任からは逃れられないと思います。前に、高市早苗が「私は戦後に生まれたので、戦争責任を謝罪しろと言われても、私は謝る義理はない」というような事を言いましたが、この発想というのは、共同体と個人の間が深いところでからまっているということが分かっていないということだと思います。
 全員が共犯関係にある、というのが、国民国家における国民の有責性のあり方なわけです。国家の行動に対しては、全員が何らかの形で責任を負っている。
 国民国家の行なったことについて「手が白い」国民は一人もいないんです。国民全員の政治的な行動の、あるいは非行動の総和として、国家の行動というものがあるわけですから、全員がそこにはコミットしている。だからそのコミットメントの、自分の「持ち分」に関してはきっちり「つけ」を払っていかなくてはならない。ナショナリストは国家の犯した罪を決して認めないし、左翼の人には国家の犯した罪の自分たちもまた「従犯」であるという意識がありません。いいところも悪いところも込みで、トータルに国家についての責任のうちの「自分の割り前」を引き受けるのが国民ひとりひとりの仕事だという当たり前の「常識」だけが語られていないんです。◇(晶文社、02年「期間限定の思想」から抄録)
 こちらは本年の新刊から。
◇呼ばれたわけでもないのにこちらから軍隊が出張っていった。それについては「植民地主義からの解放」とか理屈をつけてすむ話じゃない。じゃあ、あなた方はよそのアジアの国の軍隊が「植民地主義からアジアを解放するために日本を占領する」と言って侵攻してきたら、万歳と言って迎えるんですか。国境を越えて他国に入ったという事実については、これを否定することはだれにもできません。その事実を認めた上で、どういうふうに謝罪すれば先方の気がすむのかということについては、両国で膝詰めでじっくり話すしかない。「これだけ謝ると、侵略された怨みを忘れる」というような客観的な基準なんかこの世には存在しないんですから。
 ことは国民国家間の話ですから、原理的には無限責任です。被害者が被害事実に対して謝罪を受け入れ、謝罪を受けたという実感を持つまでは、加害者としては謝罪し続けるしかない。謝罪を続けることによって、初めて終わるわけであって、謝罪しなかったらこの問題は永遠に続く。「もう十分謝ったから、いいだろう」というのを聞いて、「じゃあ、許します」という話になるはずがないでしょう。日本人が戦争責任の問題を解決しようとしたら、「もう許す」という言葉を韓国人から受け取るしかない。それをいやがる人が多いけれど、簡単なことなんです。「すみませんでした」ってまっすぐ謝ればいい。謝っている人間に向かって、「この野郎!」とか「誠意を見せろ」とか「土下座しろ」とか言う人間はふつういませんよ。さくっと謝れば、さくっと水に流せる。それをああだこうだと言う人は、たぶんこの問題が解決しないことを望んでいるのだと思う。いつまでももめていたいのでしょう。◇(鹿砦社、3月「慨世の遠吠え」から抄録)
 戦争責任についてこれほど明瞭に語った卓識を知らない。
 「全員が共犯関係にある、というのが、国民国家における国民の有責性のあり方」
 「謝罪を受けたという実感を持つまでは、加害者としては謝罪し続けるしかない」
 「ああだこうだと言う人は、たぶんこの問題が解決しないことを望んでいる」
 この3点、特に3つ目はヤンキー首相には頂門の一針である。ただ頭が固いので(つまり、悪いので)、刺さりはしないだろうが。
 歴史的、政治的見解は甲論乙駁だが、刻下日本で「有責性」を最も深刻に感受しているのはたぶん天皇であろう。開戦の年、今上天皇はわずか11歳であった。不覚にも高市早苗はこの史実を学び損なったのであろうか。年端も行かぬ少年が長じて、今何を担っているか。その粛然たる事実を、まさか見落としているのではあるまいか。
 “ディフェンスライン”とはゴールに一番近いDFの位置に引かれた仮想の線をいう。齢80を超え自衛艦に寝泊まりしての刻苦の慰霊は、一身を挺したディフェンスラインではないか。慰霊とは「象徴」ゆえのレギュレーションをかいくぐって紡ぎ出された、この上なく健気な平和活動の謂ではないか。ならば天皇に最後のディフェンスラインを託さねばならぬほど、此国(シコク)の民草は不甲斐ないのか。しかも、殺到する攻撃にディフェンスラインを上げてオフサイド・トラップを誘う機も失いつつあるようだ。仮想の線は見えない。破られた時、はじめて見える。それでは余りに愚かだ。 □