Wein, Women & Song / George Wein
世間ではすっかり禁煙が当たり前になり、喫煙家にとっては住みにくい世の中になった。タバコ産業も世界的に縮小傾向のようだが、昨年大型の買収劇があった。レイノルズ社が、同業の老舗ロリラード社を2兆5千億円で買収した。市場が小さくなったとはいえ、まだまだ巨大産業のようだ。昔は、このたばこ業界がジャズフェスティバルを支えていたこともあったのだが。
ジャズフェスティバルのプロデューサーといえば、有名なのはジョージウェイン。ニューポートジャズフェスティバルはジョージウェインが始めたといわれ、日本でも斑尾とかオーレックスなども、さらにウェインが手掛けたジャズフェスティバルは世界中で開かれた。
ウェインの最初の成果は、1954年から始まったニューポートジャズフェスティバルだが、実際には、その創始者は地元の名士、たばこ事業で財を成したロリラード家のイレーン・ロリラードであった。
地元ニューポートの社交界では新参者であった彼女が、地元の反対に屈せずNPOを作ってジャズフェスティバルを誘致したのが始まりであったようだ。
その経緯は、この「ニューポートジャズフェスティバルはこうして始まった」という本に、1954年〜1960年のフェスティバルの裏話を含めて詳しく語られている。
最も、ジャズには全く素人であった彼女は、実際の企画、段取りをNPOに参加した、ジョージウェインに全面的に委任した。
初年度は赤字を覚悟し立上げの費用は全面的に彼女が負担する約束でスタートするが、初年度から収支トントンまでもっていったのはやはりウェインの手腕に負うところが大きい。そして、回を重ねるに従って確実に収益を出すように育てたが、ウェインもしっかりとマネジメントフィーを得ている。
とういう意味では、ウェインなしではフェスティバルは存続しえなかった訳で、最初の立上げメンバーに加わっていた創始者グループの一人であることに間違いはない。
その、ジョージウェインだが、その話が起こった1953年には、ニューポートに近いボストンでストリーヴィルというジャズのレーベルを持ち、同名のジャズクラブとマホガニーホールという2件のジャズクラブを経営していた。まだ28歳の若さであったが、決して儲からない赤字続きの道楽ともいえる仕事ができていたのも、母親の理解と支援があったからだと言われている。
もともと、音楽好きの家庭に育ち子供の頃からピアノを習ったが、その先生はサージチャロフの母親であった。そんなウェインはクラブでは自分でもピアノを弾くことも多かったようだ。
ところがある時、自分が雇っていたドラムのジョージョーンズから、雇い主のウェインに対し「そろそろピアノでミュージシャンを目指すのか、それともクラブオーナーに徹するか、どちらかはっきりした方がいいのでは? ただし、自分はピアニストとして貴方を雇うつもりはあるませんから」と、半ば引退宣言を受けることになる。そんな時に、ニューポートジャズフェスティバルの運営の相談を受けたことになる。
ウェインの演奏というのは、自分のレーベル「ストリーヴィル」ではシドニーベシエの演奏などで聴く事ができるが、基本的にはスイング系の演奏を得意として、その後ニューポートの舞台でもスイング系のミュージシャンと一緒に演奏することはあった。
そんなウェインが、ニューポートの仕事も1年目の開催を無事に終えその年の準備に忙しい時期に、一枚のアルバムを作った。ここでは、ジョーンズにNGを出されたピアノではなくヴォーカルアルバムであった。もちろん、ピアノも自分で弾いているので、弾き語りをタップリ堪能できる。レーベルの自分のレーベルではなく、Atlanticであった。
若い頃の写真はあまり見たことがないが、見た目の感じとは少し違って、高めの音域の小粋な歌い方をする。スインギーなピアノともマッチしたなかなか本格的なヴォーカルだ。少なくともウディーハーマンの歌よりは上手い。ヴォーカルは圧倒的に女性優位で、男性ヴォーカルは唯でさえ聴く機会が少ないが、このような粋な弾き語りのヴォーカルには最近めぐりえ会えていない。
このアルバムのセッションは2回に分かれているが、最初のセッションは地元出身のルビーブラフとテナーのサム・マーゴリスが加わり、実にスインギーな歌と演奏だ。2回目はトランペットがボビーハケットに替わるが、こちらも同様に歌だけでなくミュートプレーとの掛け合いが楽しい。そして、この後半の6月のセッションには、ピアノにNGを出したジョージョーンズが加わっている。
ピアノは駄目でも。ヴォーカルは合格点だったのかもしれない。
ウェインはまだまだ元気なようで、比較的最近の演奏もこちらで聴ける。
Vince Giordano, George Wein and Company perform "The Mooch"
1. You Ought to Be in Pictures Dana Suesse2:30
2. All Too Soon Duke Ellington / Carl Sigman 3:57
3. Back in Your Own Backyard Dave Dreyer / Al Jolson / Billy Rose 2:45
4. Pennies from Heaven Johnny Burke / Arthur Johnston 3:57
5. I'm Through with Love Gus Kahn / Jay Livingston / Matty Malneck 3:18
6. Did I Remember Harold Adamson / Walter Donaldson 3:01
7. I'm Gonna Sit Right Down and Write Myself a Lette Fred E. Ahlert / Joe Young 3:05
8. Why Try to Change Me Now Cy Coleman 3:46
9. You're Lucky to Me Eubie Blake / Andy Razaf 2:41
10. I Married an Angel Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:12
11. Once in a While Michael Edwards / Bud Green 2:27
12. Please Ralph Rainger / Leo Robin 2:20
13. Who Cares George Gershwin 2:32
George Wein (p,vocal)
Ruby Braff (tp)
Sammy Margolis (ts)
Stan Wheeler (b)
Marquis Foster (ds)
Recorded in New York, April 1955
Recording Engineer : Johnny Cou
Gerge Wein (p,vocal)
Bobby Hackett as Wally Wales (tp)
Bill Perberton (b)
Jo Jones (ds)
Recorded in New York, June 1955
Recording Engineer : Tony Janack
世間ではすっかり禁煙が当たり前になり、喫煙家にとっては住みにくい世の中になった。タバコ産業も世界的に縮小傾向のようだが、昨年大型の買収劇があった。レイノルズ社が、同業の老舗ロリラード社を2兆5千億円で買収した。市場が小さくなったとはいえ、まだまだ巨大産業のようだ。昔は、このたばこ業界がジャズフェスティバルを支えていたこともあったのだが。
ジャズフェスティバルのプロデューサーといえば、有名なのはジョージウェイン。ニューポートジャズフェスティバルはジョージウェインが始めたといわれ、日本でも斑尾とかオーレックスなども、さらにウェインが手掛けたジャズフェスティバルは世界中で開かれた。
ウェインの最初の成果は、1954年から始まったニューポートジャズフェスティバルだが、実際には、その創始者は地元の名士、たばこ事業で財を成したロリラード家のイレーン・ロリラードであった。
地元ニューポートの社交界では新参者であった彼女が、地元の反対に屈せずNPOを作ってジャズフェスティバルを誘致したのが始まりであったようだ。
その経緯は、この「ニューポートジャズフェスティバルはこうして始まった」という本に、1954年〜1960年のフェスティバルの裏話を含めて詳しく語られている。
最も、ジャズには全く素人であった彼女は、実際の企画、段取りをNPOに参加した、ジョージウェインに全面的に委任した。
初年度は赤字を覚悟し立上げの費用は全面的に彼女が負担する約束でスタートするが、初年度から収支トントンまでもっていったのはやはりウェインの手腕に負うところが大きい。そして、回を重ねるに従って確実に収益を出すように育てたが、ウェインもしっかりとマネジメントフィーを得ている。
とういう意味では、ウェインなしではフェスティバルは存続しえなかった訳で、最初の立上げメンバーに加わっていた創始者グループの一人であることに間違いはない。
その、ジョージウェインだが、その話が起こった1953年には、ニューポートに近いボストンでストリーヴィルというジャズのレーベルを持ち、同名のジャズクラブとマホガニーホールという2件のジャズクラブを経営していた。まだ28歳の若さであったが、決して儲からない赤字続きの道楽ともいえる仕事ができていたのも、母親の理解と支援があったからだと言われている。
もともと、音楽好きの家庭に育ち子供の頃からピアノを習ったが、その先生はサージチャロフの母親であった。そんなウェインはクラブでは自分でもピアノを弾くことも多かったようだ。
ところがある時、自分が雇っていたドラムのジョージョーンズから、雇い主のウェインに対し「そろそろピアノでミュージシャンを目指すのか、それともクラブオーナーに徹するか、どちらかはっきりした方がいいのでは? ただし、自分はピアニストとして貴方を雇うつもりはあるませんから」と、半ば引退宣言を受けることになる。そんな時に、ニューポートジャズフェスティバルの運営の相談を受けたことになる。
ウェインの演奏というのは、自分のレーベル「ストリーヴィル」ではシドニーベシエの演奏などで聴く事ができるが、基本的にはスイング系の演奏を得意として、その後ニューポートの舞台でもスイング系のミュージシャンと一緒に演奏することはあった。
そんなウェインが、ニューポートの仕事も1年目の開催を無事に終えその年の準備に忙しい時期に、一枚のアルバムを作った。ここでは、ジョーンズにNGを出されたピアノではなくヴォーカルアルバムであった。もちろん、ピアノも自分で弾いているので、弾き語りをタップリ堪能できる。レーベルの自分のレーベルではなく、Atlanticであった。
若い頃の写真はあまり見たことがないが、見た目の感じとは少し違って、高めの音域の小粋な歌い方をする。スインギーなピアノともマッチしたなかなか本格的なヴォーカルだ。少なくともウディーハーマンの歌よりは上手い。ヴォーカルは圧倒的に女性優位で、男性ヴォーカルは唯でさえ聴く機会が少ないが、このような粋な弾き語りのヴォーカルには最近めぐりえ会えていない。
このアルバムのセッションは2回に分かれているが、最初のセッションは地元出身のルビーブラフとテナーのサム・マーゴリスが加わり、実にスインギーな歌と演奏だ。2回目はトランペットがボビーハケットに替わるが、こちらも同様に歌だけでなくミュートプレーとの掛け合いが楽しい。そして、この後半の6月のセッションには、ピアノにNGを出したジョージョーンズが加わっている。
ピアノは駄目でも。ヴォーカルは合格点だったのかもしれない。
ウェインはまだまだ元気なようで、比較的最近の演奏もこちらで聴ける。
Vince Giordano, George Wein and Company perform "The Mooch"
1. You Ought to Be in Pictures Dana Suesse2:30
2. All Too Soon Duke Ellington / Carl Sigman 3:57
3. Back in Your Own Backyard Dave Dreyer / Al Jolson / Billy Rose 2:45
4. Pennies from Heaven Johnny Burke / Arthur Johnston 3:57
5. I'm Through with Love Gus Kahn / Jay Livingston / Matty Malneck 3:18
6. Did I Remember Harold Adamson / Walter Donaldson 3:01
7. I'm Gonna Sit Right Down and Write Myself a Lette Fred E. Ahlert / Joe Young 3:05
8. Why Try to Change Me Now Cy Coleman 3:46
9. You're Lucky to Me Eubie Blake / Andy Razaf 2:41
10. I Married an Angel Lorenz Hart / Richard Rodgers 3:12
11. Once in a While Michael Edwards / Bud Green 2:27
12. Please Ralph Rainger / Leo Robin 2:20
13. Who Cares George Gershwin 2:32
George Wein (p,vocal)
Ruby Braff (tp)
Sammy Margolis (ts)
Stan Wheeler (b)
Marquis Foster (ds)
Recorded in New York, April 1955
Recording Engineer : Johnny Cou
Gerge Wein (p,vocal)
Bobby Hackett as Wally Wales (tp)
Bill Perberton (b)
Jo Jones (ds)
Recorded in New York, June 1955
Recording Engineer : Tony Janack
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