「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「野宮神社」(ののみやじんじゃ)

2006年11月17日 11時15分05秒 | 古都逍遥「京都篇」
 渡月橋から北へ約10分、西に進む細い道を入っていくと竹やぶに入り、さらにしばらく歩くとやがて野宮神社に到着する。

「野の宮 黒木の鳥居傾ぷきて 秋風寒し下嵯峨の里」(尾上紫舟)。

 野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行く前に身を清めたところ。 (「野々宮神社」とも書くが正しくし「野宮神社」と称する。)
 嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、樹皮のついたままのくぬぎ原木を使用した日本最古の鳥居の様式といわれる「黒木鳥居」と小柴垣に囲まれ平安の風情を今に伝えており、源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されている。
 六条の御息所と娘の斎宮の伊勢下向が近づいてきた9月下旬に光源氏は野宮を訪ね、別れの歌を交わす。

「神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがえて折れる榊ぞ」(六条御息所)
「少女子があたりと思えば榊葉の香を懐かしみとめてこそ折れ」(光源氏)

 生き霊となって他の恋人達を呪い殺してまでも愛しぬいた光源氏との別れを、しみじみと歌で綴ったもの。
 野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、この場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされている。斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶した。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていたが、時代の混乱の中で衰退し、そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され保護に努めた。
 「斎宮(斎王)」とは、天皇が新たに即位するごとに、天照大神の御杖代(みつえしろ)として伊勢神宮に遣わされた斎王(未婚の内親王もしくは女王)のことで、飛鳥時代の天武天皇の頃にはすでに確立されており、南北朝時代の後醍醐天皇の頃までおよそ660年間、64人の姫君が遣わされていたと伝えられている。

 縁結びや、進学の神様として若い女性や修学旅行生にも人気を集めており、社務所では源氏物語をモチーフにした開運・招福のお守りを1000円で授けている。また、神社周辺の竹は「野の宮竹」と呼ばれており、主に工芸品などに利用されている。

 所在地:右京区嵯峨天龍寺立石町3。
 所在地:京福嵐山駅から徒歩5分、四条河原町より市バス11系で野々宮下車すぐ、阪急嵐山線嵐山駅徒歩12分。
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