京都で発行されている雑誌「ねっとわーく9月号」に書いたものです。
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大飯原発“再稼働”が突き動かしているもの
全原発停止から2ヶ月
5月5日、北海道泊原発3号機が定期検査で止まり、日本の原発全てが停止した。それから2ヶ月、7月5日に大飯原発3号機が再稼働(外部への送電開始)することとなった。
昨年の福島原発事故以降、国民は多くのことを見、大飯原発“再稼働”をめぐって私たちは、暮らしや子どもたちの命・健康に直結する、たくさんの「政治的現実」と直接向き合うことになった。
この間、「電力が足りなくなる」キャンペーンが行われ、「再稼働」をめぐって京都、滋賀、大阪などの首長の態度表明がたびたび発信された。期待する声も出たが、最終盤で態度が変わり「再稼働、関西の豹変」(6月1日:朝日)などと書かれた。「まあぼくは、事実上の容認だ」という橋下大阪市長の発言にはかなりの批判が出た。
この間、原発推進発言でひんしゅくをかう米倉経団連会長は、今回も首長たちの「原発“夏限定発言”」に対して、「発電所の稼働をご存じない方の発言。住民や企業に安定的で経済性のある電力供給を考えるのが首長の責任だ」と述べ、原発死守へ、圧力をかけ続けている。
こうした中、野田首相は「原発を止めたままで、日本社会は立ち行かない。原発は重要な電源だ」と原発に固執する姿勢を鮮明にした。
一方、3月29日に首相官邸前で始まった「原発いらない、いのちを守れ」「原発反対、再稼働するな」の市民の抗議は、当初300人程だった参加者が1000人→2700人→4000人→12000人→45000人、そして20万人への爆発的な広がりを見せ、7月16日の「さようなら原発10万人集会」は炎天下17万人を集め、市民の大きなうねりを示した。
この2ヶ月間、大飯原発“再稼働”問題は、日本社会の中枢にどんよりとその“主座”を占めているもの達を私たちの目の前にさらけ出し、この社会をどうするのか、市民と有権者に突きつけている。そして、突きつけられた私たちは、いま大きく動き始めている。
目先の利益のための原発再稼働
再稼働をめぐって展開された「電気が足らない話」は、その数字が次々と変わり市民の間に「不信」を広げる一方、キャンペーンは、電力会社が狙ったような、「電気が足らないなら原発を」の方向には行かず、「足らないならみんなで節電を」の方向に進み始めた。このキャンペーンの矛盾は、節電が進み、電気が足りれば、「原発はいらなくなる」ところにある。
だから、経過の中で、だんだんと本音があらわになる。関電などは「原発ノー府民相談会」の要請
に対して、「電力不足になるから再稼働ではない。『足りるなら不要』ということではない」と述べ(5月23日)、再稼働の“裏事情”が「原発なしで電力が足りてしまうと、資産半減、利益も半減」など、会社の利益のためであることが語られるようになる。
6月9日の朝日新聞も「野田首相が原発再稼働を急ぐのはなぜか。『電力不足』をさかんに強調しているが、原発ゼロが続いて電力会社が経営難になるのを恐れているからだ。再稼働の裏には、政府や電力業界の『損得勘定』がある」と厳しく書いた。
京都大学の植田和弘教授が、これについてズバリ指摘している。(6月2日「朝日」オピニオン)
「関電幹部は大飯原発を再稼働させたい理由について『夏場に電気が足りないから』とは決して言いません。『安全だから』動かすという風に言うんです」「『足りないから』だと、暑い時期だけ一部の原発を動かせば済む話になる。そうじゃないんです。関電は全ての原発を動かしたい。その背後には経営の問題が透けて見えます」「この夏を原発なしで乗り切れたら、原発不要論が強まるでしょう。『原子力を基幹電源として維持し、電力会社の経営を助けたい』。経済界から出ているそんな声に今、政府が懸命に応えようとしているようにしか見えません。…目先の利益のために安全を削る、こうした構図こそ、あの原発事故の背景にあったのではないでしょうか」
この「経営問題」に応え、野田首相は「原発なし『日本立ち行かず』」(日経6月9日)と述べたが、それはわかり易く言えば、「原発なしでは『経営、立ち行かず』」という“脱原発”からの撤退宣言だった。
あからさまな道理なき政治
野田首相は6月8日の“大飯再稼働”の記者会見で、「福島を襲ったような地震、津波が起きても、事故を防止できる対策と体制は整っている」と述べたが、国民誰もそう思ってはいない。
すでに指摘されているように、福島第一原発であれだけの大事故を起こしたのに、その検証はまだ殆どされていない。“大飯再稼働”とは、大事故を起こしたドライバーが、罰も受けず、事故の検証もされないまま、荷物を運ばないといけないからと、路上に戻ることと同じだ。
「30項目の安全対策」というが、大飯3,4号機のベントは「仕様・設計検討に着手済み」、免震事務棟も「設置までの緊急時対策所及びその代替指揮所を確保ずみ」というレベルで、現実の事故には全く対応出来ない。
福島原発事故で被災した井戸川克隆双葉町長は、大飯原発再稼働の動きに対して、「再稼働は首相が何をチェックし、どう結論に至ったかのプロセスを全部国民に示してからではないか」「防潮堤のかさ上げを終えないまま再稼働に突き進むなら、私たちの今につながる」と語ったが(5.22「京都」)、道理もなく原発再稼働に突進する政治は、一部の財界や原子力村のメンバーを除いて、国民の支持を得られないものに、ますますなっていくだろう。無理を通して、道理を殺せば、私たちの命や暮らしが潰される。こんな事態を決して許してはならない。
意志表示する私たち
これに対して、意志表示する市民の動きはこれまでにないものとなっている。6月29日の「再稼働反対」官邸前アピールは空前の規模に膨れ上がり、京都でも同日、急遽取り組まれた関西電力京都支店前のスタンディング・アピールには300人以上の市民が参加、一人一人がその思いを行動であらわした。
こうした行動は、「企画」ではなく、市民が大地から沸きあがるようなものとなっている。7月16日、私たちは「10万人集会」に連帯する関西電力京都支店を二周するデモを行ったが、「こうゆう場を作ってくれて、ありがとう」とお礼を言われてしまった。私たちは「場」を作り、市民がその「場」で自らの意志を表明する主役となる。
6月29日の関電前行動に関わったが、少しだけ紹介したい。
きっかけは、バイバイ原発のML(メーリングリスト)上に流された6月22日の官邸前アピール行動の感想文。「最終的な参加者は4万5千人…アラブの春の『ジャスミン革命』に擬えて官邸前抗議を『紫陽花革命』と呼ぶ参加者も現われた」との熱い感想が紹介され、最後に、「京都の私たちは、・・・<毎週金曜日は、関電京都支店包囲>ぐらいやりますか?」と控えめな一行が書き込まれた。
それにNさんが「29日、京都でもやりませんか?17日の福井行き以来、京都で何か表現方法はないかと思っていました」と応え、私も「面白そうですね」と返事した。続いて3時間後、最初の投稿者から「東京官邸前アクションと大阪関電本店前アクションに関して(京都でどうする?)みたいな話題もあがりました。(でも、私たち、余力あるかしら?)…」「一度試してみたい気もしますが、皆さんの参加、参画のお返事がないと踏み切れない状況です」。こられる方が「もしも50人おられるなら、29日夕方に、京都支店L字包囲は可能…ここは、皆さんのお気持ちひとつです」とメール。
言いだしっぺも、少し不安。しかしその後「私も50人の一人になります」「学生4人で、官邸前とつながる京都金曜行動ができたら良いななどと話してました。ぜひやりたいです」「(仙台からの引越し者です)みなさまのお仲間に入れていただけたらうれしいです」「賛同します。29日、50人の一人になります。京都でやれること!やって行きましょう!!」「やりましょう」「学生への呼びかけはまかして下さい」…と、「私もやります」メールが次々とML上に溢れた。このやり取りに関わった人は 13人だったが、一人一人のメールには、その人の意志や励まし、温かい賛同の思いが込められていた。こんな中で、アピールの「場」づくりが決まった。
これは、「ともだち革命」
29日の関電前で私の隣に立った女性が、「友達から“関電前”についての沢山のメールをもらいました」と話してくれたが、“ああ、取り組みが決まってからの4日間で、主催者はたくさんの市民に変わって行ったんだなぁ”と思った。ここに来れない人も、これはぜひ応援しようと、あちこちにメールを送ってくれている。官邸前でも同じ動きが起こっているんだ、と思った。
いま、私たち市民は、ML上でもツィッターでもフェイスブックでも、自分らの思いを語りながら、迷いもあるけれど、それを交流しながら、励まし合い、これらを化学反応させ市民の意思表示・行動に発展させていっている。この世界では当たり前だが、“命令”は意味をなさず、みんなが「主体者である」ことに共感し一体化した時、大きな市民の意志表示が生まれている。これは、“ともだち革命”だ。この動きが、さらに全国に広がり、50万、100万の規模になった時、私たちは新しい日本をつくる出発点を、必ず開くことになる。
(12.7.19)北山の自然と文化をまもる会代表幹事 榊原義道