大木昌の雑記帳

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全体が見えない 見せようとしない現代社会―情報の細分化と隠蔽が全体像を描くのを困難にする―

2024-01-19 09:58:55 | 社会
全体が見えない 見せようとしない現代社会
―情報の細分化と隠蔽が全体像を描くのを困難にする―

作家の高村薫さんは、「私たちは、木の細部はよく見えながら、森の全体を全くつかめ
ない時代を生きています」と、現代社会における認識の問題点を取り上げています。

それは、個々の問題や現象については詳細に分かっているのに、それらを含む全体像を
把握することができなくなっている、ということです。

このような状況をもたらした背景の一つは、「今や世界中どこからでもスマホで情報を
発信できる時代。細かな情報の解像度は格段に増した。なのに、リアル・非リアルを問
わず秩序もへったくれもなく拡張する世界の全体像は、ようとしてつかめない」という
現代世の情報社会の現状です。

つまり、人類の歴史がこれまでとは別の次元で動き出していて、未知のゾーンに入って
いるからで、とりわけ、その変化を推し進めたのがSNS(ネット交流サービス)による
「情報爆発」と指摘しています。

「民衆が信じられる権威が崩れた今の民主主義」においては、個人が発信するSNSの
ようなデジタルツールが、あたかも「下からの民主主義」を実現させるのだ、とも言わ
れてきました。

たとえ、どれだけ信用できる情報かは確認できなくても、現代の民主主義においては、
人びとが信じることができる権威はもはや崩れてしまっているからだ。

こうして、個人が発するSNSの「情報爆発」は社会の混乱を際立たせる道具になっ
てしまっている、と高村さんは見ています(注1)。

これまで私たちが、身の回りや世界で起こっていることを知る情報源は新聞、テレビ、
ラジオ、雑誌などの媒体が中心でした。

しかし、現代ではさまざまな形態の電子媒体、とりわけインターネット(スマートフォ
ンを含む)を通じた情報網の方が量的にも圧倒的に多く、瞬時に地理的空間を越えて世
界中に発信されます。

スマートフォンがあれば、世界や国内で起こっているニュースなど無数の情報をみるこ
とができます。

ここで、さまざまな媒体を通じて発信される個々の「情報」は、世界で起こっているこ
との、ごくごく一部を切り取った断片的なものであるという点を忘れてはなりません。

しかも、その「情報」の発信者は、何らかの意図をもって、そして何らかの価値観に基
づいて選別された特定の情報だけを発信しているのです。

最近では、私たちが検索したり閲覧した項目が「アルゴリズム」の網に取り込まれて、
勝手に特定のニュースや広告や情報を送り付けてきます。

やっかいなことに、その情報が果たして正しいのか、誰かの誤解に基づくものなのか、
あるいは意図的に流した「偽情報」(フェイク情報)なのか、を個人が確かめることは
非常に困難です。

「情報」とは、それ自身が何らかの意味や価値判断を示しているものではなく、社会に
拡散された断片的な「事柄」に過ぎません。

したがって、「情報」をどれだけ集めても、それは「知識」(あるいは単に「知」と表
現する)にはなりません。

「情報」が「知識」となるためには、それぞれの情報の受け手が自ら検討し、真偽を確
かめて納得することが必要です。

しかし、多くの人にとって日々、洪水のように押し寄せてくる情報をいちいち検討して
判断することは事実上不可能です。

そこで勢い、自分にとって関心があるトピックだけに絞って情報を収集することになり
ます。するとさらに、それに沿った情報を送り付けてきます。

こうして、国内外で起こっている事件や事象に関する私たちの理解は、どうしても個別
的、断片的になってしまいます。

高村さんの言葉を借りると、「木の細部はよく見えながら、森の全体を全くつかめない」
状態が出来上がってしまうのです。

それでは、個々の断片的な情報からどのようにしてそれら繋いで全体像を描いたらいい
でしょうか。

もし、誰か信用できる権威者がいて、その人が世の中に起こっていることを大所高所から
俯瞰して、全体像を示してくれるなら随分助かるのですが、残念ながら現実には、そんな
人はいません。

最終的には、世の中に流布している見解なり解釈を検討し、自分なりの全体像を描く努力
すること以外の解決策はありません。

実際問題として、現代日本が抱える問題や注目すべき事柄は数えきれないほどたくさんあ
ります。しかしそれらは、日本の中で起こっていることなので、濃淡の違いがあっても、
何らかの関連があるはずです。

私たち個人ができることは限界がありますが、まずは自分にとって関心がある問題につい
て正確に把握することに努めます。

そのうえで、その問題がほかの問題とどのような関係があるのかをできる限り思考を広げ
て考えてゆきます。

こうした作業を広げてゆくと次第に自分なりの全体像(「全体知」)に到達することがで
きるのではないか、と考えています。

これは、私が採用している方法なのですが、一つの問題を突き詰めてゆくと、その問題と
関連した問題や背景、根底にある“本質的な問題”や“真実”に突き当たる場合が珍しくありま
せん。

ただし、権力をもった政府や組織が意図的に「目くらまし」や隠蔽によって全体像を見え
にくくしていることが珍しくありません。

一つだけ例を挙げると、現在自民党のパーティー券収入の不記載に関連して派閥の解散が
注目されています。

その第一弾として、総裁派閥の岸田派の解散を首相自ら検討していることを公表しました
が、派閥解散は本筋ではありません。

本筋は、各政党は国民の税金から政党助成金をもらっていながら、なぜパーティーで集金
する必要があるのか、そして、「裏金」となったお金が誰に渡され、どのように使われた
のかが全く不明である、という点です。

しかも、収支の不記載が明らかになった場合でも、現行法では会計責任者だけが処罰され、
政治家がそれを支持した物証がなければ政治家は起訴も逮捕もされないという法律上の欠
陥があります。

さらに問題なのは、パーティー券の売り上げから「キックバック」された金の使途を「政
策活動費」という名目にすれば、その内容は一切公表する必要がない、という抜け穴です。

政治資金規正法という法律は多くの欠陥がある「ざる法」どころか最初から意図的に「大
穴」をあけられているのです。

法律的な欠陥とは別に、政治家(個人または派閥)のパーティーは自民党の資金作りの機
会となっていますが、それらは企業や業界団体に割り振られており、事実上の企業献金と
なっています。

パーティー券の売り上げのうち実際の経費(会場費など)は1割に過ぎず、9割が利益と
なりますから主催者は笑いが止まりません。

献金した側は何らかの見返りを求めることは当然で、そのことが国民の利益を損ねる可能
があります。

いずれにしても。現在自民党は、「政治と金」の闇を「派閥解消」という部分的な問題に
すり替えて国民の目をそらせて、全体の構図を描きにくくしています。

今年の私の個人的な課題は、あくまでも個々の「木」については詳細で正確に理解し、
つぎにそれに基づく「森」を明らかにしてゆくことです。


(注1)『毎日新聞 』(2024/1/12 東京夕刊) 。またWeb版ではhttps://mainichi.jp/articles/20240112/dde/012/040/008000c?utm_
    source=article&utm_medium=email&utm_campaign=maildigital&utm_content=20240114 でみることができます。

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