大木昌の雑記帳

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悲願の「日の丸ジェット」はなぜ飛べなかったのか―三菱重工の手痛い挫折に見る問題―

2024-01-24 10:56:51 | 経済
悲願の「日の丸ジェット」はなぜ飛べなかったのか
―三菱重工の手痛い挫折に見る体質と弱点―

2023年2月7日、三菱重工は、国産初のジェット旅客機「スペースジェット」(旧MRJ=三菱
リージョナル・ジェット)の開発から撤退することを正式に発表しました。

商用運行に必要な「型式証明」の取得に苦労する中、新型コロナ禍の市場の混乱も重なり、2020
年10月から開発を事実上凍結していましたが、再開しても問題の解決には時間も費用もかかるので
採算が合わないと判断した模様です。

国費まで投入して官民一体となり、総額1兆円も投入して日本の技術力・工業力の威信にかけても成
功させたかった巨大プロジェクト、国産初の「日の丸ジェット」はなぜ飛ばなかったのか?

挫折の背景をつぶさに見てゆくと、このプロジェクトだけでなく日本企業、さらには日本社会の体質
と弱点が浮かび上がってきます。

国産ジェット機製造の事業化を決定したのは2008年でした。国産のプロペラ機(YS11)以来、
約半世紀ぶりの旅客機開発で、当初はANAホールディングスに13機を年内に納入する計画でした。

ここで計画されたのは、いわゆる「リージョナル・ジェット」と呼ばれる小型ジェットで、一般的に
主要空港と地方空港、大型機では採算が取りにくい路線を運航する「座席数が100席未満の小型ジェ
ット旅客機」のことを言います。

「日の丸ジェット」は、三菱重工子会社の三菱航空機が設計を担い、90席級の初号機の納入は13年後
半を予定していました。

しかし、検査項目の不備や設計変更などの問題が次つぎに露呈してきたため、度重なる計画変更を余
儀なくされ20200年2月までに6回、納期を延長しました。

この間に、コロナ禍や市場の不確実性も加わって投資額も減らされ、18~20年度に約4000億
円だった開発費は21~23年年度には約200億円まで圧縮されました。

それでも、開発費の重みは三菱重工の業績を悪化させ、これまで国費500億円を含む総額1兆円近
い開発費が投じられてきた悲願の「日の丸ジェット」を断念し撤退する事態に追い込まれました。

三菱重工は、今回の挫折に至る背景として、気候変動対策にともなう設計変更やコロナ禍の需要不透
明化などを挙げています。しかも、行き先の見えない中で型式証明を取得するには、なお巨額お資金
が必要になるため、「事業性を認められなくなった」と説明しています(注1)。

これにたいして寺島逸郎氏は、「表向きはコロナ禍によって航空機需要が見込めなくなったと説明さ
れているが、現実には総合エンジニアリング力不足から頓挫したのが実態です」、と述べています。

ここで、「総合エンジニアリング力」とは、さまざまな部品を組み合わせて一つの完成体(ここでは
航空機)を作り上げる企画力、技術力、総合的に統括する組織的統合力のことです。すなわち、
    これまで日本は部品や部材を開発製造する要素技術は世界一流、ボーイングのパーツ委の半
    分以上は日本が作っているなどど胸を張っていましたが、実際にやってみたら、個々のパー
    ツを作ることと完成体をつくることでは次元が違うという事実に直面した
ということです。

自前でジェット機を完成させるには、個々のパーツを作る要素技術だけでなく、総合エンジニアリン
グ力が必要なのです。

その力不足のため、たとえば当初は最先端のパーツを投入して燃料費を2割削減するという大きな目
標を掲げて動き出したプロジェクトが、結局、アメリカの型式証明をクリアするためにはボーイング
で認証済の部材を使った方が早いという話になり、計画が徐々に矮小なものに収斂していったという
のが実際のところだったのです。

上に引用した寺島氏の指摘は、このブログの前回の記事「木は詳細に分かるが、森が見えていない」
という趣旨と同じです。つまり、日本は部品については自信をもっていたが、ジェット機全体が見え
ていなかった、ということです。

寺島氏によると、「日の丸ジェット」の挫折は、広く日本の経済界に影響をあたえたようです。彼が
企業の経営者と議論していて、コロナ危機を機に彼らが心の中に押しとどめていたトラウマが、はっ
きりと浮かび上がってきたことを感じたそうです。

最大のトラウマは、三菱リージョナルジェットの挫折だったという。

これは、三菱重工を中心とする中型ジェット旅客機の国産化計画であり、「自動車産業一本足打法」
と言われる日本の産業構造から抜け出て新たな宇宙航空産業を切り開くという、三菱重工だけでなく
日本産業界全体がビジョンを託した一大プロジェクトだったのです(注2)。

一つの事業が失敗にするには、いくつもの要因が関係していることが普通です。
まず、型式証明を取得できなかったのは、基本的に航空機を製造する技術がなかったからです。そし
て、寺島氏が言うように、優良部品が手に入ったとしても、それらを 組み立てて完成機を作る総合
エンジニアリング力がなかったことも主要因の一つです。

航空機には100万点もの部位品が必要で、三菱重工業は部品については豊富な経験をもっていたが、
完成機の組み立てではノウハウ不足が露呈してしまいました(注3)。

また、航空業界に詳しい桜美林大の橋本安男客員教授も「型式証明の取得の難しさを知らなかった。
市場が今後も伸びるという予測も甘かった。こうした変化に対応する経営の柔軟性も足りなかった」
と手厳しい(注4)。

三菱重工は2019年6月3日、当初のMRJ「三菱リージョナルジェット」から「スペースジェット」
へと名称変更したが、その理由は失敗を隠すためのイメージチェンジであったと言われる。

その時点での失敗とは、米国当局から依然として耐空証明(型式証明)が出されないことに加え、そ
れまでの90席仕様の「MRJ90」では、米国市場などでは勝負できないとわかったことです。
米国内には「スコープクローズ」と呼ばれるリージョナル機の座席数や最大離陸重量を制限する労使
協定があります。

その目的は一般のジェット旅客機とリージョナルジェット機との線引きをすることで、民間航空のパ
イロットの待遇を守ろうとすることです。具体的には、座席数では最大88席まででなければリージョ
ナルジェットとして認められないとされています。

三菱重工業もその協定の存在を知らぬはずはなく、なぜ90席仕様のMRJ90での開発を優先させたのか
は分からない。

いずれ早期にその協定もなくなるだろうと思ったのかもしれませんが、急遽70席クラスの機種の開発
を優先させるように変更を迫られました(注5)。

こうした変更が生じたため、設計段階からやり直しが行われ、ますます型式証明を取得する期間が延
び開発費がかさんでしまいました。

三菱重工の事実認識の甘さ、一方的な思い込み、楽観的憶測が事態を悪化させたのです。

リージョナルジェットの世界では、当時ブラジルのエンブライエル機が三菱重工のスペースジェット
の最大のライバルでした。

本来は、MRJの最大の競合相手はエンブラエルと考え、構想初期の段階から設計においてエンブラ
エルに勝るとも劣らない技術を取り入れる必要があったはずです。

しかし、「エンブラエルはブラジル製だから我が国の技術が負けるわけがない」。これは日本の国民
も素直に感じていた思いであったでしょう。

しかし、実は、エンブラエルはドイツの技術者たちが、ボーイング、エアバスとも一味異なる第三極
の航空機メーカーをつくろうと立ち上げた会社なのです。

第2次世界大戦の敗戦によって、祖国からブラジルへと移ったドイツの航空機メーカー、ハインケルの
技術者たちがブラジルの地でその知見を生かして、工科大学を創設し、その卒業生たちが立ち上げた
のがエンブラエルだった。

航空業界に詳しい清谷真一氏は、三菱重工はライバルの技術を過小評価する半面で、自分たちの技術を
過大評価していたのではないか、と推測している。

すなわち、三菱重工は「戦闘機を開発生産できるわが社の実力をもってすれば、リージョナルジェット
など簡単に開発できる」と思っていたかもしれない。

何人かの識者が言っているように三菱重工には、戦前に「零戦」を作った自負が働いていたのかもしれ
ません。

しかし実態は、防衛産業は防衛省が主たる顧客であり、事実上国営企業と同じで、その他はボーイング
など外国メーカーの下請けで言われた通りにコンポーネント(パーツ)を作ることが三菱重工の主な仕
事となっていたのです(注6)。

ちなみに、自衛隊などが使う航空機の場合は商用ではないので型式証明は要りません。

水谷久和・三菱航空機会長は以前、「三菱重工はYS11をつくり、今はボーイング機の主翼や胴体をつ
くっているが、完成機はまだつくれない。個々の技術に優れているだけではダメで、全体最適、全体
設計ができるところにノウハウがある」と話しています。

これは、寺島氏のいう「総合エンジニアリング力」が未成熟であることを意味しています。

また、ある航空アナリストは「三菱重工は『我々が技術で負けることはない』というプライドの高い
エンジニアが多い。プライドが邪魔をして、先輩の航空機メーカーから学ぶことをしなかったので
は」と見る(注7)。

また、航空機に詳しいジャーナリストの清谷真一氏は、三菱側は航空機産業をビジネスとして認識し
ていたのか、と疑問を呈しています。

つまり、航空機のメーカー側だけでなく、それを実際に運航する航空会社や乗客(つまり顧客)の側
からみての利便性や快適さにどれだけ配慮していたのかを疑問視しています。

実際、ANAのパイロットから操縦席の機器類の配置について使いにくいとの指摘も受けています。

パイロットこそが最初の航空機のユーザーであり、彼らの意見を謙虚に受け止めてこそ、航空機の販
売は伸び、ビジネスとして成功するのですが、三菱側にはプライドなのか、そのような姿勢が見られ
ません。

「日の丸ジェット」の挫折は、非常に残念でしたが、反省点も多く明らかになりました。たとえば、
型式証明に関する知識が不十分だったこと、根拠のないプライドが邪魔をしてライバル機について謙
虚に学ぶ姿勢が足りなかったこと、過去の成功体験(YS11機や古くは零戦)から精神的に抜け出
ることができなかったこと、などが挙げられます。

そして、致命的な弱点は、まだ日本で独自に完成機を作る能力と、全体をみて物事を組み立てる総合
エンジニアリング力が欠如していたことです。

以上の問題は、ほかの産業についても共通している可能性があります。

「物作り」日本のメンツをかけて挑んだ国産初のジェット機は残念ながら挫折しました。繰り返すよ
うですが、これは三菱重工だけでなく、日本の企業経営者に大きな精神的ダメージを与えました。

このブログの前々回でも書いたように、日本はすでに通信事業で世界の競争で敗退していますが、航
空機産業においても敗退は濃厚どころか決定的となってしまいました。

次回から、さらに他の分野(たとえば自動車産業)などについても検討してゆく予定です。

(注1)『毎日新聞』電子版(2023/2/7 21:15:最終更新 2/8 04:32)
     https://mainichi.jp/articles/20230207/k00/00m/020/307000c
    さらに詳しい、発足から断念までの記録は以下を参照されたい。
     『BIZ』 2022年4月26日 13:00(2023年7月10日 14:41 更新)
     https://biz.chunichi.co.jp/news/article/10/39656/
     『BIZ』2022年8月17日 00:00(2023年7月10日 14:21 更新)
     https://biz.chunichi.co.jp/news/article/10/46713/
     『BIZ』2022年11月29日 05:00(2023年7月10日 14:32 更新)
     https://biz.chunichi.co.jp/news/article/10/53591/ 

(注2)『日刊SPA』(電子版 2021年7月3日) https://nikkan-spa.jp/1763990/4 
(注3)『JIJI.COM』2023年02月08日07時08分
     https://www.jiji.com/jc/article?k=2023020701109&g=eco
(注4)『毎日新聞』電子版(2023/2/7 21:15:最終更新 2/8 04:32)
    https://mainichi.jp/articles/20230207/k00/00m/020/307000c
(注5)「JBress」(2023.1.27)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73684
(注6)『東洋経済ONLINE』(2023/02/15 6:20)
    https://toyokeizai.net/articles/-/652353 2023/02/15 6:20
(注7)『経済プレミア』2020年11月6日
    https://mainichi.jp/premier/business/articles/20201105/biz/00m/020/012000c
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2015年 MRJ の初飛行                                                スペースジェットの初飛行   

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