CHIAKIの独り言

気の向くままの「独り言」

暑さ

2015-07-15 | 想い出(サラリーマン時代)

  7月14日の午後 屋外に置かれている温度計は36.3℃を表示していました・・・まだ、梅雨が明けていないようだが、とにかく 暑い!! 
 TVなどでは、しきりに熱中症予防のニュースが流れている。

 夏は暑いものと思っていたが、近年、夏が近づくと必ず熱中症が話題になっている・・・

 昔はどうだったのだろう・・・
50数年前、自分がサラリーマンになった頃を想い出してみると・・・その頃もやはり暑かったようだ!
 職場には、今のようにクーラーは無かった! 窓を大きく開けて風を取り込もうとすると、机の上の書類が飛んでしまうので、窓も大きく開けられなかった! 仕方なく上半身はランニングシャツ姿になり、タオルで汗を拭き拭き図面を書いたことを想い出します・・・その頃書いた図面は、汗の染みが付いまま書庫に眠っているのではないだろうか・・・
さらに、残業時間になると、女子社員もいなくなるので、下半身もステテコ姿になり、時にはバケツに水を入れてきて、足湯でなく足水までして作業したことを想い出します。
工場内では、コンピュータが設置されている部屋だけは冷房がされていたので、何らかの口実を作って、涼みに行ったものです。

 ただ、その頃「熱中症」という言葉はなかったように思います。
熱中症というのは、どうも世の中にクーラーが行き渡った頃から多くなったのではないでしょうか?
便利なもの(クーラー)で人間の身体が甘やかされるようになって、熱中症が多くなった!?
なんだか自然から疎外されて、人が弱くなったような気がします。

 暑いときは、木陰で休む・・・窓を開け放ってウチハをバタバタしながら昼寝する・・・
   自然と仲良く、工夫しながら暑さをやり過ごしたいものです・・・   


課外授業は「焼き鳥屋」で!

2013-05-08 | 想い出(サラリーマン時代)

 職場に配属されたその日から、退社後帰寮途中週に2,3回、配属先の先輩に、職場の人たちのたまり場だった「焼き鳥屋」に連れて行ってもらった・・・
焼き鳥屋」の名前は「夏ちゃん」とか言って、モツを目の前で焼く屋台風のカウンター式で、止まり木に座るとまず塩もみのキャベツが出たように記憶しています。キャベツを爪楊枝で刺し、モツ焼きと交互に食べるのが美味しかった! アルコールは合成酒だったと思う
 
 そこでの話題は、焼き鳥の食べ方から職場のこと、仕事のこと、遊び方、世間話などなど、とにかく新社会人には役立つものばかりでした
 そこには、自分の職場以外の先輩達も、よく立ち寄られており、いろんな人に紹介され、顔なじみになり、仕事の上でも大変役に立ったのです

 最近は、自動車通勤が多くなり、そのような機会は少なくなっているようだが、50年ほど前は自動車通勤など珍しく、通勤途中のこのような立寄りは多かったのです。

 とにかく、このような課外授業は、仕事や世渡りの潤滑油になることが多く、リタイヤ―した今でも、機会あるごとに参加し楽しんおります。


「お釈迦!」を作ってしまった!

2013-05-06 | 想い出(サラリーマン時代)

 会社に入り、設計者の端くれになった頃、「お釈迦!」を作ってしまうことが多々ありました。
                    「お釈迦!」とは、使い物にならないもののことです。

 改めて、「お釈迦!」の語源・由来を調べてみると、「鋳物職人の隠語からでた言葉で、阿弥陀像を鋳るはずが、誤って釈迦像を鋳てしまって、使い物にならなかった。」ことから来たようです。

 想い出として浮かぶのは、なぜか失敗の事例ばかりです・・・上手く行ったこと、成功したこともあるはずですが、それはあまり記憶に残っていないのです・・・

 その一つの例が・・・
 図面に書く数字が紛らわしい字であったために、部品の「お釈迦!」を作ってしまったことです。
数字の「5」を、製図文字でなくふつうメモに書くような文字で書き、さらにその図面をリコピー機(今ではほとんど見かけないような、湿式ジアゾ式複写機)でコピーしたため不鮮明になり、加工者が「3」と読み取ったのです。そのため「お釈迦!」品を30個くらい作ってしまったのです。
 今では、図面をCAD(Computer Aided Design:コンピュータ支援設計)で描くため、こんなことは無いと思いますが、文字による情報の伝達の難しさを肝に銘じた失敗事例でした。

 とにかく、言葉にしろ、文字にしろ、自分の意図したことを他人に伝えることは難しい!
 このブログでも、自分の気持ちが正確に伝わるかどうか心配ですが、上記の様な失敗を想い出しながら書くよう努めたいと思います。


入社早々に経験した安全第一!

2013-04-29 | 想い出(サラリーマン時代)

 入社して最初の2ケ月は、集合教育とかで新入社員が本社工場に集められ、会社幹部の話を聞いたり、実際の職場での現場実習がありました。

 入社式から1週間くらいは、歓迎会や新入社員のでの顔合わせ飲み会などが多々あり、昼間の会社幹部の話はあまり記憶に残っていませんが、工場の色々な製造現場での経験は、その後の務めにも役立ち、今でも断片的ですが記憶に残っています。

 その一つに「安全第一!」というものがあります・・・
それは、最初に配属された職場の主任から「ネクタイを外せ!」「ここで着用する作業服にはポケットが無い。実習生だから仕方ないが、手はポケットに入れるな!」の注意でした。
 周囲を見ると、職場の人たちの作業服にはポケットがありません。
 確かに、工作・加工現場には旋盤(製品を回転させて加工する工作機)など工作機が並び、作業者はその前で働いているのです。
ネクタイなどを付けていると、何時それが前に飛び出し、機械に巻き込まれるかわからないのです・・・

 この「ネクタイを外せ!」の一言は、退職するまで、いや今でも「安全第一!」の指針として脳味噌に焼き付いています。


ヒントは身近に!(その2)

2013-04-24 | 想い出(サラリーマン時代)

 先の「ヒントは身近に!(その1)」で紹介した、指定券印刷機の列車名、乗降車駅名の活字棒に付されたコード(活字棒に開けられた穴の有無)を検知し、電気信号として取出す機構を考えていた時のことです・・・
 ふと目の前の電話機(その頃はダイアル式で指で回すもの)が目に留まり、ダイアルの動作をどのような機構で電気信号に変えているのだろう!?と疑問になり、すぐ自席の電話機を分解してみたのです。
      ヒントがありました!
 その構造を参考に、コードの読み取り機構を設計し、製品化に繋げたのです。

 これも「ヒントは身近に!」の一つの例だったと想い出しています。
 困ったら周りを見渡すと、何らかのヒントが転がっている・・・と思っているのです!

 このようなことが身に付いたのか、自分でも野次馬根性は旺盛な方だと思っています。
     サイレンが鳴ると飛び出して見に行く・・・
 野次馬根性が旺盛なのは、血液型がB型だからと言う人もいますが!?

 まあ、野次馬根性が旺盛なのも楽しいものです!


ヒントは身近に!(その1)

2013-04-23 | 想い出(サラリーマン時代)

 座席予約システムの指定券印刷機の開発にあたって最も悩んだ一つが、指定券に駅名列車名をどんな方法で印刷するか?・・・でした。
駅名や列車名を、券面に漢字やひらかなで印刷することが必要だったのです。
 50年前は、現在のように文字をドットの構成で印刷する技術はまだ無かったのです。また、駅の窓口で、駅名や列車名の漢字を印字するよう小型の印刷装置も製品化されていなかったのです。

 その解決のため、関係者は数々のアイデアを出し合い、議論を重ねた結果、実用化に向かって絞り込んだ方法は、日頃自分たちが使っている[ゴム印]を使うことでした。

 まさに「ヒントは身近に!」あったのです。
 とにかく、何か解決策が無いかと脳味噌を絶えず活動させていると、案外そのヒントは身近にあるようです!

 基本的な方法が見つかれば、後は製品化に全力投入でした。

 列車名乗車駅名降車駅名発売駅名発売日が個々に取り換えられるような[ゴム印]にしながら、同時にそれらを纏めて券面に印刷するという、世にも珍しい印刷機の設計を進め、製品化にこぎつけたのです。
 また、列車名乗車駅名降車駅名については棒状にし、それぞれに固有の識別コードを持たすことにより、入力も同時に行うようにしました。これについても「ヒントは身近に!」的な発想で製品化をしました。

 この指定券印刷機については、Webサイト「IPSコンピュータ博物館」の「【日立、国鉄(JR)】MARS101および後継機」の記事に、その様子が次のように記述されています。
 「当時は発券業務を担当する窓口の係員がキーボード入力になじみがなかったことや,座席指定券や乗車券の印刷に使用できる漢字印刷機がなかったことから,窓口装置には工夫がこらされた.扁平な木片の先端に駅名や列車名の活字,側面に機械で読み取るためのコードをつけ,その木片を装置に差し込むことによって,データ入力と券面の印刷ができるようになっていた.」


大失敗の初仕事:記憶は失敗の基

2013-04-21 | 想い出(サラリーマン時代)

 入社して初めて与えられた仕事が、ソレノイド(電磁石を使った機構)でした。
 参考書を買い、計算し、図面を描き、試作品を製作現場に加工を依頼し、自分の設計した機構が出来上がったのですが、実験室で電流を流しても、機構はピックとも動かなかったのです!

 こんな筈はないと磁気専門の研究室に持ち込んだら、そこの先輩が手元の磁石を機構に触っても、全然くっ付かない・・・一言、「これは磁性体ではない!!」

 ほうほうのていで退散し、材料が違うのではと自席で図面を前に再チェックしていて気になったことが一つ浮かんだ・・・
 それは、図面とは関係なしに、自分が製作現場で材料を探したことを・・・
すぐ現場に駆けつけ、使った材料の残りを調べたら「やはり! 加工してもらった材料が違っていた!」

 材料は材料記号で指示することになっており、図面には正しい記号を書いていたが、現場で自分が作業者に渡した材料が違っていたのです。
 不幸にも、磁性体でない「ステンレス鋼」を渡したのです。
正しい「電磁軟鋼」と「ステンレス鋼」の記号がよく似ているにもかかわらず、図面と照合しないで、記憶で渡してしまったのです!

       
記憶とは、本当にあてにならない!
             何事も愚直に照合することの必要性を肝に銘じた出来事でした!

 
ますます記憶があてにならない齢になってきた今、改めてこの想い出の様な失敗を繰り返さないようにしたいと思う、今日この頃です!


アーカイブスでタイムスリップ

2013-04-18 | 想い出(サラリーマン時代)

 このカテゴリー「想い出」を書きはじめて、何か参考になる資料はないかと、キーワードを模索しながら検索していたら、ほぼ50年前(1964年)に執筆した論文集のアーカイブに出会いました。
 それは、「MARS-101 座席予約用端教局装置」という題目で、下記サイトにありました。
        http://digital.hitachihyoron.com/pdf/1964/06/1964_06_23.pdf
 左上の写真(サムネイル)は、同誌に掲載していた、自分が担当した指定券印刷機関係の紹介写真です。

 書いたことは記憶にあったのですが、50年ほど前に書いたものに再会できるとは思ってもいなかったです。
この「想い出」を書き始めていなければ、多分再会することはなかったのではないかと思います。

 ちょうどその年は、第18回夏季オリンピックが東京で開催された年であり、東海道新幹線が開業した年でもあります。
 これらをネタに、当時の想い出をさらに膨らまし、この「想い出」を綴っていきたいと思います。


夏季実習:「磁気ドラム」

2013-04-17 | 想い出(サラリーマン時代)

 大学4年生の夏休みに、1ヶ月間だと思うが、結果的に入社することになった会社の工場で実習しました。
実習現場となった職場は、先に書いたMARS-1のデータ記録装置としてに使用されていた磁気ドラムの設計部門で、実際は磁気ドラムの組立て・調整に携わったのです。
 対象の磁気ドラムは,径300mm,長さ300mmのアルミの円筒が3000rpm回転し、その表面にコーティングされた磁性体に磁気ヘッドで記録を行うものです。

 実習内容としては、次のようなことを行ったように記憶しています。
  ・回転体がスムースに回転するように回転バランスを測定する。
   (自動車のタイヤのバランスを測定するようなもの・・・)
  ・回転体の表面と磁気ヘッドの隙間(2~30μm位ではなかったかな?)を調整し、
   データの書込・読出波形を記録する。
 ここで作ったレポートは、手元にはないが、会社では研究報告に準じ保管されているはずです。 

 想い出として浮かぶのは、実習生ながら、慣れない工場現場で社員とともに夜遅くまで作業し、上手く行かなかった時にはがっかりした顔を、上手く行った時にはにっこりした顔を見合わすことを経験したことです。

 一方、宿舎では、10数人の実習生が大広間で生活し、レポート(日誌)を書いた後は、開発途上のカラーテレビの画面を一面ピンクにしたり(まだカラー放送がなかったのかな!?)しながら過ごしたことが、楽しい思い出です。
(その頃、現在のようにデジカメがあれば、楽しい写真が残せただろう!・・・と思うだけで、残念ながら写真は有りません・・・


想い出

2013-04-17 | 想い出(サラリーマン時代)

 後2つ正月を迎えると「八十路」を迎える年になりました・・・
 齢を重ねると、なぜか断片的であるが昔のことを想い出すことが多くなってきます!
 手元に、想い出の基になる資料はほとんどなく、時系列的に前後し内容的にも定かでないところがあるかもしれませんが、頭に浮かぶままにこのブログに書きとめたい思い書き始めました。
 
 手始めに、社会人になった頃の想い出ですが・・・
 写真は、自分がサラリーマンとなり、はじめて設計した指定券印刷機が使用されている「みどりの窓口」の様子です。(駅員の右手の先にある装置が指定券印刷機です。)

 自分が入社した年に、日本最初のオンラインシステムである国鉄の座席予約システム(MARS-1)が稼働し、 その後、新幹線が開業した1964年に本格的システムであるMARS-101が完成し、主要駅に「みどりの窓口」が開設されたのです。

 担当した指定券印刷機は、自分のアイデアが形になり動く楽しみ、開発の苦しみが一杯詰まった装置なのです。
 これらに関しての逸話を前後左右することが多々あると思いますが書いていこうと思っています。

 参考:MARSとは
     
元々は"Magnetic electronic Automatic seat Reservation System"(磁気的電気的自動座席予約装置)の略でしたが、現在は"Multi Access seat Reservation System"(旅客販売総合システム)の略とされています。