世相の潮目  潮 観人

世相はうつろい易く、その底流は見極めにくい。世相の潮目を見つけて、その底流を発見したい。

偏向報道の大手メディアは民主主義を否定し、視聴者から見放される

2017年08月25日 | Weblog
加計学園の獣医学部新設の認可を巡り、安倍首相の関与があったか否かの報道で、大手メディアの報道ぶりは偏向している、事実を公平に取り上げていないとの批判がネット上で盛んに飛び交っています。

そのネット・メディア批判に対して、大手メディア側もネットで反撃に出ています。最近、ネット上に投稿された反撃の写真には驚きました。田原総一朗、岸井成格、鳥越俊太郎たちの諸氏が掲げている横断幕に、次の文字が書かれていたのです。

「報道しない自由を守る」「ニュースの重要度は俺たちが決める」「視聴者は怖くない」「怖いのはスポンサー」

この言葉をラジオで聞いたなら、まさか本気ではない、ブラック・ジョークだと思うところでしたすが、ネット上、写真で見せられると目を疑い、大手メディアのリーダー格のジャーナリストたちは、本気でこんなことを考えているのかと吃驚りした次第です。

何事も自由に報道する権利を主張するメディアが「報道しない自由を守る」と主張するのは分かりにくいことです。これを加計問題に当てはめますと、前文科省次官の前川氏の発言ばかり報道する大手メディアは偏っている、元愛媛県知事の加戸氏の発言も報道しろとのネット上の批判に対して「報道しない自由」もあるのだと主張したと解釈するしかありません。

メディアの人間には自分たちは大衆より視野が広く知的だとの思い上がりがありますが、こんな倒錯した理屈を言うのは、その思い上がりの所為で、世間では通用しないでしょう。

これは余りに酷い思い上がりなので、そこで落ち着いて、この写真は偽造写真かも知れないと考え直してみました。大手メディアの偏向報道を批判する人達が、大手メディアに対して、「実は、あなた方はこんなことを主張しているのですよ、わかってますか?」と注意を喚起した合成写真ではないかと疑いました。

そう思うと、この加工写真の横断幕に書かれた言葉は、大手メディアの言動を描いて的を射ています。それだけ痛烈なな批判になっています。

それにしても、加計問題の本質は、国民生活に影響する獣医が不足しているのか否かの問題であり、認可手続きの可否はその本質に悪影響があるときだけ論ずれば済むことです。

その位のことは視野が広く知的な大手メディアの人々は百も承知の筈です。それにも拘わらず、枝葉末節の認可手続き論で政府攻撃をして、政権支持率を引き下げるのに大手メディアは成功しました。ということは、視野が狭くて知的でない大衆が、大手メディアの作戦にまんまと引っ掛かったということでしょう。

古代ローマ史の研究家として有名な塩野七生氏は、マキアヴェッリの言葉を援用して、大衆は台所感覚だから、大局の判断を迫られる場合に誤りを犯し易いが、個々のことになると意外と正確な判断を下すと書いています。従って、民衆に大局的な判断を求める場合、総論を展開するのではなく、個々の身近な事柄に分解して説けばよいのだとも書いています。(「再び男たちへ」塩野七生)

しかし、加計問題について言えば、獣医師の不足問題は理解するのに難しい大局問題とは言えません。鳥インフルエンザや口蹄疫が蔓延すれば、国民生活に重大な影響を与えることは大衆もすぐ分かります。地方には獣医師が不足している事実は明白です。その点を具体的に指摘すれば、台所感覚の大衆も大手メディアに騙されなかった筈です。

しかし、大手メディアは、「報道しない自由」で、その本質論の部分を報道しなかったのです。警世家の山本夏彦氏は、報道されない事はこの世に存在しないことになる、と皮肉を込めてメディアを批判していました。「報道しない自由」をメディアを実行すれば、大衆は目隠しされたことになります。民主主義は報道された事実をもとにして国民が判断して成り立ちます。「報道しない自由」は民主主義の否定です。

大手メディアは、民主主義の否定し、自分たち自身の評価を落とし、視聴者から見放されて、広告収入も減らしますから、自業自得で構いませんが、民主主義を否定した代償は大きなものがあります。
(以上)
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北鮮の挑発で日本人の低い防衛意識は変わるか

2017年08月17日 | 政治

防衛省内に設置されている弾道ミサイルを大気圏内で迎撃するパック3地対空誘導弾発射装置

太平洋戦争の敗戦から72年、毎年のように深い反省と戦禍の再来のないことを祈る8月です。そのたびに不思議に思うのは、反戦を唱える人々が、戦争を防止し平和を確立する政策について論じることに冷淡であり、そのため彼等は戦争が起きる国際情勢に大変無知であり、その結果戦争を未然に防ぐことに無力だからです。

国家間の過酷な対立の現実を直視することを避けて、更にはその現実に対処することを論じることも嫌い、ひたすら相手との対話が大事だとだけ言うだけの平和論者を多く見かけますが、彼等こそが結局、国際紛争を戦争に追いやる人達なのです。

現実を知ること及びその対策を論じることは、反戦感情を弱めると彼等は恐れているでしょうか。悪意にとれば彼等の反戦運動は隠れた利敵行為かも知れません。嘗て米国の原爆は汚い死の灰を降らすが、ソ連と中国の原爆はキレイで安全だと言っていた政党がありました。

北鮮の核ミサイルがグアム島に届くと言って米国人が騒ぐのなら分かります。しかし日本人が大騒ぎして、そのミサイルが宇宙空間を飛ぶのに、日本上空だから危険だ、何とかしろと政府にに迫りましたが、北鮮は既に日本攻撃用のテポドンを実戦配備しているのに、それに対しては日本人の多くは少しも騒がないのです。(今回政府は地域住民の不安を緩和するために防衛能力に疑問のある対空迎撃ミサイルのパック3を配備することにしました。 写真はパック3)

戦後の日本人が、これほど防衛意識が希薄になっているのは、平和憲法の所為かもしれません。敗戦で米軍の占領下に置かれ、講和条約締結後も米軍に一方的に防衛を依存し続けて、平和憲法があるから平和なのだと考える日本人が多いのです。だから相互に防衛し合う集団的自衛権を認めるのに躊躇してきたのです。日本人の防衛意識の低さの原因は平和憲法への依存心にあります。

集団的自衛権で戦争に巻き込まれるのは日米双方とも同じリスクを負うことです。日本がリスクを嫌えば米国も嫌います。アメリカ・ファーストのトランプ政権が、日本発の国際紛争で米国がリスクを負うのを嫌えば、米国が軍事支援を躊躇するこよもあると覚悟した方がよいのです。

その場合に備えて、日本も自分の防衛はできるだけ自分で行うよう努力すべきです。折しも近日中に日米安全保障協議委員会(防衛外交2+2)が米国で行われます。日本側は河野外務大臣と小野寺防衛大臣の新陣容で臨みます。

核弾道ミサイル開発を巡り米朝の舌戦が激化している中、日本が自前で北鮮の核攻撃への対抗力を強めるべきだとの議論もでるでしょう。

既に自民党安全保障調査会では敵基地攻撃能力の保有を政府に提言済みです。それを取りまとめたのは就任前の小野寺新防衛大臣でした。その内容は、防衛省は敵国の弾道ミサイル発射基地などを攻撃する兵力を保有する必要があるとして、艦載巡航ミサイル・トマホークの配備と、戦闘機の空対地ミサイル装備を挙げています。

敵基地攻撃というと、平和憲法護持の反戦論者からは専守防衛の憲法に違反するとの声が揚がりますが、戦後の早い時期(1956年)、鳩山一郎総理は日本への攻撃を防ぐのに他に手段がない場合、座して死を待つよりも、敵のミサイル基地をたたくことは自衛権の一部だと国会答弁しています。今更問題にもなりません。

皮肉な見方をすれば、北鮮の金正恩の行動は、日本人の防衛意識を高める契機になるかもすれません。不幸中の幸いです。
(以上)
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