いま「つぶやき」(Twitter)と言うインタネット上の通信手段が世界中に広まっています。既にブログ(Blog)という個人の意見の発信手段はありますし、仲間内で意見を交換するソシアル・ネット・ワーキング(mixi など)も盛んです。その上に、もう一つの通信手段が生まれつつあるのです。
Twitter は2006年にアメリカで生まれ、2009年には全世界で1億人以上、日本でも300万人を越える人々が利用しており、今も急速に参加者は増え続けているそうです。
Blog では意見を纏めるのに手間がかかるし、mixi では仲間内だけであるし、そこで手軽に気楽に誰とでも会話ができる Twitter が登場したのですが、その驚異的増殖ぶりの原因は、それだけでしょうか?
インターネット上で Twitter は Blog や mixi より障害が少ないと言うだけではこの驚異的増殖ぶりへの説明としては不十分です。
Twitter とは「いま私は何をしている、何を考えている」と独り言をいう発信装置です。世界中の誰かが聞いていることを期待しますが、知らない他人が聞いてくれるだけで満足し、返事があればよし、無くても気に掛けるわけではありません。
昔(今も)井戸端会議というのがありました。話題は自分のこと、他人のこと、何でもよいのです。参加者に興味がある話題なら会議は賑やかになります。話題に関しては Twitter は井戸端会議に似ていますが、発言が無視されても平気という点では井戸端会議とも大いに違います。
どうして Twitter がこれ程流行るのかの原因は、寂しがりやの人々が大変多いからだと思うのです。現代の人々は一人で黙っていることが出来ないのです。誰かに何かを話しかけないと不安になるのです。その不安を解消するのが Twitter なのでしょう。
思い出したのは、学生時代に聞いた大学教授の留学体験の話です。その教授が初めて外国人の社会で生活して気付いたのは、外国人が二人以上集まると絶えず何かを話し合っている光景でした。
日本人の場合だと時々会話が途切れるのですが、それで暫しの沈黙があっても日本人(当時の)余り気にしません。しかし彼ら外国人の間では決して会話が途切れないのを不思議に思ったそうです。
どうしてそんなに次から次へと話題があるのかと耳を澄まして聞いてみると、彼らでも話題が途切れるのですが、すかさず何も関連のないのに目の前に見える現象を話題にして話し始めるそうです。そしてその教授の結論は、外国人は寂しがり屋なのだということでした。
Twitter が現代人の淋しさを癒すなら、それも結構なことと思います。
(以上)