世相の潮目  潮 観人

世相はうつろい易く、その底流は見極めにくい。世相の潮目を見つけて、その底流を発見したい。

Twitter は寂しがり屋のもの

2010年02月25日 | Weblog

いま「つぶやき」(Twitter)と言うインタネット上の通信手段が世界中に広まっています。既にブログ(Blog)という個人の意見の発信手段はありますし、仲間内で意見を交換するソシアル・ネット・ワーキング(mixi など)も盛んです。その上に、もう一つの通信手段が生まれつつあるのです。

Twitter は2006年にアメリカで生まれ、2009年には全世界で1億人以上、日本でも300万人を越える人々が利用しており、今も急速に参加者は増え続けているそうです。

Blog では意見を纏めるのに手間がかかるし、mixi では仲間内だけであるし、そこで手軽に気楽に誰とでも会話ができる Twitter が登場したのですが、その驚異的増殖ぶりの原因は、それだけでしょうか?

インターネット上で Twitter は Blog や mixi より障害が少ないと言うだけではこの驚異的増殖ぶりへの説明としては不十分です。

Twitter とは「いま私は何をしている、何を考えている」と独り言をいう発信装置です。世界中の誰かが聞いていることを期待しますが、知らない他人が聞いてくれるだけで満足し、返事があればよし、無くても気に掛けるわけではありません。

昔(今も)井戸端会議というのがありました。話題は自分のこと、他人のこと、何でもよいのです。参加者に興味がある話題なら会議は賑やかになります。話題に関しては Twitter は井戸端会議に似ていますが、発言が無視されても平気という点では井戸端会議とも大いに違います。

どうして Twitter がこれ程流行るのかの原因は、寂しがりやの人々が大変多いからだと思うのです。現代の人々は一人で黙っていることが出来ないのです。誰かに何かを話しかけないと不安になるのです。その不安を解消するのが Twitter なのでしょう。

思い出したのは、学生時代に聞いた大学教授の留学体験の話です。その教授が初めて外国人の社会で生活して気付いたのは、外国人が二人以上集まると絶えず何かを話し合っている光景でした。

日本人の場合だと時々会話が途切れるのですが、それで暫しの沈黙があっても日本人(当時の)余り気にしません。しかし彼ら外国人の間では決して会話が途切れないのを不思議に思ったそうです。

どうしてそんなに次から次へと話題があるのかと耳を澄まして聞いてみると、彼らでも話題が途切れるのですが、すかさず何も関連のないのに目の前に見える現象を話題にして話し始めるそうです。そしてその教授の結論は、外国人は寂しがり屋なのだということでした。

Twitter が現代人の淋しさを癒すなら、それも結構なことと思います。
(以上)

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環境問題は本当に環境問題か

2010年02月12日 | Weblog

ローマクラブが「成長の限界」を発表して、人類は何時まで地球の資源を使えるのかと問いかけたのは40年位前でした。それは経済の成長が食料、天然資源の限界に突き当たる、という懸念の表明でした。

今日問題となっている地球温暖化現象はその延長線上にありますが、事態はより深刻です。物資が不足して成長できないとの懸念ではなくて、地球の循環システムが崩壊して人類は棲息出来なくなるかも知れないという懸念になったからです。

環境破壊は炭酸ガス(CO2)が過剰に排出されて地球温暖化が進行したため生じているとの意見が支配的です。だから炭酸ガスの排出を抑制せよ、そのためには産業活動を制限せよ、と言う議論になります。

誰がどれだけ炭酸ガスの排出を抑制するか、現在国際間の協議が行われていますが、容易に合意できそうにありません。先進工業国の間でも合意ができていませんが、より困難なのは先進国と途上国との間で、これまでに過剰な炭酸ガスを排出したことへの責任分担で意見が割れているからです。

途上国は現在までの炭酸ガスの累積の責任は主として先進国の産業活動によるものだとして、先進国で解決するよう主張します。18世紀に始まる産業革命で炭酸ガスを大量に排出したのは先進国だったから、その責任は先進国がとれという主張です。

しかし、責任発生のタイムスパンをこのように長くとって先進国を批判するのは現実的ではないでしょう。議論の幅を更に広げれば、過去の4大文明は炭酸ガスの吸収装置である森林を消滅させた過去の責任にまで及びます。その4大文明の地域は現在の途上国です。

現在起きている問題の解決に過去の原因を取り込むよりも、現在の問題は現在の原因で解決すべきです。炭酸ガスを増加させる者と減少させる者との間で排出権なるものを売買させる排出権取引市場を設けるという発想は、現在は現在で解決しようとするものです。

しかし、排出権取引市場の構想は炭酸ガスの総量を現状より増加させないというだけで、現在の地球温暖化をこれ以上悪化させないという政策です。南極の氷が融ける、アルプスの雪が消える、大洋の島が沈没するという事態を本当に深刻に受け止めるなら、排出権取引市場構想などは遊び事に見えます。

他方では、地球の平均気温はここ数年下降傾向にあるそうです。人間の活動が地球環境に影響を与えていることは間違いありませんが、地球と天体の動向が地球上の気象に及ぼす影響は、人間の活動の影響など無視して良い位大きいと考えた方が正しいでしょう。

もし地球低温下の情報が地球温暖化対策に水をさすから取り上げないというのであれば、それは本末転倒の議論であり、果たして環境問題は環境問題なのか、或いは別の意図が隠されているのか疑問を呼びます。

炭酸ガスに力点を置く現在の環境対策は、追い上げてくる途上国の発展を抑制しようとする先進国の戦略であるとか、或いは排出権取引市場構想は森林伐採で荒廃させた国土を先進国の負担で恢復しようとの途上国の「濡れ手で粟」作戦であるとか、疑問が湧いてくるのです。

環境問題は一刻も猶予ならぬなどと急かされると、疑問は益々つのります。現在の環境問題は本当に環境問題なのか、もう少し慎重に考えてみる必要があります。
(以上)
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人口問題と水天宮

2010年02月01日 | Weblog
人口減少は不景気を招く最大の原因であり、長期的な国の発展を図るには人口減少を食い止めなければならぬと云います。最近、政府は出生率を引き上げるため各家庭に子供手当を支給すると云っています。フランスはそのようにして人口の減少が増加に転じたと云います。

人口が減少する先進国では出生率を上げる政策を取り、中国のように人口過剰な国では出生抑制の政策を取っていますが、果たして人工的に人口の増減をコントロールできるのかが疑がわしく思います。

人口の増加は1万年ほど前に人類が農業を始めた昔に遡ります。それまでは人間は狩猟採集の生活でした。自然に存在する食料を狩猟採集するだけだと、当然採集できる食料に限度がありますから、人口の増加も食べられる食料の分量で抑えられます。農業や牧畜を始めた人類は、その自然の制約を取り除いたのです。

このことを「地球文明の寿命」という対談集で宇宙・地球物理学者の松井孝典教授は次のように説明しています。

「(人類は)森や草原に生えている木の実や果物、穀物をとり、自然の中に存在する動物や魚を捕まえて食べる、いわゆる狩猟・採集生活で生きてきたのです。この時代の人間は、生物圏の物質・エネルギー循環の中で生み出されるものを受動的に享受する、生物の一種にすぎない存在だったと言えるでしょう。
 しかし、農耕・牧畜という生き方を選択したとき、様相が変わります。人間は地球システムの水の流れを「加工」し、灌漑設備を整え田や畑をつくり出し、生物圏の物質・エネルギー循環、それをわれわれは自然の摂理と呼びますが、それに則って得られる量以上の収穫を得るようになったのです。また、牧畜も同じで、生物圏にいるよりも安定した環境を人間が動物に提供し、動物(家畜)収穫の生産性を上げたのです。」

松井孝典教授は人類は「生物圏」から飛び出して「人類圏」なるものを創り出してしまったと云います。この人類圏は人類にとって第二の自然です。その結果、この地球上で単一の種で60億という厖大な個を抱える種となりました。生物としては異常な肥大現象なのです。

小手先の人工操作でこの勢いを統御することなど思いもよりません。人々はせめて生まれくる子供が五体満足で、母体が安泰であることを祈るのみです。戌(いぬ)の日には日本橋の水天宮に安産祈願のため多くの参拝者が集まり祈りを捧げています。
(以上)
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