世相の潮目  潮 観人

世相はうつろい易く、その底流は見極めにくい。世相の潮目を見つけて、その底流を発見したい。

和魂洋才の才能が試される秋(とき)

2011年11月22日 | 現代
明治の人々は和魂洋才で日本の近代化を成し遂げたと言います。しかし、それ以前の千年以上もの間、日本人は中国文明、即ち漢の時代に成立した文明から学んで日本の文明を築いてきたのです。即ち、長い間、日本は和魂漢才で国造りをしてきたのです。

文明の伝播には平和的に摂取する場合と、征服などで強制的に甘受させられる場合があります。幸いに日本は征服されたことはなかったので、和魂漢才の時代は、平和的に、更に積極的に取り入れてきました。遣隋使、遣唐使がその証拠です。

それに比べて、明治の和魂洋才の時代は和魂漢才の時代よりも押しつけられた傾向が強いものでした。なにしろ英国、米国、ロシア、フランスの軍艦で脅かされて開国したのですから。しかし、一旦西欧文明を取り入れようと決意した後は、日本人は極めて積極的に受け入れに努めました。政府要人の大半が参加して2年弱にわたり欧米を視察した岩倉使節団はその証拠です。

他の文明を学んで己がものにすることは、容易に見えてなかなか難しいものです。それにも拘わらず、明治の近代化、即ち和魂洋才の活動は、欧米の単なる物真似行為だと批判する意見があります。

しかし、国として他国を総合的に物真似することは、当時は世界史的に初めての経験であり、また日本が物真似のプロセスで創意工夫をこらしたのも創造的な行為でした。

しかし、如何にせん、和魂漢才は1000年余でしたが、和魂洋才は100年余でしかありません。後者はその習熟期間がかなり短いのです。習熟期間の長かった漢才は身について本物になっていますが、洋才は未だ借り物の状態です。着物は日本人の誰が着ても様になりますが、洋服は未だに西洋人のように似合うとは言えません。着物も文明も似たところがあるのです。

西欧列強のアジアへの進出に際して、清朝末期の中国のように柔軟性に欠けた頑な自己過信の行動は西欧列強の侮りを招きましたし、他方、イスラムから西欧的世俗化へ一挙に転換を図ったトルコは未だに国内に亀裂を抱えています。

外来文明を受け入れる体質は和魂漢才の時代から日本の伝統でしたから、日本は西欧文明を割とスムーズに受け入れてきた方です。しかし、今もて囃されるているグローバリゼーションとは、西欧化を更に加速せよと言うものです。和魂洋才の仕事が未だ十分に終えていない内に、更にもう一段の西欧化です。

近頃、WTO、TPP、EPA、FTAなど訳の分からない横文字が氾濫していますが、これらは今まで日本人が進めてきた和魂洋才のスピードでは間尺に合わないぞ、もっと速く進めと言っているのと同じです。ここで日本は息切れしてしまうか、もう一踏ん張りして和魂洋才の才能を発揮して乗り切るか、問われているのです。

蜀の諸葛孔明の有名な「出師の表」ではないですが、今がまさに危急存亡の秋(とき)なのです。
(以上)
 

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松下政経塾は試される

2011年11月08日 | 政治
野田政権の誕生した後、その卒業生が総理大臣になったと言うので松下政経塾が話題になっています。松下政経塾は、パナソニックの創業者松下幸之助氏が、1979年に次世代の国家指導者を育成すべく設立した政治家の教育機関です。

実業家として成功を収めた経営者松下氏の目からみたら、政治の経営者である政治家の資質に不安を感じて、若き有意の政治家を育てようとしたのです。30年余の努力の甲斐あって、松下政経塾は多くの政治家を中央と地方の政界に送り出しました。そして遂に、その一人が総理大臣の地位を得たというわけです。

松下幸之助氏は、その著書「松下幸之助の哲学」で政治家の職務や責任について次のように語っています。
「政治の要諦はすべての人がいきいきと仕事に励み、生活を楽しむようにするのが、政治の目的であります。政治家というのは、国民相互の働きの調和を図り、その発展を図るためのいわば世話人であります。」と。

実業家としての松下氏は嘗て言っていました。会社は金儲けのためにあるのではなく、社会が必要とする物を供給して人々を幸せにするのが本務だと。政治家は物やサービスを生産しませんが、国民の諸活動を円滑に発展させるのが本務であり、その結果、国民を幸せにするのが目的だと言うのは、同じ論法です。即ち、国家運営も企業運営も同じ原理で動き、同じ徳目を達成するものだと主張しているのです。

おそらく政治家も自ら果たすべき徳目については理解している筈です。問題は、多くの政治家にとっては如何に政策を実現するかが分からないのでしょう。政治家の養成が成功するか否かは、その点にあります。松下政経塾では自主的にテーマを選んで討論などで学習するのだそうですが、肝腎の実行力が身につくか疑わしいのです。

実業家は、事業を遂行するときに彼の判断力、決断力、実行力を試されます。その結果は収益として客観的に評価されます。実業家は、机の上の学習や部屋での討論では得られない実体験を経て成長します。実業家はその課程で政治家に最も欠けていると言われる指導力(リーダーシップ)も鍛えられるのです。

政治家は広い視野からの総合判断力が必要です。政治家は未知の状況で決断する胆力を求められます。決断を実行に移すときには説得力が不可欠です。これらの力は、全て業務上の実戦で会得するものです。学習塾などでは学べないことです。政治家志望の若者が政治知識だけを学んで、実社会での経験が乏しいままでは、政治の世界でリーダーシップを発揮することは難しいでしょう。

これまでの民主党政権の二人の首相によって、このことを国民は嫌という程見せつけられました。野田総理がその例外になることを祈っています。
(以上)

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