ホテルオータニと赤坂プリンスに挟まれた低地に清水谷公園があります。嘗て、メーデーの集結場所でしたが、今は殆ど訪れる人もない静かな公園です。そこに大久保利通の哀悼碑が建っています。この地で暗殺された大久保利通を悼んで建てられたものです。
大久保利通は、西郷隆盛、木戸孝允と並んで明治維新の中心人物の一人であり、倒幕の後、明治政府の創設と運営に最も功績のあった人です。大久保利通は、内務省を設置し、教育制度、課税制度、軍事制度など近代国家の基礎を築きました。
これらの制度を立ち上げて運営したのは官僚組織でしたが、これも同じく大久保利通が作り上げたものです。人材は各藩から広く優秀な藩士を集めてこれに当たらせました。優れた人材であれば徳川幕府の者でも採用しました。
明治時代は政治家も官僚達も近代国家を作る意欲に溢れていました。明治政府にも汚職事件はありましたが、大久保利通、伊藤博文などが率いる日本政府のモラルは極めて高いものでした。これは明治時代が江戸時代の武士社会の風土を引き継いでいたからでしょう。
そのモラルの風土は政治家や官僚だけでなく渋沢栄一など財界人にも共通していました。アジアで日本だけに健全な資本主義が育ったのも、このモラルの高さにあったと思います。
しかし、大正の政党政治時代になると、このモラルは崩れていきます。いくつかの疑獄事件が政権を揺さぶり、それを巡った政争が繰り広げられました。政界と財界の間、更には外国政府との間で政治汚職は広がっていきます。昭和になると汚職の規模は益々大きくなります。
戦後、鳩山一郎から政権を委譲された吉田茂は、戦前の政党人が汚職にまみれていたのを知っていました。また、対米外交に腐心する吉田茂は、外交政策を重視しました。しかし、党人政治家たちは長期的な視野での政策よりも当面の選挙対策にばかり夢中になっていました。吉田茂は政党政治家に不信感をもつようになります。
その結果、吉田茂は官僚を政治家に養成し、政治家に登用する外に方法はないと考えたと云われます。戦後の高度成長期を指導した岸信介、池田勇人、佐藤榮作などは皆官僚政治家です。
いま、大久保利通が創設した官僚組織が諸悪の根源のように批判されています。戦後をリードしてきた官僚政治を打破しなければならないと与野党共に唱えています。確かに、国民的目標が明確なときには官僚政治は成功しましたが、目標が多元化した今は、官僚政治は有効でないことは事実です。
しかし、国民的目標を定めるのは官僚の仕事ではなく、政治家の仕事です。多元化した目標を纏め、優先順位を付け、国民に信を問い、官僚組織を駆使してその目標を実現するのが政治家の役目です。その政治家が官僚組織を壊すとだけ叫んで、それが目標であると主張しているようでは、政治家の資質が問われます。
いま選挙戦の最中です。痛みを伴う政治を唱えた小泉改革は否定されて、与野党共に国民の歓心を買う甘い政策を並べ立てています。経済、外交、防衛などの長期的視野からの政策討論が聞こえないのは寂しい限りです。
国民の多くは、目先の損得ではなく、国の長期的な利害に関心がある筈です。明治の政治家たちは己を無にして、長期的観点から、国の運命を賭けた政治を行いました。今の政治家達は、その事に早く気付いて欲しいと願っています。
(以上)