暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

夜の椿

2017年04月02日 21時51分22秒 | 日常

 

自分の背丈より低いのだから150cmほどか。 コンパクトな椿の木がこんな小ささにもかかわらずどうしてこんなにと何百とつけた蕾を一挙に開かせて来ている。 10年以上前に家人が友人のうちの古い椿の木から株分けしてもらったチョロッと一本細いものを植えたのがやっとこうなった。 これが見上げるようになりそのうち自分が子どもの頃村の丘の上でよくよじ登って遊んでいたほどになるには少なく見積もってあと50年はかかるだろう。 けれど隣家とのスペースやこの地区のことを想うととてもこの木がここで生き残れるとは思われない。 それなら初めから塀のそばに植えずに庭の中ほどに植えて置けばよかったのだが何事にも行き当たりばったりなのだ。 今年は開花が遅いと言いながらも第一号をここに載せたのは3月20日でそれからもう2週間ほど経ってこうなっている。 

日差しの暖かい午後にテンコ盛りに咲いた椿を見ると今あたりに一杯咲いている桜や木蓮などに対抗するようで、このサイズでは少々肩身の狭い思いがするのは否めない。 だから写真を撮るには椿はやはり夜のものだと勝手に決めて暗い中に仄かに佇むまるでヤケクソのクリスマスツリーかとも見える葎にカメラを向ける。 綺麗なものを撮るのには潤沢な光が要るし、またその光を矯めて撮り、光さえあればなんとかなる。 殆どない光の中で微妙な色を出すにはそれなりのカメラ・機材と技術が要るのも充分承知している。 それに加えて辛抱が要る。 今の自分にはどれもない。 

闇の中に微けく大量に固まって集う椿の赤は薔薇の赤とは違いその違いを眼が判別するように簡易カメラでは撮ることはできないだろうがこの好ましい椿の集団をただ目の中に留め置いて小箱に収めてデジタル化された像をモニターで眺めて嘆息する。 ここでは闇の中に密かに潜んでいた赤が急に主張していて、どこから来たのか光に反射する葉の表面まで喧しく、ありもしなかった光が散らばった中途半端で全くここにしかない別の椿の写真となっている。 これを眺め、森山大道ならこれをもっと強調、モノクロにして見せていたのにと思いながらも今の自分にはそれほどの強さもなく、元々はその微けさに惹かれたのに、やれやれと呟きながらこれを今日の写真としてここに載せることになる。


道路工事

2017年04月02日 13時57分18秒 | 日常

 

 

 以下に記すことは日本の読者には特に何の関係もなく、何か得になるような特別な情報も含まれてはいない。 だからよっぽど何もすることが無い人は別として何かしなければならないことを心にお持ちの方はそれに先ず専念されることをお勧めする。 この文を書いた動機は偶々近所の工事現場を通り過ぎた時にそこで暇をもてあましたオヤジたちと無駄話をしたことに拠っている。 どうでもいいような話である。 どこの町にもあるような些細なことなのだがどうでもいいかよくないかはその工事の利害がそこに住む人にどのようにかかるかに依っている。 

デルフトからスキポールまで伸びた運河が我が家の前の小さな緑地を越えた向うを走っている。 かつては水上運輸の重要ルートだったものがその量も減って今ではレジャーボートの航路として夏には活気をみせるのだが今はまだ偶に通る長い運搬船が行き来するぐらいで運河にかかる跳ね橋の上げ下げはまだそれほど頻繁ではない。 その運河にそって上下二車線の自動車道が走っているのだがこの半年以上閉鎖されている。 それは将来単線から複線になり運行便数が増えると予想されるライデン・ユトレヒト間の鉄道路線にかかる踏切を無くしその部分の道路をトンネルにする工事が始まっているからで、我々に知らされている予定ではあと1年ほどは家の前の道路がまだ閉鎖され続けることになっている。

一年ちょっととはいえ家の辺りが静かなのは歓迎すべきことである。 ライデン市の幹線道路でありもう100年以上前の都市計画にもここは市の環状線になるはずの重要な部分であることが示されているのだが実際は上下二車線の小さな地方道で家から300mほどのところで環状になるはずが行き止まりになっていて環状の右上20-30%が途切れたままになっておりここで左右の道路に枝分かれし左方は市の中央に右方は運河にかかる跳ね橋を越してユトレヒト方向にとどちらにも朝夕のラッシュアワーに交通渋滞をもたらす原因となっている。 

26年前ライデンで家を探している時偶々今の家を買ってその時市街地図と将来の都市計画のことを考えたら長く完成していない環状道路が一つの輪にならないはずがない、そうなると家の前の道路が少なくとも片側2車線のものに整備され交通量が全く今とは別になる、と考え、それが完成するまで15年と予想した。 だから15年ほど経つと子供たちも中学生になるころでそこでどこかまた静かで環境のいいところに越せばいい、と大まかな算段をしていたのだがその間に何回も道路計画が出ては立ち消えになり現在に至るも無計画でそのままだ。 どこかのゼネコンと建築家たちが町の評議員をけしかけて計画を立ち上げるたびに公聴会が開かれ地区の人々が反対を訴えたけれど計画がその都度お流れになった理由は単純で、それは国にも州にも市にも結局金がない、ということだった。 

15年で引っ越しをと考えた理由はいくつかある。 道路幅が広げられ交通量が圧倒的に増えれば騒音、排気ガス、粉塵などの環境汚染が起こる上に、今の道路を倍以上に広げると運河側には拡張できないのだから並木を伐り払い緑地に5m以上食い込んで来れば道路が我々が住む通りに肉薄してくる。 だから公害がより深刻になるということとそうなると土地の価格が下落する。 住民の反対理由の一つがこれである。 土地建物を買い、そこに住みローンを払いそれが済む頃に老人施設にはいることを考えその権利金に家を売ってそれに充て残りと年金で余生を過ごす。 その時に時価が下がれば計画に差し障る。 それは住宅の需要と供給の事情にも依るだろうけれど道路が出来れば下がることは確かなので計画が起これば反対し決まりそうになれば売り抜けるというのが住民の腹つもりでもあるだろう。 だから市の評価額やネットの不動産情報に出る同じ通りの売値に注意しその時のことの心づもりはして置くし近所の立ち話でもそういうことが話題になることがあったのだが今は当分それがない。 

その一つの兆候がこのトンネル工事だ。 見る限りでは片側2車線にはなっていない。 つまり4車線の環状線としての機能を想定していないということだ。 ここから類推するとこれから30年はこのままということなのだろうか。 もっともこの運河に沿った2kmほどは4車線を作る余裕など元々ない。 緑地がある我々の前が例外的に広くパワーショベルが動き回る向う300mほどのところに家族が住む風車があり風車が廻っている時に車道を走っていると風向きによっては車の真上を風車の羽根が切り裂きそうに襲ってくるような近さなのだしそのことを例としてもこれらの文化財、住宅をなぎ倒し「整備」するなどということは金の問題で頓挫するのは当然としても仮令金があってもそこまで持って行く住民の同意はとても得られそうにはない。 ここでも民主主義ということばが利害と絡まりながら機能することになる。 市の議員、ゼネコン、開発会社の「ロビー」活動で動くような第三世界的結果にはならない分、人は朝夕のラッシュアワーをぶつぶつ言いながら甘受することになる。 トンネルだから車道、自転車道、歩道のスペースが同時に必要であって自転車道を2車線取るだけでも3mほどは必要になるのだから相対的にみると車の通る部分の幅は狭いものだと思う。