暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

初雪や、、、、遅かった、、、、

2010年11月29日 21時19分16秒 | 日常


遅くまで遊んでいたのと前々夜から少々寝不足だったことで今日は何も予定が無かったから目覚ましをかけずに好きなだけ寝ていた。 といっても、前夜の溜まったビールや何がしの液体も排出せずにはいられないからもうかつての膀胱力?のない老い故か8時間ほどで自動目覚ましが下腹から登ってきて寝床から這い出し、寒い寒いといいながらまた何かいい夢がみられないものかと温かみのなかにもぐりこんで目を覚ましたら午後の4時前だった。 することがあったのでモニターまえでキーボードをかちゃかちゃやっていたらもう暗くなっていた。

さて、晩飯は、、、とキッチンに降りて家人におはよう、と声をかけようとしたらそこには晩飯をせがむ猫だけで人の姿は何処にも見えない。 するとそのうち裏庭の自分のアトリエから出てきて雪が降ってたよ、外の空気を吸ってくればいい、と庭を指差すとそこは初雪が降ったあとだった。 それを知っていれば明るいうちだったら散歩に出てもいいと思っていたのだが久しぶりの居眠りを貪っていたからこうなのだ。 ただ芝生の間に飛び石状に置いてある石の上の白い雪を眺めただけだった。

まあ、いいか、まだいくらでもこういう機会はこれからあるんだから、と食事を済ませて8時のニュースを見ていたら色々この雪で不都合がでた地域のことがアメリカの外交機密文書が今度で3回目か Wikileak に流れた反響のことが報じられていた。 モニターの前にいてネットラジオでBBCワールドサービスでもヒラリー・クリントン長官が言っていた、政治的には正しいけれど切れ味の悪い言い訳もテレビニュースの画面では都合のいいところだけ編集されてでている。 世界のどこのニュースでもあちこちのニュースを聞いているとそれぞれの思惑と利害がからんでいることを知られて興味深い。 一般の我々にはこういうことが無い限りそれぞれ政府間で飛び交う、ここではアメリカに集まるものばかりだったけれど、そういうものに接する機会も無く、ああ、なるほど、いままで感じていたこともあながち間違いではなかったんだ、ということを確認することだけでも意義があると思う。 

それについて台所で洗い物をしているときに同じくBBCワールドサービスの世界中から電話、メール、スカイプ、Twitter などを通じて英語でライブ討論する番組を聴いていて、もちろんこういう情報漏えいの波及効果は非西洋の危険地域にはこれが持たらす更なる被害者がでるという悪影響は否めなく、特に西洋、アラブ世界という二項対立的になりがちな時局ではこういうリーク(漏洩)でも結局西洋に利があるだけ、という意見にも一定の納得がいく。 いづれにせよ、ここでは中国、韓国、北朝鮮といったことには言及はなく中国や北朝鮮に関する情報漏えいもあれば興味深いのだがそれも漏洩するほうが事前に「検閲」をかけていたのだろうか。  日本に関しては60年以上の米偃武経済文化支配政策が功を奏して政府から国民まで幼児のままであるので少々の緊張状態にも感性は目の前しか働かないようだ。 と、こんなところで年寄りの呟きをもらしても仕方がない。

天気予報では今週の終わりにはマイナス10度以下になる、といっているのでそうなると日光、青空の晴天がつづくからその頃には近所の運河も氷の上を歩けるほどになっているかもしれない。 本来なら12月の10日頃にこういうことがあるのだが今年は例外的に早い、と予報官は言っていた。 今夜オランダで今期初めて公式野外スケート競技が行われたとも報じられていた。 

一日中零下だった

2010年11月29日 01時49分48秒 | 日常

日曜日の朝11時起床、空に雲ひとつ無い青空、けれど霜で芝生や車が覆われている。 やかんで湯を沸かしている間に外に出て車のエンジンを起動させフロントガラスの霜を中から暖かい空気で溶かす。 沸いた熱湯でミルクティーをつくり腹にいれ、フリントストーン発火式のピストル一式の入った重いカバンを下げて車内の暖かくなった車で30分ほど高速を走って競技会のある射撃クラブに出かけた。 高速で走っているときに片側から日が射してその暖かさをはっきりと感じる。 そのとき暖房はもう要らなくなっていた。

30分で25m離れた紙の的に13発発射するのだが初めの5発は全くあたらなかった。 結局いろいろな不都合があったけれど30分丁度で13発発射して2発が得点圏にはいり合計13点を得た。 この銃を使ってもう10年以上だがこれは最低記録より1点多いだけだった。 銃身に螺旋(ライフル)を切っていないから弾が中で妙に振れてばらつくわけだ。 同じフリントストーン発火式の長銃で50mの的を撃っても50mのほうがはるかに精度がよく平均して80点ほど取れるのはそれには螺旋が入っているからだ。  クラブのミートボールサンドウッチをビールで喰って帰宅した。 来月の12日日曜に同じクラブで年間競技会の総合表彰式と年末パーティーがあることを聞いた。

家に戻って1時間ほどうたた寝をして先週と同じ町のカフェに自転車で出かけ3年ほど前に知った若いジャズギタリストのライブに行った。 4時にはぼちぼち夕日になっていてマイナス4度と表示に出ていた。 6時半にジャズが終わって外に出るともう真っ暗だったが市役所と運河にかかる橋、及び畔が年末のイルミネーションで明るく、ちょっと温度が下がってマイナス6度だ。

それでも運河には流れがあるのか水は凍ってはいない。 これがずっと3日ほど続くとぼちぼちそういうところでも凍り始めるのだ。 家人は今日の晴天に乗じてアムステルダムの北、先週の続きを25km歩いた。


レミーのおいしいレストラン (2007);観た映画、Nov. '10

2010年11月27日 23時59分07秒 | 見る


レミーのおいしいレストラン(2007)

原題; RATATOUILLE
120分

料理が苦手な見習いシェフ リングイニと、
パリ一番のシェフになりたいネズミのレミー──

その出会いは“おいしい”奇跡の始まり…。

監督: ブラッド・バード
製作: ブラッド・ルイス
製作総指揮: ジョン・ラセター
アンドリュー・スタントン
原案: ブラッド・バード

声の出演:
パットン・オズワルト    レミー
ブライアン・デネヒー    ジャンゴ
ブラッド・ギャレット     グストー
ジャニーン・ガロファロー   コレット
イアン・ホルム       スキナー
ピーター・オトゥール    イーゴ
ルー・ロマノ        リングイニ
ジョン・ラッツェンバーガー  ムスタファ
ジェームズ・レマー     ラルース
ウィル・アーネット     ホルスト

「トイ・ストーリー」「ファインディング・ニモ」のディズニー/ピクサーが贈るコメディ・アニメ。グルメの都パリを舞台に、シェフを夢見るドブネズミと料理の苦手な見習いシェフが巻き起こす奇跡をハートウォーミングに描く。監督は「Mr.インクレディブル」のブラッド・バード。

天才的な料理の才能を持ち、いつか一流レストランのシェフになるという叶わぬ夢を持つドブネズミのレミー。ある日、彼は嵐で家族とはぐれてしまい、パリのとある一軒のレストランに辿り着く。なんとそこは、レミーが尊敬する今は亡き名シェフ、グストーの店だった。一方その厨房内では、見習いシェフのリングイニがスープを台無しにする失態を演じてしまう。すると、レミーはこっそりとそのスープを作り直し、最高の味に仕上げるのだった。それを目撃していたリングイニは、自分に料理の才能がないことからレミーの力を借りることを提案。こうして彼らは秘かにコンビを組み、パリ一番のシェフを目指すことになるのだが…。

以上が映画データベースの記載。

クリスマスの前哨戦が始まる頃に職場共済の仲間と一晩クリスマスの晩餐準備のための料理教室にでかけプロから前菜、中菜、主菜、デザートまでを午後7時から11時半まで作っては喰い、飲み、またキッチンに戻って次のコースを習うというようなことを繰り返し、そこで自宅とプロのキッチンの違いを思い知らされ、また料理に関わるものはそのほかのものごとにも通じることをここでは味覚追求という一点で多少は学んだのだった。 材料、プロのトリック、いいものは伊達に金を取らないというような合理的な経済性をも知らされレッスンが済んで零下の屋外に出ても上等のワインの酔いとスプリンボックというアフリカのカモシカの背肉のステーキのエネルギーで自転車をぶらぶら、フラフラと漕いでも寒くないほどの暖かさを保ってくれるような一夜だった。 

それもその数日前にミシュランの星が付くか消えるかその動向が8時のニュースに出ていた矢先であり、その結果で例えば運河に浮かぶうらぶれた船のなかのレストランに星が付けられその後はそこには半年まえからの予約でないと席がとれない、というようなことにもなっていると聞いたところでもある。

そこで今夜、オランダのクリスマスである聖ニコラスの誕生日前のゴールデンタイムにテレビの画面にかかったのがこどもから大人まで一家で楽しめる本作だ。 トッポ・ジージョにトムとジェリーのような動物漫画ものが50年以上前にアニメでその機能を果たしていたものが今は世代交代かCGかさらには3Dに見えようかというような出来である

大人のシリアスな美味追及、レストラン業界の味を巡っての御伽噺としてよく出来ている。 よく出来たCGを駆使して料理のトリック、レシピに業界の雰囲気が味わえる上にノスタルジーあふれるパリの風景がおもしろい。 古いシトロエンの高級乗用車にブリキ箱のシトロエン運搬車、それに今の小型車などを塩梅し、その間を主人公のガールフレンド・シェフがきりっとした革ジャンパーでヴェスパのスクーターで疾走するのも我々をにやりとさせ、味覚追及の大敵ジャンクフード企業の攻撃に対するぴりりとした批判も込められている。 

特筆すべきは高級紙の料理批評家の声を担当するピーター・オトゥールで彼の声の変化に芸をみる。 それまでのフランス語訛りの英語から終盤のスピーチでの格調高い英語まで「アラビアのロレンス」や「ラスト・エンペラー」で教師を演じた長いキャリアのエッセンスが深みのあるフォンデュボーとして味わえ、画面の像に痩躯のオトゥール自身が見えるようだ。

BBCワールドサービスを聞いているとミシマのことを言っていた

2010年11月27日 05時03分34秒 | 聴く

8時に出かける用事があったから手早く晩飯を作って、、、と考えながらネギや大蒜を刻んでいたら何時もそういうときに聞いているラジオのBBCワールドサービスから元英国フィナンシャル・タイムズの記者が三島由紀夫の思い出を語っていた。

その元記者は三島と個人的にも知り合いで生前はよく会っていてあの事件が起こったときには信じられずすぐ現場に駆けつけたけれど事態は混乱していてそこでの非公式の記者会見にもでたけれど結局は皆承知の結果になってしまったと語る。 当時その記事を本国に送るのに今のようなメールなどもなく、古いタイプライターを叩いて原稿をつくるのだがそのときにそれまでの想いが急に押し寄せて涙を流しながら書いた、とも語っていた。

妙だな、今時三島の文学談義でもあるまいに、と訝しがっていたらぼやっと記憶が戻ってきた。 なるほど今日が命日だったのだ。 1970年(昭和45年)11月25日だったと言っていた。 丁度40年前である。 二浪中で予備校もまじめに行かずぶらぶらしていたときだろう。 実家のテレビでみたのにちがいない。 11月25日、というのははっきりとは覚えていないがテレビの中継でバルコニーのシーンは決して忘れられるものではない。 テレビ好きとしてエポックメイキングの折々にはライブでみたさまざまな白黒の像の一つだ。 現天皇皇后の結婚式、東京オリンピック、初めての衛星中継でビートルズが歌っているときに飛び込んできたケネディー暗殺事件、人類初の月面到着は友人と自分の部屋を暗くして小さなサイコロ状のテレビでみた。 三島のバルコニーのシーンもそのなかの一つなのだがその鮮烈なイメージは他とは大きく違う。 その直後に新聞か号外のグラフ誌で観た三島の生首が生々しく床に置かれた写真の記憶もある。 その写真はその後直に消えて再び現れなかったように思う。 二二六事件の再来かと昭和史を朧に意識したことも当時のメディアの論調から窺えたもののその真意は測れず、結局個人の文学的パーフォーマンスとしてパンドラの箱に蓋をするようなことではなかったか。 また、元フィナンシャル・タイムスの記者は森田何がしと三島の親しい関係を生前目の前で観察していたと証言していた。

写真をやっていたことから言えば細江英公が撮った三島の『薔薇刑』での聖セバスチャンの殉教像は後年に三島自らが企画、自作自演の「憂国」とも繋がるようだ。 当時大学写真部での一派が英雄としていた森山大道が「薔薇刑」のオリジナルプリントを焼いたというのを知ったのはずいぶん後になってからでそのときになるほどとそのイメージが納得されたのだった。

いくつかの作品は読んでいて豊穣の海のシリーズには魅了された。 78年ごろに通勤の折に電車の中で読んでいた覚えがある。 華やかで文には魅了されるが自分とは性があわない、とも感じていた。 それは生前の三島の言動を肯定しないというだけのことだけでなく、なんとも肌があわない、ということのほうに近いかもしれない。 花に例えれば彼岸花のような一種毒々しさが感じられたからかもしれない。 その後さまざまな人が三島のことを書いているけれどその中で同時代の野坂昭如の「赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫 」 1987年や橋本治の「三島由紀夫」とはなにものだったのか 」2002年が印象的だった。 1998年には福島次郎、『三島由紀夫-剣と寒紅』がでたけれどその内容は今更、というもので特に感興は催されなかった。

BBCでのこのようなインタビュー番組が放送されるのは単に今日が三島の命日である、というだけではないような気がする。 特に現在の日本の様子の中でアジア政治で翻弄される日本をもし生きながらえた三島が見たらどういう風に行動するか、またその言動に興味をもつというような、まさに三島が危惧した状況に現在おかれているようでもあるからだろうと想像する。 元記者の言では当時の日本がまさに左翼が主張していたアメリカからの独立という以上に三島がそれを主張していたことを伝えており、極東における関係で世界政治の舞台を席巻する中国、北朝鮮、北朝鮮から砲撃されている韓国、この期に北方領土を牽制するロシアというさまざまな駒の中でも当時と同じことを言ったのだろうか。 国を憂うという感情は今の時期には国民の間には当時以上に強くなっているように思う。

 
ウィキペディア; 三島由紀夫の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB

クリング・ローペンの店にも早くもクリスマスのコーナーができていた。

2010年11月25日 19時14分44秒 | 日常

オランダには大抵どこの町にも Klinglopen という店舗があり、それは個人の古道具屋であったり市の援助をうけていたり、またNPOであったりする社会福祉の一環を担っている組織だ。 個人の店にそんな名前がついているとそれは昔は古道具屋、とかガラクタ市の店とかいった普通の企業なり営利目的の古物商であるのだが、行政が関係していたりNPOの店舗だったりすると様子が変わってくる。

基本はこうだ。 廃物、まだ使えるものを或る程度の技術をもったボランティアに補修、再生させてそれを出来るだけ安価に販売し、それに参加する、普通に社会で職に就く機会の少ないものをここに取り入れることのコストと多少の利潤を注入し社会復帰の準備施設として、また同時に社会的弱者に再生したものを商品として安価に販売するといった目的の組織なのだ。 そこに寄せられるものは家庭で不用になったもの、もう使わない、もしくは新しいものに買い換えて要らなくなったものを自分でそこにもっていくなり、電気製品、家具などの嵩の高いものなら電話一本で家まで取りに来てもらったりして集めた物だ。 もちろんそれらの物は古物商にもっていけばなんらかの金額で売れるとしてもこの組織の意図を理解した人たちが無料でクリング・ローペンに持って行った、引き取ってもらった物なのだ。 Klinglopen というのは「輪」、「歩く、動いていく」、という二つの言葉の合わさったもので、つまるところが「循環」という意味だ。 ここでは不要物物を効率よく循環させることで社会福祉関係を改善させようということだろう。

わが町では環境通り、という名前の一角が町外れの小型の工業団地の一角にある。 そこにはゴミの種分け場や各種廃棄物の再生、処理施設、緑地統括事務所のビルなどもあり、このクリング・ローペンの隣には、景気の悪いときには政府の生活保護費だけでは苦しい家庭、個人に無料で生活物資、生鮮食料品などを提供するNPOの組織があり、そういう所とも隣り合った地区なのだ。 表見は大きな古物商の体裁ではあるがその商品は全て個人、企業の無料提供の品であって仕入れ費が只ということだからこの利潤は他の福祉運営費のほうに流れるようなこともあるようだ。 現場で働く人たちも多少のおこぼれに与ることもあるかもしれないが昼の日中から無為に公園でたむろするよりは手を動かし、そのことで他人とも接触でき社会復帰の契機になるのでは、ということでもある。 車で家具や電気製品を運び込みに行くときには工場で手を動かす人たちの様子も見え、その印象は表の大きな店舗でIDカードを胸につけて接客するボランティアの様子とはちょっと違うように見える。

我が家でも時がたって使わなくなったものを持っていったり家具などを取りに来てもらったりした。 その組織には各種の修理技術を持った人たちがいてコンピューターから電気製品、家具に繊維製品、アクセサリーと幅広く物がそれぞれに種分けられしたところで溢れ、売れるようなものをメンテナンスして商品価値を上げ店舗にのせるのだ。 そこに物を持って行ったときには大きな店舗にまわり物珍しくあちこちを見て歩き、蚤の市気分に浸る。 とりわけ家で要るものがあるわけでもないのだが古い絵、LPにCD,DVD、書籍に装飾品、おもちゃに陶磁器、食器などのありとあらゆるものが揃っており、無いのは食料品と棺桶ぐらいなものだろうか。  家具のコーナーにはちゃんと自動販売機があってコーヒーを飲みながらそこで談笑できるし、上階の書籍、CD,DVDのコーナーにも同様のものがあってそこは図書館と同じ雰囲気が流れている。 年寄りに子供づれの主婦が絵本を探しがてら子供に読み聞かせている、という風景も見られる。

繊維製品のところではさまざまなものが溢れ何年か前に500円ほどで買ったジャケットはいまでも重宝している。 時々はアンティークで面白いものもあるから旧東欧から移民してきた家族達、トルコ、アフリカ、アジアのいろいろな言葉が聞こえるところでも或る。

下に降りて大型電気製品のところを見ようとそこに来るとクリスマスのデコレーション商品のコーナーが出来ていた。 きらきら輝く飾りが溢れて周りの少々くすんだものに見えなくも無いこの会場が急に華やかになったような気がしたのだが、そこには大きなプラスチックのアスケットを下げた何人もの人がクリスマスツリーの準備なのか集っていた。 オランダではクリスマスの飾りは12月5日の聖ニコラスの祭りのあとに始めるものとなっていたけれど近年はアメリカ流のクリスマスも広がって自国のクリスマス気分の後押しをしているようだ。

僕らのミライへ逆回転;観た映画、 Nov ’10

2010年11月25日 02時06分58秒 | 日常


僕らのミライへ逆回転  (2008)

原題; BE KIND REWIND

101分

監督   ミシェル・ゴンドリー
脚本:  ミシェル・ゴンドリー
撮影;  エレン・クラス
プロダクションデザイン:  ダン・リー
衣装デザイン:      ラエル・エイフィリー、キシュー・チャンド
編集:  ジェフ・ブキャナン
音楽:  ジャン=ミシェル・ベルナール
音楽監修: リンダ・コーエン
ジャック・ブラック
出演:
ジャック・ブラック    ジェリー
モス・デフ       マイク
ダニー・グローヴァー   フレッチャー
ミア・ファロー      ファレヴィチ
メロニー・ディアス    アルマ
シガーニー・ウィーヴァー  ミス・ローソン
アージェイ・スミス
マーカス・カール・フランクリン
キシュー・チャンド
P・J・バーン
チャンドラー・パーカー
クィントン・アーロン


「エターナル・サンシャイン」「恋愛睡眠のすすめ」のミシェル・ゴンドリー監督が、ひょんなことからハリウッド映画をホームビデオで勝手にリメイクしてしまうおバカな男たちの姿を、手作りへのこだわりと遊び心いっぱいに描いたハートウォーミング・コメディ。主演は「スクール・オブ・ロック」のジャック・ブラックと「16ブロック」のモス・デフ、共演にダニー・グローヴァー、ミア・ファロー。なお、主人公たちが客に対し自作のビデオをごまかすために“Sweded(スウェーデン製)”と偽ったことから、“Sweded”という造語が一般にも広まり、インターネット動画サイトなどでも創意工夫にあふれた“Sweded”の手作りハリウッド映画がブームとなった。

まじめな青年マイクが働く小さな町のおんぼろレンタルビデオ店“ビー・カインド・リワインド”。時代に取り残された同店にも再開発の波が押し寄せ、いよいよ取り壊しの危機に。そんなある日、店を空ける店長に留守を任されたマイクだったが、幼なじみのトラブルメイカー、ジェリーのせいで、商品のVHSビデオが全てダメになってしまう。あわてた2人は、ビデオカメラ片手にダンボールや廃材を使って「ゴーストバスターズ」や「ラッシュアワー2」をリメイクし急場をしのぐ。オリジナルとは似ても似つかないチープな手作りビデオだったが、いつしかそれが評判を呼び、2人は町の住人たちを巻き込み「ロボコップ」や「2001年宇宙の旅」、「ドライビング Miss デイジー」といったハリウッドの名作、ヒット作を次々と勝手にリメイクし始めるのだったが…。

以上が映画データベースの記述であるのだが、夕食後8時のニュースを見ていたらアルコールと満腹感からか天気予報のところで居眠りをしてしまい1時間半ほど居眠ったようだ。  寝覚めてすっきりしていたからミカンを剥いて口に入れると画面にひどいどたばたのSFコメディーが掛かっていて家人になぜこういうの見てるのかを尋ねると、この次に面白そうなのがかかるから今スイッチを入れたところで、あなたそれで目が覚めたのよ、という。 それで観はじめたのが本作だ。 テレビガイドをみてダニー・グローバーとミア・ファーローとあったから見ようとおもっただけで聞いたこともない題名だし他には何もしらなかったのであまり面白くなかったら屋根裏部屋にあがってネットで遊ぼうと思っていたのだったけれど出だしの色調とガラクタレンタルヴィデオ屋に集まる人物がよく出来ていてそのまま見続けた。 それにジャズのファッツ・ウォーラーのことも絡んでいたのも興味深く、結局それが最後まで尾を引いた。

他の2流、3流コメディーで見ていたジャック・ブラックが出ているので何時もと同じようなあざといことをやるのだったら見るのをやめようと思っていたのだが演技も役割も悪くはなかった。 それまでは若者に人気のあったMTVのjackass、ジャックアスのようにあざとく動き回るだけのような俳優に思えたものがここでは他の愛すべき俳優達に混ざっていて実際に悪くない。 こういうところはこの監督の持ち味なのだろう。 ごく普通にみえて味の或る俳優を捜して来て自然体にみえるような演出をさせるところがいい。 本作の中で、そういう「素人」であっても本物の「素人」であってもおかしくは無い、というような人が多く、こういうところがこういうコメディーに深みを出しているのだと思う。 当然ドタバタも話の飛躍も劇中劇のようなもの、映画お宅にすりよったような、名作、ヒット作をやっつけで参照するようなあるあるネタにもことかかなく映画のごった煮的な様相が濃い。 安心して映画のテンポに乗り馬鹿馬鹿しくもときには首をかしげるようなシュールな対話もあり何か分からないうちに終焉していくという話であるけれど、これをどのような評価のカテゴリーにいれようかと考えたときにはあとあとまで記憶が残る映画ではあるけれどA級とは判定しがたく、映画が好きな人間を最後まで引っ張っていく力があるから上出来のB級映画なのだろうとおもう。 それぞれの役と演技のバランスがよく、とりわけ、とぼけたマイクのモス・デフや元気なメロニー・ディアスが好演している。 それにミア・ファーローは歳相応に相変わらずキュートだ。 

この色々な要素がごった煮にしてある本作でいえるのは古いものに対するノスタルジーであり、シニカルではあるがその象徴がこのレンタルヴィデオ屋に対して「正当に」立ち退きを迫る、世界中で絶え間なく繰り返されている市の再開発計画である。 結末にしてもほろ苦いものに感じるか暖かいものに感じるかの余白を残しているようで、もしそうならその意図は那辺にあるのだろうか。

それにしても邦題の付け方の頓珍漢なことだ。 なぜこの内容に沿った、観た後は巻き戻し、とか、せめて、リワインド・プリーズぐらいのことは言えなかったものか。 ミライをミイラと読んでチープなゾンビやミイラの出てくる映画にかけてあるのかとも思ったがどうもそうではないらしい。

あんたもしかして、、、、

2010年11月24日 03時04分57秒 | 日常

スーパーのレジのところで支払おうと財布を開けているとその前にすでに自分の買い物をまとめていた年配の男が買い物袋を下げてそこを離れ際に、あんたもしかして芸術家?、と話しかけてきた。

おもしろおかしくもないごく普通の格好で、別段そんな風に見えるようなものはひとつも身につけていないのにこれである。 なんでかね、ま、ギャラリーのオープニングの時には時々いくけどね、只酒にうまい摘みが食えるからね、というと、ああ、それはいい心がけだ、と笑いながら、で、写真のほううまくいってる? と聞いてくる。

いや、嫁が造形をやってるもんでね、カミサンについて一緒に飲み食いにいくだけだよ、私は定年の公務員で芸術家でもなんでもない、と言うと、あれ、じゃ、まちがえたかな、というから、ひょっとしてそのひと、中国系か、インドネシア系の丸刈りでちょび髭をはやしてカメラもってうろうろしている中年男じゃないの?と訊くと、そうそう、その人、あんたじゃないのか、そうか、それは悪かったね、といって去っていった。

ときどきインドネシア系かと聞かれることはあるけれど、特定の人間と間違われることはあまりない。 オランダの中でアジア系ははっきり分かるけれど、そこからはなかなか分からない。 我々の年代では中国系はだいたい髪型と服装で分かるけれど年代が若くなると皆目分からなくなる。 この街には今日自分と間違われたのかもしれないアジア系の芸術家がいて、この15年以上あちこちの展示会や何かのときに見かけるのだがまだその男とは話をしたことはない。 中国系、インドネシア系といっても多分オランダの旧植民地のインドネシア経由であろうし、中国系は他の国と同じくインドネシアにもどっさりいるからそういう区別をしてもあまり意味は無い。 自分がいうのは還暦あたりの者のことで30あたりの者は今はどこからでも来ているから話は別になる。

だから、何人もが私に、インドネシア系?と聞くのは大抵、インドネシア系の中国系?ということだ。 普通にオランダ語を話していたりするのにいきあたり、大抵の中国系のオランダ語は貧しかったり訛りが強かったりすることもあって、顔では中国系、言葉からするとそれより上だからそれではインドネシア系か、というふうにいわれるのだろう。 日本人かといわれたことはない。 多分このあたりにはこの年恰好の日本人はいないだろうし、日本人のイメージとしてはちゃんとスーツを着てネクタイを締めたアジア人、というふうになっているのだろうから、みすぼらしくうらびれたスーパーでネギ一本だけ買っているような初老の男はとても日本人のイメージからは外れたものになっているのにちがいない。 人は自分の身近な経験に即してそのイメージを重ねるようだ。

しかし、芸術家とみられるのは悪くないが、カメラを持ってときどき町で見かけるあのアジア系の男は丸刈りで妙な丸いメガネをかけて口ひげは侍の殿のように口の両端からちょろっと垂れ下がったようなものだ。 それに服装にしても普通でもなく見るから自分でこしらえたようなデザインのものであるから顔つきと服装からして自分とはとても見間違えられるようにはないと思ったものの、人の間違いというものにはその理由まではなかなか想像がいきにくいものだ。 

長ネギをひとつ自転車の袋に放り込み跳ね橋を渡ってオランダ人の禅宗の坊主が一人で住んでいる船に行ってその男のことを聞こうと出かけたのだが生憎留守だった。 あの坊主ならきっと何か知っているに違いないのだが、あんな妙な顔の男と見間違えられて憤慨しているといえばなんと言うだろうか。

Zuurkool またやっつけで作った

2010年11月23日 01時55分16秒 | 喰う
寒くなり、温かくて腹にこたえるものを喰おうと、ドイツではザワークラウト、オランダではジュールコール(Zuurkool、酸っぱいキャベツ)といわれるオランダの国民料理をやっつけでまたもや作ってしまった。

ジュールコール用の赤身と脂身が層になった豚肉の塩漬けの塊を250gぐらい買ってきて脂身と赤身を鋭いナイフで削いで分ける。 細切れにした脂身だけを弱火の厚鍋で脂を出してしまいカリカリの茶色のオカキ状のものが残るまで炒る。 オカキ状のものを皿に取り出して後ほど食事のときにカリカリと御摘みにする。

脂に刻んだニンジンとインゲン豆を放り込んで炒める。 それに長ネギの刻んだものを加え、そのあとにジュール・コールを加えて、乾しブドウ、胡椒粒を加え、充分なリンゴジュースをたっぷり注ぎ40分ほど弱火で煮るのだが、最後の10分ほどは豚肉の赤身をUSBスティック状に切ったものをこの鍋にいれてばおけば出来上がりだ。

ジャガイモを茹で最後の20分ほどはその鍋にソーセージを入れて温める。 赤いパプリカを薄く削いで皿に添える。

飲み物はワインというよりよく冷えたビールが合うようだ。

結局、塩コショウも調味料も何も使わず簡単な伝統的オランダ手抜き料理が出来上がった。 

抗議集会に出かけた

2010年11月22日 05時20分43秒 | 日常


2010年 11月 20日 (土)

午後起きだして晩飯は何にしようかと考えていたら家人から電話が入った。 

オランダには数学の幾何的要素を用いてそれを造形、デザイン、実用などにするような趣味人のグループがあって毎年一度各都市を巡って大会を開く。 そういうものに興味もあり家人は自分の作品にもそのような作品があることもあってそれにこの何年か参加している。 何年か前にそういうことも日記に書いたように思うが、、、。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/56725534.html

上に書いたのはその会合のときその会場の近くにあった建築物でこの会の昼休みでの散策のものだった。

いづれにせよ今回は地元の大学の建物でそれがあり自分の作品もいくつか展示すると言っていた。 それが今日だったのだ。 

その電話は、3時半にこの日のプログラムが終わるから荷物を会場の大学実験棟の前に出すから取りに来いという。 早速言われるままに免許証とキーを掴んで勝手知ったる市内の幹線道路を走っていけば理系の建物が集まった一帯に土曜の午後には誰もいるわけはなく、見当をつけて走らせたらたまたまボケッとした如何にも理系の能天気そうな学生とその中国系のガールフレンドがいて、どこがその建物だと訊ねるとこれだと上を指し、ここには入るところなど無いなあ、ととぼけた口調で言う。 表の入り口はと問うとああ、ここはまるで反対側だから迂回して、、、入り口はすぐそこだけどね、周っていけばまあ2kmぐらいかな、、、。 やれやれ、誰もいない敷地をスピードを上げて迂回して駐車場にきてみれば赤いコートの家人が荷物を提げてポツリと一人待っていた。 なんとも殺風景なことか。 自分はこれから自転車で町の公園で始まる抗議集会にいくから銅像の近くでね、ととさっさと自転車置き場に歩き、私はまた来た道を引き返し自宅から自転車を取り出しておっとり刀でその公園に駆けつけた。

この日は午後四時を期して全国一斉にオランダ新内閣の文化行政案、つまり文科省とそれに関連する外郭団体も含む各種団体に対する大幅な予算の削減に反対しての抗議行動で、この街では毎年1574年10月3日記念日の主役である当時この町の市長だった人の銅像のもとに集まることになっている。 このような抗議行動に参加したのは湾岸戦争に反対したときアムステルダムを半周した寒い冬の日以来だ。 着いてみるともう四時からは20分ほど過ぎていて200-300人集まったところで町の詩人が言葉を読み上げていた。 各自それに呼応して手に手に様々な鳴り物を鳴らし反応する。 自分は慌てていたからそういうものを忘れていて半年ほど前に買って放ったらかしになっているポケットトランペットを持ってくればよかったと後悔したけれど後の祭りだ。 いや、抗議の祭りはまだ続いている。 それから景気付けに楽団のグループが皆が知る流行歌の替え歌を作って歌い地元の放送局のジャーナリストも何人か見え写したりインタビューをしたりしている。 

この何年か絶えずあちこちで文化組織の離散、集合、合理化が行われており人員の入れ替わり、移動が多くそういうところに連絡を取るのに不便なことが多い。 慢性的な経済不況と緊縮財政でもう腹に据えかねているときにこの間の選挙で保守と超保守の新内閣が誕生し、予想されていた施策がとられ始め、ことに教育、文化、厚生の分野で従来以上に財布の紐を締めたからその結果に絶えられず町の芸術家の協会がこの日の音頭を取った。 家人も自分も関係のあることであるから数のうちとしてだけでもと来たわけだ。 贔屓の芸術家達もそれぞれ陰に陽に各種補助金が無ければ活動を続けられないものばかりでありそれは芸術家達だけではなく自分のようなたまに公民館ですし教室の俄か講師をするものにも及ぶのだ。 子供達の文化プログラムに今まで使われてきた財源がカットされて子供達も観劇や様々な野外活動も質と量が下がる、といった具合だ。

弱いものから切り捨てていくのは特に現在のような政府の常道である。 各国の政府が右傾化するというのは今のヨーロッパの傾向だ。 この10年ほどはまだある程度の保留はあってもなんとか受け入れていたオランダの政治ではあるけれどこれでは堪らないという声なのだ。 こころやすい市の文化事業部の職員が何人か固まっているところに行き会い、家人を見なかったか訊ねるのだがまだ見てないという。 ジャズ同好会の会長が婦人と幟を立てている。 1997年にこの街が全国に文化都市と宣言したときにそう記したTシャツを作ったのだがそれを竿の上につるして、下に、このスローガンはどこに行った、と手書きのボードが吊るされていた。 実験音楽家が簡易発電機を使ってプラスチックの管を幾つも使ってサイレンが鳴るようなインスタレーションを作っており各自スピーチの間に喧しくそれを奏でていれば木材を使って造形する者がチェーンソーを何台かつかって政府文化行政策と書かれた幾つもの枝を細切りにして音とその木っ端を撒き散らす。 そのあたりに知人と話している家人を見つけ合流した。 数段高くなった銅像の台座の舞台には古いコスチュームを着けたトルバドールのグループが古楽器を使って悪政に対する嘆きの古い歌を演奏し歌ってそれに重ねて先ほどの詩人がこのままでは済まさない、というようなシュプレヒコールを上げ皆がそれに唱和してこの集会は終わった。

本来、通常のこのような集会が終わればデモンストレーションの行進が続き政府なり市役所前で解散なのだが今回、市はこれには関係が無く結局、ここでそのような気勢を上げただけでの解散となった。 丁度5時であり各自家に戻り食事の支度にかかる時間である。 公園の近くに止めてあった自転車のチェーンを外しふと見あげると明治時代に建てられたレンガ造りの元大学理学部の建物が今は売られて高級マンションになっているのが見えた。 政府の資産も徐々に切り売りされてここにその結果があるのだがこの法案が通れば我々の情緒、感覚も徐々に切り取られていくことになるのだ。

8時のニュースでは各都市で同時間に行われた集会の模様が写されており特にアムステルダム市立劇場前の集会には数千人が集いどういうことか前保守党党首でEUの議員であった古だぬきがスピーチに出ようとしたときにブーイングと阻止に合っていた。 もう10年以上前にこの男が今の超保守の男を育てたのだったのだけど久しぶりに見るその厚顔無恥の政治家には憎まれ者世に憚る、という言葉がぴったりだと思ったものだ。

料理していてナイフで爪を削いでしまった

2010年11月21日 04時36分53秒 | 健康

FMの音楽を聴きながらちょっと急ぎの料理をしていて長ネギを切っていた。 この30年ほど愛用しているドイツ、ゾーリンゲンの昔風安物ナイフで軽快に削ぎ切りをしていてまた指を削いでしまった。 何処へいくにしてもそこで料理するつもりならこれをもっていく。 よっぽどのことがなければ他のナイフ、包丁に変えない。 たとえばハイテクの高価な包丁ももらったりしているがそれでも薄くて鋭利なこれに勝るものがないから自然と手に馴染んだこれに手が伸びる。

大体4,5年で掴むところの木が朽ちるか刃の中ほどが磨り減って三日月状に湾曲すると引退するのだがこのごろ新品を買うと嘗ての鋭さが減ったように思う。 それはある種のステンレス加工をしてあるからだろうと思う。 鋭さが減るならそんな加工などしなくてもいいと思うし錆びは別段支障はないのだが一般には見てくれがわるければで売れない、というような事情もあるのだろう。 これにしても茶碗やカップの底の釉薬が付いていないところで刃をちょっとこすれば砥石など要らない。 

この日もコーヒーカップの底で刃を鋭くして切れ味を楽しんでいたのだが急ぎすぎて押さえていた長ネギの太い茎がぬるりと一瞬手前に滑り、そこに押さえていた指も付いてきてそこをこのナイフが削いだのだ。 一瞬のことだったので痛みも何も感じる前に、あいた、またやってしまったという思いが走った。 この前は何年前だったのだろうか。 何年かに一度ぐらいこういうことをしてしまう。 よく切れるナイフだったことと爪をなでるように削いだことで何の引っ掛かりも無く硬いとも感じず爪を削ぎ切りその下の肉もナイフの軌跡どおり削ぎ取ってしまっていた。 白い肉の微細な血管からすこしづつ血が染み出してきてそのうちそれが集まってこんもりとした血の塊が盛り上がってきたから慌ててキッチンペーパーのロールから一片を切り取り指に巻いてそのまま料理を続けたのだが、そのときにはなんとも無かったのだが何時間もあとからは切り口がずきずき痛み始めた。

それに外に出るのに手袋をつけたら傷口に触れ飛び上がるほど痛んだ。 当分こういう痛みと同居しなければいけないのか。