暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

バカンス ’12;  (1)ゲント・ベルギー

2012年08月31日 23時55分32秒 | 日常

ゲントには何回か行っているけれど初めて行ったのはもう30年以上前になるだろうか。 オランダに来てまもなく知り合いの画家が二夏ほどバカンスにゼーランド州の家に呼んでくれ、それぞれ一週間ほど滞在したときに車で川を渡ってベルギーに出かけファン・アイク兄弟の「聖なる羊の祭壇画」を観に行ったときだろうか。 その折にはアントワープではフランダースの犬に出てくるルーベンスを観たことももう大分前の記憶だ。 今回自分でテント付きの牽引車を引っ張って家族4人でゲントに出かけたのは家人の希望でゲントで毎年恒例の、町中をギャラリーにしてあちこちで思いもかけないアートの展覧会が開かれる夏のイヴェントを見ようということになったからだった。 そういえば1986年に家人と二人、まだ子どもも仕事もなく気楽だった頃、おんぼろルノーで大きなブービェ種の犬をつれてテントであちこちキャンプしながらノルマンディー、ブルタニューのバカンスに出掛けるついでにゲントに寄ってこのイヴェントに来て以来だから26年になるのか。 まだ慣れぬ牽引車を引っ張ってのドライブだから少々緊張した。

オランダのうちから3時間弱でゲントの市営キャンプ場に到着し、テントを設営して二泊、キャンプ場で自転車を借りて町のあちこちを市立美術館でもらったカタログの地図を頼りに出かけたのだがそれでなんとかゲントの町の雰囲気が掴めた。 ベルギーの町とオランダの町の仕組みの違いというものが実感された。 オランダはサクソン系、ベルギーはラテン系なのだ。 何ヶ月か前にアントワープの町を歩き回ったときの感じと同じくベルギーは南の雰囲気だ。 フランス風の香りがする。

秋来ぬと眼にはさやかに見えねども、、、

2012年08月31日 03時19分41秒 | 日常
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(古今和歌集、秋歌上、169) とは藤原敏行朝臣の歌らしく、そこでは夏と秋の狭間で見えないけれど風の音でもう秋が来たと感じられる、との意匠らしい。

こちらオランダではもうそれはとっくに済んで風の音より雷の音、屋根を叩きつける、まるで雹のアタックかというような音ではっきり秋が来たと分かるのだ。 しかし気まぐれな空、気候のこと、まだ9月に入っても30度を越すトロピカル・ウェザーがあるのだろうか。 いずれにせよこの何日か20℃ほどになり明らかに夏ではない。 気候、天気は人の気分に作用する。 自分にはもう夏のうきうきするような気分は来年まで、というような感じになっている。 

昼過ぎて夏休み中に壊れていた裏庭の物干しをやっと修理して空を上げたらもう夏ではなかった。 こんな天気ではT-シャツ、裸足では冷える。 それが自分にとっての「もう夏ではない証拠」でもある。 その前に曇り空の下、裏庭で建物の間に何メートルかの物干し用鉄線を引張っていたら隣家から音が聞こえた。 風の音でもないようだ。

一週間ほど前に隣家の50代の夫婦がフランスのノルマンディーに二人きりで二週間の遅いバカンスに出かけている。 その夫婦には二十歳前後の娘が二人いて、その娘達がその留守番をしている。 それぞれにボーイフレンドがいて毎晩遅くまで裏庭で賑やかに友達などを呼んで過ごす。 天気がよければ毎晩パーティーのようだ。 親がいればそこそこに大人しいのだが、猫のいない間はネズミ達は、、、、開放的というかまわりにあまり気をつけないというようなことで時には聞きたくなくとも笑い声や興奮して喋りあうのが聴こえてきてやれやれ、、、と思うこともある。 

裏庭で洗濯物を吊るすワイヤーを張る準備をしていると風の音ならぬなんとも色っぽい何とかヴィデオから聞こえてくるような音というか声というようなものが流れてくる。 若い人たちは元気なものだ、こんな天気でも関係ないのか、と放っておいたけれどさすが人のもっともプライべーとな活動がこちらに押し寄せてくるのに少々困惑して持った電動ドリルで物置のレンガ壁に穴を穿つ為にスイッチをいれてガリガリやったらあとは音と言うか声というものが止んだ。 二人は窓を閉めて続けたのか止めたのかは知らないけれどこれが若い二人の間に水を差したことにならないように祈るものだ。 若い二人には秋が来てもなんのこともないようだ。

グリーンフィンガーズ  (2000);観た映画、 Aug. '12

2012年08月31日 03時08分55秒 | 日常

グリーンフィンガーズ (2000)
GREENFINGERS

91分
製作国  イギリス/アメリカ

監督:  ジョエル・ハーシュマン
脚本:  ジョエル・ハーシュマン
撮影:  ジョン・デイリー
音楽:  ガイ・ダガル

出演:
クライヴ・オーウェン
ヘレン・ミレン
デヴィッド・ケリー
ウォーレン・クラーク
ダニー・ダイア
アダム・フォガティ
パターソン・ジョセフ
ナターシャ・リトル
ピーター・ギネス
ルーシー・パンチ

実話を基に、“グリーンフィンガーズ(天才庭師)”としての才能を持ったひとりの囚人を巡るハート・ウォーミング・コメディ。人生を諦めた男コリン・ブリッグスが、イギリス・コッツウォルズにあるエッジフィールド更生刑務所に移送されてきた。刑務所長は、コリンに、庭造りを命令する。所長が名指した仲間はおよそ園芸なんか向かない連中ばかり。しかし、仲間のひとことでやる気を出したコリンはガーデニングに喜びを見出し、美しい庭を創りあげいていく。やがて彼ら“囚人庭師チーム”に、女王陛下も鑑賞するというフラワーショウへの出場の話が舞い込んできた……。

上記が映画データベースの記述だ。

イギリスBBCテレビの深夜映画にかかったものを観た。 観ようと思ったのは贔屓のヘレン・ミレンが出るのとガーデニングの話だからだ。 テレビガイドの解説にしても評者自身がガーデニングにあまり興味がありそうもなく、ストーリ自体に敢えて「ハート・ウォーミング」を強調しようという造りからかこの作には平凡な点を与えていた。 けれどそれでも構わない。 ミレンに未練がありイギリス映画ならガーデニングに凝るだろうと、毎年春になるとイギリス国営テレビが長い時間を割いてチェルシー・フラワーショーを放映することも見ているからそれがここでどのように料理されるのかという期待からソファーに沈み込んだのだったのだ。 

日頃、猫の額ほどの庭を必要最小限の労力で現状維持しよう、周りから後ろ指を指されない程度にやろうとしている作男だから自分は花造りの面白さをまだ分かっていないと思う。 小学校低学年の頃から毎週日曜日は自宅で他の生徒さん達と並んで正座、ほぼ一時間半ほどの生花を師範である叔父からやらされ、それが高校に入学して暫く経って師範代の看板をもらってからやっと生花から解放されその後花を見ることはあっても自分で活けたり造るということをしなくなった。 やらなくなった理由というのは小さい頃のこともあるのかもしれない。 同級生に寺の息子がいてそれも私と同じように毎週やはり正座で、これは生花とは違いお点前の稽古をやらされていたのだが、そのとき思った自分の不幸なところは、自分は毎週面白くもなく喰えない花をいじるのとは別にあいつは今頃茶を点て美味いものが喰えるのだ、なんという不公平、ということだったようだ。 だから園芸国オランダに住みついて買った家に庭がついていてもやっているのは最小限度の努力で作業し、我が家の許容限度内の荒れ方を残すということだ。 あまりきっちりと整いすぎた庭には二羽鶏がいる程度の「外れ」とか「ずれ」がないと息が詰る。 だから「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」という風に、野外に出ればいろいろな草花を愛でるのだが自宅では最小限度の労力で「雑草」を退治するのを半ばスポーツにしている。 園芸の世界には底がないのを知っている。 それは自分の手をいれるのだから自然ではありえなく、「自分の自然世界」を造りだすことが究極の園芸だということだろう。 そこでは邪悪なもの,汚い、臭い、有毒なものが排除され夢見るような香りと色彩、創られた秩序がなければならないのだろう。 英国人はそのような世界を創り出そうと土をいじってきたノウハウがあるのだがそれも今では生化学、生物学の研究の成果からそれらのノウハウもイギリスだけのモノポリーとはいえなくなってきているようだ。 そういう点では何十年、ときには何百年と手を入れて形がつくられる「ボンサイ」の世界は現代技術では今のところ造り出されえない要素をもっているのではないか。 さて、話がとんでしまった。

こういうコメディーはアメリカでは眼も呉れられないだろうと思う。 それでも今何百、何千とある個別のステーションから放映するターゲットを絞った局であればそのチャンスがあるだろうがそれでもでやはりアメリカでは、、である。 本作ではミレンのほかは見知った俳優は蝦蟇のような顔つきでイギリスのテレビで刑事ドラマに出演している、ここでは柵もない解放更生刑務所の所長を演じるウォーレン・クラークだけだと思ったけれど主役のオーウェンもどこかで見た事があると頭の隅で思ったのだがどこでだったか思い出せない。 何人も主役が代わった007シリーズでボンドを演じた一人かとも思ったがわからない。 なにか「ハードボイルドだぜィ」というようなアクションスターの風貌がある。 それに複数殺人犯終身刑服役中の老人デヴィッド・ケリーなどどこかで見た様な風貌で登場し軽快に話はすすむ。 若いときに事故ともいうべき殺人で生涯の目的もなく何をしたいとも思わない主人公の同僚囚人であるケリーが囚人とはもっとも距離のあるガーデニングで彼らの自発心、自己啓発の意欲に火をつけた、それから先は、、、、という、いわゆる過去は過去、人は現在何をしているか、何ができるかで判断するのであって過去に捉われるべきでない、それが自分を啓発するところで芸を磨きそれが更正に役立った、「芸は身を助く」、という話なのだろう。

ミレンファンとしてはやり手園芸専門家のコミカルな演技はいいとして、幾つかのいい横顔ショットには納得したものの、もう少し苦悩する姿を見たかった。 それに未練が残るけれど本作ではそんなミレンの渋い演技は必要とされていないようだ。

本作のBGMについて気付いたこと。 出だしに80年代後半に流行っていた Tears for Fears の The Seeds of Love がかかり、そのヴィデオ・クリップをも思い出した。 ある種或る時期のビートルズを継承しているように感じたしクリップの意匠を思い出すと本作に相応しい選曲だと思った。 ほかにも U2 や最期にはエルトン・ジョンまでかかるのだから英国国策コメディーととらえてもいいかもしれないという思いが音楽からで花の香りとして匂ってくるようだった。

ハート・アタッカー <未>(2007);観た映画、Aug. '12

2012年08月29日 19時04分40秒 | 見る

邦題; ハート・アタッカー <未> (2007)
原題; BATTLE FOR HADITHA

93分
製作国  イギリス

監督:  ニック・ブルームフィールド
製作:  ニック・ブルームフィールド
脚本:  ニック・ブルームフィールド、 マーク・フーファーリン、 アンナ・テルフォード
撮影:  マーク・ウルフ
編集:  アッシュ・ジェンキンス、 スチュアート・ガザード
音楽:  ニック・レアード=クロウズ

出演:
エリオット・ルイス
ファラー・フレイエ
ヤスミン・ハナニ
アンドリュー・マクラレン

以上が映画データベースの記述なのだが内容についての記載がなかったのでネットで以下のような映画ファンの記述を見た。

http://ameblo.jp/eigasuki/entry-10621848391.html
http://plaza.rakuten.co.jp/kapon2/diary/201101120000/

オランダ国営テレビの土曜の深夜映画として観た。 テレビガイドの説明では本作監督はマイケル・ムーアやルイ・セローのようなドキュメント作家に影響されたとある。  それで観ていて納得されるところがある。 流れがドキュメンタリーをみているようなトーンであり、カメラアングル、会話などがドキュメントではこうは行かないということが分かるに従って映画であることに意識が戻されるが全体の構成からしてドキュ・ドラマという印象を受ける。 アカデミー賞受賞作品の「ハート・ロッカー」と対照すると戦争に対する見方の違いが見えてくる部分も多くあるだろう。 アメリカでは本作はここでもまたさんざん観たベトナム戦争映画の続きかと苦々しい「真実」があぶりだされるから大元では受け入れがたく結局無視されるということになったのではないか。 ハート・ロッカーの受賞には首をかしげたのだし本作がその候補になるとも夢にも思わないけれど、ありえないことではあるけれど、もしそうなると題名が似ているからこの二作を取り違えたのではないかと思ったほどだ。 ここでもラムズフェルドの綻びが見えるようだ。 いずれにせよこのような映像作家が日本にでることを期待するのだが最近銃弾に倒れた女性ジャーナリストの話をドキュメンタリータッチで作れば日本製ドキュ・ドラマができるものの、そうなると抗争国両方のノウハウをもつ作家がいるかどうかが問題になる。 ハート・ロッカー的な映画なら多く量産されつづけているけれどドキュメンタリーに重心を置くとだいぶ話がかわってくる、という好例が本作だろう。

グロニンゲンのジャズ定食

2012年08月29日 03時30分56秒 | 喰う
一日で午後のジャズコンサートに三つ陪席し、それが恙無く済むと夕食時となっていた。 丁度その三つ目の会場がその後真夜中すぎまで生バンドやDJをバックに踊りあかすパーティーとなるテントのそばであり、きのう何年かぶりにまたグロニンゲンのジャズ・レコード屋に出かけLP/CDを漁っていたときに周りで年寄りがワイワイやかましくジャズの薀蓄を示しあっていたその人らがこれから生バンドの間に自分のコレクションを廻して恒例の様にDJをするというのをその時聞いていたからそこに出かけて78回転のSP盤で皆がもうスイングしているのを暫く見ていた。 

この村の水辺にあるカフェー・レストランのキッチンが9時で閉まるというのは知っていたから先ずそこでゆっくり腹ごしらえをしてまた戻ってくればいい、と算段し、もしレストランが満席ならちょっとあるいてテントの横にある屋台のフィッシュアンドチップスをビールで流しこんでもいいともいいと思いながらそこに向かった。 この小さな村の周りには見渡す限りの牧草地と風車しかなく、夜天気がよければ満天に星が見えるほどの村ではあるもののそこはもうこの地域では何百年も昔からハンザ同盟の水上交通の要所であり小さな運河が交差するところにある村だから今はウオータースポーツ、特にヨットやボートを道楽とする人たちのちょっとしたヨット・ハーバーともなっていてこの小さなカフェ・レストランもそういう土地柄か口の肥えた人たちの賄をしている。 この日は入り口のメニューにはジャズ定食があった。 肉と魚、それに菜食メニューが選べる。 マトンと鮭のものが載っていたので昼前に街の魚マーケットでムール貝の揚げ物でビールだったことを思い出し、鮭でシャドネーにしようと決めていた。 

幸いなことに小さなテーブルが空いていてそこに座って前にここに来た時には何を喰ったろうかと思い出そうとしても出てこなかった。 そのはずだ。 前回はコーヒーだけだったからだ。 前回はコンサート会場の一つが大きな農家の、普通の家なら一つぐらいは入る干草やトラクターを何台も入れておく大屋根の下で、農家の人たちがパンやパイを焼き、スープを煮出し、スペアリブを用意し自分たちで焼いた日頃のケーキも売っていて、それが旨くそんな大屋根の下の干草のブロックの上に座って喰って満腹だったからここに来た時には改めてディナーにするような気もなかったのだというのを思い出した。

ここから10kmほど離れたところにはミシュランの星一つをもつ昔の邸宅をそのままにしたホテル・レストランがあるけれどいつか機会があったら試して見たいと思うけれど今はそんなところに一人で行く気がしないからその機会をいつかに取っておくとして、何年か前にオランダ版ミシュランガイドに眼を通したときに星はないものの機会があれば試して寄ってみる努力に足るレストランだとこの小さなレストランが出ていたのを思い出す。 けれどそれも何年も前のこと、移り変わりの激しい飲食店のこと今はそれがどうだか知る由もない。

定食だから初めにシャドネーをちびちび飲んでいると全部一度にザッと出る。 

主菜はブイヨンで湯灌された鮭、その下には湯灌の際に漬されていたようなリークとニンジンの細切りがベッドとして敷いてあった。 その上からディルのソース
添え物はミックスサラダに温野菜、ポテトサラダにベルギー風揚げ芋にマヨネーズと簡単なものだがボリュームがある。 肉体を使って腹をすかせてここに来た者達を想定している節がある。 2週間ほど前に歩き回ったアルプスのチロル地方の山小屋、レストランでも量が多かった。 いくら普段は気持ちのいいほどなんでもどんどん腹に入れる子ども達も食べきれぬといったほどだったけれどここでもそれに近いヴォリュームだ。 主菜の出来には満足しこれは当分の間は記憶の底に残っているだろうと思った。 シャドネーと食後のコーヒーで2500円しなかったのだからとても普通のオランダのレストランにはないコストパーフォーマンスだ。 それにジャズフェスとそれに全く関係のない風、鳥、牛の音や声のなかを縫ってここまでセールして来た人たちが適度に混ざる猥雑な雰囲気も悪くはなかった。 

Café Hammingh(カフェー・ハミング);
http://www.cafehammingh.nl/index.htm
 

シェルタリング・スカイ (1990);観た映画、 Aug. '12

2012年08月28日 22時15分38秒 | 見る

シェルタリング・スカイ   (1990)
THE SHELTERING SKY

138分

製作国 イギリス

監督:  ベルナルド・ベルトルッチ
原作:  ポール・ボウルズ
脚本:  マーク・ペプロー、 ベルナルド・ベルトルッチ
撮影:  ヴィットリオ・ストラーロ
音楽:  坂本龍一 、リチャード・ホロウィッツ

出演:
デブラ・ウィンガー
ジョン・マルコヴィッチ
ジル・ベネット
キャンベル・スコット
ティモシー・スポール
エリック・ヴュ=アン
フィリップ・モリエ=ジュヌー
トム・ノヴァンブル
ニコレッタ・ブラスキ

ベルトルッチ監督による、エキゾチックなラブ・ストーリー。第2次世界大戦後まもない1947年、ニューヨークから北アフリカへある夫婦が旅行にやってくる。かつて2人を取り巻いていた活気が薄れ、愛も夢もなくなってしまったことに気づいた夫婦は、この北アフリカで何かを発見できるのではないかと考えていたのだ。しかし、旅行を続ける内にかえって2人の関係は険悪になってゆく。2人はそれぞれ他の者によって安らぎを得ようとするが、この果てしない砂漠の奥には、過酷な運命が待ち受けていた……。砂漠の街や北アフリカのエキゾチックな風景を捉えた陰影に富んだ映像を背景に、表面的にはラブ・ストーリーという形をとりながらも、その中にカルチャーの衝突や人間存在の問題までもを含んだ、いかにもベルトルッチらしい作品。

上記が映画データベースの記述である。

イギリスBBCテレビの深夜映画として観た。 本作はペーパーバックでも読んだし、封切り後まもなく映画館で観たことがあるけれど今ではほとんど記憶になく、マルコヴィッチの病床の印象ぐらいしか残っていなかった。 砂漠の美しさとマルコヴィッチ没後の展開が目新しく映り、結局のところそれが本作の眼目なのだろうと想像した。 前回はマルコヴィッチだけに目が言っていたようだ。 砂漠の美しさという点では「イングリッシュ・ペイシェント(1996)」でもわれわれの前に砂漠をバックにした男女というかたちで現れるけれど本作のほうがそこに住む遊牧民と、欧米人が砂漠の中では点としての異物でしかない西欧の性格が批判を伴って現されることになっていて、結局はそこで未亡人となった女が未知の世界に果敢に入っていくという、いわば故人の遺志を無意識的に継ぐのかというような示唆で終わる話になっているのだが、驚くのは原作者自身が最後に登場して語りで締めくくることだ。 とうに作者は亡くなっているはずなのだがここで急に姿を見せられて驚いた。 考えてみれば本作制作から20年は経っているから、そういえばそのころ四方田犬彦がモロッコに逗留して作者にあったとかあわなかったとかいう話を文学雑誌に掲載していたことを思い出したのだから時間的には納得のいく話ではある。

もうひとつ嬉しく、また以前見ていたにもかかわらず今回その配役に感心したのはここにデブラ・ウィンガーが登場したことだ。 もっともアメリカ的な女優の一人であり、「愛と青春の旅だち (1982)」、「愛と追憶の日々(1983)」での好演で我々の前に登場し、自分の目からすればぞろっとしたアメリカステーキ的な肌触りをもつ女優が本作で後半そのアメリカ的な女の性を資産に言葉も文化も異なった遊牧民の世界に入っていくプロセスを健気に演じていることだ。 ただの大味なアメリカ女が衣服を捨てベールをまとって自分の意思で遊牧民の男を選ぶときにはそれまでは生半端だったジゴロとの遊びとは違った緊張感で女という性を資産に未開の世界に果敢に切り込んでいく姿にはここでもそのアメリカ的なものがむしろ好ましく感じられ、この姿というのは原作者が意図したものだったのかどうか訝しく思ったもののこれは新鮮な驚きだった。 この女優は好みなのアメリカ人俳優なのだがベルトリッチが彼女を本作で選んだとすれば何ともない前半から終盤にいたる転回での彼女の演技を得たという点で大当たりだったというべきだろう。 イングリッシュ・ペイシェントのイギリス人女優クリスティン・スコット・トーマスと対比すれば同じ砂漠の中の女二人、そこでの英米の違いがはっきりするだろう。

グロニンゲンの茸屋さん

2012年08月27日 18時12分37秒 | 日常


2012年 8月 25日 (土)

民宿で一人だけの朝食を摂ってから街を離れて田舎道に入るまで少々時間があるので折りたたみ自転車でトコトコ土曜のマーケットがある Vismarkt という青空マーケットに行った。 午後のジャズ・コンサート・サイクリング・ツアーの腹ごしらえのためにデイパックに入れて持ち歩く食料を買おうとやってきたのだ。 30年以上前から6年間ほど住んでいたこの町で毎週土曜のマーケットはいつも楽しみだった。 それは今でも住む街で習慣となって続いていて今回久しぶりのグロニンゲンのマーケットは殊に故郷に戻ったなつかしさだった。 この日の夜は田舎の村のもう何回か泊まっているホテルに深夜戻る予定だから買いたいものがいろいろあっても生ものはうちに持って帰られないので必要最小限の昼食になるものだけにした。 チーズ入りスティック状パン、グレープフルーツ、リンゴ、バナナそれぞれ一つづつだけだった。  すぐそばにある Grotemarket の広場は移動遊園地になっているので本来ならば食料以外の雑貨、骨董などの出店がでるマーケットは今週はないけれどこちらのほうは従来通りだ。 この広場を取り仕切るように建つ大きな A-kerk という教会の建物だけの中にガラクタ市のようなものがあったのだがそこは今は全国規模の大手スーパーが入っていてそこで缶ビールを買ったのだがレジで、いつごろからこのスーパーがこの建物に入ってるのと訪ねると若い女の子は気がついたときからここにありましたよ、という。 30年前はここ全体がガラクタで一杯だったんだよ、というとへーといって大きな教会の内部そのままの高い天井を眺める風だった。

Vismarkt(魚市場)の名のとおり幾つも魚屋が店を出しておりその一つでムール貝をあげてもらってそこで買ってきた缶ビールで喰った。 いろいろな生鮮食料品を扱う出店を見ながらあるいていると茸を沢山並べた茸屋さんに行きあたった。 その真ん中には黄色から芥子色になろうかというCantharel・カンタレル(和名アンズタケ)が盛り上げられていた。 2週間ほど前に歩いてきたオーストリア・チロル地方の山の森には黄色いカンタレルがたくさんあってそこから山一つ越えたイタリアの村から大挙して人が採りにくるので当局はその人たちに入山料を課しているけれどそれでも違法者が絶えないと聞いたし、何年か前にスウェーデンのイエテボリの知人のうちに行った時にも散歩で森にでかけカンタレルを採ったのを憶えているけれどそのときにもポーランド人がきてごっそり採って行ってしまう、とも言っていた。

シシリア人の義兄に聞いた話ではシシリアの村にはこの間までどんな茸でも怪しいものを持っていくと喰えるか毒か判断してくれる年寄りがいたけれどオランダではどうか、とその店の女性に聞いてみた。 当然森林局の職員は分かるものが多いけれどいつでもその村にでもいるわけではないし、そういうことは昔はあったにせよ残念なことにもうとっくにそういうことが無くなっているとのことだった。 自分の町にも茸屋はほぼ毎週店を出すけれどこれほどの種類はもっていないからそれを訊ねると、本人は菌類の生物学者で茸屋は今の時期だけ趣味で一週間に一度周りのものを集めたり自分で育てたものを持ってきているとのことだ。 これだけではとても生計を立てられるものではないとも言っていた。 

昔まだ小学校に上がるか上がらないかの頃、林のそばの畑で祖父が畑仕事をしていてその休憩中に林の中に連れられそこに生えているまっすぐにのびたモヤシのようなしろい茸を採ったことを覚えている。 汁に入れて喰うものでセンコウタケというと教えて貰った。 そのことを言うとそれは ENOKI じゃないの、といって図鑑を見せてくれたが当然エノキならわかるけれどセンコウタケにはエノキのような小さな丸い頭はない。うちにもどってからこのセンコウタケというのが本当にあるのか調べたらちゃんとあったので安心した。  Clavaria という名前でちゃんとその写真まででていた。

グロニンゲンの田舎の小さなチャペルのコンサート

2012年08月27日 02時14分37秒 | 日常
週末の天気予報は風雨があるというような悪いものだったのでグロニンゲンの全くの田舎道を行くのにはまずく、車で行けるところまで行って後は1kmでも2kmでもいいからポンチョをかぶり車の後ろに積んであった折りたたみ式の自転車で行けばいい、と踏んでいたのだが幸いなことにイヴェントの会場を移動する間だけは上天気でコンサート中に土砂降りになる、というような週末の天気だったから助かった。 

オランダにもう20年以上住むカリフォルニア生まれのサキソフォニストとノルウェー人のバシストのデュオを聴くのにそんな風にして曲がりくねった田舎道を1kmほど風の音と鳥の声だけを聴きながら自転車を漕いで小さなチャペルに来れば横からみればそこそこの大きさに見えるものが正面から見ると本当に小さなものだった。 背が高ければ入り口で頭を擦り付けそうな具合だからその規模がどんなものか見当がつくだろう。 内部は40人も入れば一杯になるようなチャペルで近郷の農家だけのため作られた今ではほぼプライベートの教会なのだ。 そこに少し遅れて来たら中は一杯で切符をもぎる女性から入ってすぐのところにある小さな梯子で上に上がってパイプオルガン奏者の座るあたりから聴けばいいと言われたからそうしたら会場を全部見下ろせるところでアコースティックも申し分なく、この何百年とそこに建つチャペルに集ったであろう人々のことを想ったのだった。 

そんな天気予報でもコンサートの合間に陽射しがあってステンドグラスからさまざまな色が立ち上がりその美しさは期待していなかった驚きだった。 コンサートのあと奏者たちやそこにいる人たち何人かと外で立ち話をしたのだがふと屋根を見上げると塔の先の部分がまるでちゃちなオモチャのブリキ細工を取ってつけたように見えた。 過去に何回かこの催しに来ているけれどこのチャペルに来た記憶はない。 途中迷った道ではそこを通るときにはそこの教会には来たことがあるのは確かでそのときはアフリカの民族楽器と独特の歌唱方法に興味を持ったなあ、と思い出したのだがそれももう4,5年前だろうというようなことで、何れにせよこういうところで聴くジャズと周りの静寂のコントラストを想った。

グロニンゲンに行けば町の広場に移動遊園地がでていた

2012年08月26日 15時45分44秒 | 日常
グロニンゲンまで200kmあまり、車で2時間半もあればいいと思っていたのだが、アムステルダムの環状線で変更車線を間違え大堤防のほうに入ってしまい慌てて引き返し埋立地のフレボランド州方向にいく高速に戻ったのはいいけれど長い渋滞に巻き込まれ30分以上無駄にした。 10kmほどのろのろと動いていてやっとその原因の事故現場を過ぎたらあとは楽だった。 けれどグロニンゲンの街に入るとき高速の出口を誤って環状線の西でおりるものを南で下りてしまい目的の民宿までもたもたと町の中を探り探りたどりついた。 それも勝手知ったる故郷の町と高をくくっていたせいだ。 知らない街にでかけるときは要所要所を調べておくからこういうことはまずない。 予約してあった民宿に着いたときは予定から1時間ほど遅れていた。 民宿のある通りには昔知人が何人か住んでいてよく通ったけれど印象は朧でそれらの番地ももう忘れたけれど宿の人に知人の名前を言っても当然のことととして知らない、といわれた。 彼らもとっくに引っ越しているにちがいない。 狭い通りだから駐車スペースがなく荷物を降ろしてから車を近くの北駅の駐車場にもっていき、折りたたみの自転車を取り出してそこから町の中心に向かった。

土曜日のジャズ・バイク・ツアーは町の北部の田舎の幾つかの村でコンサートがあり、それを自転車で廻るというフェスティバルなのだが、その前夜祭のオープニング・コンサートが今回は市役所前のグランド・シアターという劇場であるのだ。 今回もこの会場なのだがいつもこことは限らない。 町の中にいくつもある教会の中で行われることもあった。 自分の住んでいるまちとは違い、グロニンゲンの町の中心には大抵の街と同じように市役所の前に大きな広場がある。 グロニンゲンの場合は Grotemarkt(大市場)なのだが市役所の裏にもこれとほぼ同じような Vismarkt (魚市場)があって週に何回かは市がたって特に土曜のマーケットが賑やかだ。 けれどこの日は少し様子が違った。

移動遊園地がでていた。 どこの町でも祭日などに年に何回かこのような移動遊園地が来て急に華やかになる。 9時のコンサートまで時間があるのでぶらぶらしたのだが、そういえばこの時期にジャズ・バイク・ツアーにくるとここにこれがでている。 オランダ全体では祝日でも何でもないのになんなんだろうか。 時間があったのでまず来た時には時々でかけるインド料理のレストランでマトンのカレーで腹ごしらえをして、そのあと移動遊園地で時間をつぶしたのだが天気のせいか景気のせいかわからないけれどあまり流行っていなかった。 少々寂れた感じの雰囲気と電飾のけばけばしさが好ましい。


里帰りとジャズ

2012年08月24日 04時52分28秒 | 日常

週末、金、土、日とオランダ北部の街、グロニンゲンに里帰りする。 目的はグロニンゲンの田舎のあちこちを自転車で移動しながら小さな会場でジャズを聴く、という催しに行くためだ。 グロニンゲンは1980年から6年間住んだ街であるから自分にとってはオランダの故郷と言っていいかもしれない。 だから知り合いも何人もいるし眼をつぶっただけで町の通りの様子が眼に浮かぶ。 人口20万弱の静かな街だから何年かに一度でかけることがあって町並みを見てもこの30年間ほぼ変わることはない。 もちろんオランダのどこの町でも見られるように新興住宅地が町の周辺から外に広がっているのは同じだがけれど町の中心は何も変わらない。

自分にとって Groningen はグロニンゲンだ。 オランダ語の表記上ウィキペディアでは フローニンヘンと間の抜けた音の連なりになっているけれど自分にはグロニンゲンだ。 そもそも日本語にない音を日本語で表記しようという試みが無茶なのだが正確に表記する方法がないものはしかたがない。 近いもので間に合わすといっても限度があって日本のカタカナ表記の地図から順番にオランダの地名を読んでもオランダ人にはそれはどこのことだということが多いに違いない。 そもそも g の音がやっかいなのだから。 時には強く、時には弱くノドの奥から搾り出すような音が g で、これがオランダ語の語感を特徴付けている。

Zomerjazzfietstocht というのは サマー・ジャズ・バイク・ツアー という具合に説明されていて、今年で26回目らしい。 土曜日に田舎のチャペルや農家の倉庫、古い工場跡など数箇所で小さなコンサートが開かれそれを選んで順番に会場を自転車で廻る、という仕組みだ。 会場はそれぞれ2,3kmの距離があるだろうか。 自分の場合は車に折りたたみの自転車を積んで走り、もうこれ以上車は入れないという田舎道の路肩に車を停めそこから何百メートルか自転車で行くということをする。 5,6km離れた会場間の移動時間が40分ほどのところがあるからだ。 金曜の夜にグロニンゲンの市内で前夜祭のコンサートがありそれを入れて2日で5つぐらいのグループを聴くつもりだ。 前回この催しに参加したのは4,5年前になるだろうか。 今回は雨が降るというのでデイパックにポンチョを入れてそれに備える。