暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

財布に10セント玉が入っていたんだけど

2012年11月30日 15時53分48秒 | 日常



紙幣をそのままの形で入れるような財布はもたず小さい小銭いれのような扁平の袋状のものを持っていて紙幣は四つおりにして小さなジッパーを開けて小銭と別にして財布というより小銭いれを持ち歩いている。  ちょっとした買い物のときにいちいち小銭を数えるのが面倒だから紙幣を出してそれでツリをもらうようにすることが多いから自然と小銭がたまるようになる。 それでも2ユーロ、1ユーロコインや50セント玉などはよく使うからほんとに細かい20、10、5セント玉がたまって重くなり何週間かに一度そういう細かなコインを別のところに集めておく。 そんなことをしようと種分けをしていたら。 珍しい10セント玉があったので手にとって眺めた。 文字からするとギリシャのもののようだ。 10セントだから大体日本円の約10円玉に相当する。 ユーロは加盟国でそれぞれ作られて圏内で流通しているからさまざまな国のものがポケットを通過する。 オランダで住んでいるのだからオランダ製が主なものだ。 どちらが裏か表か知らないけれど一方は同じデザインでもう一方がそれぞれの国で意匠が違う。 隣国ドイツ、ベルギーもよく混じるがフランス、スペインなどのものも見かけ、たまにはイタリアのものも見る。 関心がないから実際どこの国のものが今までこの小銭入れを通過して行ったのか見当もつかない。 一年に一度か二度近隣諸国、その他ユーロ圏の国を通過するからそのときには昔と比べて通貨の両替をしなくてもいいので楽だと感じる。

時には自分の小銭入れの中にはオランダ製のコインが入っていないことさえありそんなときには隣国のもので満たされていて使うものにはいちいち細部を見ずにその大きさと色で判別して日常を過ごす。 日の光が乏しくなる今の季節では片手に一杯のコインの中からすばやく相手に小銭を渡すときにはサイズが一番判断の基準になりやすく、50セントは他に比べて大きいから分かるものの、20セントと10セントの区別がつきにくく時には勘定が間違っていることを訂正されることもあり、そんなこともあるからいちいち正確に細かいコインを集めて払うということをしなくてそれよりも大きい額、50セントや1ユーロコインだけで払うことが多いから20セント、10セントに5セント玉が貯まってしまう理由にもなるのだ。 

さて、この10セント玉なのだが、見慣れないギリシャ文字が書いてあるのでそれだけでギリシャのものだ、と判断する。 そのほかのことは分からない。肖像があって、なまえらしい文字が添えられているのだが読めない。 だからネットで検索するとこれはギリシャの詩人であり革命家でもあったリガス・フェレオス(1757-1798)という人だということが出ていた。 この人のことも知らないけれどイメージ的にはギリシャの神殿、ギリシャ神話の女神、太古の哲学者たち、というようなものを想像するのだが革命家というのが気になる。 それは18世紀に興味があるのではなくて今の時期にこれを見たからであって、それをいうなら各国の紙幣にサインがあるようなそれぞれの国の財政担当大臣か造幣局の責任者のことが頭をよぎるからであって、今のギリシャについて想いがいくからでもある。

2日ほど前にオランダ政府が、ブリュッセルの首脳が集まって何回目かのギリシャ救済のために緊急会議があった折に、これから2020年まで毎年幾ばくかの拠出金を出す、ということに合意したと報じられていた。 2ヶ月ほど前に選挙があって前の保守・超保守連合政府から保守・労働党の内閣に変わったオランダはそれ以前からこの数ヶ月、今の救いがたいギリシャのほぼ破綻経済に対してもうこれ以上救済のための拠出金を出すことを拒否するといい、それが選挙戦のテレビ討論会の時にも現首相のくちからはっきりと公約として言われていたものがここにきてひっくり返った。 それはヨーロッパの中で小国ながら経済では優等生と言われてきたオランダはヨーロッパ首脳国の意図を代弁する第一の国であることから予想できることではあったけれど、まだ若い労働党の経済担当大臣がブリュッセルで各国の大臣たちとの協議の結果、口にはださないものの明らかにドイツ、フランスからの圧力で今までもう何回やってきたかという決定となったのだった。 保守党党首であるイギリス首相は今まで以上に反ユーロの態度を表明し、その態度を自国の選挙民に見せ票につなげようとしているように見えた。 

ギリシャの経済状態は一向に回復の兆しが見えずEUの主導国ではこの長期にわたる経済停滞の中、どことも緊縮経済政策が続く中でのギリシャ拠出金には頭を悩ましているようだ。 底のない井戸に金を放り込むようなものだといわれ、もうこの行為を止めてギリシャを破綻させよという議論が今まで何回も行われてきたのだがここに来てまだ経済的余裕のあったオランダにもそれがなくなってきている感がある。 様々な経済指標が芳しくないなかでオランダ首相はテレビでこのいい訳をし、拠出金は長期融資であるからどれくらい長期になるかわからないものの必ず返済させると言うものの、それはむなしく響く。 それは、自国の経済、金融、福祉が圧迫されていく中、まだこれから何回こういうことをしなければいけないのか、先はみえるのか、という恐れと、このサイズでギリシャが破産するなり、ギリシャのユーロ離脱となればその波及効果でたとえ返済されたとしてもそのときには不況のドミノ効果が押し寄せここにも及ぶ経済津波被害を防ぐという意図があるから、ここでもまた、退くに退けないジレンマの中にある現在を再確認する結果となっている。何か辛抱ゲームをしているような感がある。 今退くと他にもスペイン、ポルトガル、イタリアのような国がギリシャのあとに待っている。 ギリシャをやめたとしてもギリシャを切りとってそれで外科手術が済むということではなく、それがユーロ圏、 EU の体を大きく衰弱させ、重症の患者にも見られるようにその心理効果が一挙に臨終へと続くということになりかねない。 

昨日のニュースでは経済優等生だったオランダの就職を巡る現在、20歳であれば失業してもほぼ2ヶ月以内には職を見つけられるものが55歳以上になると失業すればほとんど再就職の可能性がない、というような統計が出ていた。 この時代、還暦を過ぎ、25年以上働いてきた今の職場もあと2年ほどで完全定年退職となるけれど今になってこういう状況を経験するとは思いも寄らなかった。 自分はなんとかすり抜けたという感があるのだがもし自分がもし今より20歳わかかったら、と思うと当時の楽天的な気分に暗雲が立ち込めるのが想像できてこれが時代の気分となるのだ。

こんなことが小銭入れの中を通過するギリシャコインを眺めていて思われるのだ。 時代の空気が財布の中に浸透し、生活にも影響しているのを思うのだが、一方、果たしてギリシャコインが小銭入れから消える日がくるのかどうか、そこにも思いが行き、それももホラー映画の序章のように想像もできるのだが、それはあくまで映画のこととして、いまのところはただのシナリオとしてだけ考えることにするのが心の平安を保つ助けにはなるだろう。 コインにある肖像の主は18世紀の革命家らしいが今そういう人がギリシャから出るとすると、ギリシャは今ではユーロ加盟国であるのだからその革命の思想、哲学はギリシャ一国だけのことを考えているのだけでは駄目なのであって遍く世界を含むものでなければならないだろう。 この18世紀の革命家が今ここに出てくればどんなことを言うのだろうか、と思ってもみるがそんなことを言っても詮無いことだ。

門の補修が完成した

2012年11月28日 16時31分33秒 | 日常


今年の5月に 「門の工事に行き合った」と題して下のように日記に記した。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/62672371.html

そのときそこにいた作業員から8月ごろには元に戻ると聞いていたもののその後9月になるまで門は戻らず元の石が戻ってきたとしてもそれからが長かった。 足場とネットに覆われて普通の工事現場となりそこを潜るのに難儀した。 日頃は乗用車が一台やっと通過できる幅なのだが何ヶ月も自転車一台潜るのがやっとで狭い通りの両脇に様々な石材から作業用の機械まで並べられまるで狭い通路を2,3人の作業員に上から見下ろされながら通り抜けるが常だったものが先週なんとか大分片付いてきたと思っていたら今週仕事場に来るとあっさりと足場や機械一式が消えていて元のさえない門が立っていた。 このどこを修理、補修したのか分からないごく普通の古い門なのだが上の飾りがなんとも安っぽいほど白くなっている。 けれど元々この上の飾りはゴテゴテとペンキを塗られ豆菓子の白チョコレートまぶしのようにほとんど細部がわからないほど丸くなっていたものがそのペンキを取り除き欠けた所を補修したのだろう。 彫刻がくっきりしている。 

この25年以上この下を行ったり来たりしているのだがちゃんとまともに見た事もないし、いつもここはすぐ右にある街一番の旨くて情緒のある小さなパン屋から朝飯のチョコレート入りクロワッサンの紙袋が入ったもの咥えながらここを潜り抜けて自分の建物に急ぐので見る暇がない。 自分の働く建物に比べて小さく、こんな人に知られないようなところにボソッと建っている門にだれが関心をもつのだろうか。 

銃なんて火薬がなければただのモノ

2012年11月27日 23時51分06秒 | 日常


日曜日に定例地区射撃大会に出た。 日曜の昼前家を出て20分ほどハーグに向かって空いた高速を走り、この何十年も環境保護団体の反対で建設がデルフトあたりで止まっている高速の終わり近くに来るとこの10年ほどで猛烈に住宅化した、元は一面の牧草地だったところに出て、ハーグから伸びた市電の終着駅が傍にボソッと見える水路の脇を走って家庭菜園が集まる今では元と呼べばいいほどの郊外の射撃クラブに着けばもう15年以上顔見知りの連中が各自テーブルやカウンターでコーヒーを飲んだり、競技が済んだものはアルコールを口にしている。 まだ時間が少しあるので朝昼兼用の食事にしようとフィールドホッケーのボールほどのミートボールにからしをつけてパンと喰った。 これはビールとは甚だ相性がいいのだが射場に立つ前には飲めない。 大抵は殆んど待たずに射場に入り30分で済ませるからその後、ゆっくりとこれをビールで楽しむのだが、今はミネラルウォーターで食事をしているとそのうち時間が来て25mの射場に呼ばれ自分のブースに荷物を広げた。 フリントロック式ピストル本体、弾込めに使う道具一式、着弾を確かめるための望遠鏡、予備の火打石、火薬と鉛玉の間に挟む薄い布などをブースの上に用意して、さて火薬を、とカバンの中を捜すと見つからない。

家をでるとき銃器を保管する鋼鉄製の、今時普通の家庭には見られないような大型金庫のような保管庫から法律に従って銃器と火薬を別々に鍵がかかるように別けて保管していたものを取り出し、他の用事をするのに身体を動かし、その後回りのものをカバンに詰め込んで家を出たのだった。 保管庫の前で身体を回したときに透明のプラスチックに1グラムに満たないような黒色火薬を量ってそれぞれ一回分を個分けに入れてあるものを集めたプラスチックの箱をそばに置いたようでそれをそのままにしたまま家を出てきに違いない。 しかしそんなことを今思い出していても時は既に遅く、この地区で自分の種目で撃つものは誰もいないからバーに行って誰かこれに合った火薬の余分を持っているか聞いてもだれもいない。 仕方なく25m先の紙の的を一瞥して目の前に並べたものをフィルムの巻き戻しよろしくテキパキとカバンに詰め込んでバーに戻った。 今年5月に個人史上最低点を記録し滅入ったけれどここに来て究極の最低点をとることになるとは思いもしなかった。

この20年ほどの間に弾を忘れてそこにいる仲間に借りたことは1,2回ある。 それは薬莢に火薬と弾頭が一緒になった、普通の人が銃弾と呼ぶものだ。 西部劇で馴染み深いコルトリボルバーとウインチェスターライフルを撃っていてそれには最もポピュラーな44口径を使うから大抵声をかければ誰かが持っていて融通してもらうことが出来るし自分も何回か人に貸したことがある。 

自分の撃つものは火打ち石を使って発火させその火花で火薬を爆発させて銃口から詰めた丸い鉛の玉を飛ばせる仕組みのフリントロック式のピストルで、それはカリブ海の海賊が腰につけているピストルでもあるのだが、映画を見ているとなんとも都合よくドンパチやるものだと感心するけれど、それが実戦だとそれほどうまくいくわけではない。 実に面倒なものなのだ。 第一一生懸命訓練を重ねて25m離れた人間の頭ほどの的を狙って13回発射するのに20分ほどかかる。 それが実戦では一つの銃で一発しか撃てないから回りから押し寄せてくる敵に対抗するには前もって装弾してあるピストルを二、三挺腰の周りにつけておく、ということぐらいしか出来ない。 その場で火薬を詰めてそのあと直径11ミリほどの鉛玉を詰めて引き金を半分引き起こし、発火の受け皿に細かく挽いた火薬を載せて狙うなどと悠長なことなどやっていられない。 だからそのあとは大抵持った刀でチャンバラということになる。 実際カリブの海賊達が腰にピストルをつけていてもすぐに撃てるわけではない。 銃口を水平に保ってから火口の受け皿に細かい発火用の火薬をゆっくり注いでからでないと発射できない。 たとえ先にそれをやっておいて蓋をしたとしても大抵はピストルをほぼ垂直に腰に挿したとしても発火用火薬は細かいから零れ落ちてしまい用をなさない。 夢を破るようだが19世紀の初めにパーカッション方式が発明されるまでそういうことはできなかったのだ。 そんなことは今どうでもいい。 

今手元には目の前の敵もいなし刀もない。 あるのは銃弾の跡がない紙の的が25m先にぶら下がっているだけだ。 バーに戻ると射場のヴィデオカメラを見ていた大会の実行委員が来てどうしたのかと訊かれたから火薬を家に忘れてきた、というと、ま、銃なんて弾がなければただのモノだからな、使い道がない、といい、射場に立ったんだから記録に残る、年間大会規定の7回は参加しているから来月のうちあげでは参加賞がもらえるし、優勝トロフィーもあるかもしれない、といった。 この地区でこの種目では自分ひとりだけだからこの何年かはいつもチャンピオンなのだ。 今年は最低の年だった。

トリュフ(セイヨウショウロ)を喰う

2012年11月26日 23時26分07秒 | 喰う

土曜の青空市場を覗いていて茸屋でトリュフをみた。 今まで試したことがなかったから一度使ってみようと太い親指の第一関節ほどの塊に600円ほど払って家に戻った。 茸屋のオバサンに尋ねると火曜日にイタリアの北部で摂られたこれが水曜の夜にはオランダに届いて木曜には店頭に並ぶのだそうだ。 普通たこ焼きを入れる薄い木のフネをこのトリュフが一つだけ入るだけの大きさにしたミニチュアのフネを摘んでそれを蔽ったラップの膜を取り除くとフネの木の香りが第一にしてそれはまさかトリュフの匂いではないだろうとトリュフだけを取り出して匂いを嗅いだけれど取り立てて強いものではなかった。 腐敗前の木の香りのようなものかと思ったけれど他に似たものを想像しても他には思いつかなかった。一般的な茸の香りではあるけれどちょっと拍子抜けした。 強い匂いをイメージしていたのだが違うようだ。

どこかでトリュフにはプレーン・オムレツがいちばん相性がいい、と聴いたことがあるので久しぶりにそれを作ってみたら近年にない上出来だったので喜んでナツメグの実をおろす金具でトリュフを摩り下ろそうとおもったのだが、まてよ、このちょっとライチの皮が黒くなったような表面は剥かなくてもいいのかとも思い、まず皮を剥くことにして刃を入れたらあまり硬くない美しい白と茶色の半透明な組織が見えた。 そういえばこれを薄く削いだものを降りかけてある写真も見ていたので薄く削いだものと皮のまま下したものでオムレツを食べたらなんともいえず旨かった。

この旨さは微妙だ。 近年喰ったことがないほどの旨いオムレツだったのだがトリュフの出番は何処にもない。 第一、トリュフがあってもそれがどうだ、という程度のものでしかなく、これがフォアグラ、キャビアと並んで三大珍味の一つだというのが分からなかった。 もっともフォアグラは何年も前にフランスのドルドーニュの田舎でバカンスをしたときに何回もレストランで食べてそのときは旨いと思ったものの、その後オランダに帰ってきてわざわざフォアグラを喰おうという気にもならなかった。 フォアグラもこのトリュフもドルドーニュの名産でありそこに行けばこれを喰うことになっているもののガツガツ喰うものでもないし、昔は兎も角、何でもある現在では特別眼の飛び出るほど旨い、というものではないのではないか。 それはキャビアにしても同じことだ。 ロシア産のキャビアの大きな缶をもらったことがありいろいろな形にして喰った。 白ワインのアテにはなかなかいいのだがそればかりでは飽きる。 それにスカンジナビアでは魚の卵を同じようにしてチューブに入れたものもありそちらのほうもなかなかのものであり個人的には話の種にはなるもののどれもそれ以上のものではない。 評判だけが走りそれが値段となって人はその値段に圧倒されそこから過度な期待をしてしまう、というプロセスに陥るのではないか。 それに似たのがマツタケだ。 半世紀以上前にマツタケは自分で親戚や知人のマツタケ山から取ってきて飽きるほど喰ったことがありそれ以後はない。 どびんむしなど旨いに違いないが料亭などでのその値段には相応しくないとも思い特に喰いたいとも思わない。

そんなことを思いながらトリュフもこのカテゴリーにはいるのかと夕食にもう一つの推薦メニューであるリゾットに残り半分を同じように削いだり細かくおろしたりして降りかけて喰ったのだがこれも旨かった。 ひょっとしてトリュフには食材を引き立てる効果があるのかとおもった。 フォアグラ、キャビアにしても大抵はパンかその類の上に乗せてその味を楽しむものだがトリュフは違うようだ。 一度だけで何事を判断するのは早計であるようだからそのうちもう一度試みてみるつもりだが、茸屋のオバサンがいうには来週辺りイタリア中部の白トリュフが来るかもしれなくてそれは黒いものより香りが強いようだ、とのことだからそれを試すと少しは今の意見もかわるかもしれない。


ウィキペディア; トリュフの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%95

ワンダフル・タウン  <未>(2007);観た映画、 Nov., '12

2012年11月25日 23時07分38秒 | 見る


ワンダフル・タウン   <未>  (2007)

WONDERFUL TOWN

91分
製作国 タイ

監督:  アーティット・アッサラット

出演:
アンチャリー・サーイスントーン    トン
スパシット・ゲンセーン       ナー

と映画データベースにあった。 

これだけでは物足りなくネットで検索すれば下のように幾つかのサイトに詳しい記述があった。

http://siameseindy.blog47.fc2.com/blog-entry-241.html

http://blogs.yahoo.co.jp/sweetmango727/46793597.html

http://kobabkk.exblog.jp/7459013/

オランダのテレビガイドに本日の映画として推薦されていた作品だ。 説明も読まずアジア映画とあり制作国のアルファベットで T とだけあったから Taiwan だろうとおもって観はじめた。 イギリスBBCテレビの深夜映画で中国語かと聞き始めたらそうでもなく、だから英語の字幕を追って景色や会話の内容から津波のあとの被災地が現れているもののまだそのとき台湾も津波の被害がこれほど大きかったのかと思ったけれどプーケットなどの地名が出てきているのでタイだと知った。 アジアの一部でもある日本から出てヨーロッパにこの30年ほど住んで、近隣諸国にはよく行くがアジアの経験はない。 強いていうならば1979年に3週間ほど出掛けた中国だけだ。 この8月にオーストリアの東チロルを歩いていたときにヒュッテの地元女性コックが「友人が大阪に住んでいて休暇は安くて住みやすいタイにいってる」というのを聞いたぐらいだしオランダ人の若者達が行くのは物価が高い日本ではなく熱帯気分が味わえて楽しいタイであり、そこからは他にもインドネシアやオーストラリアに近く過ごしやすい土地なのだという印象をもっている。

自分の周りでは当時の津波の被害に遭った者はいないものの多くのオランダ人観光客やそこに住んでいる人たちの被害の模様が当時連日報道されており、取り分け死者の身元判定のために派遣された多くのボランティア検死官たちの話が生々しくも痛ましく、そのことから東北の津波のことを察したのだったが本作はその後の寂れた観光地のホテルでの話なのだ。 上記のサイトには詳しいことが書かれているのでいまさら繰り返すこともないのだが、自分の印象から言えばそのテンポに安らぐ。 それは日頃欧米の新旧の映画に接しこのようなテンポの映画をみることは少ないからであって、例えテンポがゆるいといっても欧米の作ではそこに横たわったテンションや形式化され充分意識され計算された「芸術的」映像とそれに加わった対話が散りばめられる傾向にあるなか、本作では落ち着く気分がする。 現にアメリカの映画サイトではこの評価は及第点でしかない。 多分これは日本であっても大きな齟齬も無くこの叙情はアジアのものとして共有されるものだろうとアジアを旅行したことがない自分は勝手にあたりにありふれたステレオタイプに当てはめる。 テレビガイドに本作のカテゴリーはロマンスだとあるから、まだ何かに未練をのこして都会から来たまだ若いといえる建築家と大学を出たものの津波で被害を受けた家族のホテルに釘付けになったまま自分の時間も自由もなくもう若くも無い女性の物語だから畢竟二人が付くか離れるか、そしてその後のハッピーエンドの話だと高を括っていた。

けれどそれだけではテレビガイドには4つ星はないから何かあるのだろうと観続ける。 畢竟土地に縛り付けられた姉弟とそこに来た余所者建築設計士・現場監督の男とのロマンスともすれ違いとも、また置いてけぼりを喰う姉の物語なのだろう。 ヨーロッパの寒冷な土地に住むものからすればアジアの湿り気、雨の景色が美しくその中のカップルもいいが自虐的で澱む弟が光っていてその存在が被災地の若者を代表しているのかもしれないと思った。

同窓会とシンタクラース

2012年11月24日 19時47分43秒 | 日常

この間、高校の同窓会があると案内があり、出席できないのでその分何かメッセージを送って会場で読んで貰う事にして幹事にメールしたのだが届かない、という通報があった。 アドレスを間違えたのかと思い、もう一度一字一句ちゃんとみて送ったのだがそれでも駄目だった。 慌てて別の友達にその旨伝え会場で司会の人に手渡してもらうよう同文をメールで送って事なきを得た。 前回は二年前同じアドレスにメールして何の支障もなかったのだが妙なことだ。 

同窓会に60人以上が集まったらしいのだがその後、夕方、我々の小さなグループが友人のサンドイッチ・パーラーに集まってお喋りを続けるというのでそこに電話した。 何人かは去年、一昨年と帰省したときに顔をあわせているのだがこの40年話したこともなかった友達もいて感慨無量だった。 詳しいこと細かいことは電話では話せないからまどろっこしかったがそれでも肉声を聴くとこの年月が一挙に押し寄せてくるようにも感じるのだ。 二年前の会のとき、何百枚もの写真が同窓会のブログに貼り付けられているのを知ってそれに見入った。 知らない顔が多かったのだが卒業アルバムと照らし合わせてなんとか分かった者、全く分からない者もかなりいる。 近々今日の写真がそのサイトにまた更新されて貼り付けられるのを楽しみにしている。

今日、土曜の午後、霧が出て細かい雨が降りそうな気配があったけれどいつものように買い物がてら青空マーケットに出掛けた。 市役所裏の広場に例年の如くまたシンタクラースが来ていて小さな子供達とその親達で賑わっていた。 あと一週間ほどで12月4日のシンタクラースの祭りになる。 ほぼ毎年このことについて書いているから同じことを繰り返すのを咲けて前から順番に書いた日時とその場所を下に記す。

2006年 11月19日  「師走に向けての追い込みが始まった」
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/42406309.html

2006年 12月少々遅れたがオランダのサンタの衣装が我が家にも来たのだが、、、」
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/43067052.html

2007年 11月26日 「今年もまたオランダのサンタクロースがこの町にやってきた」
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/51402409.html

2008年 12月 1日 「スーパーにもシンタクラースが来るんだなあ」
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/56888150.html

2008年 12月 6日 「シンタクラースに会った」
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/56961245.html

2011年 11月 21日 「今年もまたシンタクラースがやってきた」
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/62328718.html


尚、今日撮った写真と去年のものを見るとシンタクラースは当然のことながら同一人物だった。 何年か前まではもう少し肉付きもよく、それは400歳というシンタクラースの歳に相応しい風貌をしていたのだが、この二年ほどこども達を膝に抱いて願いを辛抱強く聴いている顔はまだ壮年のもののようだった。



セラフィム・フォールズ <未>(2006);観た映画、Nov., '12

2012年11月23日 17時15分50秒 | 見る

セラフィム・フォールズ  <未>  (2006)
SERAPHIM FALLS

115分

監督:  デヴィッド・フォン・アンケン
脚本:  デヴィッド・フォン・アンケン、 アビー・エヴァレット・ジェイクス
撮影:  ジョン・トール

出演:
リーアム・ニーソン    カーヴァー
ピアース・ブロスナン   ギデオン
マイケル・ウィンコット   ヘイズ
アンジェリカ・ヒューストン マダム・ルイーズ
ザンダー・バークレイ   鉄道工事現場の責任者
エド・ローター      パーソンズ
トム・ヌーナン      エイブラハム牧師
ケヴィン・J・オコナー   ヘンリー
ジョン・ロビンソン     キッド
アンジー・ハーモン    ローズ
ウェス・ステューディ   シャロン
ロバート・ベイカー    ポープ
ジミ・シンプソン
ジェームズ・ジョーダン
ネイト・ムーニー

南北戦争後を背景に、ただひたすらに逃走を続ける男と彼を執拗なまでに追跡する男の熾烈な攻防と、次第に明らかとなっていく2人の関係をスリリングに描いた西部劇。ジェダイ・マスター、リーアム・ニーソンとジェームズ・ボンド、ピーアス・ブロスナンの顔合わせが魅力。

1860年代、ネヴァダの雪深い山中を独り彷徨う男ギデオン。彼はカーヴァーという男に追われ、当てどもなく必死に逃げ回っていた。一方、カーヴァーは雇った追っ手たちを引き連れながら、淡々とギデオンを追跡し続ける。激流の川から滝、さらには平原を経て砂漠へと、追いつ追われつの状況で互いを牽制し合う中、徐々にギデオンを追いつめていくカーヴァー。やがて、彼らに縁のある土地セラフィム・フォールズでギデオンが取り返しのつかない過ちを犯し、カーヴァーがその復讐を果たそうとしていることが明白となるのだが…。

以上が映画データベースの記述だ。

イギリスBBCテレビの深夜映画として観た。 実はこれが初めてではなかった。 今回最初から観て前回観たのはいつだったかはっきりとは思い出せないものの前回観たのは途中からではなくほぼ初めから観ていたことに気づいたのだけれど、その最初から唐突である出だしに続き徐々にそれぞれの背景を小出しにしていきテンションを高める方法は西部劇のオーソドックスなもので、本作も西部劇が好きな者なら近年製作された優れた作のひとつとして記憶されることになるものだろうと確信した。 細かいところまで注意が行き届いていて、とくに厳寒の中、激流から上がってきて歯をガチガチ言わせながら薬莢から黒色火薬を取り出し火をつけるあたりの手際が日ごろその黒色火薬を取り扱い薬莢を作る作業をし、特に薬莢から弾頭を取り出すところなどは扱わないものには意外と思えるほど簡単であることからしてそういうところでにやりとさせるところであるし、それは例えばクリント・イーストウッドの映画での銃に対する想いというか扱い方をリアルに見せるそのようなことにも似ていて西部劇はやはりそういうガジェットやサバイバルの手法などを分かるものにも納得させるように見せなければなかなか現代の町に生活する人間たちをなかなか納得させられないだろう。 つまりワイルドに生きるその細かい内容を見せるのだがそこでも技術とそれを扱う繊細さ、が重要になる。

西部劇ではその舞台は現代のミニチュアであること、感情の発露が意外な方向に走り、それぞれが悪なり善なりその中間であって臆病、空元気などの性格も入れ、それぞれをはっきりしさせ、そこにそれらの代表として善玉、悪玉中心のストーリーが進むのであるけれど、大抵は善は悪を駆逐して、そこでは必要不可欠なものとして銃器による最終解決がくる、というものが普通だ。 その構造は簡単ではあるけれど、その簡単というのは粗雑ということとは種類がちがう。 一般的に西部劇では往々にして人物、人間関係、そこにある物たちが粗雑に扱われがちでそれがこのジャンルがメジャーにみられることが少なくなっている理由のひとつかもしれない。 一方これと似た構造の現代のアクション映画は様々に猖獗を極めつつある感が充満しているのだがそれも基本は西部劇の延長であるものが多いようだ。 銃器が派手に使われるけれどそれも殆んどが犯罪に関係し、それを追うもの追われるものの映画が氾濫している。 だからそんな現代を舞台にした作が多い中、何をいまさら西部劇でもないだろうということになる。 西部劇での追うものと追われるものという構造ではそれぞれの過去、それに絡む人々、それをどういう風に絡ませていくかその按配で話の奥行きが変わってくる。 本作ではその按配で最後には思わぬ登場人物たちが出る驚きもあって独特のムードを出し、うまくいっていると思った。 

そういう意味では本作の脇役たちは本作に出られるのを僥倖としなければならないだろう。 誰一人としても退屈させない。 悪は悪で奥行きがあり、脇役達は名前は知らないけれど大抵はどこかで見かけた悪顔なのだがここではその存在に理由があり奥行きが見られる。 だからそのうちここに登場した脇役を主役クラスにして撮りたいと考える製作者、監督がでてくるだろうしキャスティングを仕事にする人がいるのだからそういう人の目にもこれからはとまることになるだろう。 

自分はプロレス勃興期、力道山で育った年代だからこどものころはヒーローに夢中だったものが高校を過ぎるとヒーローがうそ臭く見え、興味が離れむしろ悪役に惹かれるようになっていた。 それも所詮は最後はヒーローが勝利するというように仕組まれていることが分かっているからで、そこでヒールがどのようにヒーローに関係し破れていくか、また次回につなげるかというようなところに注意が行くようになると大抵は無理をして建前だけのヒーローに息がつまり、そのうち誰もが遊べる悪を演りたい、という欲望が湧いてくる。そういう眼で本作の悪を眺めればだれもがああいういい悪を演りたいと憧れるような役者が並んでいるのだが実際にはなかなか味のある悪を演じるのは難しいようだ。 

本作に関係のないことをダラダラと書いてしまったようだ。 それだけ主演の二人が霞むほど脇役に見とれた作なのだ。 個人的に気に入りの二人、アンジェリカ・ヒューストンとウェス・ステューディが終盤に登場し、主役の二人に絡み似非哲学的なことをいうのにニヤニヤしないではいられなかった。  尚、どこかイーストウッドの「許されざる者」を思い出したのだがテンポも調子もストーリーにも類似性が少ないのだが大地の向こうに時雨る美しい空のショットが幾つかあるところがそうだったのかもしれない。 貧しい小屋に逃れた主人公がそこの少年のもっている粗末な木切れのピストルを手にとってちゃんと狙えるように照準を削ってやるのもいいし、その少年を西部で生きる子どもとして描いているところにも感心した。

佳作であるからどんな監督なのかと経歴を見ると意外な気がした。 これだけいいものが撮れるのだったらいくら流行っているからといってもハリウッドの楽屋話のようなコメディー、レッドホットチリぺッパーの歌の題のような「カリフォル二フィケーション」や他にもあるような「CSI」など撮らなくとももっと西部劇を撮って欲しいと望むのだが本作は彼が本気を込めて作ったホビーのようにも見えるのだがどうだろうか。

アンドレーのライター

2012年11月23日 12時41分27秒 | 日常


射撃クラブのバーで飲んでいると外でタバコを吸って来た100kgを越す巨漢のアンドレーが隣に座りライターをカウンターの上に置いた。 日頃はジッポのオイルライターを使っているけれど今日のはちょっと違う。 ジッポより小ぶりで胴体にSSのマークがあって、メタルロックのグループでよく見るロゴのようだが、よく見てみると上にはそのナチスのマークがあって本物のように見えるから訊いてみると、ハーレーに乗って夏休みにハンガリーに行ったのだけどどこかの道端で年寄りが店を出していてこれを見つけて買ったのだそうだ。 まさしくドイツ、ナチスの親衛隊の将校が持っていた本物だ。 オランダでは普通の場所ではこれは人目に見せられない、という。 オランダではヒットラーの「我が闘争(マインカンプ)」も禁書であり、第二次世界大戦の記憶は今でも生々しく決して消えない。 だからこのライターにしても旧日本軍の軍服を着て中国の町を歩く日本人に対する中国人の反応とおなじような反応がオランダ人から返って来るのではないか。 

そういえばいつだったか町で中国人の若いものが中国兵の格好をして歩いていたのを見たが、旧日本軍の格好に似ていて驚いた。 多少は違うのだろうがオランダの町の中でアジア人の顔つきであのような格好をしているのだから目立たないわけはない。 どんなつもりで着ているのかしらないが多分国威発揚の意図からだろうし本人は格好いいと思っているのだろう。 中国の隆盛もここまで来たのか、と呆れたのだが、そういうことではこのオイルライターの方がまだショックは少ないだろうし、地味ではあるのだが、アンドレーにしても常識はあるのでこれを見せるのは自分のクラブぐらいでその他ではそつなくジッポを使うのだろう。

バカンス ’12 (27) オーストリア、田舎の骨董屋

2012年11月22日 04時02分15秒 | 日常


今年のバカンスで土産を買ったのは隣人に猫の世話を頼んでいたからその礼のために赤白のオーストリアワインを買ったぐらいでほかには何もなかった。 家族はそれぞれ自分でどこかででなんやかや買っていけれど「土産」というようなものは取り立ててなかったように思う。 自分にはスーパーで見つけた地元の強い酒、シュナップス一瓶と地元の楽隊のチロルのが民謡を演奏したCDだけが自分への土産だったように思う。

町に出て見物をするとなるとあちこち見て歩き、そこに骨董屋があれば覗くのを楽しみにしているのだが今回は何もない田舎の村のキャンプ地にいたから町に出たのは20kmほど離れたイタリア、ドロミテとの国境に近い Lienz と言う町だけで、そこには一日家族4人で出かけたから自分の自由時間などもなく、みなぞろぞろと歩くからでもあり、それに自分でも特別にどこに行きたいという希望もなかったから一人だけでどこかに行くということもなかったのだが、それでも他のものの買い物に付き合うには辛抱がかなわなくなり、昼の日中集合場所と時間を言って他から離れ勝手に町を2時間ほど歩いた。 その時にはとりとめもなく歩いたなかで骨董屋には行き会わなかった。 

そのうちどうでも良くなって約束した駅裏のサッカー場の駐車場の木陰の芝生に寝転がって他の者たちが来るまで本を読んでいたのもその時の暑さに辟易していたことも幾分かある。 暑いと思ったのはその日ぐらいなものだった。

オランダへの帰路、すぐ向こうがドイツというあたりで牽引車がパンクしてレスキューチームが来るまで道端に止まっていたのだがそこが骨董屋の前だった。 取り立てて興味のあるものがあるわけでもない店の飾り方で、また、日頃ここが開いているのかも疑問になるような寂れ方で、いかにも何もない田舎の骨董屋にふさわしい風情があって思わずカメラをそこに向けて一枚写真を撮った。

CZ75B ; クラブのピストルを撃つ

2012年11月20日 21時41分42秒 | バンバン


射撃のコラムを書かなくなって久しい。 理由は幾つかあるのだがその一つはクラブに行ってもいつも陽気なヘンク爺さんがそこにはおらず気が抜けたようになっていることだ。 だからいつも金曜に練習のため、といってもそれにもほとんど身が入らず、只単に銃器所持の許可証継続のために一年に17回ほど射場に出掛けて撃たなければならない義務があるからそれに行くまでで、それに加えて地方大会、全国大会に練習もせず出てかろうじてその回数をこなしているから成績もこの5年ほどで大分右肩下がりなのだ。 クラブのバーでは練習の後いつも7,8人がテーブルを囲んで陽気にまた和やかに四方山話に花を咲かせていたものが今では2,3人がぼそぼそと話すということで、それもからでも爺さんの人徳が窺われる。 我々古式銃を撃つものたちのグループは全体の10分の1以下でしかなく、50人ほどあちこちで座って談笑しているのは今の銃器を扱う他の会員達であって自然と話題の行くところも違い、気が合う合わないでグループも分かれるようだ。 その爺さんも逝ってそろそろ一年になる。

それは兎も角、前にも何回か書いたのと同様にクラブのピストルを撃つ。 口径はどれでもいいのだがここ1年以上自動拳銃で9mmを撃っている。 即物的なモダンな銃器だ。 オーストリアのグロックかチェコのCZがチョイスなのだが、プラスチックのピストル、グロックはどうもピストルのような感じがしないので、というのも変で、その目的のためには紙であれ木であれ銃器から弾が飛んで標的に当たれば用を足すのだが、まだ自分には古いイメージが残っていて、ある意味では革命的であるプラスチックの銃も悪くはないのだがアンティークの銃を撃ちたいと願う者には肌にあいにくい。 だから形も美しくべレッタに似た鋼製の CZ75B を選んで15m のところに25cm四方の紙の的をつるし遠近両用の眼鏡で10発撃ったら紙の端に2つ当たっただけで他は皆どこかへ行ってしまっている。 最後の5発は老眼鏡で照準、照星をちゃんと見て行ったのだがそれでも駄目だったから多分照準を誰かが操作していたのか老眼がまた変化しているかどちらかだろう。 10mであればまだ幾つか着弾するのだろうが15mでこれでは話にはならない。